NO.6 番外ネズミ編#3



少女と会話を交わした翌日、はいつもより早めに劇場を訪れていた。

そこからは、すでに少女のものだと思われる歌声がかすかに聞こえてきている。

今日は早くから始まっていたのかと、急いで中に入った。

だが、中には歌声の主以外、誰もいない。

どうやら、練習をしているだけのようで、はいつものように遠くから少女を見ようと、歌声の主の方に顔を向ける。

その瞬間、声にならない声が、喉を通った。



目は見開かれ、驚愕のあまり口は開け放しになる。

なんら変わりない、いつもの少女の歌声。

その動作も、眼差しも全て少女のものだった。

しかし、決定的な所が違う。

少女の髪は黒く、ドレスも着ていない。

その代わりに巻きつけられた超繊維布は、もう見慣れた者の姿がある。

歌声の主は、ネズミだった。





が呆然としていると、ネズミが近付いて来る。

「来てたのか。今日はえらく、早いんだな」

歌っていた少女の声とは違う、いつもの声で声をかけられる。

は、まだ唖然としている。

昨日まで少女だと思っていた人物が実は少年で、それが友人だった。

これで、平然となんてしていられるはずがない。



「その様子だと、気付いたみたいだな」

ネズミは、の驚いた表情を見て楽しんでいるように、意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「君が・・・君が、昨日の少女だったのか・・・?」

否定してほしかった。

動作や雰囲気が似ているだけだと、そう言ってほしかった。

それはとうてい叶わない事だとわかりつつも、そう願ってやまなかった。



「そうだ。おれは、この劇場でイヴって女役をやってる。あんたは全然、気付かなかったな」

の望みは、一瞬にして打ち砕かれる。

そして、その衝撃と共に強い感情が湧き上がってきていた。





「おれの演技もなかなかのものだろ?

あんたは中々本音を言ってくれないから、引き出すにはいい機会だと・・・」

「そうやって僕を騙して、からかって、良い気分だったか」

いつもより低いの声に、ネズミは口を閉ざす。



「少女になりすまして、僕の気を引いて、数日かけて手の込んだ事をして・・・そんなに楽しかったのか」

「おい、・・・」

ネズミが言葉を言いかけたとたんに睨まれ、また押し黙る。

NO.6でさんざん嘘をつかれ、傷付いてきたは、騙される事にかなり敏感になっていた。

「君と紫苑は、信用できるって、嘘なんてつかないって思ってた。

だけど・・・やっぱり、君も平気で相手を騙して面白がる人間だった。そういう事なんだな」

は何を考える事も無く、怒りに任せてどんどん言葉を続けていく。



「だから僕に質問してた時、笑ってたんだな。

答えにくい質問に困る姿を見て、内心さぞかし良い気分だったんだろう」

ネズミは何か反論したそうにしていたが、は口を挟む隙など与えなかった。

怒りが、とても流暢に言葉を促す。



「僕がその質問に対して、本音を言わないって誰が決めた?

別に女装なんてしなくても、普通に君が聞きに来ても、ちゃんと答えたかもしれない」

勢いに任せて言ったものの、たぶん答えられなかっただろうということは、自分が一番よく知っている。

しかし、今は言葉がとめどなく溢れてきて止められなかった。



「君が、本当に僕を求めていたとしても・・・僕は、許してやるもんか!

