どこでもいっしょ2


とてもすがすがしい日和の朝
室内には、けたたましい音が鳴り響いていた
「うにゃー、うるさいー。静かにするニャ!」
トロは、枕元でうるさく鳴っているものを、掌で叩く
すると、すぐに音は鳴り止み、静寂が部屋に戻った

「これで、また眠れるニャ。・・・あ」
横になろうとしていたトロだったが、動きを止める
枕元でうるさく鳴っていたものは、以前にリクに教えてもらったものだったと気付いた
「そうニャ、これ、目覚まし時計っていうんだニャ。
これが鳴ったら起きないと、タイヘンなことになるって・・・リク、起きるニャ!」
トロは、リクの体を揺さぶり起こそうとする
しかし、寝起きが悪いのか全く反応を示さなかった

「リク、起きないニャ・・・。そうニャ!」
何を思ったのか、トロは部屋の外へ出る
何かを探しているのか、がちゃがちゃとした音が聞こえてきたが、リクは相変わらず沈黙していた
「あなた、早く起きないと仕事に遅刻しますのニャ!」
部屋に戻ってきたトロが持っていたのは、フライパンとお玉
そして、フライパンの裏にお玉を叩きつけ、ガンガンとけたたましい音をたてた


「うう・・・」
大きな金属音に、リクは少しだけ反応する
しかし、それは夢だと思ったのか、身を起こすことはなかった
「もー、あなた起きにゃさい!
・・・だめだニャ、ヒトのやりかたじゃ、リクは起きないのかニャ・・・」
トロは溜息をつき、持っていたものを床に置いた
それでも、目覚まし時計が鳴ったら起きないといけないのだから、諦めるわけにはいかない

「仕方ないニャ、ヒトのやりかたがダメなら、ネコのやりかたを試してみるニャ!」
トロは、未だにベッドで寝息をたてているリクに近付く
すぐ傍まで行くと、膝立ちになってその顔を覗き込み、目の前の頬を軽く舐めた
「リク、起きるニャー」
舌を短く出し、何度も頬を舐めてゆく
少し湿っていて柔らかい奇妙な感触に、リクはやっと薄目を開けた

「あなた、早く朝ゴハン食べないと、会社に遅刻しますニャー」
ぼんやりとしているリクを覚醒させようと、トロはまだ頬を舐めている
その、柔らかな感触が何なのか、気付いたリクははっと目を開き、勢いよく体を起こした
「リク、おはようなのニャー」
トロは、リクの思いなど知る由もなく、無邪気な笑顔で挨拶をする

「お、おはよう・・・」
リクは、トロを見て完全に覚醒していた
まず、自分のすぐ傍に誰かがいたことに驚いた
昨日のことは、夢や幻想ではなかったのだと
そして、なぜ舐められていたのかと疑問に思ったが、枕元の目覚まし時計が止まっていることに気付いた

「あ・・・起こしてくれたのか」
「そうニャ。リク、なかなか起きなかったのニャー」
時計の針は、いつも起きる時間より遅い数字を指している
これは少し急がなければいけないと、急いでベッドから下りた
「トロ、ありがとう。すぐ朝ごはん作るから」
「はーい。えへへ、リクにお礼言われちゃったニャ〜」
トロは、照れくさそうに指をもじもじと合わせる
その動作をじっくり眺めていたかったが、リクは足早に部屋を出た


まずは顔を洗おうと、洗面台へ向かう
そのとき、リクは自分の頬がしっとりと濡れていることに気付く
さっきされていたことを思い出したとたん、心音が瞬間的に高鳴った
起こすためとはいえ、頬が湿るほど執拗に舌を這わされるなんて
誰かに抱かれて眠ったことさえ、自分が覚えている中では初めてのことだというのに

リクは、しばらく洗面台に向かって沈黙していたが
ぼやぼやしていては遅刻してしまうと、考えを振り払って冷水で顔を洗った
それで頬は冷えたが、まだどこか、トロに這わされたものの感触が残っているようだった
リクは、火照りそうになる顔をさらに冷水で冷やした



それから、急いで朝食の支度に取りかかる
食パンを出し、簡単なおかずを作るろうとしたが、卵を割ろうとしたところで手が止まった
トロに出す食事は、人と同じものでいいのだろうかと
人の形をしているとは言っても、元は猫
安易に物を与え、腹痛を起こされたらたまらない
リクは準備を一旦止め、トロを探した


