士官兵の偏愛2


士官学校に入り、二日目。
生徒達には、何冊もの重たい教科書が配られた。
どれも、三百項はくだらない。
溜息をつく生徒がいるが、少年にとってやはり本の存在はありがたかった。

教科書が配布されたということは、勉学の授業があるわけで。
生徒は皆、今日一日机に張り付くことになった。
居眠りでもしようものなら、頭を叩かれて起こされる。
授業によって担当が違うので、進む早さ、難易度はまちまちだったが。
初めて聞く用語が多く、どれも、簡単とは言い難いものだった。
しかも、二週間に一回、一部の授業の試験があり、結果が張り出される。

実技と勉学、厳しいといえども休みがないわけではなくて、週に一度は自由に行動できる日が設けられている。
しかし、平均点以下の者は補修授業が成されることになっており、休日が潰されてしまう。
なので、生徒達は授業について行こうと必死になっていた。


勉学の授業は、刀の訓練よりは楽しく感じられ、少年は何ら苦難にはならなかった。
そして、今日も昼食の時間をずらすために、人気のない道で教科書を読む。
そのタイミングを見計らったかのように、革靴の音が聞こえてきた。

「早速予習か。相変わらずだな、優等生」
声に反応して顔を上げると、目の前に少佐がいた。
「読み物があると、嬉しくなるので」
優等生であることは悪いことではないはずなのだが、少佐は良い顔をしていなかった。

「次の訓練があるまでに、友人の一人や二人作っておけ。。
できなかったら、腹筋百回だ」
「え・・・」
理不尽なことを言い残し、革靴の音が遠くなる。
なぜ、少佐はそこまで友人にこだわるのか、今はまだわからなかった。




午後も、午前と同じように勉学三昧で、精神的に疲労が溜まる。
少年は、昼休憩に教科書を読んだだけでは理解できないところがあり、悶々としていた。
疑問点が残っていては、それが気になって眠れなくなってしまいそうだ。
そこで、ふと思いついた。
誰か、教官の部屋へ質問をしに行ってみようかと。

厳しい上官の部屋へ赴くのは、多少なりとも度胸がいる。
門前払いされるかもしれないが、それでも悶々とし続けるよりいいかと思い、部屋を出た。

向かった先は、人気のない道の先にある部屋。
緊張しつつ、軽く扉を叩く。
「夜分に申し訳ありません。少佐、授業のことでお尋ねしたいことがあり、参りました」
訪ねたのは、少佐の部屋だった。
相手が若いこともあってか、一番訪ね易い場所だった。

「入れ」
許可を受け、扉を開く。
「失礼します」
少佐の部屋は中々に広く、片付いていた。
書類整理をしていたのか、机の上にはよくわからない図式が書かれた紙が散らばっている。

「適当に座れ。授業が終わったら早速質問か、呆れるほどの優等生だな」
「いえ・・・気になることがあると、眠れなくなる質なので」
緊張ぎみに椅子に腰かけ、教科書を開く。
「あの、ここの条文なのですが・・・」
文章を指差すと、少佐はすぐに答えた。

「ああ、ここの担当は中佐だったな。奴の授業は舌足らずで厄介だろう」
「い、いえ・・・」
少佐の言葉は本当のことだったが、その通りですとは気が引けて言えなかった。
中佐の授業は、まるで相手が専門用語を知っていることを前提にして話すので。
予習しきれていない箇所は、あやふやのまま終わってしまっていた。


「遠慮しなくてもいい。ここの壁は、結構厚いからな」
「はあ・・・」
つい、気の抜けたような返事を返す。
縦割りの力関係が絶対の中、まさか少佐が中佐の悪口を言うなんて信じられなかった。
それと同時に、この少佐は堅物ではないのだと感じ、少し緊張が和らいでいた。

「条文の意味を書き出してやる。そこの筆を取れ」
「あ、はい」
傍にあった筆入れから、細めのものを手渡す。
そのとき、少佐が訓練用の手袋をつけていないことに気付いた。

少佐は、流暢な文字で条文の意味を半紙に書いてゆく。
そのとき、その様子をじっと見ずにはいられなかった。
特に、筆を持つ少佐の手を。
視線に気付いたのか、筆が止まる。


「教官に似つかわしくない、女のような手だと思ったか」
「え、あ、い、いえ・・・」
思っていたことを見透かされたように指摘され、動揺する。
白く、細く、長い指は女性の繊細さを表しているようで。
刀を奮い、鮮血で汚してしまうのは勿体ないと感じていた。

「母親からの遺伝だ。こればかりは、どうにもならん」
少佐は小さく溜息をつき、書き終えた半紙を手渡す。
どうやら、そんなに美しい指を持っていても、本人としては気に入っていないようだった。
「あ・・・ありがとうございます」
半紙を受け取った瞬間、突然片手を掴まれ、掌を仰向けにされた。
長い指が触れ、思わず目を見開いてしまう。

「お前は勉学に関しては優秀だが、実技の実力としては下位だ。。
この手に、血豆の一つや二つ作ってみせろ」
そう言い、手が放される。
「わ・・・わかりました」
女性のような手に触れられ、動揺したのか、つたない返答しかできない。
そんな心境を感じ取ったかのように、少佐は再び軽く溜息をついた。

「女に手を握られたとでも錯覚したか。全く、中佐の手だけは羨ましいものだ」
手だけ、という言葉に、笑いそうになる。
しかし、中佐の無骨な手を羨ましいと言うなんて筋違いな気がして、思わず発言していた。

「お言葉ですが・・・少佐の手は、そのままでいいと思います。。
少佐は、気に入っていないのかもしれませんけれど・・・その手は、血で汚すのが勿体ないほど、とても、美しいと思います」
意外なことを言われたのか、少佐は一時の間、呆けた。
刀を扱う者としては、相応しくない手。
それを、これ程率直に褒める相手を目の当たりにしたのは初めてだったと言うように。

「さ、差し出がましいことを申しまして、失礼しました!。
あの、条文、ありがとうございました!」
言葉を終えた後、はっとしたように立ち上がり、慌てて部屋を出る。
失礼だったかもしれないけれど、称賛せずにはいられなかった。
手袋で隠していることがもどかしいほど、繊細なあの手を。




次の訓練では、ひたすら腹筋をしていた。
友人を作ることなど急にはできず、その理不尽な罰則として。
「九十八・・・九十九・・・・・・ひゃ、百・・・」
時間をかけつつも、何とか定められた回数を達成し、息を荒くしてその場に仰向けになった。

「よし、帰っていいぞ」
そう言われても、今は荒い息が収まるまで立ち上がれそうになかった。
明日の授業に支障が出るかと思ったが、その心配はない。
なぜなら、明日は一週間に一度の安息日で。
皆が外へ出かけ、構内が静かになるので、一日読書をして過ごそうと思っていた。

「明日、訓練はない。だが、お前には特別な宿題を与えてやる。。
明日は構内に留まることは許さん。休日を利用して、誰かと交流して来い。。
できなかったら、今度は素振り百回だ」
また理不尽なことを言い残し、少佐は去って行く。
その言葉で、一気に気が重くなってしまった。




―後書き―。
読んでいただきありがとうございました!。
主語がないと、自然と一人称視点になって書きやすいです。。
ここから、じわりじわりと進んで行きます 。