士官兵の偏愛1


黒光りする鉄製の門、侵入者を許さない高い壁、そして、堅牢な造りの巨大な建物。
今現在、門は開き、人々を受け入れている。
だが、明日からは出て行く者を頑なに拒むものとなる。
ここは、覚悟をした者だけが入ることを許される、上級士官学校。
将来、国のために貢献する若者達を育成することを目的とした、規律正しい学校として有名だった。

そこに集められた学生たちは、全員集会場へと向かう。
友人同士で話している者もいれば、神妙な顔つきで臨む者もいた。
ほどなくして集会場に多数の生徒が集まり、順不同に整列する。
かなりざわついていたが、前方の教壇に何者かが登壇した瞬間、場はしんと静まり返った。
立派な口髭が目立つ中年の男性は、軽く咳払いをして辺りを見渡した。


「まずは、諸君等がこの士官学校に入学したことを歓迎しよう。
しかし、この場に足を踏み入れたからには、国の一員として恥じることのない人材にならなければならん。
そのため、我々は諸君等に厳しく接することとなるだろうが、それをただの苦痛としてとらえるか、成長の機会ととらえるかは君達しだいである。
この中から、国に貢献するに値する者が一人でも多く輩出されることを祈っている」
明瞭に響く声が途切れ、最初の挨拶はあっけない程早く終わった。
解散する前に、分厚い本が配布される。
細かいことは、これを読んで自分で把握しておけということなのだろう。

あからさまに眉根を顰めている者もいるが、その分厚さを目の当たりにしても、一番前にいたとある少年は嫌な顔一つすることはなかった。
本は厚ければ厚いほど、良いものだと思っている。
読書に集中していれば、人に注意を向けることなく関係ない様を装っていられるから。
しかし、ここでは訓練中だけではなく、就寝する場でも集団行動が強いられる。
立派な学校でも、一人一人に個室が与えられる待遇は流石になかった。
少年は、本を読破するのにそれ程時間はかからないかもしれないと思っていた。




解散後、割り当てられた部屋へ着く 。
入学した瞬間から授業が始まるわけではなく、今日は就寝時間まで自由行動とされていた。
それは、一日で構内の構造を把握しておけと暗に言っているようなもので。
その意図を掴んでいない者は、明日から苦労することになる。
なぜなら、分厚い本には不親切にも地図が載っていなかったからだ。

少年は、一人で構内をうろつく。
たとえ地図があったとしても、人が集まる部屋から逃れるために出てきていただろう。
意味のわからない名前のついた部屋があれば、その都度本を開き、調べて行く。
地図以外のものはたいてい記載されており、索引もついていたのでさほど時間はかからなかった。
この本を早く読破してしまいたかったが、今は構内を把握することに専念していた。




構内は広かったが、数時間後、部屋という部屋の全てを把握することができた。
流石に足も頭も疲れたので、気が進まなかったが部屋へ戻ろうかとする。
そのとき、廊下の角から低い声が聞こえてきた。

「大丈夫なのだろうか、あんな若造に生徒を任せて・・・」
「確かに若い。だが、奴は大佐のお墨付きだ。無下に受け入れを拒否するわけにはいかん」
立派な勲章をつけた二人は、そんなことを話していた。
声は平静なものだったが、若者が自分達と同じ立場に立つことを気に入らないと言っているようにも聞こえる。
少年は、そんな年功序列の意識を快くは思っていなかった。
能力のある者が昇進するのは当たり前で、ひがむべきものではない。
だが、そんなことを言えるはずもなく、上官の居る道を避けて部屋へ向かった。




構内の道は把握したので、多少回り道をしても迷うことはなく。
あまり人の気配がしない道を歩いていると、正面から靴音が聞こえてきた。
胸に少佐の紋章が見え、それだけで教官なのだとわかる。
少年はとっさに脇により、敬礼して相手を見上げた。

そのとき、少年は少し驚いていた。
靴音を響かせている相手は、口髭がなく、中年男性でもなく、自分と十も違わない外見をしていたから。
さっき聞いた若造とはこの人なのだろうだと、すぐ察しがつく。
その上官が目の前を通り過ぎたとき、これはひがみたくのもわかると思ってしまった。
若く、優秀なことに加え、美麗な要素があれば嫉妬されても仕方がないのかもしれない。

その少佐は脇に寄った生徒を一瞥し、すぐに通り過ぎて行った。
足音が遠ざかってゆき、敬礼を解く。
上官は、だいたい立派な髭を蓄えていて、がっしりとした体つきの男性というイメージがあったが。
先に見た少佐はどちらかというと優男で、何よりも意外だったのはその上官の横顔は傷一つ無く、とても端正だったことだった。




それから部屋に戻った後、少年は床に着くまで本を読んでいた。
かなり集中していたからか、その最中に話しかけてくる相手はいなかった。
自慢ではないが、読書をしているときの話しかけ難さは誰にも負けないと言われたことがある。
頭に詰め込めるだけ詰め込んでおきたかったが、疲れたからか、最後まで読み切ることはできなかった。

