NO.6 番外紫苑編#2





夕方頃、扉を叩く音が聞こえたので扉を開くと、そこには紫苑が立っていた。
。今日、君の家に泊まりたいんだけど、いいかな」
「ああ、いいよ。ちゃんと保護者に許可はとってきたか?」
冗談めいた口調で言うと、紫苑はくすりと笑う。

「ぼくは小さい子供じゃないよ。一晩くらい、いなくなったって大丈夫だ」
も軽く笑み、紫苑を中へ招いた。



それからは、前に紫苑が泊まった時のような流れで時間が過ぎて行った。
とりとめのない話をしつつ夕飯を食べて、シャワーを浴びて、そして狭苦しいベッドに入る。
いずれ紫苑が泊りに来ると思っていたので、あの部屋から毛布を引っ張りだして、埃をはたいておいた。
それは急に冷え込んだ時のために、ベッドの脇に畳んで積み重ねてある。
今は体が温まっているので、そんなにたくさんの毛布は必要なかった。


「突然来たのに、もてなしてくれてありがとう」
「まあ、約束してたからね」
仰向けになったまま言うと、紫苑はのほうを向いてふいに笑った。
「何だ、思い出し笑いでもしてるのか?」
「ううん。前は、特別な理由がないと君は簡単に触れさせてくれなかった。。
けど、今はこうやって、普通に触れさせてくれる。それが、すごく幸せだなあって思ったから」
そう言って、紫苑はの頬に手を添える。

「ま、また君は、平然と恥ずかしい事を・・・」
言われ慣れていない事を紫苑が言うたびに、動揺せずにはいられなくなる。
それでも、頬に触れている手を拒むことはしない。
もう、紫苑が触れることを拒もうという意識はなかった。


「・・・、やっぱり、キスするのは駄目・・・かな」
「えっ」
それはもう以前諦めた事だと思って油断していたので、思わず驚いた表情を見せる。
今のお互いの距離は、かなり近い。
紫苑がもう少し近付いてきたら、自然とお互いの唇が触れ合うだろうという距離だ。
けれど、紫苑は無理に距離を詰めることはしない。
そんな優しさが、に心を開かせた一因でもあった。

「近くにいると、相変わらず君に触れたいって思いが大きくなって、だから・・・」
「紫苑・・・」
正直、紫苑になら許してもいいと思っている。
だが、しつこいようだがそれは本来、異性同士で愛情を持ってするものだ。
たとえ紫苑が友の範囲内でそういう事ができる人物だとしても、こんな相手とするべきではない。

もし、紫苑がその行為に愛情を持つようになってしまったら。
きっと、その想いを受け止められずに無駄にしてしまう。
諦めさせなければならない、友以上の感情を紫苑が持つ前に。
は頬に触れている手をそっと外し、毛布の中に戻した。

「手を・・・出しておくと、冷えるだろ?・・・・・・おやすみ」
は、紫苑の顔を見ないよう寝返りを打つ。
すると、すぐに背中全体に人の体温を感じた。
体の前面に両腕が回り、首のあたりには温かい息がかかっている。
ここまで接近しても、紫苑は無理にを求めようとはしない。

そこがやはり、優しいところだと改めて思う。
さっき紫苑をやんわりと拒んだ事に対する後ろめたさがなくはなかったので。
は、まわされている腕を振り解く事もせずに目を閉じる。
やはり、人の体温があると安心するのか、いつもより早く深い眠りに落ちた 。




翌日、目が覚めた時もまだ紫苑の腕が体にまわされていた。
流石に力は入っていなかったので、腕を解いて顔を洗いに行く。
ぼんやりとした頭では、話すべきことも上手く話せない。

溜めおきの水で顔を洗って戻ってくると、紫苑も起き上がるところだった。
紫苑も顔を洗って目を覚ましてくるように促した後、またここに戻ってくるように伝えた。
椅子はかなり冷たいので、まだ温かみが残っているベッドに腰かけて紫苑を待つ。
ほどなくして紫苑が戻ってきて、隣に腰かけた。

