進撃の巨人7
昨夜は遅くまで起きていたので、案の定は寝坊しそうになった。
慌てて身支度を済ませて部屋の外へ出ると、リヴァイとハンジに鉢合わせた。
「お早う、。起きぬけで悪いけど、君に提案があるんだ」
「提案?」
「私達は、君が集団生活に順応できるようになってほしいと思ってる。。
だから、次の調査まで訓練兵と過ごしてもらいたいんだ」
提案というより命令に近く、は一瞬言葉を失った。
「ボクが、訓練兵の中に・・・」
「そう、そして、君に足りない物は愛情だと私は踏んでる。。
それさえあれば、君の殺戮衝動が抑えられるかもしれない」
その解釈には、一理あった。
昨日、リヴァイに愛撫されたとき、自分が温かい物を感じていたのを覚えている。
そんな温もりがあれば、蒸気の熱は必要なくなるのではないかと思っていた。
「訓練兵に君の勇士を見せれば、君抱いてって言ってくる女子の1人や2人いるはずさ」
「うーん・・・」
自信満々の言葉を、は信じ切れない。
対象が正常な人の場合なら、そうなるかもしれないが。
血にまみれて喜ぶ相手に対して、友好的な感情が生まれるとはとても思えなかった。
最も、それ以前に大きな問題がある。
「ボク、あんまり人に興味ない・・・」
長年、一人で生活をしてきたせいで、人との交流は苦手だった。
以前は演技をしていたし、班員は死んでゆくので、誰かを気に留めずともよかった。
だから、今回、交流を目的として集団の中に入るのはかなりの重荷だった。
「それを何とかしに行くんだろうが、せめて友人くらい作れ」
「・・・兵長さんと、分隊長さんだけで充分だよ」
二人はその言葉に不意打ちをくらったのか、目を丸くした。
制することが難しい相手が、ふいに素直な発言をすると、庇護欲にかられるようだった。
「嬉しいけど、私達もいつ死ぬかわからない身だ。だから、拠り所は多い方がいい。。
悪い事は言わないから、行っておいで」
は、不安そうにリヴァイを見る。
リヴァイは無言だったが、向けられた視線だけでも行って来いと言われているようで、は渋々頷いた。
の素性は上官にのみ知らされ、他の訓練兵には遅れて来た同期として紹介された。
紹介のために集団の前に出たときから、は心穏やかでなかった。
数十人の人に注目され、視線が痛い。
いぶかしむような目を向けられているわけではないのだが、とにかく居心地が悪かった。
適当な席に座ると、早速話しかけられる。
「なあ、新入り、お前はどこの兵団に入りたい」
「え、兵団、ボクは、調査兵団、かな」
もう入団しているとは言えず、変な所で言葉が途切れてしどろもどろになる。
「マジかよ、ここにも頭のおかしい奴がいるぜ・・・」
調査兵団のことを馬鹿にされた気がして、首を絞めてやろうかと思った。
けれど、入ってすぐ騒ぎを起こしてはまずい。
反論したくとも、うっかりすると詳細を話してしまいそうでできなかった。
「頭がおかしいとは何だよ、調査兵団は外の世界に行って巨人を殺す猛者の集まりなんだ」
他にも腹を立てた者がいたのか、黒髪の少年が立ち上がる。
「あんなの、わざわざ死にに行くようなもんだろ気が知れねえな」
「死ぬのは、お前みたいに弱音を吐くやつだけだ」
「何だと」
金髪の少年も立ち上がり、黒髪の少年と睨み合う。
不穏な空気が流れた後、二人は歩み寄る。
至近距離まで接近すると、お互い思い切り殴りかかった。
突然の喧嘩に驚き、は肩を震わせる。
周囲の訓練兵は、はやしたてたり、無関心でいたり、口だけで止めろと言ったりしている。
は、その光景を冷めた目で見ていた。
巨人は同じ種同士で争うことはないのに、どうして人はこうも違うのだろうかと。
殴り合い、鼻血を流す姿は、とても醜く見える。
上官が来て止めてくれはしないものかと思うが、そう都合良くは進まない。
注目されるのは嫌だったが、争いを見ているのが苦痛で、は席を立った。
「おい、危ないぞ。いつものことなんだから、いずれおさまる」
は、こんなことが日常的に行われている事が信じられなかった。
不快になるようなものなど、早く排除してしまいたい。
制止の声も聞かず、金髪の少年の背後へ歩み寄る。
少年が気付いて振り向いたとき、は相手の腕を取り、床に叩きつけた。
周囲の視線が、一気に集まる。
あっという間に対戦相手が制され、黒髪の少年は唖然としていた。
