士官兵の偏愛5


最近、水攻めはめっきりなくなり、自室で眠れるようになっていた。
悪意を持つものが、急に善意に目覚めたのかもしれないし。
次の試験が近付いているので、様子を見ているのかもしれない。
二つの理由を考えたが、前者の可能性はかなり低そうだった。

そこで、あることを思いつく。
次の試験で点数を調整し、目立たなければ悪意が再発することはないのではないかと。
ほとんど毎日、少佐に教授してもらっているので、調整は簡単なことだった。

そんなことを思いついてしまい、試験当日にわざと空欄を作って提出した。
それは、重大な裏切り行為になるとも知らずに。




そして、試験の結果は五位だった。
これで目立たなくて済んだと思ったが、結果が張り出された後、すぐに少佐の部屋に呼び出された。
自室に相手が入って来たのを見た少佐は、明らかに不機嫌そうな様子で来客を睨む。

「おい、先の試験、まさか鍛錬のしすぎで筆がうまく持てなかったなんて言うんじゃないだろうな」
咎めるような強い口調に、わずかに怯む。
「そ、そんなことはありません。。
ただ、目立たなくなれば、悪意を向けられることがなくなるのではないかと・・・」
「ふざけるな!」
張り上げられた声に、思わず肩がすくんだ。

「俺が何のためにお前に教授していたと思っている!?。
少なくとも、こんな情けない結果を出すためではない!」
「し、少佐・・・」
「ただの負け犬に教えることは何一つない。。
もう、ここへ来ることは許さん、出て行け!」
あまりの剣幕に押され、逃げるように部屋を出ていた。




少佐の全ての言葉が、脳裏に響く。
そして、すぐに自責の念に捕らわれた。
教えを受けていながら、その成果を出すことを自分は拒否した。
目立ちたくないからという理由で、期待を裏切った。

この結果で、悪意を向けられることはなくなるかもしれない。
けれど、取り返しのつかないことをしてしまった。
愚かな自分の考えのせいで少佐を失望させ、憤らせてしまった。
負け犬と言われても仕方がない。
実際、自分は悪意を持つ相手から逃げたのだから。

もう、少佐の部屋へ行くことはできない。
そう思った瞬間、絶望感にとらわれていた。




それから、暫くの間、授業に全く身が入らなかった。
当てられても答えられず、文字が少しも頭に入ってこない。
ただ、素振りをしているときだけは無心になることができて。
疲れて何も考えられなくなるまで、ひたすらに模擬刀を振るう毎日が続いた。

やがて、掌に痛みを覚えるようになったが、鍛練を止めることはしなかった。
これを止めてしまえば、どん底まで落ちてしまう気がしていたから。
おかげで、苦手としていた演習に精が出るようにはなった。
少佐の担当であるこの授業で、少しでも罪滅ぼしをしたいという、やましい考えがあったからかもしれない。
しかし、そうして演習を受けているとき、突然、激しい痛みが掌に走り、模擬刀を持っていられなくなった。

「痛っ・・・」
模擬刀が、掌から滑り落ちて行く。
その柄の部分には、赤い鮮血が付着していた。
生徒の異変を放置しておくわけにはいかず、少佐が近付いて来る。
そして、いつかのように腕を取られ、掌が仰向けになった。

「血豆が潰れたか。他の者はそのまま訓練を続けろ!」
腕を引かれ、立ち上がるよう促される。
少佐が接してくれたことに驚いたが、これは上官の義務なのだろうと思い直していた。




治療のために、医務室へ向かう。
しかし、時間が悪かったのか、医師は不在だった。
「そこに座っていろ」
「はい・・・」
指示され、適当な椅子に腰かける。
少佐は消毒液と包帯を持ち、正面に座った。

