NO.6番外ネズミ編#2
(この回は、劇場についての勝手な想像が含まれていますのでご注意を)
僕は、今日初めて女性に見惚れた。
少し遠くまで散歩していると、どこからか歌声が聞こえてきたのが始まりだった。
綺麗な声が気になり、音を辿ってみると大きめの建物に辿り着く。
建物の中では、何十人かの人々が何かを集中して見ていて、
視線の先を追ってみると、そこにはステージの上で歌っている少女がいた。
彼女は金色の髪をしていて、色褪せた安っぽいドレスを着ていた。
けれど、彼女は美しかった
建物の中に響く歌声も、演技も、遠くを見ている瞳も、全てが美しいと、そう感じた。
今まで、異性に興味を持ったことはなかった。
興味を持っても、こんな体ではどうすることもできないとわかっていたからだ。
けれど、衝動的に彼女を美しいと思っている自分がいた。
歌が終わるまでずっと、瞬きする間も惜しいくらいに彼女をじっと見ていた。
その時、僕は完璧に彼女に惹かれていると、自覚した。
どうして、彼女に惹かれたのかは自分でもよくわからない。
それでも僕は彼女に、他の女性にはない何かを感じていた。
歌が終わり、彼女が舞台袖へ引っ込むと、美しい歌声の余韻に浸りつつそこから出て行く。
そして、また彼女の歌声を聞きたい、また彼女を見てみたいと思っていた。
それと同時に、絶対に恋心などという甘いものは抱くまいとも思った。
自分は、誰に対してもそんな感情を芽生えさせてはいけないと、昔からわかっていた。
翌日、は同じような時間帯に再びその建物を訪れていた。
丁度歌い出すところだったのか、少女はすでにステージの上に立っている。
は、遠くの方から立ったまま少女を見ていた。
その歌声は、昨日と同じくとても美しかった。
動作一つ一つはとても優美で、それがますます少女の魅力を引き立てている。
はその動作に見惚れ、歌声に聞き惚れ、少女を凝視していた。
こうして彼女を見ていると、このままでは自分は彼女に恋心を抱いてしまうのではないかと、そう思う事がある。
恋心を抱く、ということがどういった感情の事を表すのかはよくわからない。
そういった感情に気付こうともしていないのだから、当たり前だ。
だが、惹かれる対象が現れた今、いつか気付いてしまうかもしれない。
その前に、ここに来る事は止めたほうがいいとわかっている。
けれど、まだ彼女を見ていたいと反発している自分もいる。
何も、美しいものは彼女だけではない、こんな町でも他に気に入っているものはあるというのに、
どうして、こんなにも彼女の事で葛藤してしまうのか、わからなかった。
歌が終わっても、少女はすぐに舞台袖には引っ込まずに、じっと遠くを見ていた。
遠くを見つめるその瞳は、の事を見ている。
は驚き、そんなはずはないと思いながらも少女を見つめ返していた。
なぜか、優美なその瞳はどこかで見た事があるような気がして目を逸らせない。
は、少女のほうから視線を逸らすまで、その場から動けなかった。
こうして歌が終わってしまうと、また聞きたいという思いがとたんに大きくなる。
NO.6では見る事が禁止されていた芸術への興味と、
美しいものを感じたいという欲求が膨らんできていた。
気付けば、は自分が葛藤していた理由を忘れ、明日もここへ来ようと、そう思ってしまっていた。
そして、は三日目も、同じ時間帯にその場所を訪れていた。
しかし、今回は日が悪かったのか少女はいなかった。
そう都合よく毎日見る事ができるわけではないとわかっていたが、自然と小さな溜息を吐く。
他の歌や演劇は行われていたので一応最後まで見ていたが、やはり物足りない。
そして帰ろうとしたとたん、隣に並んできた人物に声をかけられた。
「珍しいな、あんたがここに来るなんて」
まさかネズミがいるとは思わず、は少し驚きつつ向き合った。
「まあね。一昨日、綺麗な歌声が聞こえてきたから見つけられたんだ」