「紫苑、君に伝えておきたい事がある」
「伝えておきたいこと?」
は軽く俯き、言いづらそうなふりをして続けた。
「僕、初めて・・・一目惚れっていうのをしたんだ」
「えっ!?」
紫苑の声だけで、あきらかに驚いているとわかる。
今まで恋だの愛だの、興味を示している素振りは全然見せていなかったので無理もない。

「小柄ですごく可愛くて・・・しばらく、見惚れてたんだ」
紫苑はもう言葉も発せないくらい驚いているのか、何も言ってこなかった。
これで、万が一紫苑に恋愛感情を抱かれたとしても、正当な理由で断ることができる。
相手がネズミだったら一発でばれてしまいそうなものだが、純粋な相手はうまく騙されてくれたようだ。


「きみは、その子を・・・愛しているのか?」
「ああ。瞬間的に、愛しいって思った」
愛なんてどんな感情なのかわからないが、たてまえとしてそう答えておいた。
嘘をつくのは気が引けても、仕方がない。
は、紫苑の驚愕の表情を見ようと顔を上げた。
しかし、そこに予想していたような表情はなかった。

紫苑の表情は、とても悲しげだった。
何か、大きな喪失感にとらわれているような、そんな感じがする。
自分のついた嘘で紫宛にこんな表情をさせてしまったのかと思うと、罪悪感にみまわれてしまう。

「その子も、きみを愛してるって言ったら、きみは・・・」
弱弱しい声に、これ以上嘘をつくことを躊躇う。
けれど、今更訂正することなんてできなかった。
「僕も精一杯、愛してあげようって思ってる。・・・その子が、応えてくれたらの話だけどね」
そう言と、紫苑はとうとう項垂れてしまった。


他の誰かを愛していると言ったことで、こんなにもあらかさまに落ち込むということは。
やはり、紫苑は自分で気付いてなくとも、少なからず恋愛感情を持っていたということなのだろうか。
それならそれで、これで予防線を張ることができた。
もう、その想いが向けられることはないだろう。

紫宛は、とても純粋で優しい少年だ。
そんな彼になら、その想いをちゃんと受け止めることのできる存在が現れるに違いなかった。


「友達である君には、聞いておいてほしかったんだ」
は、友達という単語を強調して言った。
紫苑は、さっきから項垂れたまま動かない。
そんなにショックだったのかと、少し良心が傷ついた。
そんな紫苑を慰めるような思いで、頭を撫でようとそっと手を乗せた。
そうしたとたん、紫苑はその手をいきなり掴んだ。
その力は驚くほど強く、有無を言わさずを引き寄せ、唇を重ねていた。

「!?・・・・っ」
驚愕のあまり、は目を見開く。
紫宛は、決して無理矢理こういう事はしなかった。
それなのに、今は突然、無理矢理に口付けてきている。
は、とっさに空いているほうの手で紫苑を押し退けた。

「紫苑、何を・・・」
抗議しようと口を開きかけたとたん、肩を押されてベッドに押し倒される。
紫苑を押し退けた時から、力は緩めていなかったというのに。
いとも簡単に押し負けてしまったことが信じられなかった。
が完全に横になったとたん、紫苑は再び口付ける。

「んんっ・・・・」
突然の行為を耐えるように、はきつく目を閉じる。
すると、信じられない事に、口内に柔らかいものが侵入してきた。
それがさらにを動揺させ、紫苑を押し退けようとする力を奪っていく。

「は・・・ぁっ・・・」
いつもの紫苑からは考えられないほど、激しく求められる。
口内で動く物は留まる事を知らないかのように、容赦なく絡みついていた。
抑えきれない声が、の隙間から零れる。
そんな自分の声を聞くたびに、羞恥心が大きくなってゆき、両手を痛いほど握りしめた。
それでも、長く激しい口付けには耐えることができない。

「っ・・・は、ぁ・・・っ・・・」
息が、上手く出来ない。
空気を吸い込もうと口を開けば、すかさず覆い被さってくる。
そして、さらに激しく求められる。
酸欠になってきているのか、寝起きのように頭がぼうっとしてくる。
それを感じ取ったのか、紫苑はゆっくりと唇を離し、を解放した。


