罪の意識、後編
目を開いた時、またあの悪夢が始まるんだと、そう思っていた
けれども、今回は様子が違った
ベッドに寝転がっている体を傾け、周囲の様子をうかがってみると、そこは見覚えのある部屋の中だった
久々に頭がぼんやりとしていて、寝起きの感覚がする
「高貴なナイト、ご機嫌はいかがですか?」
ネズミが部屋に入ってきて、ベッドに腰かけた
流星はゆっくりと上半身を起こし、視界に入った窓を見て目を見開いた
さっきまで明るかったはずの景色は、もう薄暗くなっていた
「僕は、あれからずっと寝てたのか」
ネズミに出会った事がついさっきのように感じられていて、時間が経過しているという実感がわかなかった
「ああ。朝に倒れてから、ずっとな」
やはりそうなのかと、流星は伏し目がちになった
風邪をひいた時と同じく、またもやネズミに自分が弱っているところを見せてしまった
ここに運んでくれたのは正直ありがたかったが、頑固なプライドがちくりと痛み、視線を合わせられなくなった
「・・・世話になったな」
流星は一言そう言うと、ベッドから下りようとした
倦怠感は軽くなっているものの、まだ体は休息を欲しているのを感じていた
だがあまり世話をかけたくないし、されたくもなかった
ネズミを拒んでいるわけではなく、ただ迷惑をかけてしまう自分が嫌になるだけだった
ところが、立ち上がろうとした時、ネズミに両肩を抑えられた
まだ座っているようにその手に促され、流星はネズミの隣に腰を下ろした
ふと視線が合わさると、やけに真剣な眼差しが自分の方を見ていた
その眼差しに、流星はまた伏し目がちになった
「・・・らしくないよな、倒れたりして、無様な姿を見せて・・」
いつもの自分を知っている者ならば、その通りだと言うだろうと思っていた
辛い境遇に晒されても、人前では決して弱音を吐かずに押し殺してきた
だが、次に発されたネズミの言葉は予想と反したものだった
「いや、あんたらしいよ。いつかこうなるんじゃないかって、薄々思ってた」
「・・・何だと」
予想とは全く逆の、侮辱にも近いそんな言葉を言われ、流星はネズミを睨んだ
いくら世話になった恩があっても、その一言はたちまち気分を不快にさせた
「僕が、弱い奴だって言いたいのか」
自分の事を知っているはずの彼の発言に、またプライドが傷ついていた
口調は冷静だが、その言葉はあきらかに棘を含んでいた
「逆だ、あんたは十分強い。肉体的にも、精神的にも」
皮肉な事だが過去の辛い経験の影響で、流星はその二つの強さを手に入れていた
それはネズミもよくわかっていた事だった
だからこそ、あえて流星を不快にさせるであろう言葉を言っていた
「だったら、どうしてあんたらしいなんて事を言う?矛盾してる」
流星はネズミの言葉の意図がわからず、訝しげに尋ねた
「あんたは強い。だから自分の中にギリギリまで溜めこむ。
他人に絶対弱味を見せないって、躍起になってな」
矛盾していると思っていた言葉が急に核心を突いてきたので、流星はふいをつかれて口ごもった
ネズミはもう手袋をつけていない流星の手をちらと見た後、何か勘付いたように言った
「今更、罪の意識にさいなまれでもしたか」
流星は、そのまま口ごもっていた
なぜこんなに自分の事を言い当てられてしまうのか、不思議だった
そんな態度をネズミは肯定と受け取ったのか、そこにあった流星の手首を掴んだ
その瞬間、掴まれた手が強く跳ねた
それを見て、ネズミはまた一つ勘付いたようだった
そして一旦手を離したかと思うと、うやうやしく手を握り、自分の口元へ持って行こうとした
「!よせっ」
ネズミがしようとしている事に気付いた流星は、すかさず掴まれている手を引いた
その手は、案外あっさりと離された
流星はすかさずその手首を庇うように掌でその部分を隠し、以前のような警戒心を露わにした
