NO.6 短編、雪の日 前編(紫苑)

曇天が広がる空
ロストタウンには、雪が降り積もっていた
家の中の空気は冷たく張りつめ、無機質な壁はいっそう冷たくなっていた
今も、外にはちらちらと白い結晶が降り続いている
この一面の銀世界を見て、人は美しい景色だと思うだろう

だが、この町ではそんな悠長な事は言っていられない
この雪のせいで、今日は何人の人が凍え死んだだろうか
雪は確かに美しいものだが、ここでは簡単に人の命を奪っていく
そうとはわかっていながら、流星は外へ出ていた
あの小高い丘から見える景色がいつもとどう違って見えるのか
雪が溶けてしまわない内に、見ておきたかった



外気はいつもと感じが違い、まるで肌を刺してくるような冷たい風が吹いていた
そして雪を踏みしめるたびに、その冷たさが少しずつ伝わってくる
耐えられないほどではないが、あまり長時間は外を歩けそうになかった




小高い丘に着いた頃には体が寒さに慣れ、冷たい風が吹いてもそんなに気にならなくなっていた
そしてそこから見る景色は、夕日が照らす光に負けないほど、美しかった
全てを覆う純白は、曇天の下でも一点の曇り無く降り積もっていた
流星はその景色の美しさと残酷さに圧倒され、しばし言葉を失った

この町では、雪を美しいものと思う事すら不謹慎かもしれない
降り積もった雪の下に、いくつ死体が眠っていてもおかしくはないのだから
でもこの景色を見て、素直に美しいと思わずにはいられなかった
自分には不釣り合いなほど、汚れの無い、真っ白な世界
まるで紫苑の髪のようだと、そんな事を思っていた


流星はふいに、その場に寝転がった
思った以上の感銘を受けて感慨深くなり、もっとこの雪を見続けたいと思った
曇天から絶え間なく落ちてくる白い結晶
こうして空を見上げていると、そのコントラストも、悪いものではないと気付いた
こんな雪の中に寝転がっていたら、それこそ自殺行為だとわかっていた
だが、長時間こうしているわけではない、満足したらすぐに帰って温まる
そう決めている自分がいるのだから、もう少しこうしていても平気だろうと空を見上げていた

防護されていない指先から雪の冷たさが伝わってくる
痺れるように冷たいその感覚は、嫌いじゃなかった
自問自答をよくする自分は一日の大半は何かを考えていたが、
今はその感覚のせいか考え事をするのが不思議と億劫になってきていた
だんだん、指先だけではなく雪に接している服からもその冷たさを感じるようになってくる
そろそろ起き上がらないとまずいかもしれない
だけど、もう少し、もう少しだけこうしていたい
明日か明後日には溶けて消えてしまうかもしれない、この雪の感覚を覚えておきたかった
このちらちらと降ってくる雪を、目に焼き付けておきたかった


そうしてぼんやりとしていると、いつの間にか指先の感覚がなくなってきていた
こうなると、もう冷たさなんて全く気にならなくなっていく
それどころか、目を閉じれば眠ってしまいそうな感覚が全身を覆っていく
折角冷たさを感じなくなったのだから、まだこの景色を見ていようか
頭のどこかでこれ以上はいけないと警告していたが、その警告も今では薄れてきてしまっていた



雪は、とても静かに人を殺せる
今、目を閉じてしまえば、僕も簡単にこの世界から隔離されるだろう
この世界を覆う雪は、まるで浄化するかのように人の命を奪っていってしまう
そうやって浄化されてしまえば、もう罪の意識にさいなまれる事はなくなるだろうか
こんなに汚れた自分でも、一点の曇りの無い純白で覆い尽くしてくれるだろうか
一度目を閉じてしまえば、人を切る悪夢なんて見ずに安眠できるだろうか
喜びも無ければ苦しむ事も無い、そんな眠りにつく事が、できるのだろうか