それほど広い家でもないので、トロはすぐに見つかった
物珍しそうに、室内を歩きまわっている
人の家に入ることなんて滅多になく、今まで話の上でしか聞けなかったものに、うきうきとしている様子がよくわかった

「トロ」
呼びかけると、トロはすぐに駆け寄ってきた
「あ、もうごはんですかニャ?」
「いや、そのご飯のことで聞きたいんだけど・・・トロ、食べられないものってあるか?」
その問いかけに、トロは目を中に泳がせて考えた

「えーと・・・サッカーボールや、運動場はたべられないのニャ」
極端な答えに、リクは肩を落とした
「そうじゃなくて・・・それなら、嫌いなものは?」
「キライなもの・・・あ、おさしみについてる、ピンク色のピラピラしたのがイヤなのニャ。
おさしみかと思ってたべたら、辛くて舌がピリピリしたのニャ・・・」
「そうか・・・」
望んでいた答えとは少し違ったが、とりあえず辛いものが苦手ということはわかった
しかし、この調子では事細かに聞いていると完全に遅刻してしまう
なので、食事を出してみて、そのつど確かめていくことにしようと、結論を出した

「わかった。じゃあ、すぐに作るから、椅子に座って待っていてくれ」
「はーい。リクがつくってくれるゴハン、楽しみだニャ〜」
トロは、テーブルの前にある椅子に行儀よく座った
インターホンを連打したと思えば、きちんと座ったりもする
礼儀正しいのか正しくないのかよくわからなかったが、そんなところがおかしくて、かわいらしかった


作ったのは、簡単なスクランブルエッグ
それにサラダを付け、食パンも一緒にテーブルへ並べる
そして、一リットルの牛乳パックをどんと置いた

「急いでるから、簡単なものしか作れなかったけど・・・足りなかったら、言ってくれ」
「いそうろうの身で、そんなゼータクは言いませんニャ。いただきますニャ〜」
テレビで覚えたような台詞を言い、トロはパンにかじりつく
パンを食べる猫など聞いたことがなかったが、人の形になると色々と変わるのだろう
その証拠に、トロはほどなくして朝食をきれいにたいらげていた

「ごちそうさまでしたニャ。ニンゲンのゴハンって、おいしいんだニャ〜」
「そっか。良かった」
あまりのんびりもしていられず、リクはいそいそと食器を洗い場へ運ぶ
トロもそれに続いて、自分の食器を運んだ
朝はとにかく時間がないので、洗うのは帰って来てからだ
トロに任せてみようかとも思ったが、洗剤で手が滑って皿を割るシーンが浮かんだのでやめておいた

「僕は学校に行ってくるから、お昼は・・・」
どうしようかと言葉を濁らせたとき、トロが先に言った
「大丈夫だニャ。お昼はネコに戻って、クロネコさんたちといただいてくるのニャ〜」
その答えに色々と尋ねたいことが生まれたが、時間がないのでリクは何も聞かず玄関へ行く


「あ、リク、ちょっと待ってほしいのニャ」
靴を履いていたところで呼び止められ、リクは振り向いた
そのとたん、頬に、柔らかなものを感じた
今朝感じたものとは、また違う感触
気付くと、トロの唇が、自分の頬へ触れていた

「あなた、いってらっしゃいですニャ。
えへへ。これ、一度やってみたかったのニャ〜」
触れていた感触が離れると、リクは目を丸くしてトロを見た
こんな、新婚家庭がしそうな行為をどこのテレビを覗いて覚えたのだろうか
トロは純粋なゆえに、好奇心の一心で恥ずかしいことをしてしまう
けれど、そんな突発的な行動が、嫌なわけではない
むしろ、触れられた箇所からは心地良くも思える熱が広がってゆくようだった

「えっと・・・行ってくるよ」
どう反応したらいいものかわからず、リクはぎこちない返事をして家を出る
トロは手を振り、リクを見送った




学校にいる間、リクは、頻繁にトロのことを考えてしまっていた
家の中で何か危険なものに触れてはいないだろうかとか
昼食はどうやって、どんなものを食べているのだろうかとか
そう考えると気になりだして、ほとんど授業に集中できないでいた

