士官兵の偏愛4


朝、肩を揺さぶられて目が覚めた。
「おい、起きろ。支度をして、授業に行ってこい」
「あ・・・はい、おはようございます」
昨日は少佐に情けをかけてもらったことを思い出し、寝惚け眼で、何とか挨拶だけを返す。
授業の準備があるのか、少佐は早々に部屋を出て行く。
自分もぼんやりしている場合ではないと、起き上がった。


授業へ赴くと、ちらちらと様子を窺うような視線を感じた。
それは、不快なものだったが、気にとめないようにしようと心掛けた。
滅入ってしまったら、つけ込まれる。
決して弱みを見せぬよう、真っ直ぐ前を向いて上官の話を聞いていた。




今日の夜も、まだ布団は湿っていた。
なので、また恐縮に思いつつ、少佐の部屋を訪れていた。
「夜分に失礼します。あの、また質問が・・・」
「ああ、入れ」
特別な事情がある今でも、部屋へ赴く根本的な理由は変わらなかった。
話す内容も勉学以外のことが思いつかず、いつも通りの空気が流れ続ける。


「今日はこれくらいでいいだろう。水攻めは、まだ続いているのか」
肯定を示すよう、小さく頷く。
「わかった」
少佐はそれだけ言うと電気を消し、昨日と同じく椅子に座って目を閉じた。
「ありがとうございます・・・」
お礼を言い、昨日のように遠慮がちに寝床に就いた。




深夜、喉の渇きを感じ、目を覚ます。
水を飲みに行こうかと、立ち上がったとき、薄暗闇の中にある少佐の姿を見て、足が止まった。
注目したのは、暗い中でもその白さがわかる手。
それを見た瞬間なぜか、自然と少佐の傍に歩み寄っていた。

「少佐・・・」
小声で呼びかけてみる。
だが、熟睡しているのか、何の反応もなかった。
また、少佐の手に目が行く。
そうして二度見たとたん、思わず、手を伸ばしていた。
少佐の手の甲へ、恐々と、慎重に指先で触れる。
その皮膚の感触は、無骨な、ごつごつとしたものではなく、きめ細やかで滑らかい。
指先でそっとなぞってみると、感触はより鮮明なものになる。

そこで、自分は何をしているのかと、一旦指を離す。
けれど、とたんに名残惜しくなり、気が付けば再び手を伸ばしていた。
今度は、自分の掌で、手の甲を覆うようにして重ねる。
指先だけで触れていたときより、はっきりと少佐の体温を感じた。

すると、なぜか緊張感を覚える。
相手が、いつ目を開き、咎められるかわからないからかもしれない。
それでも、すぐに掌を離すことはできなくて。
その夜は、緊張感の限界が来るまで手を重ねたままでいた。




やがて朝になり、また肩を揺さぶられて目を覚ます。
「少佐・・・おはようございます」
挨拶をすると、ふいに少佐に掌を取られ、仰向けにさせられた。
もしかして、深夜のことがばれていたのかと、緊張する。
長い指先は、掌の感触を確かめるようにそこをなぞった。

「勉学にばかり励んで、鍛練を怠っているようだな。皮膚が柔らかいのがその証拠だ」
「あ・・・申し訳ありません」
試験が近かったこともあり、確かに最近は自主練をしていなかった。
同時に、昨日のことは感付かれていないのだとほっとする。

「素振り程度はしておけ。自分の身を守るためにもな」
言葉と共に、触れていた指先が放される。
「・・・わかりました」
悪意を持った相手が、いつ直接的なことをしてくるかわからない。
そのとき、少しでも抵抗できるように自分を鍛えておけということなのだろう。
今度の忠告には素直に従い、この日から、空き時間を見つけては素振りの練習に励むことにした。




少佐の部屋へ来ることが楽しみになっていたとき、もう水攻めはなくなっていた。
飽きたのか、それか一旦様子を見ることにしたのかもしれない。
なので、部屋で眠れるようになったのだから、少佐の部屋へ行く必要はない。
けれど、ここで眠りたくはなかった。
寝ている間に何をされるかわかったものではない。
そんな思いはあったが、それは建前で、本当はただ少佐の部屋へ行きたかった。


「来たか、今日はどの分野だ」
少佐は、当たり前のように生徒を部屋へ招く。
そうして迎えられるたびに、心底安心する。
眠る時、今日は布団が乾いているのに泊まってしまうことに罪悪感を覚えていたが、もう少しだけ縋っていたかった。
そして、うまく夜中に目を覚ますと、こっそりと、慎重に少佐の手に触れる。
この瞬間が、とても幸福だった。

だが、毎日のように椅子で寝ていれば、流石に負担になってしまう。
明日からは、泊まるのは自粛したほうがいいかもしれない。
そう決めると、名残惜しさは増すばかりだった。
そのせいか、少しだけ、自重しないことをしたくなってしまった。