君はそんなに演技が上手いんだから、他の女性を騙して誘えばいい!」

「おい、・・・」

ネズミが引き止める間もなく、は劇場から出て行く。

ネズミが追ってこられないように、全速力で家まで走った。









家に着いた頃には、息が切れていた。

無機質で冷たい壁に包まれた部屋の空気が、気を落ち着かせてくれる。

ベッドに座って休むと、息が整うと共に、怒りがだんだんと収まってきていた。

こうして冷静になってみると、あんなに感情的になっていた自分が嘘のように思える。

どうしてあんな事を言ってしまったのか、今となってはよくわからない。

ただ、騙された事実を目の当たりにして、勝手に口が動いていたような、そんな感じがする。



ネズミは、僕が本音を言わないから騙したと、そう言っていた。

あの時、今のように冷静であれば一方的に怒鳴りつける事なんてなかっただろう。

だけど、少女がネズミだとわかった時から、驚きと怒りが入り混じってきていて

他の言葉なんて、聞く耳を持たなくなっていた。



嘘をつかれる事に敏感だとはいえ、自分は器の小さな人間だな、と思う。

ネズミは、僕の大きな偽りを許し、受け入れてくれたというのに。

僕ときたら、たった一回の彼の嘘に怒り、突き放してしまった。

ネズミも、身勝手な相手に呆れたことだろう。

僕は、自分の気持ちにどう整理をつけていいかわからず、溜息をついた。





それから、はネズミと会うのが気まずくなった。

以前の一件で負い目を感じてしまって、町で見かけても気づかれないように別の道を使っていた。

この負い目がある限り、自分から話しかけられそうになかったが

素直に謝って、元の関係に戻りたいという思いもあった。

そんな葛藤をしていた矢先、幸運にも切欠がやってきた。



久々に家の扉が叩かれる音がして、多少警戒しつつ扉を開ける。

「こんにちは、

いつもの調子で微笑みかけてくる紫苑に、は警戒心を解いた。



「ああ、今日は。この寒い中来るなんて、何か用事でもあるのか?」

「うん、ネズミの事でちょっと。中に、入ってもいい?」

「あ、ああ、構わないよ」

ネズミの事と聞いて、内心不安になる。

自分の知らない間に、何かあったのだろうか。

まだ紫苑の言葉を聞いていないのに、いつの間にか勝手な心配を張り巡らす。

は紫苑を部屋の中へ通して、お互いベッドの上に座った。

暖房器具のないこの家の椅子は冷たくて、とても座る気にはなれない。



「それで、ネズミの事って?」

「うん。何だかこのごろ、少し様子がおかしいんだ」

その言葉を聞いて、また不安感が増す。

どこか、体の調子が悪いのだろうか。

ネズミが突然倒れた事を思い起こすと、今すぐ様子を見に行きたくなる。





「たまにじっと遠くを見てたり、子ネズミが鳴いてるのに気付かなかったり・・・

昨日なんて、料理中にナイフで自分の手を切ったんだ」

「・・・ネズミがそんな失敗するなんて、珍しいな」

は、紫苑の前では平静を装っているが、正直驚いていた。

ナイフの扱いに慣れているネズミが、自らの手を切ってしまうなんて信じられない事だ。

確実に、ネズミはどこか不安定になっている。

おそらく、前の一件のせいで。

そう考えると、ますます負い目は大きくなっていった。



、きみの前ではどうだった?」

は、少し俯いて黙りこくる。

あれから一回も会っていないから、答えようがなかった。

「とにかく、一度会ってみてほしい。きみになら、何か話してくれるかもしれない」

紫苑も、だいぶネズミの事を心配しているようで、声がやや小さい。

このままでは紫苑にまで迷惑がかかってしまうと思うと、その申し出を断るわけにはいかなかった。



「・・・わかった。折を見て家に行くよ」

「ありがとう。じゃあ、ぼくは話の邪魔にならないように犬洗いに行ってくるから」

紫苑が出て行くと、も少し間を空けてから外へ出る。

目的地はもちろん、ネズミの家だった。





ネズミの家に鍵はかかっておらず、無用心だと思いつつ中へ入る。

足音を隠さず部屋へ進むと、すぐに強い視線を感じた。

「あんた、何でここに・・・」

「君の様子がおかしいから見てきてくれって、紫苑に頼まれたもんでね」

