進撃の巨人6





治療を受けてから、はぱったりと食事を受け付けなくなっていた。

食物への欲求がなくなり、水さえも飲まなくなる。

ハンジがいくら進めてもは首を横に振るばかりで、パンの一欠けも口にしなかった。



血を流しすぎて、死んでもおかしくなかった状況から回復したのだから。

それは一種の後遺症で、一時的なものに思われた。



だが、には渇望しているものがあった。

人の世界で暮らす上で、二度とそれを望んではいけないとわかっていても。

時間が経つにつれ、は未だかつて感じたことがないほどの強い欲求に支配されていった。







、止めるんだ、落ち着いて!」

医務室から、慌てたハンジの声が聞こえてくる。

その声は調度通りかかったリヴァイの耳に入り、扉を開いた。



「リヴァイ、良い所に来た、を止めてくれ!」

ベッドへ目をやると、ハンジが必死にの腕を掴んでいた。



「離せ・・・」

は、力任せにハンジを振り払う。

そして、自分の腕に思い切り噛みついた。

とたんに包帯から血が滲み、赤く染まる。



「オイ、何してんだ」

今度は、リヴァイがの腕を取る。

抵抗したが、まだ本調子ではない状態では流石に振り解けなかった。



「どうした、気でも触れたか」

彼は、息を荒げつつも大人しくなる。

その後、欲望のままに告げた。





「・・・欲しい・・・」

「何がだ」

今まで、絶対に言うまいとしていた言葉。

だが、理性は強い欲求に侵されていた。



「欲しいんだ、巨人の・・・巨人の、肉が・・・」

とうとう、禁句を言ってしまった。

今すぐに、壁外へ追い出されることを覚悟する。

だが、リヴァイはを支えて立ち上がらせていた。



「それが欲しいんなら食わせてやる、だから大人しくしてろ」

にはもはや理性がほとんどなくなっていたが、リヴァイの言葉には従っていた。

「も、もしかしてビーンとソニーを・・・ちょ、ちょっと待って!」

ハンジは焦ったがリヴァイは聞く耳を持たず、を地下室へ連れて行った。









地下室には、研究のために生け捕りにした巨人がいる。

ロープでがんじがらめにされ、日光が当たらず元気がない。

これなら、固定されていなくとも制することができそうだった。

地下室に入った瞬間、の目は巨人に釘付けになった。



「お前の好きにしろ」

リヴァイが、支える腕を離す。

そのとたん、は一直線に巨人に向かって行き。

大きく口を開け、太い腕にかぶりついた。



巨人の悲鳴が、地下室に響き渡る。

肉はほとんどが蒸発してしまうので、は場所を変えて次々に噛み付く。

血飛沫が呼び散り、蒸気が立ち込める。

数分の内に巨人は骨だけになり、跡形もなくなった。



は、血にまみれた口元を包帯で拭うと、もう一体の巨人へ目を向けた。



「まだ、足りない・・・」

巨人が、拘束具から逃れようと暴れ始める。

まるで、今から捕食される恐怖を感じ取っているかのように。

は跳躍して巨人の背後に回り込み、同じように食らいついた。





「ああ、ソニー、ビーン・・・」

地下室の惨状をみたハンジは、巨人が骨になっているのを見て嘆く。

欲求を解消したは、壁の一点を見つめてその場に座り込んでいた。

とうとう、捕食してしまった。

筋肉の修復のために、巨人の強靭な肉を体が欲求していた。



足音が聞こえ、すぐ側で止まる。

今、ここで殺されるかもしれない。

人として異常なことをした異端者は、排除されても仕方がないと覚悟した。







「立てるか」

は、ゆっくりと立ち上がる。

もう、足の痛みはない。

リヴァイの姿を焼きつけておこうと顔を上げたが、視界がぼやけていた。



「何て顔してやがる、死期を乗り越えて気が抜けたか」

リヴァイは、の頬を流れる液体を拭う。

それは、透明で、清らかなものだった。



瞬きをすると、とめどなく流れ落ちてゆく。

死を覚悟した時、は泣いていた。

それは、まだこの世界に留まっていたいと、切に望んでいる証だった。





「兵長さん、ボクのこと、殺さないで・・・地下室に監禁してもいいから、お願い・・・」

涙を流しながら懇願する姿は、まるで子供のようだった。

