NO.6 短編、抑制する感情
(場面は番外ネズミ編の前あたりですが、話的な繋がりはありません)



いつもと変わらぬ街、西ブロック
そんな中、流星には大きな変化があった
それは、信頼できる友人ができたということ
そして、手袋なしで人に触れることができるようになったこと
この変化を、流星は幸福だと思っていた

しかし、同時に恐れも抱いていた
一旦作り上げてしまったものは、壊れる可能性がある
友情も、ふとしたきっかけで崩壊してしまうものかもしれない
流星は、ネズミと紫苑と友という関係を保ち続けていたいと、切に願っていた




西ブロックのまだにぎわっている通りを、流星は歩いていた
たまに酒に酔った男の罵声や、万引きを追う店主の姿が見られるが、この街では日常茶飯事
流星は気に留めることもなく、帰路についていた
しかし、その途中で気に留めることがあった

「ネズミ」
友人の後ろ姿が見え、流星は自分から声をかけた
単なる顔見知りであったときは、ネズミを見かけても相手から声をかけられない限り無視することが多かった
そこには、相手は自分のことを快くは思っていないだろうという懸念があったからだった

けれど、今は違う
今は、話しかけてもいいという安心感がある
流星は前を行くネズミに歩み寄り、横に並んだ

「あんたから声がかかるなんて、珍しいな」
ネズミは驚く様子は見せなかったが、流星のある一点を見て眉を寄せた
「あんた、まだ手袋つけてるのか」
それが大層気に入らないと主張しているような口調だった

「ああ、今日は特に冷えるから・・・。
それだけの理由だ、もういつだって外せる」
流星はそれを証明するように、両方の手袋を外した
寒いのは冬なのだから当たり前のことなのだが、今日の空気はいつもと違う冷たさがあった
まるで、空気が皮膚を刺すような冷たさを持っていて、流星は防寒目的のためだけに手袋をつけていた

「今日は・・・降ってくるな」
ネズミは、空を見上げて呟いた
空は快晴というわけではなく、灰色の雲がかかり光を遮断している
その雲は、雨が降るときとはまた違う色をしていた
そして、ネズミが流星に視線を戻したときに、それは降ってきた
目の前に、風に揺れながら落ちてきた白い粒
流星がそれを手で受け止めると、瞬く間に水に変わった

「・・・雪?」
掌についた水を見て、流星がそう言ったときには、ちらちらと白い粒が空から落ちてきていた
雪が降ってくる光景は何とも幻想的なものだったが、この街ではそんな悠長なことは言っていられなかった

「・・・すぐにもっと降ってくる。流星、走れ」
ネズミはそう言い放つと、人を避け走り始めた
流星も、すぐにネズミに続いて走る
雪は、この街では人を永遠の眠りへ誘う、恐るべきものだ
二人は、そのことを知っていた
雪の冷たさに、どれほど体力が奪われてゆくかを
体を温めるためにも、二人はほぼ全力で走った




ネズミが言ったとおり、雪はすぐに猛威を曝け出した
突発的に降り始めた雪は、あっという間に地面を白く染め上げる
二人がネズミの家に着いたときには、外には結構な量の雪が降り注いでいた
ネズミはすぐにストーブを点け、部屋を暖め始める
流星は肩や帽子に被った雪を払い、暖房器具のある部屋へ移動していた

「こんなに突発的に降ってくるなんて、思わなかった」
流星は帽子を被り直し、呟いた

「たまにこういう日がある。そのたびに、道に死体が増える」
ネズミは何の感情も含ませず、淡白にそう言った
雪が溶けた後、どんな数の人が道に倒れていても、それは意識すべきことではない
余計なものに構っていては寿命を縮めると、お互いわかっていた


「・・・そうだ、紫苑、紫苑はどこへ行ったんだ」
部屋を見渡してもその姿がないことに、流星は不安感を覚えた
人が倒れていても気にしないことに同意はしたが、紫苑だけは別だった
縁起でもないことを考えてしまうと、身震いしそうになる
慈悲なんてないこの街では、そんな縁起でもないことがさっと脳裏をかすめてしまう

「紫苑はイヌカシのとこへ仕事に行ってる。今頃は犬に囲まれてにやついてるだろうな」
流星が不安を感じていることを察したのか、ネズミは断定的に言った

「そうか・・・」
その言葉だけでも、流星からは不安感が緩和されていた
人のことで、こんなにも不安を覚えるのは初めてのことだった
紫苑が家に居ないことを目の当たりにしたとたん、心配していた
これが、友を思うことなのだろうと感じた瞬間だった




部屋が暖まり、快適な温度になってくると、どこからか小ネズミ達が姿を現した
三匹の小ネズミ達は流星に駆け寄り、膝に飛び乗った
相手が椅子に座っていて高さがあっても、身軽な小ネズミ達にとっては障害ではないようだった

