進撃の巨人5
翌日から、彼の警戒心はさらに高まり、とことん人を避けるようになった。
誰から情報を引きだされるかわからず、ほとんど人間不信になっていた。
それでも、集団の中に居るのは心のどこかに寂しさを抱えていて。
あわよくば馴染みたいというかすかな希望があるからかもしれなかった。
「オイ、、今から俺の部屋の掃除をしろ」
リヴァイに命令され、彼は露骨に嫌そうな表情を見せる。
「・・・嫌だよ。のこのこ兵長さんの部屋に行くわけないじゃないか」
「俺は会議があって留守にする、その間にやっておけ、いいな」
拒否の言葉など聞こえていないかのように、ぬけぬけと言う。
やらなかったらやらなかったで、後々折檻されるのだろう。
リヴァイがいないうちにさっさと済ませてしまおうと、彼は部屋へ向かった。
元から綺麗にしているのか、あまり目立った汚れはなく、書類は整然と並んでいる。
これをもっと綺麗にするのは、相当細かな所まで目配せが必要そうだった。
部屋の四隅はもちろん、1冊1冊の本の隙間も丹念に掃除する。
ただ、背の高い棚の一番上は埃が目立っていたので、脚立を持ってきて塵一つ残さぬよう拭いた。
部屋を見回すたびに、あれこれ手をつける場所が思い浮かび、時間を忘れて没頭していた。
戦うだけしか能がないと思っていたが、自分は主夫にでも向いているのかもしれないと、彼は苦笑した。
「終わったか」
部屋の主の帰宅に、良かった気分ががらりと変わる。
没頭するあまり、適当なところで切り上げることができなかった。
「も、もう少し、かな・・・」
彼は目を会わせないようにし、本棚の埃を取るふりをする。
そこはすでに終わっていたが、リヴァイと向き合うことが嫌だった。
リヴァイは部屋を見回し、棚の上の方を注視する。
「悪くない」
「・・・どうも」
そこで、呑気に会話を交わしていてはいけなかった。
彼はすぐにでも部屋を出て行くべきだったが、気付いた時は遅かった。
自分のすぐ後ろに気配を感じ、振り向こうとする。
だが、その前に、リヴァイは彼の両側に手をつき、退路を塞いでいた。
「よ、俺から視線を外すべきじゃなかったな」
リヴァイはの耳元で告げ、吐息を感じさせる。
同時に、体で相手を棚を挟み込んで身動きがとれないようにした。
彼が危機感を覚えたとき、耳元へ柔らかなものが触れていた。
「ぅ・・・」
くすぐったいような、それとはまた違うような感覚に、背筋が寒くなる。
柔くて、湿ったものに淫猥なものを感じているのか、指の時より寒気が強かった。
背後からだと相手がどんな行動に出るかわからず、やたらと緊張する。
それだからか、耳の形をなぞられると、思わず体が震えていた。
「止めてほしいか」
彼は、無言で頷く。
「なら、お前の事を洗いざらい話してみろ」
俯いたまま、彼は何も答えなかった。
返答がないと、リヴァイは次の行動に移る。
今度は、無防備なうなじへ視線を移し、同じようにそこへも触れた。
「いっ・・・」
再び感じた寒気に、彼の声が上ずる。
リヴァイはただ舌を這わせるだけではなく、たまに唇を寄せ、わざと吐息をつく。
触れられる度に温かいものが感じられ、油断すると陶酔しそうになる。
うなじを一回弄られる度に、彼の息は刺激に耐えるように熱くなっていった。
「も、う、止め・・・」
「だったら、することはわかってんだろ」
言わなければ、この状況から逃れられない。
黙っていたら、ここから何をされるかわからない。
力任せに、無理矢理逃れることはできる。
だが、細腕でなぜそんな力が出せるのかと、追求されるのが落ちだろう。
何か手立てはないかと、彼は必死に考えていた。
なにもできないままでいると、リヴァイの手が、ハタキを持ったままの彼の手に重なる。
そのとき、彼ははっとしてリヴァイの特徴を思いだした。
「兵長さん、ボクはさっきまで掃除をしてたから、服も手も埃まみれで汚いよ!」
汚い、という言葉に反応したのか、リヴァイの力が弱まる。
彼はその隙を見逃さず、思い切り体を反転させ、腕から逃れた。
「潔癖症が仇になったね」
彼はすぐに駆け出し、部屋から逃げ出した。
追いかけてこないのを確認すると、彼は速度を緩める。
ほっとしたのもつかの間、今度はハンジが向かってくるのが見えた。