体の上を少しずつ、雪が覆い隠してゆく
自分が美しいと称した物に呑まれるのなら、本当に浄化される気がした
そんな事で清算されるはずのない罪を、隠してくれる気さえした
熱を持っていない服は、ほとんど白くなってきている
覆われていないのは、かろうじてまだ体温が保たれている手と顔の部分だけだった
それも、こうしていればいずれ包み込まれてしまう
こうしていれば、全て、覆い隠してくれる
犯した罪も、汚れた両手も、望まれていない存在も、全て・・・



視界が、だんだんと狭くなる
目を閉じる気なんてなかったはずなのに、自然と瞼が重たくなってくる
目に焼き付けておこうと思った景色が、黒く狭まってくる



もう、いいか
もう十分、焼き付けた
もう、見なくても、目を閉じてしまっても、いいか
そう問いかけている間にも、徐々に視界が暗くなっていく
閉じてゆく瞼を、開こうという意思がわいてこない
そして、見えていた景色は完全に、白から黒へと変わった







「・・・・・・・・・・・」

気のせい、だろうか
物音一つしないはずのこの場所に、かすかに音が聞こえた気がした


「・・・・・・星・・・・・・!」
音が、近付いて来ている
遠くの方からだんだんと、足音がこっちに向かって来ている


「・・・・・流星・・・・・!」
足音がはっきりと聞こえてくると共に、人の声も聞こえてくる
もうすぐそこまで来ているのか、音は近いところにある
そして急に、自分の上半身が起き上がった
自分の意志ではなく、他者によって起こされていた
何がどうなったのだろうと思い、ゆっくりと目を開いた

目の前にあった物は、雪に負けないほど美しい白色だった
それを見た瞬間、誰が自分を起こしたのかとすぐにわかった

「流星・・・!」


こんな綺麗な髪を持っている人物を見間違うはずもない
紫苑が心底不安そうな表情をして、僕を抱きかかえていた

「流星、立てる・・?」
そう尋ねられ、もう動く事さえ億劫になっていたが、紫苑の肩を借りつつ立ち上がった
服が凍りついてしまっているのか、動きづらさを感じた

「すぐに、ネズミの家に行こう」
紫苑は流星が何かを言う前に、そのまま歩きだした
流星に肩を貸して歩く姿は、たとえ無理矢理でも連れて行くというような力強さがあった




ネズミの家に着くと、紫苑はすぐにストーブを点けて流星をその前に座らせた
どうやらネズミは外出しているようで、いるのは三匹の子ネズミ達だけだった
久々のお客が嬉しいのか、子ネズミ達が足元へ駆け寄ってきた
思わずいつものように撫でようとしたが、冷たい指で触れてしまったら驚かせてしまうかもしれないと思い、手を引っ込めた
撫でてもらえると思っていたのか、子ネズミ達は流星を見上げていた
愛らしいその目にじっと見られ、流星は思わず頬を緩ませていた
そこへ、紫苑が一枚の毛布を持って隣に座った
そしてそれを隣に置くと、今の流星の表情を吹き飛ばしてしまう一言を言った

「流星、脱いでくれ」
「・・・は?」
突拍子もない発言に、流星は思わず聞き返した
「早くしないと、凍傷になる!」
紫苑はかなり焦っているのか、自ら流星の上着を脱がし始めた
服はまだ凍りついていて中々苦戦しそうに思えたが、紫苑は力任せにボタンを外し、半ば無理矢理服を脱がせた
流星はそういうことかと納得し、特に抗わなかった
シャツのほうは自分で脱ごうとボタンを外していると、紫苑はその間にベルトを外そうとしていた

「ちょっと・・待ってくれ。脱げって、全部脱ぐ・・・のか?」
「当たり前だよ。こんな凍ってる服、一枚たりとも身につけていちゃいけない」
脱ぐのは上半身だけにしようと思っていた流星は、思わずボタンを外す手が止まった
一方でベルトを外し終わった紫苑は、そのシャツのボタンも次々と外し、さっと脱がせた
ここまでは何とか許せる範囲だが、これ以上彼に服を取り払われるのは嫌だった

「紫苑!後は・・自分で脱ぐから・・・
しばらく、子ネズミ達を連れて向こうへ行っててくれないか」
紫苑は流星の羞恥心やプライドが強い性格を知っていたので、すんなりと了承した

