とあるネコの観察日記1


○月×日
今日、学校の帰り道に奇妙な箱があった。
その四角い箱はどこから見ても真っ赤で、上が開いている。
珍しいものにひかれて中を覗き込むと、赤い装丁には相応しくない、かわいらしい子猫が入っていた。

捨て猫だろうか、元の飼い主が目立つように箱を赤く塗ったんだろう。
猫は、僕を見上げると「な゛―ご」と、ダミ声で鳴いた。
喉が傷ついているようなおかしな声に、同情心が沸く。
そして、気付けば僕は子猫を抱え、家に戻っていた。


家に戻り、「ただいま」と呼びかけても「おかえり」の声は帰ってこない。
あいにく、両親は結婚記念日のラブラブ新婚旅行へお出かけ中だ。
自分で家事炊事の全てをしないといけないのは面倒だったけれど、今日は都合が良かった。
母は猫アレルギーなので、子猫とは言えすぐに追い出されていただろう。
子猫を廊下に放してやると、すぐにどこかへ駆けて行く。

「あ、こら」
慌てて後を追うが、やたらとすばしっこくて追いつけない。
和室に入ったところで見失ってしまい、辺りを見回した。
「どこ行ったんだ?」
呼びかけると、襖の陰から子猫がひょっこり現れる。
その口には、小さなネズミを咥えていた。

「あ・・・ネズミ、捕ってきてくれたのか」
早々に、期待通りの働きをしてくれて僕は感心する。
子猫を拾ってきた目的は、同情心だけではない。
この古めかしい家に出るネズミを駆除してくれるかもしれないと、期待していたからだ。
ネズミはとにかく繁殖力が強く、いくら駆除してもどこからかわいてくる。
それを、猫に手伝ってもらえれば餌代も浮いて一石二鳥だった。


子猫の頭をよしよしと撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
そして、ネズミを一旦床に置くと、逃げ出さない内に一口で頬張った。
何回か咀嚼し、ぱきりと骨の砕ける音がする。
子猫は、こんなにも歯が強靭なのかと感心していた。
「ありがとう、これからもネズミを食べてくれると助かるよ」
頭を撫でつつ呼びかけると、子猫はまた「な゛―ご」とダミ声で鳴いた。

「・・・そうだ、名前はナーゴにしよう。声がそう聞こえるし」
気に入ったのか、子猫はもう一度鳴く。
親が帰ってきたら、手放さないといけないけれど
それまでは、子猫のおかげで寂しさが軽減されそうだった。




○月△日
今日、ナーゴの身長が伸びた。
大きくなったと言ったほうがいいかもしれないけれど、伸びた。
今、ナーゴは二足歩行で歩いていた。
小さな足をちょこちょこと動かし、少しずつ歩いている。
奇妙な光景に違いなかったけれど、不気味というより面白かった。

そして、ネズミの捕まえかたは独特になった。
追いかけるときは四足歩行になるが、捕まえるときはなんと手が触手のように伸びる。
細い手で、さっとネズミを掬い上げ、一呑みだ。
奇妙ではあるものの、血の一滴もこぼさないのでありがたかった。

「今日も駆除してくれたんだな、よしよし」
頭を撫でると、ナーゴは尻尾を振って足にひっついてくる。
何とも愛らしくて、細かいことなんて気にならなくなっていた。
「そうだ、たまには別のものも食べるか?」
ネズミばかりでは飽きるだろうと、戸棚からにぼしを取ってくる。
それをナーゴの目の前に差し出したけれど、手を伸ばそうとはしなかった。


にぼしは嫌なのかと、今度は牛乳を皿に入れて置く。
それも、ナーゴは口を近付けようともしなかった。
どうやら、よほど偏食な猫らしい。
それならそれで餌代がかからなくていいと、むしろ好都合だった。