はその少年にも歩み寄り、さっと背後に回る。
「ち、ちょっと、待・・・」
は聞く耳持たず、同じように少年の腕を取って、床に叩きつける。
気付けば、ざわついていた周囲は、しんとしていた。
「何の騒ぎだ」
音に気付き、今更上官が顔を覗かせる。
は上官とすれ違い、さっさと外へ出て行った。
その後、夜中になるまでは高い木の上に居た。
誰にも関与されない場所が恋しくて、一人ぼんやりとする。
初日から不快なものを見せられて、気分が悪い。
調査兵団の面々は人ができていて、むやみに殴り合うことなどしなかった。
早く、巨人の居る壁外へ行きたいと、は願うばかりだった。
翌日は、対人格闘術の訓練が予定されていた。
嫌でも誰かと組になり、訓練をこなさなければならない。
は影を薄くして逃げてしまおうかと思ったが、その前に目を付けられてしまった。
「、オレと組になってくれ」
そう言ったのは、昨日喧嘩をしていた黒髪の少年。
は、うっとうしそうに目配せした。
「・・・君、誰だっけ」
たぶん、昨日床に叩きつけた相手だとは思うが。
黒髪の男子は皆同じように見えるので、確信はなかった。
「ああ、自己紹介してなかったよな。俺はエレン、よろしく」
さりげなく手が差し出されたが、は重ねることを躊躇する。
だが、友人を作れというリヴァイの言葉を思い出し、慎重に握手を交わした。
今回の訓練は、木でできた短刀を奪うことが目的だった。
こんなことが巨人相手に役立つかわからなかったが、従うしかない。
開始の合図もなく、お互いが向かい合ったときから手合わせが始まる。
エレンは大きく一歩を踏み出し、に迫った。
は、ひらりとエレンの突進をかわすと、さっと背に手を当てて地面に組み伏した。
「いっ」
エレンはあっという間に地面に激突し、身動きが取れなくなる。
は、短刀を奪ってうなじにあてた。
「これで、君は一回死んだ」
短刀を置き、エレンの上から退く。
エレンは起き上がりざまに、すぐに飛びかかろうとする。
だが、行動が予測されていたようにまたかわされ、手を取られて短刀がうなじにあてられた。
「これで、二回目」
は、短刀をエレンの手に戻す。
その先は、三回目も四回目も同じ結果だった。
かわされては手を捻じあげられ、地面に叩きつけられる。
「くそっ、何で・・・」
「君は殺気が強すぎるんだ。ボクは危険に敏感だから、君の動きは目を閉じててもわかる」
そう言って、は目を閉じた。
このままでは引き下がれないと、エレンは突進する。
それでも、やはり紙一重でかわされ、足を引っ掛けられて転んだ。
周囲の訓練生は、対人格闘術に優れているはずのエレンが手も足も出ていないのを興味深そうに見ていた。
そこで、終了の合図がかけられる。
は好奇の視線が煩わしく、さっさと立ち去ろうとした。
「ま、待ってくれ」
エレンに呼び止められ、面倒そうに振り返る。
「夕飯の後も、付き合ってくれないか」
は迷ったが、友人を作る良い機会かもしれないと思い、了承した。
「吐き戻しても知らないからね」
陽も沈んで暗くなった頃、は約束通りエレンの相手をしていた。
あまり乗り気ではなかったが、集団から逃れる良い口実にはなった。
「短刀はないから、ボクに触れられたら終わりにしよう」
思い切りなめられていると感じ、エレンは強く地面を蹴る。
はかわそうとしたが、その先にエレンが回り込んでいた。
エレンは肩に触れようと手を伸ばすが、わずかに届かない。
それでも、動きを止めずに掴みかかろうとする。
は手を避け続けていたが、かわそうとする先に回り込まれていることが多かった。
昼間の訓練と、今この間にも、動きに慣れてきている。
とうとう髪の毛に触れられそうになり、は思わず大きく後ろへ飛んだ。
「君、格闘のセンスがあるんだ。・・・少し、難易度を上げるよ」
は深呼吸し、気を落ち着かせる。
そのとき、エレンは違和感を覚えた。
目の前にいる人物は変わりないはずなのに、どこかが変わった。
気になりつつもエレンは一気に距離を詰め、手を伸ばす。
たとえかわされても、その先を予測して回り込む。
だが、はエレンの予測とは逆方向へ避けていた。
今、確実に捉えたと思ったのに、手は空を掴む。
もう一度掴もうとするが、今度も予想だにしない方へ逃げられてしまう。