ちらとネズミの手を見ると、うっすらと切り傷が残っているのが見える。

「手を・・・切ったのか。ずいぶんらしくない事をするんだな」

ネズミは何も言わずにに近付き、目の前で止まると、重々しく口を開いた。



「前は・・・あんたを騙して、悪かった」

ネズミの言葉を聞いて、は目を丸くする。

謝罪しなければならないのは、自分だと思ってここに来たのに。

ネズミから、こんなに素直に謝られるなんて意外すぎた。



「おれは本音を聞き出すことばっかりに気を取られて、あんたがどれだけ騙されるのが嫌いかって、考えてなかった。完全に、おれが悪かった」

ネズミの態度は、信じられないくらいしおらしい。

そんな様子を見ていると、はすんなりと謝罪の言葉を言えない自分に苛立った。

「・・・違う・・・・・・」

は、俯きがちになってぽつりと呟く。

何がネズミにそうさせたのか、それはプライドばかり高い相手が本音を言わないからだ。

それが原因で、今は紫苑にまで迷惑をかけてしまっている。

その負い目が、の背を押した。





「違う・・・僕が、君にそうさせたんだ。そうしないといけない状況を作ったんだ。

君が普通にあんな質問してきたら、僕は・・・答えなかったと思う。

君の言った事は正論だったのに、何だか悔しくて・・・」

あの時、本当に怒りを感じていたのはネズミにではなく、易々と騙された自分自身に対してだったのかもしれない。

それを、目の前にいた人物にぶつけてしまった。

騙されたという事実を認めたくなくて、怒りで紛らわせていたようにも思える。



「・・・ごめん。君の言葉も聞かずに、勝手にあんな事言って・・・・・・本当に、悪かった・・・」

の言葉を最後に、部屋には重々しい空気が流れる。

「・・・

ネズミはの顎を取り、上を自分の方を向かせる。

「おれは、あんたが欲しい」

一瞬、ネズミが何を言っているのかわからず、は目を丸くする。

「あんたがおれを許してくれるのなら・・・おれは、あんたを抱きたい」

ネズミの目は、冗談なんて少しも含んでいないと訴えるかのように、真剣だった。

瞬間的に、は心臓の高鳴りを感じる。



「ぼ、僕は、未完成品なんだ・・・つまり・・・・・・」

「わかってる。それでもおれは、あんたが欲しい」

事実を知った上で、求められている。

は、すぐに了承することも、拒否することもできなかった。





ネズミは、とても信頼できる存在だ。

たぶん、全てを任せてしまってもいいと思えるほどに。

実際、ネズミに口付けられても、上着を脱がされても抵抗できなかった。

心のどこかで、ネズミを求めているのかもしれない。

だが、許してしまえば、おのずと未完成の部分をさらけ出す事になってしまう。

その時、強いプライドや羞恥心が黙っておらず、ネズミを全力で拒み、落胆させてしまうかもしれないと懸念した。



「僕は、プライドが高くて、羞恥心が強い人間だ。

だから・・・途中で、君を拒まないとは言い切れない」

「嫌になったら、それでもいい。おれを許してくれるのならって、言っただろ」

その言葉に、は揺れ動く。

拒んでもいいと、途中で拒否しても構わないと。

ネズミが気を使ってくれている事が、ひしひしと伝わってくる。

もう、今、ネズミを拒む理由なんて思いつかなくなっていた。



「・・・本当に、それでもいいんだな。途中で、僕が君を拒んでしまっても、それでも・・・」

「そうなったら、おれに魅力が足りなかったって事だ。潔く諦める」

やっと、いつものように冗談めいた事を言ったネズミに、は微笑する。

そのとき、もう覚悟は決まっていた。









―後書き―

読んでいただきありがとうございました!

ネズミの女装姿、勝手な想像してすみません・・・orz

前回は自然な流れの会話をイメージしたつもり・・・なんですが・・・・・下手な小細工はしないほうがいいですね、すみませんorz

そして、またもや急展開でフラグが立ちました。次はいかがわしくなります。





メルフォにてメッセージをくださった初瀬様

学校の友達以外からメッセージを貰うのは初めてだったんで、かなり感激しました!

本当にありがとうございます!かなりの励みになりました!

壁紙設定もままならない未熟サイトですが、よろしくお願いします