悪ガキ共と不良警官10


甲斐と、真夜のことを、久遠はほぼ一晩中考えていた。
そのせいであまり眠れず、授業中でも欠伸を堪え切れなかった。
そして、最近の様々な出来事のせいで、すっかり忘れていたことがあった。
それは、校外学習の日が明日にまで迫っていること。
今日、一泊する部屋の割り当てを決めるとき、やっと思い出した。

久遠の部屋は、自然と甲斐と同じ部屋に決まっていた。
同じ不良グループに入っているから自動的に決まったようだったが、特に異存はなかった。


久遠は家に帰ると、急いで明日のための準備をした。
夜、眠たいことは確かだったのだが。
自分はどちらの想いを受け入れたいのだろうかと考えていると、頭が冴えてしまって。
結局、眠れたのは朝方になってからだった。

今朝もなかなか起きられなかったが、集合時間に遅れるわけにはいかないと、重たい体を上げて登校する。
それでも、ぎりぎりまでベッドの中にいたので、着いたときにはすでに全員がバスに乗っていた。

「よお、ギリギリだな、久遠」
甲斐は、一番前の席に陣取っていた。
空いている席はその隣しかなかったので、久遠は荷物を下ろして座った。
「ああ・・・少し、寝不足なんだ」
「ふーん。じゃあ、着くまで寝とけよ。起こしてやるから」
なぜ寝不足なのかは問われず、久遠はほっとしていた。
甲斐の言葉に甘えて、目を閉じる。
バスが発車して10分も経たない内に、久遠は寝息をたてていた。




「おい、久遠、着いたぞ」
肩を揺り動かされ、久遠はゆっくりと瞼を開く。
さっき出発したところだと思っていたが、クラスメートがぞろぞろとバスから下りていた。
もっと眠っていたいと思っても、ずっと乗っているわけにはいかない。
久遠は甲斐に続いて、最後にバスを下りた。

旅館に到着したわけではなく、目の前にあったのは、大きな美術館だった。
どうやら、ここで絵画鑑賞をするようだ。
静かな美術館は、眠気と戦っている久遠にとって試練でしかなかった。

「久遠、まだ眠そーだな。抜け出して、どっかで休むか?」
正直なことを言えば、そうしてしまいたかったけれど。
ご丁寧なことに感想用紙が配布されているので、そういうわけにはいかない。
それに、着いて早々抜け出して、教師から目をつけられるのは優等生を演じる上で好ましくなかった。

「いや、大丈夫だ。歩いてたら、そのうち目も覚めてくるよ」
久遠は、なるべく声に覇気を込めて言った。
「そっか。でも、きつかったら言えよ?いつでも肩貸すぜ」
遠慮なんていらないと諭させるよう、甲斐は笑顔を見せる。
久遠も自然に、軽く微笑んでいた。


絵画の鑑賞は、まるでツアーのようだった。
学芸員に生徒がぞろぞろとついて行き、有名な絵の説明を聞いてゆく。
久遠は、途中で何度も睡魔に負けそうになったが。
ここで甲斐に肩を借りて、注目されるのは嫌だった。

甲斐はというと、美術には明らかに興味がなさそうに、うんざりとしている様子だった。
そうして、長い芸術鑑賞が終わり、またバスに乗る。
眠ろうと思ったが、ほどなくして旅館に着いたのでそんな暇はなかった。
集団で夕食を取った後は自由時間になり、久遠と甲斐は部屋でくつろいでいた。

「あー、だるかった。ああいうもんは、興味のない奴に無理に見せるもんじゃねーって」
「そうだな・・・お疲れ様」
その言葉は、自分にかけてやりたかった。
けれど、感想用紙は記憶が新しい内に書いたほうがいい。
そう思って鉛筆を取り出したのだが、どうにも筆が進まなかった。

「久遠、シャワーでも浴びてきたらいいんじゃねーか?少しは眠気が飛ぶだろうし」
「・・・そうだな、そうする」
ぼんやりとした頭では、まともな文章が書けそうにない。
ついでに体も洗ってしまおうと、久遠は寝具を持って浴室へ行った。

そこは、お世辞にも広いとは言えないユニットバスだったが、贅沢は言っていられない。
シャワーで軽く体を流し、顔を洗うと少し眠気が飛んだ。
体を洗うのにそれほど時間はかからず、久遠はすぐに浴室から出る。
あまり温まっていなかったが、今更浴槽に湯を張るのは面倒だった。