「わかった。じゃあ、毛布を渡しておくから」
流星に毛布を差し出すと、紫苑は子ネズミ達を肩に乗せて廊下に出た
こんな所で裸になるのはかなり抵抗があったが、今の紫苑には逆らえそうにない
流星はしぶしぶ残っていた服を脱ぎ、毛布で体を隠した
あまり大きくはなかったので、肩と足が少し露出してしまっていた
できれば全身を隠してしまいたかったが、体に一巻きするのがやっとの毛布では無理だった
流星は絶対に毛布がはだけないように、繋ぎ目をしっかりと握っていた

できれば再び服を着れるまで一人でいたかったが、
紫苑を寒い廊下に待たせておくのは悪いのでその場から動かずに彼を呼んだ
すると、先に子ネズミ達が駆け寄ってきた
さっきより指が温まってきていたので、毛布から慎重に手を出して耳の裏を掻いてやった
子ネズミは気持ちよさそうに目を細めると、その一匹が肩の上に飛び乗ってきた
甘えているのか、首元にすり寄ってくる姿にまた頬が緩んだ
床に座っている二匹にも同じようにしてやると、かわいらしくチチッと鳴いた
そして遅れて紫苑がやって来て、流星の隣に座った
こんな状態でいる自分の隣に座るのは控えてほしかったが、紫苑はただ心配してくれているのだと思うと何も言えなかった

紫苑はふいに流星の首元に手を伸ばし、そこに乗っていた子ネズミを自分の掌の上に移した
「ぼく、流星と話したいことがあるんだ。だから少しの間、向こうに行っててくれないか?」
紫苑がそう優しげに言うと、子ネズミ達は素直にさっとどこかへ走って行った

「何だ、子ネズミを退けないとできない話があるのか?」
すると、紫苑は急に深刻な表情をして言った


「きみは・・・・・・・・・死のうと、していたのか・・・・?」
流星は驚き、目を見開いた
紫苑は、こんな質問は流石に相手を直視して問う事ができないのか、俯きがちになっていた

「・・・違う。僕はただ、雪景色を見に行っただけだ」
自ら死のうとしてあの場所へ行ったわけではない
だが、雪の上にしばらく寝転がっていたのだから、そうとられても無理はなかった

「それなら何で、服がこんなに凍り付くまでじっとしていたんだ。
あのままでいたら、どうなっていたのか・・・・・・君なら、わかってるだろ!?」
そう強く言われ、流星ははっとした


そうだ、あのままだったら、紫苑が来てくれなかったら
僕は彼の言う通り・・・死んでいた
雪の上に寝転がり落ちてくる雪を見ていた時、その事を忘れていたわけではなかったはずだ
雪は美しいが簡単に人を殺せると、認識していたはずだ
あまり長い時間そうしていれば凍死すると、それもわかっていたはずだ

それなのに、僕はそこから動かずに、あろうことか目を閉じ雪に身を任せてしまっていた
今になって思い返してみると、とんでもない事をしていたのだと思う
そうやって目を閉じさせるのが雪の知られざる恐ろしさなのか
それとも、僕はそのまま雪に埋もれてしまいたかったのだろうか
自分の全てを覆い隠して消してほしいと、そう、望んでいたのだろうか・・・


「・・・流星、君は・・・本当に・・・・」
黙ったままの流星を見て、紫苑の声は震えていた
まるで今にも泣き出そうという子供のような、そんな弱弱しさを兼ね備えていた

「紫苑・・・君が心配しているような事は・・・・・ない・・から。
・・・大丈夫だ」
そうは言ったものの、本当にそうなのかと問いかけている自分がいた
本当は、あのままにしておいてほしかったんじゃないのか
本当は、あのまま自分の罪も、中途半端なこの存在も消してしまいたかったんじゃないのか
ふいにわいたそんな疑問のせいで、紫苑が心配しているような事は絶対にないと、言いきることができなかった
紫苑はそんな流星の返答に違和感を覚えたのか、不安げな表情は消えないままだった