「ほら、手を出せ」
「あ・・・はい」
掌を仰向けにすると、すぐに消毒液がかけられた。
かなりしみたが、唇を噛んで耐える。

「俺の授業で、血豆が潰れた奴は初めてだ」
「すみません・・・」
裏を返せば、この授業でこれほど練習してくる奴は初めてだ、という意図が込められていた。
だが、今は申し訳なく思うばかりで、そうして評価の対象になっていることに気付かなかった。
手早く包帯が巻かれ、あっと言う間に治療が終わる。

「暫くの間、鍛練は自粛しておけ」
それだけ言い、少佐が立ち上がる。
「し、少佐、待って下さい!」
話す機会は今しかないと、思わず呼び掛けていた。

「僕、次の試験では決して手抜きなどという愚かなことはしません!。
次は、一位だけでなく・・・満点を取ってみせます」
正直、無視されるのが恐くて、真っ向から少佐と相対するのが怖かった。
だが、視線は真っ直ぐに相手を捕らえていた。

「大言を吐いたな。だが、次は最難関の中佐の試験だ。。
これで満点を取った奴は、歴代で一人だけだぞ」
ただでさえ、中佐の授業はかなり難しい。
だからこそ、挑戦したかった。
生半可な難易度の試験では意味がない。
少佐の信頼を取り戻すためには、最難関でなければならないのだ。

「どれ程難しくとも、完璧にしてみせます。もし、一点でも至らなければ・・・。
罰則でも何でも受ける覚悟をしています」
「ほう。俺が、お前を徹底的に無視するようになってもいいんだな」
ぐらりと、心が揺らぐ。
しかし、ここで撤回しては負け犬に成り下がるのも同じ。
背に腹は代えられず、決意するように少佐の目を見た。

「だからといって、部屋に来ることは許さんぞ。わかったな」
「はい。それでも、成し遂げてみせます」
甘えてはいけない、自分の尻拭いは自分でしなければならない。
少佐に認められるためなら、どれだけ時間を削っても構わない。
次の試験までの二週間、初めて、必死になろうと決意した。




それから、毎日猛勉強に取り組んだ。
食事中も教科書は手放さず、休憩時間も一息ついている暇はなかった。
血豆のせいで鍛練ができず、その分時間を取れたのは幸いだった。
不明な点が残っても、少佐に聞きに行くことはできない。
何時間もかけ自分で調べ、二週間後には教科書を丸暗記するまでに至った。

そして、試験は、空欄を余すことなく埋めることができた。
記述問題も、過不足なく書き終えた。
自信のない問題はなく、結果が張り出されるのを心待ちにしていた。

だが、自分の点数を見て、愕然としてしまっていた。
結果は、九十九点。
二位との差が三十点も開いていることから、その点はかなり良いものには違いなかったけれど。
それは、とうてい満足いくものではなかった。


何度も見直し、完璧だと思った。
けれど、至らなかった。
気落ちする中、遠くの方に中佐の姿を見かけた。
思わず駆け出し、問いかける。

「中佐殿、お尋ねしたいことがあります!。
僕の至らぬ一点は、どこにあったのか教えていただけませんか!?」
体格の良い中佐を見上げ、教えを請う。

「あ、ああ、君は、首位の者か。そ、それはだな・・・・・・。
ああ、そういえば、少佐が君の事を呼んでおったぞ。すぐ来るようにと」
中佐はそう言い残し、早足で去って行ってしまった。
どこをどう間違えたのか知りたくて仕方がなかったが、少佐に呼ばれたのなら行かない理由はない。
何を言われるかは、もうわかりきったようなものだが。
重々しい溜息をつき、少佐の部屋へ向かった。

こんなに情けない結果になってしまって、易々と部屋に入れるだろうかと不安になる。
だが、その心配はなかった。
なぜなら、部屋へ向かう道中で、本人と出くわしたから。
「少佐・・・あの、僕をお呼びになったのは・・・やっぱり・・・」
小声で、控えめに呼びかける。

「何を言っている?呼び出した覚えはないが」
「え・・・でも、中佐が・・・」
確かに、少佐が呼んでいると、さっき中佐から聞いた。
しかし、当の本人が目を丸くしているのはどういうことなのだろうか。

