悪ガキ共と不良警官8


朝、久遠は珍しく登校時間に起きれないでいた。
昨日のことで、精神的に疲れているのかもしれない。
時計を見ると、とっくに始業時間になっている。
優等生を演じたいのなら遅刻してでも行くべきだったが、今日はそんな気が起こらなかった。

気だるい体を起こし、適当に朝の支度を済ませる。
それが終わると、何もすることがなくなった。
けれど、不思議と、剃刀を取りに行こうとは思わなかった。
ふと、窓の外を見ると、陽の光がさして晴れ晴れとしている様子が見える。
どうせ暇なら散歩にでも行こうかと、久遠は補導されないよう私服で外に出た。




平日の朝は、ほとんど人がいなかった。
見かけるのは、遅刻したのか、たまに全速力で駆けて行く学生くらいだ。
どこか目的地があって外へ出てきたわけではないので、どこへ行こうかと迷う。
しばらくぶらぶらとうろついていると、ふいに声をかけられた。

「君、学校はどうしたんだ」
背後からの声に、久遠はぴたりと足を止める。
私服で来たのだが、外見で学生だとわかってしまったのだろうか。
けれど、少し体調が悪く、これから病院へ行くとでも言えばいい。
久遠が振り返ると、そこには今の口調からは考えられない人物がいた。

「今日は休日じゃねーよな。サボりか、優等生」
先に聞こえたのが丁寧な言葉だったので、まさかと思ったが。
振り返ったときに投げつけられたのは、いつもの乱暴な言葉だった。

「真夜さん・・・」
「あー、敬語なんて滅多に使うもんじゃねーな。自分で言ってて気色悪い」
真夜は自嘲したが、久遠もまさにそのとおりだと思った。
この風貌で、いきなり敬語を使うようになったら、逆に怖い。

「暇ならちょっと来い。良い事教えてやるよ」
「あ・・・はい」
昨日助けてもらった手前、断るのは気が引けた。
それに、一人で過ごすより、この不良警官と一緒に居た方が気晴らしになる。
久遠は真夜の少し後ろにつき、同行した。




歩いたのは、10分ほどだろうか。
着いたのは、ごくごく普通の一軒家だった。
「ここって・・・」
「俺の家だ」
真夜は玄関の鍵を開け、中に入る。
ここが真夜の家ということは、甲斐も住んでいることになる。
久遠は、まさかこんなに近場に甲斐の家があるとは思っていなかった。

「おじゃまします」
真夜に続いて、家の中に入る。
甲斐は学校だが、両親は仕事か買い物にでも行っているのだろうか。
室内はしんとしていて、人の気配がなかった。

「おい、二階に上がってきな」
階段の上から、真夜が呼びかける。
久遠が二階へ行くと、すぐにとある部屋へ通された。
「ここが、甲斐の部屋だ」
その部屋は、綺麗にしている、とは言い難かった。
机の上には携帯、ヘッドホン、教科書などが散らばっていて、ベッドの上には服が脱ぎ散らかされている。
真夜は遠慮なしに部屋へ入り、机の引き出しから二冊の雑誌を取り出していた。

「ほら、これ見てみな」
一冊の雑誌が、久遠に投げられる。
それを受け取り、表紙を見てみると、そこには水着姿の女性が映っていた。
中をぱらぱらとめくってみると、同じような女性が様々なポーズをして微笑みかけている。
それは、思春期の男子が一冊は持っていそうな、そんな雑誌だった。

「お前、それ見てどう思う?」
そう問われて、久遠は返答に困る。
どう思うと尋ねられても、どうとも思わない。
ただ、あまり肌を露出している格好が好ましくなかった。
自分がいつも腕を隠しているからか、水着より、きちんと服を着ているほうがいいと思っていた。

久遠が黙っていると、真夜はもう一冊の雑誌を投げた。
それも受け取り、表紙を見る。
そこには、女性ではなく、男性が載っていた。
また露出度が高く、表紙の男性はボクサーパンツ一枚で佇んでいた。
一応、ページをぱらぱらとめくる。
内容は女性の雑誌とほぼ同じで、表紙の男性が様々な角度から撮影された写真が載っていた。

「その雑誌、欲しいと思うか?」
雑誌を閉じた時、また問われる。
「いえ・・・特には」
やはり、露出度の高い写真は好きではなく、欲しいとは思わなかった。
「はーん、そうか。それはそこらへんに置いてきな」
それだけ言い、真夜は部屋から出て行く。
久遠は雑誌を机の上に置き、後へ続いた。


真夜が次に入ったのは、すぐ隣の部屋。
そこは、自分の部屋と似て、物が多い部屋ではなかった。
机の引き出しには、何が入っているかはわからないが。
真夜は真っ直ぐにベッドへ向かい、行儀悪く足を開いて座った。