手の甲から掌を離し、それをより慎重に、少佐の頬へと伸ばす。
万が一見られたら、とある疑惑を持たれかねない行動。
何かを踏み越えようとしているのかもしれないと感じても、止めることはできなかった。
掌は、少佐の頬をやんわりと包みこむ。
柔らかな頬から、温もりが伝わる。
その瞬間に感じたものは、至福以外の何物でもなかった。
そのとき、自分は少佐に触れることを、強く求めるようになってしまっていることに気付いていた。




最近は、少佐に言われた通り、勉学だけではなく鍛錬にも励むようになっていた。
読書の時間を削り、素振りだけでもやっておく。
一日に、何回模擬刀を振ったか数えていられない。
毎日、限界が来るまで演習室に残り、刀を奮っていた。

そうしている内に、筆を持つ手に違和感を覚えるようになる。
じっくり自分の掌を見てみると、右手に小さな出っ張りができていた。
このままいけば、血豆ができるかもしれない。
それでも、鍛練を止めるつもりはなかった。

勿論、鍛練ばかりではなく、少佐の部屋に行くことも忘れない。
今日は、質問しに行ったものの眠気が襲ってきて、珍しくうつらうつらとしてしまっていた。
「珍しいな、眠たいのか」
「はい、少し・・・」
勉学だけなら、肉体的な疲労はさほど大きくはない。
だが、そこに鍛錬も加わってしまえば、疲労が蓄積されてゆくのは避けられないことだった。

これでは、折角教授してもらっても覚えられない。
申し訳ないけれど、早めに帰ろうと本を閉じたとき、手を取られ、掌が仰向けになった。
しなやかな指が掌に触れ、ほんのわずかに動揺する。
少佐は、掌の感触が以前と違うことに気付いたのか、わずかに口端を上げた。

「あまり、自分に鞭を打ち過ぎるなよ。居眠りでもしたら、叩き起こすからな」
「あ・・・はい、ほどほどに、します」
直接的には褒められなかったが、叱責を受けることはなかった。
それだけでも、自分の成長を認めてくれたのだと嬉しくなる。


「・・・あの、一つ、お頼みしたいことがあるのですが」
「何だ」
嬉しくて調子に乗ったのか、そんなことを言ってしまう。
その言葉の続きは、もう歯止めが利かなかった。
「もし、ご無礼でなければ・・・その・・・少佐の手に、触れさせていただけないでしょうか」
言ったとたん、恐縮する。
少佐は何かを考えているのか、少しの間無言でいた。
気に障ることを言ってしまったのかと、ますます恐縮する。

「いいぞ。特に、減る物ではないからな」
了承の返答に驚き、思わず目を丸くする。
「い、いいのですか、失礼では・・・」
「別に、どうとも思わん。ほら」
無防備に、手が差し出される。
遠慮がちに、その手を取った。

相変わらず、滑らかな感触が心地いい。
思わず、少佐の手を、両の掌で包み込む。
相手が寝ている隙にこっそりとではなく、堂々と触れることができるのがたまらなく嬉しかった。
しかし、自分はそこで満足してくれなくて、一つの願いが叶えられたとたん、また欲がわいてきてしまっていた。

「あの・・・非常に恐縮なのですが・・・・・・頬に、触れさせてはいただけないでしょうか」
少佐は再び黙り、返答までに少しの間を開けた。
「ああ、構わん」
今度こそ、何を言っているのかと突っぱねられるかと思っていたが。
あっけなく許可され、内心また喜んだ。

「で、では・・・失礼します」
手を離し、少佐の頬へ触れようと腕を伸ばす。
自然と視線が合い、大きなな緊張感が生まれたが、今更手を引っ込めることはできなかった。
おずおずと、掌が少佐の右頬へ触れる。
手に負けず劣らずの滑らかな感触を感じると、緊張感が増してゆくようだった。
少佐は、珍しい者をじっくりと観察しているように、じっとしていた。

こうして触れていると、視線を気にする余裕がなくなる。
気付けば、自分の手は、少佐の頬をそっと撫でていた。
一瞬、少佐が目を細める。
そこで、自重しないことをしてしまったと気付き、慌てて手を離した。

「も、申し訳ありません!あの、今日は、これで失礼します!」
焦りは最高潮に達し、何か言われる前に部屋から出ていた。
手に触れるだけでも恐れ多いことだというのに、自分は何をしてしまっていたのか。
自分は理性的な性格だと思っていたのに、歯止めがかからなかった。

無意識の内に、甘えているのかもしれない。
そして、知りたがっているのかもしれない。
少佐は、どこまで許してくれるのだろうかと。
そんなことを考えていると、疲れているはずなのに、眠れなくなりそうだった 。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
うーん、場面が飛び飛び・・・うまく構成できなくてすみませんorz。
ここから、少しずつ主人公が自重しなくなっていきます。