「・・・成程、中佐がな」
少佐はそう呟くと、腕を取った。
「どうせ呼ぶつもりでいた。来い」
「は、はい」
疑問を抱えながらも、腕を引かれるままについて行った。




部屋に着くと、座る間もなくすぐに頭を下げた。
「あの・・・大きな口を叩いておきながら・・・申し訳ありませんでした!」
完璧にすると言っていたのに。
少佐に認められるために、成さなければならなかったのに。
情けなさに押し潰され、ふかぶかと頭を下げた。
叱責の言葉の一つや二つ飛んで来るだろうと、覚悟する。
しかし、部屋に響き渡るほどの怒号は発されなかった。

「頭を上げろ。実質、お前は満点だ」
どういうことかと、頭を上げて少佐を見る。
「問題数は五十問。九十九点という結果に、疑問は抱かなかったか?」
冷静に考えてみれば、一問間違っていたのなら、点数は九十八点のはず。
違和感があったが、可でもなく、不可でもない回答があったのかもしれない。

「で、ですが、論述問題で一点引かれたのかもしれません」
「いや、少しでも欠点を見つけたなら、中佐は遠慮なく二点を減点する。。
最難関と言われている自分の試験で、二度も満点が出ることが面白くなかったんだろう」
まさか、そんな理由で、意図的に減点したというのだろうか。
信じられないことだったが、少佐を疑いたくはなかった。
それに、その言葉を信じれば、自分は結果を出せたことになるのだから。


「少佐、僕・・・」
「教えを請うこともなく、よくここまでやった。。
特別に、入出することを許可する」
少佐が、初めて表情を崩し、軽く微笑む。
それを見た瞬間、喜びで体が震えそうになった。
ここへ来てもいいと言ってくれた。
それなら、水攻めでも喜んで歓迎する。
また、少佐と話すことができるのなら、何をされても滅入ることはないだろうと思った。

「少佐・・・ありがとうございます!」
歓喜の感情は、言葉となって飛び出す。
そして、行動への欲求の背を押すことにもなった。

「あの・・・また、少佐に触れてもいいですか」
「ああ、構わん」
すんなりと許可が下りたことがまた嬉しくて、躊躇うことなく一歩を踏み出し、少佐へ近付く。
そして、大胆にも首元に頭部を寄せ、そっと手を重ねた。
今は、喜びが勝り、恐縮することを忘れていた。

胸部がわずかに上下し、少佐の息遣いが伝わってくる。
その呼吸を感じているのが心地良くて、目を閉じればこのまま眠ってしまえそうだった。
重ねている手を、軽くでも握ってくれたらどんなに幸せだろうかと思ったが、そんな我儘は言えない。
だから、自分から、少佐の手をやんわりと握った。
はたから見たら、変な誤解を受けてしまいそうな状態になる。
それでも、振り解かれないことが何より嬉しかった。


「・・・明日の休日、どこかへ行くか?」
「えっ・・・ご一緒しても、いいのですか」
本当なら、是非お願いしますと即答したかったが。
上官と生徒が共に出かけるのは、変に見られるのではないだろうか。
それで、少佐に迷惑がかかってしまうのではないかと懸念する。

「俺とて外出はする。その先で、偶然生徒に会ったとしても不自然なことはない。。
まあ、お前が構内に残り、読書に励みたいというのなら別だが」
「い、いえ!本など置いて行きます、ぜひご一緒させて下さい!」
思わず、語気が強くなった。
休日に少佐と過ごせるなんて、願ってもいなかったこと。
どんな貴重書があったとしても、この提案の魅力には敵わないだろう。

「なら、そろそろ寝ておけ。寝坊をして、時間を無駄にしたくないのならな」
「あ・・・そうですね。。
少佐、本当にありがとうございました。・・・失礼します」
名残惜しくも身を離し、部屋から出た。
すぐに床に就いても、中々寝付けないかもしれない。
今、これ以上にないくらい気分が高揚していた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
もう大胆な行動は止まりません。止める気もないです←。