「あ・・・」
反射的にネズミを拒んでしまった自分に動揺した
見続けてきた悪夢のせいで、手袋を着けていた時の感覚が戻りつつあった
そして、あきらかなその警戒心を、ネズミが気付かないはずはなかった
このままでは、流星が以前の状態に戻ってしまうのではないかと、ネズミにはそんな予感がしていた
それはネズミにとって、回避したい事柄の一つだった
「・・話せ、何があった」
強いるように、強い口調でネズミが問う
流星は少し渋ったが、ネズミに誤魔化しなどはきかないだろうとわかっていたので、渋々話し始めた
「・・・手袋を外してから、夢を見るようになった。・・・ひどい、悪夢を。
血の海の上で僕の両手は真っ赤に染まっていて、そして声が聞こえてくるんだ。
お前は汚れている、罪人だと・・。ほぼ毎日、それが繰り返される」
「それがたたって、倒れたわけか」
「・・・・・・そういう、事だ」
その悪夢が、ここまで自分に影響を及ぼすとは思っていなかった
所詮夢なのだから、目が覚めるまで耐えていれば済むと、軽く取っていた
だが、結果はこれだ
自分の体調を崩させるだけではなく、友に対する警戒心まで取り戻させようとしている
そんな悪夢が、とても憎たらしく感じた
「あんたは確かに罪を犯した。だけど、この町できれいごとなんて言ってられない。
生きる為に汚い事をする奴なんてゴロゴロしてる。
生きる為に罪を犯したあんたを咎められる奴なんて、この町にいないって事は、わかってるはずだ」
この町に法律や罰則なんてない
そんな事を気にしていれば、命取りになる
けれども、流星は自分が犯してきた罪を考えずにはいられなかった
「・・・ああ。この町では、生きる事が全て・・・。
それは、ここに来た時からわかってた。だけど・・
頭に響いて仕方が無いんだ、誹謗中傷の声がどうしても、鳴り止まないんだ・・・」
このまま夢を見続けたら、自分はどうなってしまうだろうか
また以前のように、全ての他人に対して心を閉ざして警戒し、遠ざけようとするようになってしまうのだろうか
ネズミと紫苑と友で居続けたいのならば、やはり手袋を着けて生活したほうがいいのかもしれないという考えが、脳裏をよぎった
いつの間にか俯きがちになってそんな事を考えていると、ふいに顎を取られて上を向かされた
すぐ目の前にネズミの顔があり、ゆっくりと近づいてきていた
「やっ、やめてくれ・・・」
たまらず顎を捕えている手を払い除け、ネズミを押し返した
相手に触れる事もままならない今、そんな行為ができるはずはなかった
流星はネズミを遠ざけようと胸を押していたが、強い力でその腕を掴まれ、思い切り引き寄せられた
弱っている体では思うように動けず、流星はそのままネズミに抱きすくめられた
「な・・・」
とっさに抵抗しようとしても、まわされた両腕に少し力が込められるともう動けなくなる
離してくれと、言わなければならないはずだった
けれどもその言葉は発されず、大人しくネズミに体を預けてしまっていた
だが手だけは断固として、触れるわけにはいかないと主張しているかのように、中途半端な位置で停止していた
左手はベッドの上に落ち着いていたが、右手は行き所がない状態だった
「あんたが他人に触れちゃいけないなんて、そんな戯言を言う奴はいない」
「・・・でも、聞こえるんだ。夢の中で、声が・・・」
その声を聞くたびに、自分は汚れている、相手に触れてはいけない存在なのだと痛感してしまう
流星がまた俯きそうになるとネズミは行き所の無いその右手を取り、自分の服の中へ引き入れた
「なっ、何を・・・」
引き入れられた手はネズミに誘導され、掌に腹部があたっている感触がする
とっさに手を引っ込めようとしたが、今度は簡単には解放されなかった
そしてそのまま、手は上へと誘導されていく
その手は心臓の位置で止まり、そこからネズミの鼓動が伝わってくる