いつもより長く感じた授業が終わると、リクは早足で帰路を辿った
気持ちとしては走ってしまいたい気分で、自分は意外と心配性なのだと気付く
早歩きのせいで少し息があがってきたところで、家に着いた
扉を開けようと鍵を差し込んだが、手応えがない
朝、急いでいたので鍵をかけるのを忘れていたのかもしれない

「ただいま」
家の中に入り呼びかけたが、返事はない
寝ているのだろうかと寝室を覗いたが、トロははいなかった
他の部屋も一つ一つ覗いてみるが、どの部屋にもトロの姿はなかった
「トロ・・・」
誰もいない空間で、リクは肩を落とす
クロネコ達と共に、帰るべき場所へ帰ってしまったのだろうか
トロがいた朝と、いない今との空気の違いがひしひしと伝わってきていた

とたんに、孤独感が湧き上がる
トロにはトロの生活があるのだから仕方ないことだと、自分に言い聞かせようとするが
とたんに感じた寂しさは、そう簡単に振り払えなかった
リクは、今日、初めて溜息をつく
そうして再び肩を落とした、その瞬間、ふいに玄関の扉が開いた


「ただいまですニャ〜」
お気楽な声が、家に響く
その声に、リクはすぐさま玄関へ走った
「トロ・・・!」
帰ってきてくれた
無邪気な笑顔が、すぐ目の前にある
リクは、自分の元から、トロが離れて行かなくてとたんに安心していた

「お礼を言いにきましたニャ。ひとばん泊めてくれて、ありがとなのニャ〜」
トロは、ぺこりと頭を下げる
「いいよ、お礼なんて。僕、トロと一緒にいられて楽しかった」
「えへへ、うれしいニャ〜」
安心からか、素直な言葉が零れ落ちる
トロは、もじもじと指を合わせた

「それじゃあ・・・トロ、帰るのニャ。お世話になりましたニャ」
「え・・・?」
てっきり、またここに留まるために帰って来たのかと思っていたのに
しかし、トロにとってここは遊びに来る程度の場所でしかなかったのかと、リクは気落ちした

「それにゃ・・・さよなら、なのニャ」
言いたくなかった
さよならなんて言って、どこかに行ってほしくなかった
まだ、ここにいてほしい
リクはほとんど反射的に、傍にある腕を掴み、出て行こうとするトロを、とっさに引き止めていた


「ニャ?」
どうしたのかと、トロが振り返る
「あのさ・・・・・・もし、トロが嫌じゃなかったら・・・
ずっと、ここにいないか」
リクは、真っ直ぐにトロの目を見て言った
冗談ではなく、本当にここにいてほしいと、そう伝えるように

「ほんと?トロ、ずっとここにいてもいいの?」
驚いた様子で、トロは問いかける
リクは頷き、答えた
「トロと、一緒にいたい」
いなくなってほしくない
さっきのような孤独感を、もう感じたくない
無邪気で明るいトロの傍にいると、気持ちが楽になる
ずっと共に居てくれたら、日常がどんなに楽しくなるだろうかと思い、訴えていた


「嬉しいニャ〜。トロも、リクとずっといっしょにいたいのニャ!でも・・・」
トロの顔が、わずかに曇る
「トロ、行かなきゃいけないとこあるのニャ。
トロがまだぐるぐるほっぺの子ネコだった頃、お世話になったスシ屋のご主人のところで、おスシをにぎるのニャ」
「・・・そうなのか」
トロの過去にそんなことがあったなんて、初めて知った
思い起こせば、今までトロから質問されたり、言葉を教えたりしてばかりで
トロ自身のことを全く尋ねたことがなかった

「でも、リクがトロといっしょにいたいって言ってくれるんなら・・・
トロ、必ず帰ってくるのニャ!」
トロも、リクの目を真っ直ぐに見て言った
純粋で、揺らがない決心を持った瞳に、リクは手を離していた
何を言っても引き止められないと、そう感じた

「・・・じゃあ・・・気をつけて」
「ニャ。行ってくるのニャ〜」
トロは手を振り、家から出てゆく
リクは、黙って白い背を見送った
再び、引き止めそうになる手を抑えながら




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
トロが子猫の頃、お寿司屋の主人に拾われたのは公式設定です
そして、ウィキでトロの設定を調べていたら
トロは、恋愛の話やちょっとエッチな話ことが好きと書いてあって、これは好都合だと思った今日このごろ←