憑物が見える子4


痛みはマシになっても、昭彦はまだ満足に動けなかった。
今日は陽が良く照っており、畑が気にかかる。
ゆっくりと体を動かし外へ出ようとすると、気配もなく江雪が側に来た。

「森へ赴くのですか」
「いや…畑に水をやらないといけないから」
「それくらいなら、私がしましょう。重たいものを持てば傷口が開きかねません」
刀に畑の手入れができるのかと、昭彦は目を丸くして江雪を見る。
思うように動けないのは確かだったので、任せてみることにした。

しばらくして、やはり畑が気になって外へ出る。
裏の畑へ行くと、江雪がクワで地面を耕していた。
いつの間に着替えたのか、服は青い作務衣に変わっている。
「一人で、もうこんなに耕したのか」
「刀剣は、力だけはありますから」
ひ弱そうな細腕に込められた力を、鬼に向けてくれたらどんなにいいだろうか。
そこは言わずに、昭彦は畑を見て感心していた。

「ありがとう、時給自足だから助かるよ」
「若いうちから一人で、立派ですね」
昭彦は、一瞬無表情になる。
「…そんなこともないよ、普通だ。一旦休憩しないか、お茶でも淹れるよ」
話を切り上げ、昭彦は家に戻る。
好きで一人でいるのではない。
立派なことなんて、あるはずなかった。


前と同じ失敗はしないよう、茶葉の量を調節して茶を淹れる。
「やあ、今日は三人分か」
香ばしい匂いにつられて、宗近が覗き込む。
「もう、茶葉はもこもこになってないよ」
湯のみにお茶を注ぐと、綺麗な緑色が映える。
三人分のお茶をお盆に乗せ、縁側に座った。
二人の様子を見て、江雪も昭彦の隣に正座した。

「良き香りですね」
「うん、落ち着く。…まさか、こうして三人並んでお茶を飲めるなんて思ってなかったな」
昭彦は、昔を回顧するようにしみじみと言う。
「ああ、外に出て一服できるのも昭彦のおかげだな。見える者がいなければ、俺達はただの刀だった」
「…そうですね、私も、もっと多くの者を殺めていたことでしょう」
忌み嫌われていた性質が肯定されて、昭彦は言い表せない幸福感を覚える。

「江雪は、どうして誰も切りたくないんだ?刀として使われていたんだろ」
「…私は、多くの者の悲痛な叫びを聞きました。
絶命するときの苦しみ、愛しい者が亡くなった悲しみ。それらに、耐えきれなくなったのです」
優しい心を持ってしまった刀にとって、人斬りは苦痛なのだろう。
だが、そんな境遇を呪っても、自分自身の性質を変えることはできない。

「それは、刀に生まれた運命だ。僕だって、好きで憑物が見えるようになったわけじゃない。
嫌々でも、受け入れるしかないことだってあるんだ」
「それでも、私は…」
「僕は両親を鬼に殺された。…復讐したいんだ。手伝ってくれないか」
江雪は、静かに目を閉じて沈黙する。
恩義を返すことと、秤にかけているようだ。


「殺めることに抵抗があるのなら、守れば良いのではないか」
ふいに投げかけられた言葉に、江雪は宗近を見る。
「鬼が増えたら俺一人では昭彦を無傷で帰せなくなるだろう。
江雪は、その脅威から昭彦を守ってやってくれ」
「ですが、それは結局相手を殺めることと同じでは…」
「むやみやたらと殺めるのではない、守り、救うためだ。
そう考えると、少しは楽になるのではないか?」
江雪の瞳が揺れ、迷いが生じる。
昭彦がじっと見詰めていると、江雪は静かに立ち上がった。

「…少し、考えさせてください」
江雪は立ち上がり、その場を後にする。
揺れる長い髪を、昭彦はじっと見詰めていた。
「気が変わってくれると良いな」
「うん。…ありがとう、説得しようとしてくれて」
「いやいや、戦いが楽になることはいいことだからな」
宗近は笑み、昭彦ににじり寄る。

「ところで、そろそろ鬼退治の本意を教えてはくれまいか」
「本意って…復讐だよ」
「そうかな、鬼退治をしているとき、心ここにあらずと言った感じだが」
鋭いことを言われ、昭彦は動揺する。