必死に追うが、さっきと勝手がまるで違い、息があがるばかりだ。
戸惑うエレンに、は種明かしをした。
「ボクは、自分の存在感を薄くできるんだ。。
気配を察知しにくくなったから、予測も難しいと思うよ」
「そんなことが・・・」
特殊な能力を目の当たりにし、エレンは呆ける。
その後も手合わせは続いたが、最後までに触れることはできなかった。
「全然駄目だった・・・今日はありがとな、寝る前に風呂入ろう」
「・・・ボクは後にする」
痣を見られたくなくて、は眉をひそめる。
「でも、もう入らないと湯が抜かれる」
宿舎の風呂は、一定の時間を過ぎると清掃されてしまう。
一緒に入るのは嫌だったが、汗をかいた体で眠るのはもっと嫌だった。
仕方なく、は時間ぎりぎりになって浴室へ入る。
浴槽には、すでにエレンが浸かっていた。
足音をひそめて気配を消していたが、水音でわかってしまう。
「、急いだ方が・・・」
エレンは急かそうとしたが、の身体中にある痣を見て言葉を止めた。
視線を感じ、は遠慮がちに浴槽の端に入る。
そのとき、エレンはが気配を消せる理由と、暗い過去を垣間見ていた。
「、明日も付き合ってくれないか」
エレンがわずかに距離を積めて頼むと、は警戒の眼差しを向けた。
「・・・いいけど」
の声は小さく、弱弱しい。
さっき手合わせをしていたときとはまた雰囲気が違い、新鮮だった。
凝視されるのがよほど嫌だったのか、は湯船に浸かるのもそこそこに、軽く体を洗って出て行った。
翌朝、は起床時間になっても起きてこなかった。
気掛かりになったエレンは、の部屋へ向かう。
突然の編入ということで仲間部屋の空きがなく、個室で眠っているはずだった。
小部屋の前に着くと、一応扉を叩いてから中に入る。
中はしんとしていて、はベッドの上でまだ眠っていた。
「、そろそろ起きないと遅れるぞ」
エレンはベッドの前に立ち、布団を剥ぎ取る。
そのとき、エレンは言葉を失う。
は猫のように丸くなり、まるで自分を抱き締めるようにして眠っていた。
エレンは、衝動的に庇護欲を覚える。
人並み以上に強い相手が、今だけはとても小さな存在に見えて。
気付けば、丸みを帯びた背中を軽く撫でていた。
「ん・・・」
が薄らと目を開くと、エレンは慌てて手を引っ込めた。
「あ、お、お早う。もう時間だし、先に行ってる」
エレンはなぜかどぎまぎしてしまい、逃げるように部屋を出た。
今日も、訓練の後に二人は手合わせをしていた。
「、今日・・・指一本でも触れられたら、過去の事を聞かせてくれないか」
突然の願いに、は訝しげな目でエレンを見る。
どうして、出会ったばかりの相手のことを知りたがるのか理解できないと言うように。
「・・・いいよ。触れたらね」
昨日今日で追い詰められはしないだろうと高を括ったが、甘かった。
エレンの動きは確実によくなっていて、気配を消しても察知してくる。
それに、寝不足ぎみで体が重たい。
そのせいか、うっかり射程距離へ入ってしまった。
エレンの手が、腕を掴もうとする。
反射的に、は高く跳躍し、エレンを飛び越えていた。
エレンの背後に着地した時、しまった、と思った。
普通の人は、相手の身長を飛び越せはしない。
そうして制止した瞬間、うなじを掴まれた。
「・・・オレの勝ちだ」
は溜息をついて立ち上がり、エレンに向き直った。
「約束だ、何でも質問すればいいさ・・・」
他の誰にも聞かれたくないと、は自室にエレンを招いていた。
そして、全ての質問に答えた。
過去に虐待されていた事も、筋組織が異様に発達している事も。
ただ、調査兵団に所属していることだけは伏せていた。
自分が訓練兵でないとわかれば、遠慮されてしまうかもしれない。
エレンには、気遣いなんてしてほしくないと感じるようになっていた。
一通り話し終え、は一息つく。
「・・・エレンは、何でそんなに知りたがるのさ。不幸話を聞いて優越感を感じたいから?」
エレンは、静かに首を振って否定する。
「優越感なんかじゃない、仲間のことを知りたいと思うのは当然だろ」
そのとき、以前、リヴァイに同じ事を言われたのを思い出し、の頬がわずかに緩んだ。
「じゃあ、ボクからも聞くけど、エレンは何で調査兵団に入りたいの」
「オレは・・・壁の外に出て、巨人をぶっ殺したい、一匹残らず駆逐してやりたいからだよ」
エレンの瞳に、憎悪が宿る。