逃げようかと思ったが、どこか様子がおかしい。
「ああ、いいところにいた、今、巨人が壁を上ろうとしているんだ、すぐに来てくれ!」
は目の色を変え、ハンジに同行した。
後をついて行くと、ほどなくして壁をよじ登っている巨人が見えた。
上から銃撃が降り注いでいるが、硬化の能力があるらしく損傷を与えられていない。
幸いにもまだ上り始めたばかりなのか、巨人は中腹辺りに居た。
「近付くと、すぐに叩き落とされる・・・君の力が必要なんだ」
必要だと言われ、彼は反応する。
恐れるべき力を望まれていることに、気付けばほくそ笑んでいた。
「分隊長さん、これ持ってて」
彼はハンジにはたきと三角巾を手渡し、大きく息を吸い込む。
「おい、そこの馬鹿面した四つん這い野郎!」
彼は大声で叫び、巨人に訴える。
その呼びかけが耳障りだったのか、巨人は動きを止めて振り返った。
「癪に障ったんなら追いかけてみな、ボクに指一本でも触れられたら大人しく捕食されてやるよ」
挑発され、巨人が彼をじっと見る。
一瞬の間の後、巨人が壁から飛び、全速力で彼に迫った。
「分隊長さん、早く逃げた方が良い」
「で、でも立体起動装置もないのに無茶だ」
「大丈夫、分隊長さん、ボクの体が普通じゃないってこと察しはついてるんでしょ」
初めて調査へ行ったときも、領土を奪還したときも、彼女は異常な身体能力を見ているはず。
今は、それを信用して退いてほしかった。
言葉を交わしている間にも、巨人が向かって来る。
ハンジは躊躇ったが、やがて内地へと走って行った。
それを確認すると、彼はハンジとは逆方向へ駆けた。
四つん這いの巨人の速度は思った以上に早く、距離を詰められはしないものの離すこともできなかった。
一時でも速度を緩めれば、とたんに追い付かれる。
周りには障害物となる空家が並んでいるが、それを薙ぎ倒して進んで来ていた。
相手のうなじに飛び乗るには、まだ余裕がない。
かといって、このまま追いかけっこを続けていたら、疲弊するのはこちらが先だろう。
立体起動装置があれば楽だったと思うが、自分の足の耐久力を信じて走るしかなかった。
人間離れした速度で走っていると、足に違和感を覚えるようになってくる。
このままではまずいと思ったとき、遠くの方に大森林が見えて来た。
彼は、森林へ向かって全速力で走る。
巨人も後を追って森へ入ったが、大きな体が巨木に妨害されて速度が遅くなる。
今が好機だと、彼は思い切り跳躍し、巨人のうなじへ着地した。
自らの爪で肉をえぐろうとしたが、そこは鉄の様に固い。
こうなれば根競べだと、彼は立て続けにうなじへ一撃を加え続けた。
鋭い音が響き、爪が割れる。
彼は全神経を指先へ集中させ、徐々に固いうなじを削ってゆく。
爪が剥がれ、指が数本折れても、彼は攻撃を止めない。
うなじの硬化は徐々に解けてゆき、とうとう肉が露になった。
彼は血まみれになった指で、その肉を削ぎ落とした。
巨人が動きを止め、とたんに崩れる。
もうもうとたち昇る蒸気の中、彼は肩で息をした。
「」
蒸気で居場所がわかったのか、リヴァイが馬を走らせてやって来る。
「兵長さん、遅かったね」
歩み寄ろうと一歩を踏み出したそのとき、足に激痛が走った。
「オイ、大丈夫か」
血まみれの手を見て、リヴァイが駆け寄る。
彼もリヴァイに歩み寄ろうと、もう一歩を踏み出した瞬間。
足に亀裂が入ったように筋肉が割れ、大量の血がズボンを濡らした。
「う、あ・・・っ」
立っていられず、膝から崩れ落ちる。
倒れようとする彼を、とっさにリヴァイが抱き留めた。
「足が・・・動かない・・・」
体を動かす神経が切れてしまったのか、立ち上がることができない。
全身から力が抜け、頭が朦朧としてくる。
「気をしっかり保て、すぐ医務室へ連れて行ってやる」
リヴァイは彼を抱え、馬に乗る。
全速力で兵舎へ向かう途中、彼の瞼は重たくなってきていた。
「」
リヴァイの呼びかけに、彼は何とか意識を繋ぎとめる。
「・・・死ぬな」
優しい言葉を聞き、彼はふっと笑って目を閉じた。
目を覚ました時、手足には包帯が巻かれていた。
動かそうと思えば動くが、あまり力が入らず体を支えるのは無理そうだった。
「気が付いたか」
リヴァイが、彼の顔を覗き込む。
彼は無意識の内に安心したのか、相手の姿を確認すると溜息をついていた。