「へえ。それってもしかして、金髪で色褪せたドレス着た女か?」
ネズミにその事を言い当てられて、は目を丸くする。
「そうだけど、何でわかったんだ?」
「本人から聞いた。最近、自分に熱視線を送ってくるファンがいるってな」
「え・・・」
気付かれていたとは思わず、は口ごもる。
自分の視線はそんなに強かったのかと、恥ずかしくなった。
「何なら紹介してやろうか?あの女とは知り合いだし」
「えっ!?いいの・・・・・」
思わずその言葉に甘えようとしてしまい、とっさに口を閉じる。
ネズミの申し出は、正直ありがたい。
けれど、彼女に会ってしまえば行き過ぎた好意に気付いてしまうかもしれない。
それなのに、僕はもっと近くで彼女を見てみたいと思ってしまった。
けれど、はその思いを思い切り抑えつけた。
「・・・いや、いい。そんなのは、余計なお世話だ。
僕は・・・遠くから彼女を見ていたいんだ」
はそれ以上ネズミが何かを言う前に、建物から出て行った。
あと一言何か言われれば、ついその言葉に甘えてしまいそうな気がした。
あくる日、ネズミがいらぬお節介をやくかと思ったは、建物ではなくいつもの小高い丘を訪れていた。
数日来なかっただけなのに、その景色が何だか懐かしく見える。
今日は少女の事は忘れ、ここで犬を撫でて過ごそう。
そう思っていた矢先、気配も無く隣に誰かが座った。
紫宛でも来たのだろうかと、はちらと目をやる。
その瞬間、目を見開いて、反射的にその場から飛び退いていた。
「な、何で、ここに・・・」
は口を半開きにし、唖然とする。
そこに居たのは、金髪で、色褪せたドレスを着た少女だった。
美しいと思い、見惚れた存在が、目の前に座っている。
信じられない光景だと思ったが、すぐにネズミがお節介をやいたのだなと気付いた。
「あなたが、ね。ネズミから話は聞いてるわ」
少女はの思いなど何も知らずに、にこやかに話しかける。
少し声を作っている感じだったが、そんな事を気にしている余裕はない。
彼女と話してみたいという衝動と、近付くべきではないという思いが、今まさに均衡していた。
「どうしたの?さあ、ここに座って」
「あ・・・で、でも、僕は・・・・・・」
そうしてもたついていると、少女はの袖を引っ張って座るように促す。
はそれに逆らえずに、すとんとその場に腰を下ろした。
すぐ近くに、彼女が居る。
手を伸ばせば、すぐに触れられるほど近くに。
けれど、その手を伸ばす事は決してないだろう。
近くで見ると、その髪はカツラなのか、ちらと黒髪が見えている。
そして、近くで見る彼女の瞳は、ますます優美に見えた。
が思わず瞳を見つめていると、少女はくすりと笑う。
ははっとして少女から視線を逸らし、もうその瞳を見ないように正面を向いた。
少女は、そんな様子を楽しそうに見ている。
「は、ネズミのお友達なんでしょ?彼の事、色々聞かせてほしいな」
「ネズミの事・・・」
ネズミの事を、勝手に他人に教えてもいいものだろうかと、一瞬躊躇う。
けれど、余計なお節介をやいたのだから、少しくらい教えても罰はあたるまいと思い直した。
「わかりました。僕も詳しいという程は知りませんが」
「じゃあ、彼の好きな食べ物は?」
それはごく一般的な質問だったが、は答えることができない。
ネズミとは友人関係にになったものの、好きな食べ物の話なんてはしたことがなかった。
「・・・わかりません」
「それじゃあ、彼の好きな本は?」
少女は間髪入れずに尋ねるが、それもまた、は答えられない。
「それも・・・わかりません」
は申し訳なさそうに少し俯いて答えた。
だが、少女は落胆する様子はなく、微笑み続けている。
その笑みは瞳と同じく、どこかで見た事のあるような気がした。
「それならもう、の主観でいいから、彼の事を教えて?」
明確な答えは諦めたのか、少女は質問の傾向を変える。
「ネズミは・・・最初に会った時、僕に似ているなって思ったんです。