明日、早めに起きられたら、最後まで目を通してしまおうと。
ひたすら本の内容を脳内で反復しつつ、今日のところは眠りについた。




翌日、訓練は早速朝から始まった。
場所は、部屋からだいぶ離れた演習室。
おそらく、昨日、構内を見て回らなかった者では辿り着くのに時間がかかる場所だ。
だが、少年はすでに建物内の構造を把握しているので、迷うことなく演習室に着くことができた。
扉を開け中に入るが生徒はまだ誰も来ておらず、そこには教官がいるだけだった。

「おはようございます」
教官の姿を確認した瞬間、反射的に敬礼をする。
その相手を、思わず凝視してしまった。
目先にいるのは、昨日擦れ違った若い少佐だったから。

「お早う。やけに早いな」
「あ・・・はい、部屋にいるのは、落ち着かなくて」
指定された集合時間までは、まだ時間がある。
本を読み終えてしまったので、集団から逃げるようにして演習室に来ていた。
それ以上会話をすることはなく、刻々と時間は過ぎて行く。
ほどなくして、ちらほらと生徒が集まって来たが、その数はいささか少ないように見えた。
時間になり、息を切らして入ってくる者がいる中、少佐は集った生徒を一瞥した。

「どうやら、今、ここに居る者は最低限の心構えはできているようだな」
やはり、昨日の自由時間は、構内を把握しておかなければならない時間だったようで。
その後、時間に遅れた生徒達が恐縮そうに部屋へ入って来る。
そして、人数が揃ったところで、教官は声を張り上げた。

「遅れて来た奴等!演習後、残って腹筋百回!」
細身の体つきからは考えられないような怒号が飛び、生徒はびくりと肩を震わせる。
「おい、そこのお前、規則十七項を言ってみろ」
何の前触れもなく、突然、前列に並んでいた生徒が当てられる。

「え、ええと・・・」
怒号にすくんでいるのか、指名された生徒はしどろもどろになり、視線を下げていた。
「もういい。隣のお前、言ってみろ」
十秒も経たずに痺れを切らしたのか、指名された。
少佐の視線を感じて一瞬怯んだが、すぐに応えた。

「はい。訓練時間は絶対厳守、理由無き遅延は罰則に値する。です」
「ほう。運良くその項目を覚えていたか。規則は絶対だ、お前等、肝に銘じておけ!」
まさか、初日から指名されるとは思っていなかったが、一人本と向き合っていたことが幸運だった。
二人目も質問に答えられないようでは、再び怒号が響いたかもしれない。
ここで必要とされるのは、剣の腕だけではないのだと少年は実感していた。




その後の訓練は、模擬刀を使用した一対一の稽古だった。
それぞれの実力を測るもので、試験というわけではない。
ここで素質が見極められ、後々指導する教官が変わるのだと説明された。
少年は、恐らく初心者の域に入るだろうと自覚していた。
知識はあっても、特別刀の扱いが上手い訳ではない。
頭だけの理解では刀を上手く扱えるはずはなく、おぼつかない手合いとなったと自分でもわかっていた。




午前の訓練はそれだけで終わり、昼休憩となる。
すぐさま食堂へ向かう生徒が多い中、少年は昨日通った人気のない道で本を読んでいた。
空腹ではあったが集団が好きではないので、時間をずらすためだ。
最初、なぜこの通りは生徒が少ないのだろうと思ったが、それも構内を把握した今ならわかる。
この道は教官の部屋に近く、下手なことは話せないからだ。

一方で、教官達もここは人通りが少ないとわかっているからか、あまり使うことはない。
生徒が通らない道を監視しても、意味がないからだ。
だから、人気のないこの場所は時間を潰すにはうってつけの場所だった。

静寂の中、読書に集中する。
一度読んだ内容だが、全て暗記してしまおうと同じ個所を何度も読んでいた。
「優等生だな」
ふいに声をかけられ、はっと顔を上げる。
視線の先にいたのは、先の訓練で怒号を発した少佐だった。

「い、いえ、元々、活字が好きな性分なので」
慌てて敬礼し、答える。
焦っていたので本が手を離れ、どさりと音をたてて床に落ちた。
「訓練中と挨拶をする時以外は、敬礼をする必要はない」
少佐が本を拾い上げ、少年に手渡す。

「あ、ありがとうございます」
まさか拾ってくれるとは思わず、両手でしっかりと本を受け取った。

「勉学に励むのが悪いとは言わん。
だが、友人の一人でも作っておかないと泣きを見ることになるぞ。。
特に、お前のような奴はな」
少佐はそれだけ言うと、踵を返してその場を去った。
告げられた言葉の意図がわからず、少年はしばらく立ち尽くす。
しかし、それは後々痛いほど身にしみる教訓となった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
話の場面としましては軍事国家のような感じです。やっぱり軍服が好きなので(´Д`*)。
けれど、今回の趣向は珍しく主人公を攻めにする予定です。。
なお・・・この小説には、主人公と少佐の名前が一度も出てこないという異例のものになりそうですので、ご了承下さい。