リヴァイが手を伸ばし、彼の頬へ触れる。
あまり血の気が通っていなかったが、掌に伝わる温度が生きていることを証明していた。
「あ、目を覚ましたんだね、よかった」
続いてハンジが声をかけ、彼に笑いかける。
そのとき頬の手が離れて行き、彼は名残惜しさを感じていた。
「寝起きで嫌な事を言うかもしれないけど・・・。
治療するとき、君の筋肉組織を見させてもらった」
彼はどきりとし、視線を逸らす。
「見かけは細いのに、君の筋肉は発達しすぎていて、まるで・・・巨人の様だった」
目を合わせることができず、彼は目を伏せた。
言葉を待っているのか、二人は沈黙する。
空気がとても重たく感じられ、彼はとうとう口を開いた。
「ボクの筋肉は、巨人と同じ・・・素手で肉を削れるし、馬より早く走れる。。
ボクは、巨人でも人間でもない、ただのバケモノだよ・・・」
人の姿でいる限りは、巨人に狙われる。
人の中へ入ると、異常だと敬遠される。
だから、巨人を殺す時はいつも人気がなくなるときを待っていたのだ。
「君のその体質は、生まれつきそれとも・・・」
その先の言葉が怖くて、彼は口を閉じる。
体質ということにしておけば、仕方のないことだとして、まだ受け入れられる余地はあるかもしれない。
けれど、何もかもを言ってしまったら、放り出されるに違いなかった。
「・・・ごめん、急ぎ過ぎたね。今日は休んでおいたほうがいいよ」
ハンジは部屋を出たが、リヴァイはその場に留まっていた。
動けないからだろうか、問いただされるかという警戒心より、今は誰かが居てくれる安心感の方が大きかった。
「何か食べるか」
「いえ・・・今は、特に何も要りません」
急に敬語に戻り、リヴァイは違和感を覚える。
「ハンジはお前の事を二重人格だと言っていたが、その演技は止めるんだな」
演技だと言われて、は言葉を失った。
二面性があることを否定されたら、自分の残虐性を認める事になってしまう。
自分は、この大人しい性格があるからこそ、何とか人の世界に順応できているのだ。
「お前は自分を作ってるだけだ。残虐な自分を抑え込むために、敬語を使って誤魔化してんだろ」
「そんな、僕は、両親から逃れるために仕方なく・・・」
「元々のお前は両親の暴力で抑え込まれていた。タガが外れたら、元に戻る」
「や、やめて・・・」
聞き入れたくないのは、それが真実味を帯びているからだ。
物心ついた時から、自分は影を薄くする事に必死だった。
それ以前の性格なんて、思い出したくない。
「、お前は残酷だ」
容赦なく浴びせられる言葉に、は耳を塞ぎたくなる。
「だが、それは苛むことじゃねえ。残酷な世界に適応して生まれてきただけだ」
ふいにリヴァイの手が伸び、の髪に添えられる。
残酷な一面に恐怖していないと示すように。
「自分を否定するな。よ、お前の存在はは俺が認めてやる」
「兵長さん・・・」
は、観念したように目を伏せた。
人と生きてゆくことに、残忍な性質は邪魔でしかなかった。
だから、上っ面だけの自分を作った。
。
そうすれば、影の薄さが前面に出て、異常な部分を隠せる。
だが、抑制する必要は無くなった。
本性を見た上で、誰かに認知されること、それが彼の存在する条件だった。
「他に隠してることがあったら言え」
は、はっと口を開く。
まだ告げていないことはある。
だが、声が喉元で抑圧された。
恐怖感が、発言を躊躇わせる。
リヴァイはじっとを見詰め、言葉を待っていた。
「・・・さっき」
言いにくそうに、ぽつりと呟く。
「さっき、ボクを医務室へ運んでるとき・・・。
兵長さんが、死ぬなって言ってくれて・・・嬉しかった・・・」
誤魔化すための言葉ではない。
他に言いたいことを探していたら、すぐに出きていきた。
素直に言うと恥ずかしくて、は視線を逸らす。
すると、リヴァイが手を伸ばし、ふいに頭を撫でた。
厳しい視線を感じた後だからか、その手つきがやけに優しく感じられて。
やがてはうつらうつらとし、目を閉じた。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
徐々に、の設定を明らかにしていっています。
じれったいかもしれませんが、今回は話に力入れてみました。