「紫・・・苑・・・・・・」
は、肩で息をしつつ紫苑の名を呼んだ。
どうして急にこんなことをしたのか問いただしてみたかったが、紫苑はすでに視界から消えていた。
そしてすぐに、首筋にわずかな痛みを感じた。
首のあたりに、さっきまで感じていた熱を感じる。

紫苑は痕をつけるように、その首筋にも口付けていた。
はまだ息が荒く、反発する言葉を発することができないでいる。
そのまま抵抗しないでいると、紫苑はの上着のボタンを外し始めた。

危機感を覚えたは、何とか紫苑の手を掴んで動きを止める。
そこでやっと、紫苑と視線合った。
「やめてくれ・・・紫苑、一体どうし・・・」
言葉は、途中で止まった。
紫苑の瞳は、いつもの優しいものではなかった。
今、自分を見つめている眼光は、本当に紫苑のものなのかと思うくらい冷たい。

紫苑はをじっと見詰めたまま、掴まれていた手を解き、ボタンを一つ一つ外していく。
上着が取り払われた時、は我に返って再び手を掴もうとした。
だが、そのとたん、紫宛の目がすっと細められる。
その目を見たとたん、手が反射的に撥ねて、紫宛に触れることを掴むことを拒んでいた。

ここで止めなければいけない、拒まなければいけないのに。
なのに、何で紫宛を止めることができないのだろうか。
視線を逸らすことができない。
見惚れているからではない、もっと違う、他の感情に捕らわれていた。

が旬順している間に、紫苑はシャツのボタンも次々と外していく。
その間も、やはりは抵抗する事はできないでいた。


冷たい空気に露わになった肌がさらされると、緊張と動揺で心臓の鼓動が早くなる。
紫苑が冷たい目をしたまま指先でその肌をなぞると、の体が震えた。

いつもなら、たとえ相手が紫苑であろうとも突き飛ばしているところだ。
でも、駄目だ、動けない。
僕は・・・彼に、怖じている。
蛇に睨まれた蛙とはこういうことを言うのだろう。
彼の冷たい目に、怯えてしまっている。
使魔に捕らわれた時でさえ、嫌悪感は感じたものの恐怖は感じなかったというのに。

とっさについた嘘が、紫宛を豹変させてしまった。
怒りが籠っている目ではない、紫宛の中の何かが、たった一つの嘘によって呼び起こされてしまったのだ。

それに気付いた時、大きな罪悪感を感じた。
肌を撫でつづける紫宛の手を気にしていられないほど、大きな罪悪感を。
このまま好きなようにされても、それは自業自得というものかもしれない。
だけど、それでは本末転倒もいいとこだ。

これ以上、されるがままになっていてはいけないと思ったは、紫宛の目に怯えながらも声を振り絞った。


「嘘・・・なんだ」
その言葉を発したとたん、紫苑の手の動きが止まった。
「・・・嘘?」
冷たい視線はそのままに、紫宛は静かに聞き返す。
「僕は人を愛する事なんてわからない・・・だから、一目惚れなんてしてない。。
僕は、君に嘘をついたんだ。・・・・・・ごめん・・・」
しばらく間が空いた後、紫苑の目が変化を見せた。


「嘘・・・だった、のか・・・」
紫苑の瞳が、何かを抑制するように揺らぐ。
「・・・ああ、紫苑、本当に悪かった・・・」
が言葉を言い終わったとたん、紫苑はぱっと上半身を起こす。
そして、を見下ろして、はっとした表情に変わった。

「り、・・・ぼくは、きみに・・・」
紫苑は、あきらかに狼狽していた。
も起き上がり、服を着直して紫苑と視線を合わせる。
もう、その目に冷たいものは含まれてはいなくて、それを確認すると、心底安心した。

「いいんだ。・・・僕が君に、嘘をついたのがいけなかったんだから」
紫苑は、無意識に行為を進めようとしていたのだろう。
だから、今こうして狼狽している。
無理矢理なその行為が、嫌じゃなかったと言えば嘘になる。
けれど、元々の原因は自分にあるので、は紫苑を咎める事はできなかった。