紫苑はその不安げな表情のまま、流星を見た
俯きがちに何かを考えている流星を見ていると、とたんにいてもたってもいられなくなり、思い切り抱きついた
「っ!?」
俯いていたせいで反応が遅れ、流星はその勢いに負けて紫苑に押し倒される形になってしまった
とっさに押し返そうとしても、片手ではとても無理だった
毛布一枚しか身につけていない時にこんな事をされたのだから、とたんに緊張感が体を走った

「し、紫苑・・・離れてくれ」
紫苑の体温は、自分よりかなり温かくて心地良かった
だがこんな時に抱きつかれたら、自分の強い羞恥心が黙ってはいない
空いている片手は無駄だとわかっていても紫苑の肩を押し、わずかながらの抵抗を見せていた

「・・・・・・・嫌だ」
紫苑は小さく呟き、離されないように流星に両腕をまわした
そして、丁度心臓の位置に耳を当てた
少し早い心音が、規則的なリズムで耳に届く


流星を見つけた時、紫苑が感じた物は紛れもない不安と恐怖だった
大切な存在が自分の知らぬ間に消えてしまったのではないかと思うと、さっと血の気が引いていた
だが、彼は今こうして生きてくれている
今の自分の中には、さっき感じた感情とは間逆のものが溢れていた
こうして彼の心音を、彼が生きている証明となる音を聞いていると、とても安心していた
この音を途切れさせるような事はあってはならないと、切実に思っていた


「君を・・君という存在を、決して消させるもんか。
たとえ君が、それを望んだとしても・・ぼくは絶対に、それを許さない」
「・・・紫苑・・・・・」
紫苑の言葉は強く、どこか迫るものがあった

紫苑は、僕の存在が消える・・・つまり、死を許さないと言った
それは、僕に生きていてほしいと解釈してもいいのだろうか
この存在が消えたって、誰が困るわけでもないと思っていたのに

「紫苑・・君は、僕に消えてほしくないって、死んでほしくないって言ってくれるのか・・?」
控えめに流星が尋ねると、紫苑はすぐに答えた
「当たり前だよ。流星はぼくにとって、大切な存在なんだ
だから・・・もう、あんな事は、しないでくれ・・・」
紫苑はまるで怯える子供がすがりつくように、まわしている腕に力を込めた
まるで、こうして力を込めていないと、震え出してしまいそうな弱弱しさを感じた


「・・・・・わかった。もう、あんな・・・君が望まないような事はしない。
自ら進んで君の前から消える事なんて、しないから・・・」
生まれた時から望まれていなかったこの存在を、大切な存在だと、彼はそう、言ってくれた
彼がこんな存在を望んでくれるのなら、もう雪に身を任せようなどとは思わない
自ら死を受け入れようとする事も、しない

流星は紫苑の髪を一撫でして、また肩を少し押した

「もう服も乾いたんじゃないか?そろそろ、離れてくれ」
そう言っても、紫苑はまだ離れる気配はなかった
まわされている腕に込められた力も、緩む事がなかった


「ごめん・・・。もう少し・・こうして、君の存在を感じていたいんだ」
自分のせいでこんなにも彼を不安にさせてしまったのだと思うと、それを拒否する言葉は言えなかった
こんな姿でなければ必死に羞恥心を抑えつける事もなかったのだが、全て自分が招いた結果だ
流星は紫苑を安心させるように、そっとその背に手をまわした



しばらくそうしていると体はすっかり温まり、さっきとはまた違う理由で瞼が重たくなってきた
死へと誘おうとするものではなく、安心感が心地良い眠りへと誘いをかけている
今眠ってしまったら、彼に・・いや、彼等に迷惑をかける事は目に見えている
でも、さっきとは対極的な、心地よい睡魔が瞼を閉じさせようとする
紫苑が離れない限り抗えないこの睡魔に、身を任せてしまいたくなる
このまま、また眠ってしまいたい
死へと誘う雪の中ではなくて、安心できる存在の傍で・・・




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今回はかなり流星視点の心理描写で書いてみました
と、言うか、もう流星視点中心で書いて行こうかなとも思い始めています
そして・・・ネズミのターンがぜんぜん回ってきませんね、すいませんorz