NO.6 番外、ネズミと紫苑編
(番外ネズミ編#1からの続きとなっております)

―焦燥と衝動と―


紫苑のおかげで、僕はネズミから逃れることができた
しかし、明日からどんな顔をして接すればいいのかわからなかった
口付けられ、服を脱がされ、行為に及ぼうとした相手に

けれど、数少ない友人を失いたくはない
ネズミは、どうかしていたんだ
きっと、一時的な気の迷いに違いない
また同じことをされたとしても、今度は跳ね飛ばしてやろう
流星は、自分にそう言い聞かせていた





翌日、流星の家に朝から来訪者が訪れた
扉を叩く音がしたが、すぐに開くことはできなかった
ネズミが来ていたらどうしようかと、そんな懸念を感じていた

扉が、再び叩かれる
流星は、慎重に扉を開いた


「おはよう、流星」
目の前に姿を現したのは、もう一人の友人、紫苑だった
流星は心の中で安堵し、「お早う」と返した

「流星、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな」
紫苑は、いつになく真剣な顔つきで言った
「ああ、いいけど・・・」
「それじゃあ、行こう」
返事を聞いたとたん、紫苑は流星の腕を引いた
なぜ家の中で話さないのだろうと思ったが、気に掛けることでもないだろうとそのまま黙ってついていった




二人が着いたところは、以前によく訪れていた小高い丘だった
草原の上に座り、流星は景色を眺めた

冷たい風が、頬を撫でる
様々なことがあったせいか、ここに来るのはずいぶん久し振りのように思えた
丘に着いても、紫苑は中々話を切り出そうとはしなかった
焦ることでもないので、流星は急かすことなく紫苑の話を待っていた


「・・・・・・あの、流星」
しばらくしてから、ふいに紫苑が口を開いた
流星は、視線を景色から紫苑へと向けた

「きみは・・・・・・きみは・・・」
紫苑は、言葉に詰まっていた
まるで、本当にこのことを尋ねてしまってもいいのだろうかと、戸惑っているように


「きみは・・・ネズミと、恋仲・・・なのか?」
「は?」
突拍子のない質問に、流星は呆けた声を出した
聞き間違いだろうかと、耳を疑うほど意外な質問だった

「昨日、きみはネズミに押し倒されていた」
「あ、あれは、僕が勝手に転んだだけだ」
昨日の情景を思い出し、流星は焦る

「でも・・・服を脱がされても、抵抗してる素振りはなかった」
「それは・・・」
そのことについては、自分自身へさえも説明できないことだった

羞恥心は感じていた
けれど、あのとき、ネズミを押し返すことすらできなかった
そこには、何か特別な理由があるからなのだろうか
自分でもわからないことを、紫苑に説明するなんてできなかった


「・・・きみは、ネズミのことが好きなのか?」
「好き・・・」
流星は、自分に問いかけるように呟いた


確かに、ネズミのことは好きだ
勿論、紫苑のことも
けれど、今紫苑が尋ねているのはそういう「好き」ではない
恋愛感情が含まれているかどうか、そのことを尋ねているのだろう
それもまた、わからないことだった

昨日、抵抗しなかった理由
それは、友情の延長線なのか
それとも、知らず知らずの内に恋愛感情を覚えているからなのだろうか
そんな感情に接したことのない流星には、難しい問題だった


「・・・わからない。それは、僕には縁のない感情だから」
誰かを愛したことは勿論、誰かから愛されたこともない
それが愛情だと、はっきりと判断することができない
今までそんな感情がなくとも、生きてゆくには充分だったから


「・・・ぼくは」
紫苑はぽつりと呟くと、突然流星に抱きついた
「っ、紫苑」
紫苑はそのまま体重をかけ、流星を仰向けにさせた
意外に強い力で押され、突然のこともあって流星はなすすべがなかった


「・・・きみを、ネズミに取られたくはない」
「取られるも何も・・・僕にとって、君達は友達だ。そんな心配はいらないと思うけど・・・」
はっきりと、そんな心配はないと断言はできなかった
自分の不明瞭な感情のせいで、紫苑を安心させることはできなかった

「流星・・・」
紫苑は自分の眼下にいる相手の名を呼ぶと、ゆっくりと身を近づけていった
その動作に、流星は慌てた
このままじっとしていれば、昨日のようなことになりかねない
しかも、こんなところでは、万が一誰かに見られる可能性がある
慌てた流星は何とかこの場をしのごうと、言葉を探した

「し、紫苑。・・・あの、ここ、寒いから、長居するとお互い風邪をひきかねない。だから、やめたほうが・・・」
まくしたてるようにそう言うと、紫苑の動きが止まった
流星はひとまずほっとして、紫苑を押し退けて体を起こした
けれど、安心するのは早かった
紫苑は、決して逃がさないと言いたげに流星の腕を掴んだ

「じゃあ、イヌカシのところへ行こう。そこでも少しは寒いかもしれないけど、ここよりは温かい」
その口調には、有無を言わさぬ雰囲気があった

「え、紫苑、ちょっと・・・」
流星は抗議しようとしたが、動揺しているからか言葉が浮かんでこなかった
紫苑はそのままぐいぐいと流星の腕を引っ張り、目的地を目指した
少し焦っているような、早足で




建物に入ると、紫苑はすぐ近くの空いている一室へ入った
部屋は相変わらず殺風景で、無機質な壁に囲われていた
外よりは寒くはないが、決して温かいとは言えない部屋だった