「でも、しばらくしてから、彼は僕とは全然違うって思いました」
「どうして?」
「・・・彼はたまに、人を見惚れさせるような動作をするんです。
それは何気ない手の動きだったり、どこかを見詰める瞳だったり・・・
彼は僕には持ち得ない、人を惹きつける物を持っているって、気付いたんです。
まるで、貴女のよう・・・に・・・」
そこで、は自分の言った言葉にはっとした。
さっきから彼女の動作は、どこかで見た事がある気がすると思っていたが、
それは人を惹き付けるという点で、ネズミに似ていたのだ。
もしかして、だから彼女に惹かれたのだろうか。
彼女の動作の中にネズミを見い出していたから。
知らず知らずの内に、彼女の優美な瞳に、滑らかな動作に、ネズミを重ねていたのだろうか。
「他には、何かある?」
少女は、興味深そうに続きをせかす。
「あと、僕が知っているのは・・・彼は自分が気に入った人や、認めた人がどんな性質を持っていても・・・
その意見は変えない、真っ直ぐな所があるという事ぐらいです」
ネズミは、紫苑の白い髪や赤い蛇を気にせず接していて、
人が見れば驚くような異常な性質を、難なく受け入れている。
そして、中途半端な存在として生まれ、罪で汚れたこの存在さえも、受け入れてくれた。
「ずいぶん彼の事を良く言うのね、悪口の一つや二つ、出てきてもおかしくないのに」
彼女の感想に、は苦笑する。
ネズミをどう思うかと尋ねられ、すぐに出てきた印象がたまたま褒め言葉だった。
「は・・・彼の事が好きなの?」
「はい、好きですよ」
考える間も無く、反射的に言葉が飛び出す。
そう言った瞬間、少女の表情から笑みが消えて真剣な表情になった。
「じゃあ・・・彼に体を許せる?」
「えっ!?」
突然、大胆なことを尋ねられ、はすっとんきょうな声を出す。
どうやら少女は、さっきの好きという言葉の意味を取り違えているようだった。
ただ、ネズミの事を友人として嫌いじゃないという事を伝えたかったのだが、どうやら説明不足だったようだ。
「許せる・・・なんて、そんなこと、考えたこともないです」
「にその気はなくても、彼にはあるかもしれない」
「え・・・」
そんなはずはありませんと続けたかったが、口が閉じられる。
少し前の事を思い出すと、少女の言葉を否定する事ができなかった。
「彼は変わったもの。女の直感でわかったわ、想い人がいるんだって事」
「・・・だ、だとしたら、貴女を想っているんじゃないんですか?
貴女はネズミと同じくらい優美動作をしているし、瞳だって・・・」
「は、彼に求められたらどうする?」
彼女は、の言葉を無視して続ける。
「求められたら・・・」
断ると答えるべきなのだが、すぐにそうは答えられない。
以前、ネズミに顔から火が出そうな思いをさせられたというのに、それを拒むことができなかったから。
今も、どうしてあんなに恥ずかしい思いをしていたのに、拒めなかったのかわからないでいる。
そんな今の状況で求められたら、どうする事もできない気がしていた。
「どうするの?」
答えを急かすように、少女がまた尋ねる。
「・・・・・・わかりません」
今は、そうとしか言えなかった。
自分からネズミを求める事はないが、無下に拒む事もできない。
「そう・・・。私、そろそろ帰るわ、今日はの話が聞けて良かった」
少女は満足そうに言って、立ち上がる。
ネズミについての有意義な情報は聞けなかったというのに、はなぜ少女が満足そうにしているのかわからなかった。
質問されっぱなしで名前すら聞くことはできなかったが、少女と話せただけでもよかった。
―後書き―
ところでこいつを見てくれ、ネズミ編なのにネズミの出番が一ページにも満たないってどう思う。
あと、劇場の事勝手に想像してすみませんでしたorz
いやあの、フラグ立てるのに使いたくて・・次はたぶん、この回でイチャイチャ(死語)できなかった分、自重してないシーン書いてきます。