「お、早いな。じゃあ、俺ももう浴びてくるわ」
入れ替わりに、甲斐が浴室へ入る。
久遠は、眠気が再び襲ってこない内に感想用紙へと向き合う。
そこには、甲斐の用紙もあり、一行だけ文が書いてあった。
その内容を見て、思わず笑っていた。
それは、高校生が書いたとは思えないほど、簡素で率直な文章だったから。




何とか用紙の大半を埋め、久遠はベッドへ寝転がる。
集中力を使い果たし、目を閉じればものの数分で眠れそうだった。
眠る前に電気のスイッチを探そうと、一旦体を起こす。
そのとき、浴室の扉が開き、甲斐が出てきた。
寝具を着ていない、腰にタオルを巻いただけの恰好で。

「か、甲斐・・・」
なぜ寝具を着てこないのかと、久遠は目を丸くして甲斐を見る。
自分と違い、傷付いていない体を見て、真夜の言葉を思い出していた。
甲斐は、お前のことを抱きたいと思っている、という言葉を。
今、ここで、そうする気なのだろうか。
とたんに、緊張感が芽生える。
久遠が何も言わないでいると、甲斐が口を開いた。


「・・・寒!」
甲斐は一言そう言い、浴室へ引っ込む。
そして、今度はちゃんと寝具を身につけて出てきた。
「やっぱ、シャワーだけじゃあんまり温まんねーな。家と同じ格好で出てきたのは間違いだったぜ」
その言葉で、久遠の緊張は解けた。
甲斐は、ただ風呂上がりにしているいつもの格好で出てきただけなのだ。
それを勝手に勘違いしてしまい、久遠は自分が恥ずかしくなった。

「お、久遠、感想書けたのか。見せてくれよ」
甲斐は返事を聞く前に用紙を手に取り、久遠のベッドに腰かける。
自分とは違い、文字がびっしりと書かれている用紙を見て、甲斐は眉をひそめた。
「うわー、よくこんだけ書けるもんだな。俺、一行書くのが精一杯だったのによ」
一行だけと聞き、久遠は甲斐の感想を思い出し、頬が緩んだ。

「甲斐って・・・・小学生みたいだよな」
久遠は、ふと頭に思い浮かんだ単語を言ってみる。
「は?久遠、お前も兄貴と同じこと言うのかよ」
「だって、感想用紙に、裸の熟女の絵がすげーえろかった、って書くなんて」
言葉に出すと、笑いを抑えきれなくなった。
とても率直で、素直な感想であるとは思う。
けれど、広いスペースのある用紙に、それしか書いていなかったものだから。
その子供じみた文が、やけに印象に残ってしまっていた。

「だ、だってよ、わけわかんねー説明なんて聞いてらんねーし、感想なんだからいいじゃねーか」
「それにしても・・・包み隠さず書くとこが、可笑しい。。
もしかしたら、小学生の方がうまく書くんじゃないか」
感想、と言っても、これは提出物だし、一応担任が目を通すもの。
そんなものに、思ったことをそのまま書くなんて。
自分は、美辞麗句を使い、結構苦労してスペースを埋めたというのに。
甲斐の用紙を見ると、自分の作られた文章も可笑しく思えてくるから不思議だった。

「な、何だよ、小学生小学生って、お前が笑うのはいいけど、ちょっと言いすぎだろ!?」
甲斐はベッドに乗り上げ、ふてくされたように言う。
その様子が、また子供じみて見えて、久遠は甲斐のことをとても温かい目で見ていた。
そんな和やかな気分でいたからか、肩に腕がまわされ、お互いの距離が詰まっても、久遠は身を引かなかった。


「それに・・・小学生じゃ、こんなことできねーだろ」
「え?」
久遠が聞き返したその瞬間、甲斐に体がさらに引き寄せる。
そして、ふいに、唇を重ねられていた。

「ん・・・っ」
唇に、柔らかな感触を覚える。
その瞬間、瞬時に上って来た頬の熱と共に、和やかな気分は覆い隠されてしまった。


甲斐が、ゆっくりと身を離す。
だが、まだ、久遠の肩は掴んだままだった。
久遠は、抱き寄せられたまま甲斐を見る。
さっきの子供じみた表情は消え、目の前には同年代の真面目な顔があった。