リヴァイははらはらと涙を流すを抱き締め、あやすように軽く背中を叩いた。



「殺しやしねえよ、お前は俺の右腕だろうが」

は、リヴァイにすがりつき、声を殺して泣いた。

死ぬなと言われたときから、生への執着が生まれていた。

禁忌としていた欲求が強くなりすぎた理由もそこにある。

自分自身でさえも嫌悪していた存在が肯定され、とたんに死への恐怖が沸き上がってきていた。



「お前の本性は、俺が飼い慣らしてやる。明日から覚悟しろ」

「・・・うん」

は、背にまわされた手が解かれるまで離れなかった。

ハンジは、ソニーとビーンを失った悲しみにうちひしがれるのもそこそこに、二人の様子を興味深く観察していた。









巨人を食べたの体調は劇的に回復し、一週間もしないうちに本調子に戻っていた。

救護班は驚き、興味をそそられたようだったが、決して詳細は知らされなかった。



「つまり、君は巨人の肉を食べてきたから、筋肉が人並み以上に発達したんだね」

「う、うん、肉類が食べたくなったら巨人を狩って、かじりついてた」

ハンジは目を爛々と輝かせ、の話を興味津々に聞いていた。

の回復の秘密は、リヴァイとハンジ以外には口外されなかった。

その代わり、二人には何もかもを話すと約束していた。



「道理で、料理をさせたとき肉料理だけ不味かったはずだ」

リヴァイの言う通り、肉は丸かじりしていたから、調理法がわからなかったのだ。

「ボクにとって、巨人は人から見た家畜と同じなんだと思う。だから、そんなに怖くない」

「その家畜を、面白がっていたぶってるわけか」

ばつが悪くなり、は俯く。



「私は、むやみに苦しめるのはかわいそうだと思うんだけど・・・何か、理由があるのかい」

ハンジが問うと、は少し躊躇ってから言った。





「・・・あったかいから」

ぽつりと呟かれた言葉に、二人は耳を向ける。



「巨人の血は人より温かいんだ。。

それに、いろいろ切り取った方がたくさん蒸気が出てきて気持ち良いから・・・」

初めて巨人を殺した時、血と蒸気の温かさに驚いた事を思い出す。

一度感じた温もりはすぐにやみつきになり、それから巨人をいたぶるようになった。

親の愛情を受けなかった子が求めたものは、他者の温かさだった。



「調査の度に人払いをしてたらいずれ感付かれる。。

次から別行動はナシだ、いたぶる癖を直せ」

そう言われたが、は自分を抑制できるか不安だった。











次の調査の日、は馬を走らせリヴァイの隣に並んでいた。

馬が怯えなくなったのは、リヴァイやハンジと接して、どこか心が穏やかになったからかもしれない。

まだ奪還すべき土地は多く、今回も地区別に分かれた巨人の殲滅が目的だった。

前と違うのは、傍にリヴァイとハンジ以外の班員がいること。

その班員に、血まみれになって喜んでいる姿を見せるわけにはいかなかった。



、わかってるな」

小声で、リヴァイに諭される。

「わかってるけど・・・」

頭では理解していても、巨人を目の前にしたらどうなるかわからなかった。

そうこうしている間に巨人の姿が見えて来て、接触する。

班員は一斉に立体起動に移り、分散した。

は早速ガスを使って巨人の肩に乗り、切り取ろうとする。





刃を振り下ろす直前、リヴァイに呼びかけられてはっとした。

掴みかかって来る巨人の手をかわし、頭の上に乗る。

そして、飛び降りる途中でさっとうなじを削ぎ落した。

巨人が完全に蒸発するまで蒸気を浴びていたかったが、他の班員に見咎められるかもしれない。

はぐっと我慢し、他の巨人へ狙いを定めた。



本当は、太い指を切り刻み、食らいつこうと迫って来る顔が平面になるまで削いでしまいたい。

ただうなじを切って終わらせるのは惜しく、血も手にかかるだけでは物足りない。

はずっとそんなことを考えていたが、リヴァイの目が黒い内は勝手な事ができなかった。

その甲斐あってか効率的に巨人を殲滅でき、班員に犠牲者は出なかった。

それは大いに喜ぶべきことだったが、だけは浮かない顔をしていた。









その日の夜、は宿舎を抜け出し、壁外へ来ていた。