「歓迎してくれてるのか?」
流星は、眼下の小ネズミ達にそう問いかけた
手を差し出すと三匹は腕を伝って肩に乗り、チチッと肯定するかのように鳴いた
愛らしい小ネズミ達の仕草に流星は思わず頬を緩ませ、指先で小さな背を撫でた
手袋を取って接することは初めてで、その小さな体でも十分な温かみを持っていた

そんな温もりを感じていると、安心する
この小さな生き物に対しては、警戒心なんて微塵も必要ではない
そういった対象と接するとき、流星は滅多に得ることのできない安らぎを感じていた


ネズミは、そんな流星の様子を黙って諦観していた
軽く微笑み小ネズミ達と接している流星に対して、自分の内から湧き出てくるような衝動を感じながら
それは、ネズミ自身明確に計れない、不明瞭な感覚だった



しばらくは諦観を続けていたネズミだったが、ふいに立ち上がり流星の方へ歩み寄った
小ネズミ達は何かを感じ取ったのか、さっと散って行った
流星もどこか感じるところがあったのか、立ち上がってネズミを見た
ネズミはゆっくりと、流星に近付いてゆく
お互いの距離が一メートル、いや、三十センチもないところで歩みは止まった
やけに近い距離に流星は後ずさりしそうになったが、ネズミを避ける理由はないとその場に止まっていた


「・・・ネズミ?」
珍しく沈黙している相手に、流星は問いかけた
名を呼ばれてもネズミは答えず、わずかに目を細めただけだった
歩みは止まったが、距離はさらに縮まる

ネズミはまたゆっくりと、流星に近付いてゆく
歩を進めることはせず、上半身だけを傾かせて
その動作にはっとした流星は、反射的に地面を蹴ってその場から飛び退いた
そして、唖然としてネズミを見た


今、ネズミが何をしようとしていたのか、わかっていないわけではなかった
けれど、そんなことをしようとする相手がいることが、とても信じられなかった
流星は動揺しそうになったが、慌てふためく姿は見せたくないと何とか平静を保っていた
一度拒まれた行為を進める気はないのか、ネズミはその場で立ち止まっていた

お互い何も言えず、部屋に沈黙が流れる
流星は、なぜネズミがむやみに近付いてきたのか
ネズミは、なぜ自分が流星に近付いたのか
それがわからず、二人は内心戸惑いを感じていた
なぜかその沈黙がわずらわしくなり、流星はきびすを返して窓の外を見た
丁度いいことに、雪の勢いはおさまってきていた


「雪・・・おさまってきたみたいだし、僕は帰るよ」
流星は、ネズミの方を見ないままそう言った
その言葉を聞いた瞬間、ネズミは何かに後押しされた


このまま帰らせてもいいのか
この衝動を抑え続けることができるのか
今、行動しなければならない
そんな思いが、ネズミを押した


そこからの行動は、一瞬と思えるほど早いものだった
流星の肩を掴み、自分の方を向かせる
突然のことに流星は回避することを忘れ、ネズミと視線を合わせていた
ネズミが至近距離にいることを認識したときには、もう何もできなかった
帽子が取られ、髪が揺れる


そして―――ネズミは、口付けていた
湧き上がる衝動をぶつけるように、強く
逃がさないように流星の肩を掴み、邪魔な帽子は取り払い
目を閉じ、重ね合わせた個所の感覚だけを感じ取る
人の体温と、柔らかな感触を持ち合わせているその唇から―――



流星は目を見開き、ひたすらに驚いていた
自分は今、何をされている?
すぐには、自分の状態がわからなかった

ネズミが、すぐ近くにいる
お互いの距離は、もうない
自分の唇に伝わるのは、相手の体温
それを感じ取った瞬間、とたんに息が詰まっていた
急に胸の動悸を感じ、締め付けにも似た感覚を覚える

熱い
相手の温度も、自分の体温も、いつも以上に熱を帯びているのがわかる
それらは決して拒むべきものではないけれど、受け入れていいものでもないと、直感がそう言っていた


流星は、両手でネズミの胸を押した
すると、ネズミは意外にもあっさりと流星から離れた
そのとき、お互いが感じていたもの
それは、知り得ることのなかった、不明瞭な感覚だった


流星はすぐにネズミと距離を取り、信じられないものを見るような視線を向けた
勢いで背中が壁にぶつかって痛みを覚えたが、そんなことを気にしている場合ではなかった


息が、落ち着かない
必死に平静を保とうとしても、動揺が抑えきれない
どうして、今、口付けなんてされたのか
今の自分は不安でもないし、精神が弱っているわけでもない
それなのに、なぜ目の前の人物はそんなことをしたのか