「久遠、こっちに来い」
まさか、その足の間に座れと言っているのだろうか。
躊躇っていると、真夜が眼光を鋭くする。
すると、その視線には逆らわない方がいいと、本能がとたんに警告を発して。
久遠は躊躇いつつも、遠慮がちにそこへ腰を下ろした。
そうしたとたん、体はすぐに真夜の両腕に抱き留められていた。
引き寄せられ、背中が相手と密着する。
そうされていると、自分が子供のように感じられて、わずかに気恥ずかしさを覚えていた。

「まだ、教えてやってなかったな。自傷するより、良いことがあるってことを」
「そ、そう・・・ですね」
位置が悪いのか、真夜が話すと吐息が耳にかかる。
そのとき、久遠はなぜか緊張していた。
吐息がかかったと思ったら、今度は柔らかいものが耳朶に触れる。
それは、昨日感じた感触と似たものだったけれど、寒気が走ることはなかった。
真夜は、久遠の耳朶を甘噛みし、自分の吐息を感じさせる。

「う・・・」
不慣れな感触に、久遠には余計に気恥ずかしさが募る。
真夜は、羞恥心で自傷する意思を紛らわそうとしているのだろうか。
柔らかなものが耳から離れたと思ったら、今度は首筋に同じものを感じた。
そして、それが首筋に押し当てられると、久遠はわずかな痛みを感じた。

痛みを感じた箇所に、赤い痕がつく。
久遠にはそれを確認する術がなかったが、何か特別なことがされたのだろうと、おぼろげな予想はついていた。

「そろそろ、甲斐が携帯を取りに帰ってくる頃だな」
「携帯を?」
そういえば、机の上に携帯が放置されていた。
けれど、一回登校した後、わざわざ取りに帰ってくるものだろうか。
久遠は疑問に思っていたが、真夜の予想は当たっていたようで、ほどなくして荒っぽい足音が聞こえてきた。
足音の主は隣の部屋に入ったが、すぐにまた足音をたててこの部屋に入って来た。

「おい兄貴!何、勝手に人の雑誌見て・・・」
言葉の途中で、甲斐は目を丸くした。
兄の部屋に真夜がいるのは当たり前だったが、そこには自分の友人もいる。
しかも、その友人が抱き留められているのを目の当たりにして、驚かずにはいられなかった。

「あ、兄貴、何やってんだ!さっさと離れろよ!」
動揺しつつも、甲斐は語気を荒くして詰め寄る。
「はっ、見かけによらず純情な奴が。あんな雑誌じゃ、こいつだって欲情しねえよ」
真夜の言葉を聞き、甲斐の顔色がさっと変わった。

「あ・・・あれ、見せた・・・のか、久遠に・・・」
表情豊かな甲斐が焦る様子は、見ていてとてもわかりやすかった。
久遠は、特に変な雑誌ではないと思っていたが、甲斐とっては違うようだった。

「安心しな、こいつは別に何とも思わねーらしい。。
よかったな、引き出しに入ってたやつが発禁モノじゃなくて」
「そ・・・そっか」
甲斐は、心底安心している表情を見せた。

「で、でも、勝手に人の机の中漁んなよ!家宅捜査か!」
「ああ?取られんのが嫌なら、ベッドの下にでも置いておけよ。。
まあ、掃除しに来た母親に見つかるのがオチだろうけどな」

「それ、もっとヤベーだろ!本末転倒って言葉知らねーのか!」
たかが雑誌のことで、罵声が飛び交っている。
久遠は、二人の様子を見て、羨ましいと思っていた。
自分にも、こんなに率直にものを言える相手がいれば、腕の傷なんてなかったかもしれない。
こんな、くだらないことで言い争える二人が、やけにおかしく思えた。

自然と、久遠の口角が上がる。
口論していた甲斐は、それを見てはっとしたように目を見開いた。
甲斐が急に黙ったので、真夜も口を閉じる。

「久遠・・・俺、お前が笑うとこ、始めて見たかも」
「・・・そう・・・だった、かな」
笑っていると指摘され、久遠は戸惑った。
それは、自分でも気付かないくらい自然なものだったから。

「なあ、もっと笑っていいんだぜ?俺らの口喧嘩が面白かったら、いくらでもするからよ」
甲斐は、久遠と視線を合わせて嬉しそうに言った。
笑えと言われて笑えるほど、久遠は器用ではない。
けれど、自分の笑顔を望まれていることが、嬉いと感じていた。

お互いが視線を合わせていると、ふいに真夜の手が甲斐の後頭部へ伸ばされる。
そして、その手は、思い切り甲斐を押した。
「いっ!?」
「えっ」
いきなり頭を押され、甲斐の体が前のめりになる。
それは、途中で止めることができず久遠にぶつかり、はずみで、お互いが重なっていた。
言葉を発する、その箇所が。

気付けば、久遠の目と鼻の先には甲斐がいて。
口を塞がれている以前に、お互い驚きで声が出なくなっていた。
真夜はそれを見て悪どい笑みを浮かべた後、甲斐から手を離した。
とたんに、甲斐は久遠から離れ、尻餅をつく。