触れている手が離れないように、手の甲にネズミの掌が重ねられる
両方から伝わる体温に、流星の頬はだんだんと紅潮していった
「あんたを汚れてると思ってるのは他でもない、あんた自身だけだ」
「僕自身だけ・・・?」
本当に、そうなのだろうか
彼が言うと妙に説得力があり、思わずすぐに納得してしまいそうになる
夢の中の声は、僕が自分自身に訴えている言葉にすぎないのだろうか
僕の罪の意識があの夢を見せていると、そう言いたいのだろうか
今はネズミに触れている手の方が気になって、集中して考えられなかった
「おれは、あんたが望むのなら、体の隅々まで触れさせてやるけど・・?」
ネズミはにやりと笑うと、流星の手を今度は下の方へ導いた
その手は腹部よりもさらに下へ、誘導していく
「ネ、ネズミ、やめ、やめろっ」
自分の手がどこに触れることになるのか気付いた流星は指先を震わせ、渾身の力で腕を引いた
今度はあっさりと手が離されたが、あまりに慌てていたため、その反動で流星はベッドに乗り上げた
両脇に手をついて体を支えると、ネズミもベッドの上に乗ってきた
その隙間からするっとネズミの腕が入ってきて、流星の腰元に添えられた
そしてもう片方の手は、流星の視点を固定するように後頭部に添えられた
髪の中を細い指に探られ、おのずと掌が首に触れる
そして正面にある、ネズミの誘いかけるような妖艶な瞳に、心音が高鳴っていく
友人のしている事にそんな高鳴りを感じてしまうのはおかしいと思っていても、その鼓動を抑えられなかった
そのまま視線を固定され、ネズミがゆっくりと近づいて来る
そこで流星ははっとして、両手でネズミの肩を押し返した
「ちょっ・・と、待て。・・・そういう事は、理由も無くする事じゃない」
ネズミと口付けた事がないわけではない
だが、それは僕の不安を取り払う為にしたものだ
今、このタイミングで、口付ける理由が見つからない
流星が俯いて視線を逸らそうとすると、後頭部の手がなだらかな手つきで首筋をなぞった
「っ・・」
流暢なその動作に、思わず身震いした
まるで視線を逸らすなと言われているような気がして、すぐに顔を上げた
すると、ネズミは流星の耳に口を寄せ、囁いた
「あなたの罪の全てを許しましょう。これは、その誓い・・・」
まるで本当の女性に言われているような、くすぐったいような声色で囁かれ、流星は一瞬目を丸くした
短い言葉だったが、美しいとすら感じる声色
まるで慈母のようなその言葉に、救われる気がした
そんな言葉だけで罪が消え去るわけではないのに、不思議と自分が心穏やかになってゆくようだった
彼なら・・自分が心を許した存在なら、この枷のような悪夢を消してくれるかもしれない
囁かれた瞬間、そんな希望を抱いていた
「流星・・・」
ネズミが元の声色で、優しくも求めるように言う
また、同じ事をしようと、ネズミはじっと流星を見た
まるで、愛しい者に向けられるような眼差しと、視線が交わる
その目で見詰められると、なぜか胸が苦しくなる
そしてそれと共に、顔が熱くなっていく
もう、その瞳から目が離せなかった
徐々に、ネズミの顔が流星に近付く
肩を押し返していたはずの両手は、いつの間にかベッドの上にあった
腰にまわされている手も、後頭部に添えられている手も、払う気にはなれない
今はただ、その瞳を見ていたかった
わずかに唇が触れた瞬間、羞恥心がゆえに手が反応し、また肩を押し返しそうになる
だが、唇が完全に重なった時、ネズミがすっと目を細めた
瞳に映る妖艶は、その行動によってさらに美麗さを増し、瞬間的に心音が高鳴った
この行為は救済の証、僕の不安を取り払う為にしてくれているんだと理由づけをしても、心音は早くなるばかりだった
重なっている箇所から伝わる体温と感触が、いっそう流星を揺らがせていた