問いかけるのが怖かった
答えを出したくなかった
その答えを出してしまえば、お互いの関係が変わりかねない
それは、避けたいことだった


ネズミは、未だに驚きを隠せていない相手にまた歩み寄る
壁を背にしている流星は、それ以上動けなかった
ネズミが一歩近づいてくるだけで緊張し、狼狽しそうになる

再び、ネズミが目の前で止まる
言い表せない緊張感が、流星の体を硬直させる
ネズミを前にして、なぜこんなにも緊張しなければならないのか
自分の中にある、不明瞭なものがそうさせている

だけど、それをうっとうしいとは思わない
それは自分を硬直させ、狼狽させようとしているものなのに
自分はなぜ、その不明瞭なものに抗おうとしないのだろうか


「僕は・・・」
流星は緊張のあまり乾いた口を動かし、声を発した

「僕は・・・君との関係を、今以上にも、以下にもしたくない・・・」
このまま変わらなければ、しばらくは気の置けない友人関係でいられる
しかし、それ以上の関係になってしまったら
お互いの空気はどうなってしまうのか、見当がつかない
相手がかけがえのない友という存在だからこそ、変革が怖かった


ネズミは何も答えず、無言でさっき掴んだ帽子を差し出した
流星は緊張のせいですぐにそれを取ることはできなかったが、少しずつ強張った腕を動かし、帽子を取った
おさまりつつあった雪の勢いはいつの間にか元に戻り、窓の外で吹雪いていた





そして、夜が来た
紫苑は雪のせいで帰って来られないのか、部屋に居るのは二人だけだった
夜は更け、外は闇に閉ざされ、眠る時間が近付いてきていた

「・・・僕は、床で寝る」
ベッドは何とか二人が入れる大きさだったが、先程のことを思い出すととても隣で眠ることなんてできそうになかった
「生憎、今日は毛布が一枚しかない」
ネズミは、何を考えているのか察されないような無表情で言った

「・・・それなら、ストーブの前で寝る」
流星は、断固としてベッドで眠ることを拒むように言った
「一晩中点けておくと思うのか?時間が経てば火は消える」
ネズミは、その提案を打ち消すように言った
流星は、それ以上何も言えなくなった
共に眠るくらいなら、床で寝て風邪でもひいたほうがましだとは言わなかった
そこまでに、頑なに相手を拒む意思はなかった


そして、流星は観念したようにベッドに横になっていた

「・・・さっきみたいなことは、もうしないでくれ」
天井を見上げたまま、ネズミにそう伝えた

あんなことは、間違っている
ネズミが僕に、意味もなくしてはいけないことだ
誰か、他者を求めているのなら、紫苑にしたほうがいいに決まっている
僕は、誰とも一線を踏み越えた関係にはなれない、なってはいけない
それは、自分の体を自覚したときから、ずっと思っていたことだった

流星は寝返りをうち、ネズミに背を向けた
利用できる防衛方法は、こうして背を向けることしかなかった


ネズミは、そんな流星をじっと見ていた
無防備な背中が、すぐ傍にある
それを思うと、また衝動が湧き上がってくる
他者に触れたいなんて、自分にはありえないと思っていた、そんな衝動が

気が付くと、ネズミは流星に手を伸ばし、その体を抱きしめていた
胸部と背中に他者の体温を感じた流星は、とたんに体を強張らせた
折角落ち着いていた心拍数は瞬く間に早くなり、緊張感が蘇る

「は・・・離してくれ・・・」
本意ではない言葉が、口から零れる
抱かれることが、嫌なわけではない
けれど、それはいくら自分が拒否していなくても、してはいけないことだ

一線を踏み越えてはいけない
相手に必要以上の好意を持ってはいけない
それは、ずっと前から自覚してきたことだから


流星は少しでも体を離そうと、背中を少し丸めて縮こまった
それをネズミはさらに強く抱き、自分の体と密着させた


「・・・俺は、あんたの全てを受け入れる。
あんたがどんな性質を持っていても、全てを・・・」
ネズミは、静かに呟いた

ああ、皮肉屋のはずの君が、そんな優しい言葉をかけないでほしい
背に感じる温かさと言葉で、僕はほだされそうになる
これ以上少しでも自分の精神に隙ができれば、ネズミに友以上の好意を向けてしまうだろうと、薄々感じている

それでも、こんな自分が、そんな好意を他者に向けることはあってはならない
この温もりにほだされて、そんな感情を抱いてはいけない


流星は、考えを打ち消して早く寝てしまおうと、目を閉じた
いくら感情を抑制していても体は安心感を覚えているのか、すぐに考え事なんてできなくなっていた
ネズミもまた、ある感情を抑制していた
その感情は、まだお互いが感じたことのない、不明瞭なもの―――




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
久々に、初々しい話となっております
心理描写が多いときは、結構調子が良いときの証拠です