それにしても、猫にあるまじき姿になってしまって、近所の人に見られたら騒がれるかもしれない。
けれど、ナーゴは外へ出るとき、決まって子猫の姿になっていた。
不思議すぎる猫、もはや猫と呼んでいいか迷うところだ。
そんな珍しい生き物でも、懐いてきてくれると、愛着がわかずにはいられなかった。




○月□日
今日のナーゴは伸びたのではなく、広がった。
顔は横長のはんぺんのようになり、足はまるで蛸だ。
もはや猫の原型を留めていなかったけれど、声と顔付きだけは変わらない。
そして、頭を撫でると擦り寄ってくるのも変わらず、中身はナーゴのままなのだと安心した。

大きく変わったのは、ネズミの捕り方だ。
前は、触手で捕らえて丸呑みしていたけれど
今回は、触手をネズミに刺し、体液を吸い取っていた。
触手がボコボコと動き、血を飲んでいるのだとわかる。
ネズミがあっという間に骨と皮だけになると、残りは口へ放り込む。
そうやって、死骸を残さないでくれるのは助かった。

「いつも頑張ってくれてるから、今日はブラッシングでもしようか」
僕は、ペットショップで買ってきた猫用のブラシを持ってきて、座布団に座る。
ナーゴはじっとブラシを見た後、子猫の姿に戻って僕の足の上に乗った。
柔らかいブラシで、そっと背中の毛並みを整えていく。
よほど気持ち良いのか、ナーゴは喉を鳴らしていた。


ゆっくり、優しく毛をすいていくと、ナーゴが僕の掌をぺろぺろと舐め始める。
甘えてくる様子がかわいらしくて、久々に胸のときめきを感じていた。
しばらくするとブラシに細かな毛がついてきたので、一旦洗おうとナーゴを退ける。
洗面所へ行くと、二足歩行で後をついてきた。
ブラシを洗っていると、もっとしてほしいと言いたげに、手を伸ばして足に絡めてくる。

「ブラシを乾かさないといけないから、今日はもうできないよ」
そう言うと、ナーゴは短く鳴いて手をほどく。
言葉が理解できることも、もはや不思議なことだと思わなくなっていた。
「また、明日してあげるから」
頭を軽く撫でると、ナーゴははんぺんのような頭になって喉を鳴らした。




○月◇日
また、ナーゴの姿が変わった。
今度は、横ではなく縦に伸びて、体は筒のようになっている。
触手の数がだいぶ増え、その体は触手が渦巻き、ばねのような形になって構成されていた。
頭からは太い触手が一本生えていて、まるでポニーテールだ。

足というか、手というか、とにかく発達しているのか、案外走るのは早い。
だから、ネズミをいとも簡単に捕まえられる。
触手で押さえつけた後は、頭のポニーテールを被せて、一気に呑み込んでいた。
相変わらず、血の一滴、骨の一かけも残さないから都合がいい。
また労を労ってあげようとブラシを取ってくると、ナーゴはすぐに駆け寄ってきた。
せかすように触手が伸びてきて、腕を引き寄せられる。

「わかったわかった、すぐにブラッシングするから」
自由な方の手でブラシを持ち、触手の細かな毛をすいていく。
一本終わると次の一本を差し出してきて、結構時間がかかった。
頭から、ポニーテールの部分もすいてやると、甘えるように触手が絡み付いてくる。
まるで抱きしめられているようで、またときめいていた。

「甘えんぼだな」
ナーゴは肯定するように鳴き、細長い体を密着させてくる。
僕の体はしっかりと捕らえられ、簡単に振りほどけない状態になっていた。
けれど、何ら危機感は抱かない。
まだ甘え足りないのか、ナーゴは耳元をぺろぺろと舐めてきた。


「ナーゴ、くすぐったいよ」
少しざらついていても、感触は柔らかい。
耳元がしっとりと濡れていくさなか、ぼそぼそと音が聞こえてきた。
猫の声と人の声が混じったような、おかしなノイズが耳に届く。
「え・・・?」
振り返ろうとしたとき、また柔らかい感触が耳をなぞる。
それは外側をなぞるだけでなく、耳の中まで進んできた。