甲斐は、少しずつ久遠の方へ体重をかけてゆく。
二人の体は徐々に傾いて行き、やがて完全に倒れた。
甲斐はじっと久遠を見詰めた後、身を下ろしてそっと首筋へ触れる。

「っ・・・甲斐・・・」
久遠は、今しがた感じていた感触を首に感じ、緊張感が蘇る。
甲斐がそこへ触れている時間は、短かった。
けれど、それで行動が終わったわけではなく、今度は耳元へ唇を触れさせていた。
自分の吐息を感じさせ、耳朶を甘く噛む。
久遠は思わずか細い声を発生しそうになったが、何とか口を閉じて抑えていた。

甲斐の行動は、真夜に抱き留められたときとほぼ同じで。
それが、真夜のことを思い出させていた。
耳朶から口を離した甲斐は、そこへ口元を寄せたまま久遠を抱きしめる。
そして、静かに囁いた。


「・・・久遠を・・・・・・抱きたい・・・・・・」
言葉を聞いた瞬間、久遠の心臓が強く跳ねた。
耳元で囁かれた、聞き間違えようのない言葉。
抱きたい、と言うのは、抱き締めることではないとわかっている。
だから、返事ができなかった。
しばらく、甲斐はそのまま久遠を抱き留めたままでいたが。
返答がないことに痺れを切らしたのか、身を起こして久遠を見下ろし、寝具のボタンに手をかけようとした。

「っ・・・甲斐・・・ちょっと、待ってくれ」
久遠は慌てて、甲斐の手を止める。
黙っていたら、事が進んでしまう。
考えがまとまっていなくても、何か言わなければいけない。
それが、甲斐にとってショックなことでも。


「僕・・・・・・真夜さんのことが、好きなんだ」
それはやはり衝撃的なことだったのか、甲斐の手が一瞬震えた。
「でも・・・甲斐に、このまま触れられても・・・僕は、たぶん拒まない。。
・・・わからないんだ、僕・・・」
どんなに考えても、結論が出ない。
真夜のことも、甲斐のことも、決して拒むことはできない。
もはや、二人の存在は、自分にとって大きすぎるものになっていて。
どちらかを拒むなんてことは、考えられなかった。

「・・・ごめん。甲斐が、こんな傷物に、嬉しい言葉をかけてくれているのに・・・。
僕は、答えられないままでいる・・・」
甲斐は黙って、久遠の言葉を聞いていたが。
やがて、寝具を取ろうとしていた手を退けた。

「俺は・・・お前が、兄貴のことを好きでもいいって思ってる」
「えっ・・・」
意外なことを言われ、久遠は驚く。
甲斐は、それでいいというのだろうか。
相手が、自分ではなく、他の誰かのことを考えていても。

「でも、お前がもやもやしてるんだったらやめとく。。
その代わりって言ったら、ずるいかもしれねーけど・・・・・・傷に、触ってもいいか?」
「あ・・・ああ、いいよ」
断るのは気が引けて、久遠は身を起こす。
甲斐が久遠の腕を取り、慎重に袖を捲ると、腕の傷が露わになった。
久遠は思わず目を逸らしたが、甲斐は憂いを帯びた瞳でそれを見ていた。
そして、上体を下げ、久遠の傷へそっと唇で触れた。

「っ、甲斐」
忌むべき箇所へ触れられ、久遠は動揺する。
けれど、甲斐はまるで相手を慈しむよう、優しく傷に触れていた。
本来なら、見るのも嫌なはずの箇所に、とても優しく触れられて。
久遠の鼓動は、また強くなっていた。
唇を合わせるだけではなく、甲斐はわずかに舌を出し、傷跡をなぞってゆく。

「ぁ・・・」
舌先で触れられたとたん、久遠は思わず、か細い声を発していた。
それは、相手に聞こえるか聞こえないかくらいの、小さなものだったけれど。
自然と喉の奥から発されてしまった声に、自分で恥ずかしくなっていた。
長い傷跡をなぞり終えると、甲斐は自分の服でそこを拭いた。
久遠の袖を戻し、腕を解放する。
甲斐の手が離れても、久遠はその場から動かなかった。
今のことが嫌ではなかったと、そう主張するように。

甲斐は、再び久遠を引き寄せ、両腕で抱き留める。
久遠には、その抱擁にさえも慈しまれているように感じられた。
甲斐に身を寄せ、目を閉じる。
愛おしい相手の腕の中で眠るのに、時間はかからなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
これで下準備は完了・・・次で、この連載は終了となります。
案の定、自重は皆無&3Pになる予定なので、心してくだされ!。