巨人は陽の光を好むので、夜はあまり行動しない。

だが、人を殺し足りず、元気が有り余っている奴はたまにいる。

今のは、そんな欲求不満の巨人と同じだった。



闇夜を駆けて、巨人を探す。

大きな影を見つけると意気揚々と駆け寄り、容赦なく切りかかった。

今は抑制する者はいない、血と蒸気の熱を思い切り味わう。

巨人の叫び声が響き渡ったが、気に留める者はいなかった。



五体程いたぶったところで、は内地へ戻る。

気付かれないよう、シャワーを浴びてよくよく血を洗い流そうと浴室へ向かう。

だが、その途中で待ち伏せていたように人影が立ち塞がった。





「よお、

硬直して、人影を注視する。

その背丈だけで誰だか分かり、血の気が引いた。



「体を洗ったら俺の部屋へ来い、いいな」

は、弱弱しく頷いた。







体を洗い、服を着替えた後、言われた通りリヴァイの部屋を訪れる。

今のは、非行を発見された子供の様に委縮していた。



、こっちへ来い」

リヴァイに呼ばれ、おずおずとソファーへ腰掛ける。

そうしたとたん、腕を掴まれ、その場に仰向けになる様に押さえつけられた。



「や・・・!」

虐待されていた記憶がよみがえり、は強く目を閉じる。

頬に一撃が飛んでくるか、首を絞められる覚悟をした。

は歯を食いしばって怯えていたが、痛みが感じられない。



恐る恐る目を開いた時に見えたのは、赤い液体。

リヴァイは、自分の手に噛み付き、皮を破いていた。



「な、何して・・・」

リヴァイの指先から落ちた液が、の口端に付着する。

その瞬間、新たな昂りを覚えたように体が震えた。





「お前は、これが好きなんだろ」

流れ続ける血液が、今度は唇に落ちる。

はそれを舐め取り、喉を鳴らして嚥下した。



瞬間、喉元が熱くなる。

まるで、体内で巨人の肉が蒸発してゆくような熱を覚え、身震いする。

は体を起こし、リヴァイの腕を引き寄せ、指先を舐めていた。

柔らかい皮膚の感触と、鉄に似た香りに酔ってしまう。

もはや抑えが効かず、リヴァイの指を含んで一滴残らず飲み込む。



そうして、陶酔の表情で傷口へ向かって舌を這わせてゆく。

傷口に辿りつくと、労わる様にそっと舐める。

リヴァイは、の頭に手を乗せてやんわりと撫でた。



「良い子だ・・・」

今のは、まるで褒美を与えられた犬のようだった。

頭を撫でる手を振り払うこともせず、名残惜しそうに口を離す。

口内の味がなくなると、唖然としてリヴァイを見上げた。





「・・・ボク、やっぱりおかしすぎる、人の血を・・・」

「今更だろ、これでお前の欲望を消化できるんなら安いもんだ」

そのとき、リヴァイはこの異端児を、まともな人間にしようとしているのだと気付いた。

少なくとも、人と共に生活でき、恐れられないように。



だから、殺戮衝動を抑え、他の形で欲求を解消できる方法を探してくれている。

それは、貴重な戦力を友好的に使うために違いなかったが。

自分のために血を流してくれたのだと思うと、は感謝の念を抱かずにいられなかった。



「・・・兵長さん・・・・・・ありがと」

聞こえるか聞こえないかの声で、呟く。

とたんに、リヴァイがの顎を取り、正面を向かせた。

視線が合うと、指は顎を離れ、唇をなぞる。

そこへ触れられると、はなぜか緊張していた。



「目を閉じてろ」

今逆らう気はなく、は言われた通り目を閉じる。

すると、指が触れていた場所に、柔らかい物が触れた。

覆い被さるようにして、それが重なっている。

何が触れているのか分からなくとも、胸が温かくなってゆくようだった。



リヴァイはの胸に手を当て、鼓動を確かめる。

普段よりやや早い音を感じると、身を離した。





「今、何を・・・」

何も分かっていない様子のの頭を、リヴァイは雑に撫でる。

「そろそろ部屋に戻れ、寝坊するなよ」

「ん・・・」

は名残惜しそうに立ち上がり、部屋を出る。

まだ、唇にはさっきの不思議な感触が残っているようだった。









―後書き―

読んでくださりありがとうございました。

やっと本格的ないちゃつき書けました。

次からはエレンのターンになります。