「あ、ちょ、ちょっと・・・っ」
流石に、中まで触れられるとくすぐったいだけでは済まされなくなる。
短いはずの舌がどんどん奥まで入り込んでゆき、寒気が背筋を走った。
耳掃除をするように、上も下も丹念に弄られる。
いくら偏食でも、こんな汚いものを食べさせたくはなくて、ナーゴの触手に手をかけた。

「こら・・・っ、もう、止めるんだっ」
少し強く言うと、ナーゴはさっと舌を引っ込めて、触手を解く。
そして、子猫の姿に戻って控えめに鳴いた。
そんな愛くるしい姿を目の当たりにすると、叱る気が失せる。
僕は自分の甘さに溜息をついて、ブラシを洗いに行った。




○月※日
もはや、ナーゴの姿が変わっても驚かなくなってきた。
今回は、犬のようなたくましい胴体に、強靭な二本の足が生えている。
おまけに、胴体からは3つ又の頭が生えていた。

ネズミの捕り方はだいぶダイナミックになり、驚異のジャンプ力で飛びかかる。
上から覆い被さるように食らいつき、身を砕いて喉を鳴らしていた。
そんな光景を目の当たりにしても、なぜだか少しも気持ち悪いと思えない。
こうなっては、どんな姿になろうとも忌み嫌うことはないだろう。

「たまには、一緒に遊ぼうか。面白そうなおもちゃを買ってきたんだ」
僕は、紐の先に偽物のネズミがついたおもちゃを取り出す。
すると、ナーゴはじっとネズミをして、そわそわとし始めた。
そのネズミをちらちらと動かし、さっと紐を引く。
瞬間、ナーゴはかっと目を見開き、ネズミに飛びかかった。
取られないよう、紐を動かしてかわす。
けれど、ナーゴは俊敏な動きで方向転換し、続けて飛んできて
あまりに素早い動作に反応できず、僕はナーゴに激突してしまった。

「うわっ」
強い勢いを支えきれず、仰向けに倒れる。
ナーゴも驚いたのか、おもちゃはそっちのけで僕を見下ろしていた。
心配してくれているのか、頬をぺろぺろと舐められる。
「ん・・・大丈夫だよ」
安心させるよう、ナーゴの体を撫でてやる。
すると、また耳元でぼそぼそとしたノイズが聞こえてきた。


『・・・キ・・・ダ・・・』
「ん?」
ノイズに交じって、人の声が聞こえてくる。
まさかと思い耳を澄ますと、それは鮮明に聞こえた。

『ス・・・キ・・・』
「好き・・・?」
『スキ・・・ダヨ・・・』
はっきりと、「好きだよ」という言葉が聞き取れる。
これには流石に目を見開き、ナーゴをまじまじと見つめた。
すると、首が伸びてきて、顔が近づく。
目と鼻の距離まで来たとき、唇がざらついた舌で舐められていた。

「ん・・・」
軽い愛撫ではなく、強く舌が押し付けられる。
そうなると、くすぐったさよりも先行するものがあって、心音が強くなった。
ナーゴの言葉と行動に驚いて、硬直したまま動けない。
固まったままでいると、ふにふにとした鼻も押し付けてきた。
細かな毛があたって、くすぐったい。

「あははっ、こそばゆいよ」
思わず吹き出すと、ナーゴが離れる。
『スキ・・・・・・スキ・・・』
単純な単語でも、連呼されるとむずむずする。
もう、この生き物は猫ではない気がしていたけれど
会話ができて、これほどまでに好かれていることが幸せで、ナーゴが何者でもよかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
にゃんこハザードというアプリしてたら、猫が独特すぎて書きたくなってたまらなくなっていた・・・。
まさかの猫×人。これは前座、次はいかがわしくなりまするのでご注意を・・・