「だから、復讐だって…」
「まあ、よい。どんな目的があろうとも、俺はお前のために刀を振るおう」
宗近は、昭彦の肩に腕を回して身を引き寄せる。
味方でいてくれる心強さを感じ、昭彦は腕を振り払わない。
見える者がいなければ、存在できない憑物。
信頼できる相手ができ、昭彦は久々に穏やかな気持ちになっていた。


今日はまだ傷が治りきらないので、家で大人しくしている。
夜まで平和な時を過ごして気が抜け、早々に瞼が重たくなって
眠たいと思った時には、もう布団が敷いてあった。
寝る前に話したいと、江雪を探す。

「江雪」
縁側にいる江雪を見つけ、隣に座る。
白装束と水色の髪は、月明かりによく映えていた。

「傷が治ったら、採掘場へ行くよ。ついてくるかこないかは、任せる」
「…復讐は、恨みの連鎖しか生みませんよ」
「僕は、ずっと恨みの念に縛られてきた。それを解く機会が、やっと来たんだ」
昭彦は江雪に迫り、訴える。
自分の中でくすぶる恨みつらみを、ずっと抱えて生きてきた。
他力本願なのは申し訳ない、けれど、力ある者にすがるしかないのだ。


沈黙が続き、昭彦は目を伏せる。
俯くと髪が視界に入り、無意識のうちに触れていた。
さらさらと、指の間を細い髪が通り抜けていく。
どろどろとした憎悪に包まれ、美しいものを求めているようだった。

「髪に触れるのが、好きなのですか」
「うん…うっとうしいかな」
「いえ、お好きなように」
嫌がられていないとわかり、掌で髪を撫で、やんわりと掴んだり、手を通したりする。
手触りが良くて、無意識のうちに口元へ引き寄せていた。
しなやかな感触を唇に感じた時、はっとして手を離した。

「…ごめん、調子に乗った」
「いえ…お気になさらず」
変な雰囲気になり、また沈黙する。
「おや、二人共まだ起きているのか」
ひょっこりと現れた宗近が、沈黙を破る。
「早起きは三文の特、そろそろ寝なければな」
「そ、そうだね、お休み、江雪」
昭彦はぱっと立ち上がり、部屋へ引っ込む。
焦りを残しつつ布団へ潜ると、なぜか宗近もついてきた。

「…宗近?」
「まあまあ、たまにはよいではないか」
宗近が布団に入り、昭彦の隣に並ぶ。
端正な顔がすぐ側にあり、昭彦は思わず背を向けた。

「そっけないな、照れているのか?」
宗近も横を向き、昭彦の体を軽く抱く。
どきりと心臓が反応し、背が丸くなる。
少しでも昭彦が離れると、宗近は力を込めて抱き寄せていた。

「こ、このまま、寝るのか」
「そのつもりだが、寝苦しいか」
「そんなことも、ないけど…」
恥ずかしくとも、背中全体が温かくて心地良い。
まるで守られているようで、だんだんと安心感が強くなってきていた。

「昭彦の体は、すっぽりと包み込めてしまうな」
「そりゃあ、大きさが違うから…」
「この体制なら、無防備なうなじがよく見えるな」
ふ、と息が吹きかけられ、昭彦は肩を震わせる。
「な、なんだか、むずがゆい」
「首元も暖まれば、よく眠れるかもしれんぞ?」
宗近が話すたびにうなじに息がかかり、昭彦は身をよじる。

「あの、あんまりからかうなら別々に…」
「はは、すまんすまん、人に触れることが懐かしくてな」
そのとき、宗近は長い間蔵の中にいたのだと思い出す。
人肌恋しいのは、同じなのだろう。
無下にするのもかわいそうな気がして、そのまま目を閉じる。

「…今日は、このままでもいいや。お休み…」
「ああ、お休み」
宗近は、嬉しそうに昭彦に擦り寄る。
呼吸のたびに吐息がかかって、やはりむずむずしたけれど
温もりはやはり心地よくて、ほどなくして昭彦も眠りについた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
だんだん密接になってきました。
後々、2つのルートに分かれまする。