士官兵の偏愛9


訓練が進み、生徒達がある程度の知識を得てきた頃、いよいよ野外演習を行うことになった。
場所は、校舎からそれほど離れていない、うっそうとした森の中。
最初の演習とはいえ、気軽に来られるような場所ではなかった。

「これより、演習を行う。だが、難しいことはない。森の中の旗を目印に進んで行くだけだ」
流石に、初回の演習でいきなり銃撃戦をするわけではない。
今回は、見通しの悪い森を体験し、少しでも慣れることを目的としていた。

一人ずつ、暫くの間を開けて森の中へ入ってゆく。
森の中は木が生い茂り、陽の光が届かなくて薄暗い。
今が昼間とは思えないほど涼しく、長袖でも暑くはなかった。
少し進むと、目印の旗が草むらの中に立っているのが見えた。
密林の中にそぐわない、青色の旗は等感覚に配置されてあり、傍には人が通った形跡があった。

後の方に入ったので道が分かりやすいかと思ったが、そう簡単にはいかなかった。
旗は、獣が通るような細い道に沿って、暗い森の奥へと続いている。
なぜか、そこから人が通った形跡がなくなっていた。
不思議に思ったが、今はその道しるべを辿るしかない。

草木を分け入り、整備されていない道を進んでゆく。
歩いても歩いても、先が見えてこない。
意外と長い道のりに少し疲れてきたとき、茂みの上に旗が投げ捨てられたように放置されているのを見つけた。
無造作に置いてあることに、違和感を覚える。
それでも、目印がなければ進めないのだから、行くしかない。

旗に向かって、足を踏み出す。
その瞬間、地面に着いたはずの足が、行き場をなくした。
はっとしたときには、もう遅かった。
体は完全にバランスを崩し、修正できないほどに傾いてゆく。
次の瞬間には、その場に倒れ、草で覆われた斜面を一気に転がり落ちていた。




体に強い衝撃を感じ、地面に着く。
顔を上げると、かなり上の方に旗がちらと見えた。
どうやら、足を踏み外して転げ落ちてしまったらしい。
演習とはいえ、崖の近くに目印を配置するのはおかしい。
上にあった旗は、どこからか飛ばされてきたのだろうか。
だが、そんなことを考えるより先に、早く元の道へ戻らなければならない。

周囲に目をやると、遠くの方に陽の光が差し込んでいた。
幸いなことに、出口には近いのかもしれない。
定められた場所に辿り着けないのは不本意だったが、そうも言っていられない。
夜になれば光が見えなくなり、右も左もわからなくなってしまう。
体を起こし、立ち上がろうとする。
そのとたんに、足首に激痛が走った。

「痛っ・・・!」
嫌な予感がして、俯く。
痛みんだ所へ目をやると、右足首が赤くなり、かなり腫れていた。
何とか歩けないかと、右足に力を入れて立とうとする。

「っ、う・・・」
わずかに体重をかけただけでも痛みが走り、その場に座り込んでしまった。
動けなくてはどうしようもなくて、途方に暮れる。
だんだん陽が落ちてきて、辺りが暗くなってくる。
日帰りの演習なので、十分な装備はない。
ここで、一晩過ごすことになってしまうのだろうか。
もしかしたら、一晩どころでは済まないかもしれない。
危機感がつのり、最悪の場合を考えてしまう。
今は、何も考えられなくなるよう、眠ってしまったほうがいいかもしれない。

痛む右足は伸ばしたまま、左足を引き寄せ、膝に額をつける。
この体勢だと、水攻めをされたときを思い出してしまいそうだ。
それでも、無理にでも思考を止めてしまおうと目を閉じる。
気付けば、脳裏には少佐の姿が浮かんでいた。


こんな場所でも、目を閉じているとうつらうつらとまどろんでくる。
もう、目を開くのが億劫だ。
そうして意識を手放す直前に、草がざわめく音がした。
何かが草を掻き分け、近付いて来ている。
その気配を感じたとき、肩を揺さぶられていた。

「おい、起きろ!」
強く声をかけられ、目を開く。
起こされたかと思ったが、これは夢なのかとも思った。
目の前にいるのは、脳裏に浮かんだその人だったから。

「立てるか」
肩を貸してもらい、何とか立ち上がる。
けれど、やはり右足に痛みを感じ、満足に歩ける具合ではなかった。
その痛みが、これは夢ではないのだと告げる。
歩くのが難しいとわかると、少佐が背を向け、その場にかがんだ。

「乗れ」
「え?」
「早くしろ、暗くなる」
「は、はい」
遠慮がちに、その背に身を預ける。
しがみつくように首に腕をまわすと、重荷になるようなものなど背負っていないかのように、少佐はさっと立ち上がった。
歩き始めると、規則的な振動が伝わってくる。
その一定のリズムを感じていると、またうとうととしてきてしまう。
何より、少佐の体温に安心していた。
そうして一度目を閉じると、もう開くことはできなかった。