「ぼくは、きみが嫌がることを無理矢理した・・・そう、なんだろう」
今の状況を見て自分が何をしてしまったのか、完全に察知したのだろう。
紫苑は、とまともに視線を合わせられなくなっていた。

「だから、君が謝る事じゃない。僕の自業自得なんだから」
がいくらそう言っても、紫苑は言葉が聞こえていないかのように続ける。
「きみを傷付けたくないって、そう思ってたのに、ぼくは・・・・・・」
「紫苑・・・」
他人を傷つけたことで、紫宛はこんなにも自分を責め、追い詰めている。
人を慰める事に不慣れで、これ以上かける言葉が見つからなかった。
紫苑は俯き、じっと何かを考えている。
そして、その結論はすぐに出た。


「・・・しばらくの間、ぼくはきみに近づかない方がいい」
紫苑は言いたくない事を言わされているかのように、重々しく口を開く。
「・・・どういう事だ?」
「きみが・・・好きな子ができたって、一目惚れしたって聞いた時・・・・・・。
喜んであげるべきことなのに、ぼくはすごくショックを受けていた・・・」
紫苑の言葉は、途切れがちだった。
は消え入りそうなその言葉を、一言一句聞き洩らすまいと耳を傾ける。

「きみがその子を愛するって聞いたら・・・。
そこからもう、ぼくが、ぼくでなくなるような・・・そんな感じがしたんだ」
そこで、は紫苑が距離を置くと言い出した理由が薄々わかってきていた。
だが、追及はせずに紫苑の話を最後まで聞こうと思った。

「・・・ぼくは、その子に嫉妬していたんだ。
自分自身を変えてしまうほど、こんな大きな感情がぼくの中にあったなんて・・・思わなかった」

紫苑を豹変させてしまうほどの嫉妬心が、嘘によって引き出されてしまった。
それは、彼自身も気付かないほど奥深くに潜んでいたものだというのに。
だが、それは一つの要因だけで引き起こされたものではないのかもしれない。
紫苑を豹変させたきっかけは、偽りと・・・。

「そして、気付いたんだ。・・・こんなにも、その子に嫉妬した理由に・・・」
もう、次に彼が発するであろう言葉は、だいたい予想がついてしまった。でも僕は心のどこかで、その予想が外れていてほしいと期待している。

「ぼくは・・・」
紫苑も、次に言う言葉はに対して言うべきではないものだとわかっているのか、言葉を詰まらせる。
そして、十分な間を空けた後、と視線を合わせて言った。


「ぼくは、きみのことを・・・・・・愛しているんだ」
ついに、聞いてしまった。
恋愛感情がある事を象徴する、その言葉を。
「・・・そう・・・なのか・・・」
は、生返事しかできなかった。
紫苑の言葉に返す言葉が、何も見つからない。
けれど、視線だけは逸らさずに、紫苑と向き合っていた。


「・・・ぼくはいつ、きみにまたあんな事をするかわからない。
もし、あのままだったら、ぼくはきっと・・・きみに、もっとひどいことをしてたと思う」
その意味は、なんとなくだがも理解していた。
人を愛すれば、そういう事をしたくなるのは自然な事だ。
だが、その行為は、今の自分では考えられないものだった。

「だから・・・ぼくから、きみに対するこの気持ちがなくなるまで・・・・・・。
ぼくは、きみに近づかないほうがいいと・・・思う」
紫苑は、また俯きがちになって言った。
紫苑自身、自分の想いを告げた後で、こんな事を言うのは辛いのだろう。
は、もう何も言えなかった。


「・・・泊めてくれて、ありがとう。そろそろ、帰るよ」
紫苑は立ち上がり、部屋から出て行った。
は座ったまま硬直していて、紫苑を引き止める事もできないでいた。
考えたくはないが、もう、紫苑が自分に近づくことはないかもしれない。
いくつもの衝撃的な突然の出来事に、しばらく動くことができなかった。



―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
七巻読んでて思いついたのがこれです。紫苑が二重人格?っぽいところがあると思ったので。
なんか切ない終わり方ですが・・・紫苑とも一線踏み越えます。