「・・ん・・・・」
その感触を感じていると、自然と自分も目が細まり、そのまま閉じてしまいそうになる
それは、自分がこの行為を心地良いものだと感じてしまっている証拠だった
もう、目が閉じられてしまうという直前で、唇が離された
だが、ネズミは流星を解放しなかった
「・・・おれは、もっとあんたに触れたい。それこそ、体の隅々まで、余すとこなく・・・」
「え・・・!?」
流星は、その言葉に驚きを露わにした
求められて・・・いる
相手に触れてはいけないと思っていた自分が、目の前の人物に
そんな言葉をかけられたら、どう言葉を返していいかわからなくなる
動揺のあまり、口は驚愕の言葉を発したままの形に開きっぱなしになっていた
ネズミが再び近付いて来る
また、同じ事をされると感じたが、さっきの言葉の衝撃で体が固まってしまっていた
自由なはずの両手も動かず、流星はそのままネズミに口付けられていた
驚愕のあまり開いた隙間から、温かみを帯びた物が流星の口内へと進む
「ん・・っ・・・ぅ・・」
怯えさせないように、それでいて逃がさないように、ネズミはやんわりと自分の物を流星に絡ませる
「っ・・ん・・・ぁ・・」
抑え込もうとしている声が、どうしてもわずかに漏れてしまう
流星はもうネズミの瞳を見る余裕も無く、反射的に目を閉じていた
自分の中で動く物は、まさに余すとこ無く口内に触れてゆく
今何をされているのか考えるだけでも、息が荒くなる
羞恥心のあまり、彼を突き飛ばしてもおかしくはないはずだった
しかし、先程の彼の言葉を思い出すと、自分が他者から求められているのだと思うと、どうしてもできなかった
心を許した友がこんな存在を求めてくれるのなら、少しの間なら身を預けても構わないと、そんな思いが生まれていた
自然と力が抜け、流星はそっと肩を押されてその場に仰向けになった
そこへネズミが覆い被さろうとした時、突然脳が警告音を発した
このまま身を任せていては、さらに一線を踏み越えてしまう
そうなれば、自分の全てを晒さなければならなくなる
それだけは、できない
いくら心を許した存在だとしても、全てを晒す度量はなかった
流星はとっさにネズミを押し返し、起き上がった
「・・・これ以上は・・・駄目だ、どうしても・・・」
ネズミは無理矢理する気はないのか、再び流星の肩を押す事はなかった
「・・・今度こそ、帰るよ。これ以上、世話をかけたくはないしな」
そう言って立ち上がった流星を、ネズミは止めなかった
妖艶な眼差しは消え、普段通りの視線がその動きを追っていた
「その方が、いいかもな。おれもそろそろ、抑えられなくなりそうだし」
「!?」
その言葉の意味を理解した流星は、動揺を露わにした
それは、相手が自分に欲情している事を示す言葉だからだった
そんな事を言ったネズミにどう言葉を返していいかわからず、流星はきびすを返して早々に家から出て行った
もし、ネズミにさらに求められてしまったら、断固として断る自信がなかった
そして帰り道で、自分にまとわりついていた倦怠感がほとんどなくなっている事に気付いた
自分は、ネズミとの行為の中で、羞恥心と共に安心感を覚えていたのかもしれない
強すぎる羞恥心のせいでそんな事を考える暇は無かったが、こうして落ち着いている今、それがわかる
心を許した友が触れてくれる事に、触れてもいいと言ってくれた事に、安堵している自分がいる
もう、悪夢を見る事は、ないかもしれない
そんな希望を、流星は感じていた
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
結構今更な話ですが、流星が手袋を取ったばかりの状況です
友人からイラストを頂きまして、その喜びと共に書き上げました
ネズミの短編が書けたのはそのイラストのおかげです、ありがと〜!