目を覚ましたのは、ベッドの周囲が、白い布で覆われている見慣れない場所だった。
こんな特殊な作りになっているのは、医務室しかない。
「起きたか」
布が開き、声をかけられる。

「少佐・・・」
起き上がろうとすると、肩を押されて留められる。
安静にしておけと言っているのだろうと、大人しく横になった。
少佐が、ベッドに腰かける。

「足は、まだ痛むか」
「ましにはなりましたが・・・まだ、少し」
動かそうとすると、鈍い痛みが走る。

「医者の話だと、暫く激しい運動は禁止だそうだ」
「えっ・・・」
それでは、訓練を受けられなくなってしまう。
ましてや、実技演習は少しでも遅れると追いつけなくなる。
ただでさえ剣の腕は未熟だというのに、動けないというのはかなりの痛手だった。


「演習は、一人だけに特別な措置は取れん。過度の遅れが意味するものは・・・解るな?」
「・・・はい」
実技を学び、自分を守る技術や相手を退ける術を習得できなければ、兵にはなれない。
それはつまり、士官学校に入学した意味を失うのと同じだった。
今まで身に付けたことは、全て無駄になってしまうのだろうか。

気落ちし、自然と目を伏せてしまう。
すると、ふいに、頭に少佐の手が乗せられた。
そうして、二回、三回と、まるで子供をあやすように軽く叩かれる。
幼子のような扱いをされても、気にかけてくれるのが嬉しかった。

「今は、休んでおけ」
少佐が手を退け、立ち上がる。
まだ、行ってほしくない。
ほとんど反射的に手を伸ばし、服の裾を掴んでいた。

「もう少し・・・もう少しでいいですから、ここに居てくれませんか・・・」
体に不調をきたしているからか、一人になることが不安になり、とっさに引き止めていた。
返答がないまま、少し間が空く。
暫く待っていると、少佐は再びベッドに腰かけた。

「寝物語でも話してほしいのか」
それはそれで楽しそうだったが、望みは別にあった。
「あの・・・・・・と、隣に・・・寝ていただけませんか」
こんな願い事をするのは、同情してくれている今しかないと思った。
少佐は、真っ直ぐに前を向いたまま黙っている。
頭の中では、様々な考えが交錯しているのかもしれない。
許可が下りるか、却下されるか気が気でなかったけれど。
やがて、掛け布団がめくれ、少佐が隣に寝転がった。


「ありがとうございます・・・」
すぐ横を向き、少佐に縋りつく。
そして、背に腕をまわし、首元に頭を寄せた。
すると、自分の背にも、腕がまわされるのを感じた。
こういうとき、少佐から触れてくれるのは初めてで、どっと幸福感が溢れてくる。

だから、調子に乗ってしまった。
頭を上げ、擦り寄っていた首元を見る。
相変わらず滑らかな肌が目の前にあると、抑制は効かなくなった。
驚かせないよう、そっと首筋に唇を触れさせる。
少佐は、以前のように肩を震わせることはなかった。
ベッドに入ったら相手は自重しないだろうと、予測していたのかもしれない。

そうして何度か触れていたが、もっと感じたいと思ってしまう。
そんな欲求に背を押され、今度はその肌を唇で甘噛みするよう食んでいた。
決して痛みを感じさせないよう、優しく。

少佐は沈黙し、身動き一つとらないでいる。
だが、衝動は、まだ治まらなかった。
少し躊躇うように、一旦動きを止める。
それから、ほんのわずかに舌を出し、それを、少佐の首筋へと触れさせていた。

「っ・・・」
少佐の肩が、一瞬だけ震える。
思いもよらぬものを感じたせいかもしれない。
そんな反応に気付くと、気が高揚してしまって。
控えめに出された舌は、若干恐縮しながらも柔肌をなぞっていった。

「・・・は・・・っ」
何かを堪えているように、少佐の息遣いが不規則になる。
それに伴い、鼓動の音も。


もっと触れたい、反応するところを見たい。
やましい思いに、駆り立てられる。
今度は、鎖骨の辺りへ舌を這わせる。
すると、少佐の肩が再び震え、吐息が熱を帯びているのがわかった。
熱い吐息が、とても官能的に感じられて、もう、自分の行動を止めることができなかった。

拒まれない限り、自粛できそうにない。
今一度、触れようとしたその瞬間、突然、部屋の扉が開かれる音がした。
とたんに少佐は飛び起き、ベッドから離れた。
そのとき、初めて顔を見る。
目を泳がせてはいなかったが、頬には確かに熱が上っているようだった。

「お、お前な・・・・・・っ、安静にしていろよ」
背を向け、仕切りの布を鬱陶しそうに払い、少佐はその場を去る。
遠ざかってゆく革靴の音は、幾分か早い気がした。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
話も終盤、と、いうことで年下攻めモードMAXです。