「流星、座って」
部屋の中ほどまで入ると、紫苑は突然そう言った
そこには、また有無を言わさぬ雰囲気が込められていたので、流星はほぼ反射的にその場に座った
壁にもたれるようにして座ると、ひんやりとした無機質な冷たさが背中に伝わった
するとすぐに、紫苑は流星の足にまたがって正面から目を見据えた

そして、再び顔を近づけてゆく
流星ははっとして、顔を背けた
それでも、紫苑はまっすぐ流星に近づいてゆく
そうしてほどなくして、紫苑の唇が流星の首筋に触れた

「っ・・・」
自分の肌に触れたものの感触に、流星は思わず身を固くした
流星が少し首に痛みを感じたとたん、紫苑は離れた
しかし、それで事が終わるはずもなく、紫苑は流星の頬に手を添えて正面を向かせた
今度は流星が顔を背ける前に、すぐに紫苑は近づいた
流星が抵抗する暇はなかった
気が付いたら、もう唇に紫苑が重なっていた

「ん・・・っ・・・」
いつもの様子からは考えられない、大胆な紫苑の行動に流星は動揺する
床についている両手にはいつの間にか紫苑の手が被さっていて、少しも動かせない
口付けの柔らかな感触が、心地よくないと言えば嘘になる
けれど、その感触を感じるたびに湧き上がる羞恥心が、素直にその感覚を受け入れられないでいた



ほどなくして紫苑は身を離したが、まだ終わらなかった
今度は舌で軽く、流星の唇を舐める
流星はわずかに肩を震わせ、羞恥のあまり紫苑を見ていられなくなった
まるで犬の愛情表現のような行動に、どうしていいかわからなかった

丹念に、その箇所だけに舌を這わされ、どうしても心拍数が高まる
目を閉じるとより鮮明に相手の感触を感じてしまい、流星は羞恥心で一杯になった
この状況をなんとかしなければと思うが、両手はさっきから塞がれている
だから、流星は紫苑の感触が離れた一瞬に、言葉を紡いだ

「紫・・苑・・・も、もう、いいだろ・・・?」
流星にそう声をかけられたが、紫苑は聞き入れなかった
紫苑はさらに行為を進めるべく、言葉を発した流星の隙間に自らのものを差し入れた

「っ!?ん・・・!」
自分の口内に入ってきたものが信じられず、流星は目を見開いた
口付けでさえ意外な行動だったというのに、紫苑がここまでのことをするなんて考えられなかった
柔らかな感触は口内を蹂躙し、思考力を奪ってゆく
その動きは音をたてるほど荒いものではなかったが、抵抗を許すほど緩やかなものでもなかった
流星は力が抜けてゆく感覚に、身を任せているしかなかった



紫苑が離れると、流星は平静を取り戻すために小さく深呼吸をした
「・・・いきなり、こんなことをして・・・・・・君らしくない」
流星は悪態の一つや二つつこうかと思ったが、紫苑の表情を見るとそんな気にはなれなかった
紫苑は今しがた我に返ったような、そして悔やんでいるような表情で流星を見ていた
あきらかに申し訳なく思っている雰囲気の相手に、追い打ちをかけるのは心苦しかった

「ごめん・・・。ぼく、たぶん焦ってたんだ。きみが、ネズミに取られてしまうんじゃないかって。
・・・そう思ったら、いてもたってもいられなくなってた」
紫苑は懸念していた
流星とネズミが一定以上に親しくなったら、自分が忘れられてしまうのではないかと
その懸念は衝動に変わり、紫苑を動かしていた
自分でも驚くくらい大胆な行動となって

「・・・・・・僕は、君達とは偏りのない関係を保っていきたいと思ってる。
だから、そんなに心配しないでくれ」
信頼できる二人の友
流星は、そのどちらも失いたくはなかった


「ぼくは、きみともっと親しい関係にはなれないのかな・・・?」
それは、流星に尋ねる言葉でもあったし、自分に問いかけているようでもあった

「・・・わからない」
答えをはぐらかしたわけではなく、人間関係に疎い流星には本当にわからなかった
今の関係以上に、紫苑と親しくなることなんてあるのだろうか
僕は、友人が二人できただけでも充分だった
これ以上望んでは贅沢だと、そう思っていた

けれど、彼らは望んでいるのだろうか
もっと、親しい関係を

望まれているのなら
望まれているのなら、僕は―――



「おい、おまえさんたち」
聞こえてきた声に流星は考え事をやめ、入口の方を見た
そこには、数匹の犬を引き連れたイヌカシが立っていた
「泊まるなら部屋は貸すけど、料金は前払いだぜ」
紫苑に連れられて無断で入ってきてしまったことを思い出し、流星は立ち上がった

「いや、犬と一夜を共にするのは魅力的だけど、もう帰るよ」
流星がそう言うと、イヌカシは意地が悪そうに笑った
「なんだ、紫苑とお熱い夜を過ごすんじゃないのか」
「っ、イヌカシ!」
その言葉にいち早く反応し、叫んだのは紫苑だった
流星もそんなふざけたことを言ったイヌカシに何か言おうかと思ったが、紫苑に先に言われてしまって、気が萎えた
流星は無言でイヌカシの横を通り過ぎ、外へ出て行った

今は、考えたかった
紫苑とネズミ、この二人とどう接してゆくべきか
取られるなんてことはなく、どちらか片方に偏ることない関係を保ってゆくには、どうすればいいのか
その答えは、簡単には出そうになかった




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
まさかの番外編更新です
ですが・・・更新は、結構なスローペースになるかとorz