巨人に、親しい人を殺されたのだろうなと思った。
その悲しみに共感することはできないけれど、憎しみに加担することはできる。
彼なら、巨人がいたぶられる場面を見ても嫌な顔はしない気がした。
「・・・エレン、ボクと友達にならない?」
友達を作る命令を達成するにはうってつけの相手で、思わず申し出ていた。
エレンは、居をつかれたようにを見ていた。
「今までも、そうやってわざわざ申請してきたのか?」
「言ったことない。友達はいなかったから」
は平然と、当たり前のことのように言った。
だが、エレンはそこに寂しさの片鱗を感じ取り、胸を痛めていた。
「理由を聞いてもいいか」
は数秒ほど間を開けてから、口を開いた。
「・・・嫌われると思った。ボクは、普通じゃないから」
は表情を変えなかったが、やはりそこには孤独感があった。
集団が苦手で、協調性に欠けているところはあるけれど、会話ができないわけではないし。
あれだけの実力があるなら、尊敬して寄ってくる人は少なからずいるはず。
ただ、嫌われたくないがために、よほど人を選んでいたのだろう。
危険に敏感なは、表面上は強くとも、内面は感じやすく繊細なのだ。
「いいよ、オレでよかったら、友達になる」
答えた瞬間、の表情が一瞬だけぱっと明るくなる。
初めて示してくれた友好的な態度に、エレンの表情がほころぶ。
エレンは、共感するように、自然との手を握っていた。
は、意図を探るようにじっとエレンを見る。
そこに危険はないとわかったのか、手は振り払われなかった。
二人は、お互いどうしていいかわからぬまま、しばらくそのまま静止していた。
「・・・そろそろ、寝ないと」
「あ、ああ、そうだな」
の言葉をきっかけに、さっと手が離れる。
「じゃあ、お休み」
さっきの友好的な雰囲気はどこへ行ったのか、はそっけなく言って部屋を出ようとする。
「あ、あのさ」
扉に手をかける直前で呼び止められ、振り向く。
「・・・一緒に寝ないか」
エレンの提案に、は口を半開きにして言葉を失っていた。
「そ、その、朝見たら、寒そうに丸まってたから、嫌じゃなかったらでいいけど」
他意はないと、必死に主張する。
は、手を重ねられた時と同じく、じっとエレンを見て考えていた。
友人になったからといって、危険人物を寝床に引き入れるなんてどうかしている。
少し会話をしただけで相手を信用するお人好しに半ば呆れたが、断る理由が見つからなかった。
「・・・いいよ。ただし、怪しまれないように早起きしないとね」
断られる覚悟をしていたのか、エレンが一瞬呆ける。
その後、喜びを抑えきれずはにかんだ。
自分でも、大胆なことを言ったと思う。
それでも、丸まっているの姿を思い出すと、言わずにはいられなかった。
エレンは、周囲に注意しての個室へ入る。
はすでに横になっていたので、恐る恐る隣に寝た。
緊張して、体が一直線になる。
自分から言ったくせに強張っているエレンがおかしくて、は頬を緩めた。
「もう、話は十分したからいいよね。・・・お休み」
「お、お休み」
いつ呼び戻されるかもしれないので、寝不足でいるわけにはいかないと、は早々に目を閉じる。
エレンはというと、なぜだか目が冴えていて眠れそうになかった。
は特に何も感じていないのか、ほどなくして寝息が聞こえてくる。
顔を傾けると、あどけなさが残る横顔がすぐ傍にあった。
じっと眺めていると、ふいにがもぞもぞと動き、エレンの方を向く。
そして、今朝見たときと同じく、自分の体を抱くようにして背を丸めた。
まるで、何かから自分を守るように。
エレンの目に、その姿は不安や孤独に苛まれているように映っていた。
ふたたび、庇護欲が湧き上がる。
気付けば、エレンはそっとを抱き留めていた。
ふいに弱さを見せられると、どうしても手を伸ばしたくなる。
不安定な存在を留めておきたいと、そう思う。
がもぞもぞと動き、温もりを求めるようにエレンに身を寄せる。
エレンは、とたんに心音が反応を示してしまう自分に戸惑う。
けれど、腕の中にある温もりが心地よくて、そのままを抱き留めたままでいた。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
自分で書いておきながら何ですが、エレンとは展開が早いですね。
次は、調査兵団に戻ります。