「あ、や、これは、その、兄貴が」
甲斐は焦りで呂律が回らず、うろたえる。
「あ・・・ああ、わかってる」
真夜が、甲斐を押したせいでこうなったことはわかっていた。
今のことは、相手の意図的な行動ではなかったけれど、なぜか、頬が熱くなる。
誰かと唇を重ねたことなど、始めてだったからだと思う。
二人が狼狽していると、真夜が久遠を解放した。

「切欠を与えてやったんだ。後は二人で楽しみな」
真夜はそう言い残し、部屋から出て行った。
取り残された二人は、しばらく唖然としていた。

「あー・・・何か、ごめんな。うちの兄貴、たまに変なことすっから・・・」
甲斐はバツが悪そうに言い、久遠の隣に腰かけた。
「いや・・・別に、危害を加えられてるわけじゃないし」
抱きすくめられ、吐息をかけられはしたが、それを嫌だとは感じていなくて。
それらは、むしろ逆の意味を持つものかもしれないと、久遠は薄々思っていた。

「ん・・・そっか」
故意でなくとも、さっきのことを気にしているのか、甲斐は横目で久遠の様子を窺っていた。
だが、そのとき、甲斐は久遠の首についているものを見て、目を見開いた。
「お前、これ・・・兄貴にやられたのか」
甲斐は、久遠の首元へ指先で触れる。
触れられた箇所は、先程、真夜が触れていた所。
どうしてわかったのか久遠は不思議に思ったが、その通りなので小さく頷いた。

甲斐は少しの間沈黙した後、指を離す。
そして、久遠の方へ詰め寄り、真夜と同じように、その箇所へ触れた。

「あ・・・」
真夜が触れていたときと同じ感触を覚え、久遠は戸惑うように甲斐を見る。
また、わずかな痛みを感じた後、甲斐は離れた。
「・・・ごめん、な。いやらしーことして。。
・・・でも、お前が兄貴にこんなことされてんだって思ったら・・・何か、悔しくて」
冷めかけていた頬の熱が、上がってくる。
その後、甲斐は申し訳なさそうに呟いた。

「・・・変、だよな。兄弟揃って、こんなことして。。
嫌だろ?こんな、おかしーこと・・・」
さっきから、甲斐は久遠と視線を合わせようとしない。
まるで、大罪を犯してしまったかのように、俯きがちになっている。
そんな様子を見て、久遠は思わず手を伸ばしていた。
真夜にされたときと同じように、甲斐の髪に触れ、そっと撫でる。
自分が不安になっていたとき、こうされるととても落ち着いていたから。

「別に、真夜さんにされても、甲斐にされても、嫌じゃなかった。。
昨日のは・・・寒気がするほど嫌だったけど」
その言葉で、甲斐は顔を上げて久遠を見た。
「・・・気色悪く、ねーのか」
「ああ。そんなこと、思わない」
正直な答えだった。
自分の自傷癖を直すためにしてくれたことが気持ち悪いだなんて、微塵も思わなかった。

「久遠・・・いーのか、そんなこと言って・・・・・・俺・・・」
甲斐が視線を真っ直ぐに向けてきたので、久遠は髪を撫でていた手を下ろす。
甲斐は、その視線を合わせたまま、お互いの距離を詰め、肩を抱いた。
体が触れ、密接になる。
久遠は、抵抗しなかった。

もっと近付いてもいいかと尋ねるよう、甲斐は久遠の目を見る。
その目は、真夜のものと似ていて。
久遠は、以前と同じように、ゆっくりと瞬いて了承を示した。
それを合図にしたかのように、甲斐が、久遠との距離を詰めて行く。
口元に吐息を感じ、久遠が目を閉じた瞬間、それは重なり合った。
先程のような唐突なものではなく、今はお互いが了承してしている。
久遠は、驚きだけしか感じなかった行為に、今は胸が温かくなるのを感じていた。




数秒ほどの、短い触れ合い。
けれど、久遠にとって、それはとても長い時間のように感じられていた。
やはり、頬が熱い。
それは甲斐も同じなのか、いつもより頬が紅潮しているようだった。

「久遠・・・俺・・・」
久遠を抱き寄せ、甲斐は呟く。

「久遠のこと・・・・・・・・・好きだ」
甲斐の腕の中で、久遠は黙ってその言葉に耳を傾けていた。
そして、人付き合いに疎い久遠でも、すぐに理解した。
その言葉は、友情の意で使われているのではないことを。
今となっては、疎遠になりたいなどと思わない。
むしろ、こうしていてほしいと思う。
甲斐の腕に抱き留められていると安心するし、先の行為も嫌じゃなかった。
けれど、返事を返すことができない。
腕の中で甲斐のことを感じつつ、久遠は同時に真夜の顔を思い出してもいたから。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!。
ここからいちゃつき頻度が上がってゆく予感がします。