洋菓子店のスイーツ男性達5
昨日、家に帰って来てから、どこか落ち着かなかった。
店長の気持ちを再確認させられた気がして、戸惑いが生まれている。
手を舐められたことが嫌じゃなかったけれど、それが恋愛感情には直結するわけではないと思う。
今日は、そのことについて何か問われるかもしれない。
初めてバイト先へ行くことが億劫になったが、まだ朝の空気が冷たい時間に家を出た。
通用口の扉を開けるのがやけに慎重になり、あまり音をたてないようにキッチンへ入る。
いつものように店長が先に来ていたけれど、珍しく雑誌を読んでいた。
よほど真剣に読んでいるのか、扉の音に気付いた様子はない。
「店長、おはようございます」
「ああ、おはよう」
焦りが微塵も感じられないので、どうやら仕事モードに入っているようだ。
ほっとして雑誌を覗き込むと、そこにはいかにも高級そうな店の特集ページがあった。
「競合店のリサーチですか?」
「いや、競合するつもりはないんだけれど、見た事のない店だから気になって寝」
その店はデパートに新しく開店したらしく、長蛇の列ができている写真が掲載されている。
ケーキは、ただ三角のものだけではなく、かわいらしい丸型や、ピラミッド型、ハート型なんてものまであり。
その色も、明るい色の苺ソースやビターチョコレートなどの濃い色で目立っている。
店の雰囲気にふさわしく、装飾も薔薇や金箔が乗せられていて華やかだ。
「うーん、食べてみたい。けど、この列じゃな・・・」
写真の端まで行っても、列はまだ続いている。
「それなら、休みの日に買ってきますよ。僕も興味があるので」
「でも、これはかなり並ぶことになると思うよ」
「暇潰しを持って行くので平気です。それに、ついでにデパートのお菓子も見てきたいんです」
長蛇の列に並ばせるのは気が引けるのか、店長は少し返事に躊躇う。
けれど、新商品の誘惑には勝てなかったようだ。
「・・・それじゃあ、悪いけどお願いするよ。後で、リストを作っておくから」
「わかりました」
どうやら、頭の中はその店のことで一杯なのか、仕事が終わった後も、昨日のことについては話題に上らなかった。
僕は安心しつつも、なぜか、少しだけ複雑だった。
翌日、店長のリストを持ってデパートへ向かう。
午前中はとんでもない時間に起きてしまったので、昼食を食べたらすぐに家を出ていた。
こういったついでがなければ、高級品が揃うデパートに行くことなんて滅多にない。
それに、値段が高いからこそ美味しいお菓子に出会えるかもしれないと、楽しみだった。
デパートは平日でも賑わっており、早速目的の店があるフロアへ行く。
午後のランチタイムの時間に行けば、人はレストランへ行くだろうと思っていた。
けれど、それはとても甘い考えだった。
フロアを移動したとき、目の前にはすでに行列ができていて。
最後尾には店の名前が書かれている看板を持った店員と、待ち時間が示されていた。
それは、どこかの人気アトラクションほどの時間で。
暇潰しにスマートフォンがあるけれど、途中で充電が切れてしまったら、退屈な待ち時間は苦痛に変わるだろう。
どうしようかと躊躇っているときも、列に人が増えて行く。
自分から買いに行くと言ったのだから、ここで帰るわけにはいかないと、最後尾に着こうとする。
けれど、その前に、化粧品売り場の方で見覚えのある長身の男性に目が止まった。
視線が合わさったので無視するわけにはいかないと、お互い歩み寄る。
「あら、奇遇ね、スズナ君が来るなんて珍しいじゃない」
「ルネさん、今日は。店長のお使い物なんです」
そう言い、ちら、と行列の方を見る。
最後尾の列は、また長くなったようだった。
「ああ、新しく出来たケーキのお店ね。もしかして並ぶ気?あの列は1時間どころじゃないわよ」
「でも・・・店長が食べたがっているので」
別に、わざわざ並んで買って来て、バイト代が出るわけじゃない。
けれど、いつも売れ残りを分けてくれる店長に、少し恩返しができるかと思った。
それに、高級できらびやかなケーキを食べたら、新作を作るモチベーションが上がるかもしれない。
頭の中には、そんなメリットが浮かんでいた。
「よっぽど、好きなのね」
「え・・・!」
思わず、声を上げそうになってしまう。
ルネさんは奇妙な物を見るような目をしたけれど、すぐに軽く微笑んだ。
「店長が、スズナ君を並ばせてまで食べたいって言うなんて、よっぽどお菓子が好きなんだってことよ」
「そ・・・そうですよね、店長は、甘いものに目がありませんから」
解釈を取り違えてしまったのだと、溜息をつくように言葉を吐き出す。
好き、という単語が、お菓子に向けられているものには聞こえなくて、勝手に勘違いしてしまった。
「実はね、あの店には私の友達がいるの」
「そう、なんですか」
まださっきの衝撃が引き摺られていて、変な所で言葉が途切れる。
「よかったら、いくつかキープしておいてって頼んであげるわ。ずっと並んでいるのは辛いでしょう」
「いいんですか?正直、とても助かりますけど、ルネさんの手間になるんじゃ・・・」
「休憩時間に電話一本入れるだけだもの。その代わり、これから私と付き合ってもらえるかしら」
たぶん、荷物持ちが必要なんだろうと思い、僕は二つ返事で了承した。
少しずるい気もしたけれど、長時間じっと並んでいるより、ルネさんと一緒に居る方が楽しいに違いなかった。
「嬉しいわ。じゃあ、行きましょうか」
腕を引かれ、隣に来るよう促される。
デパートで、男二人が並んで歩くのは何やら奇妙な光景だったけれど。
弟とでも思われているのか、さほど視線は感じなかった。
それから、ルネさんがよく来るというアンティークショップや画材屋を訪れた。
ガラスのショーケースに入っているものは、普段使いのものよりも値段の桁が2つくらい違う。
そんなものを、ルネさんは気に入ったものがあると次々に購入していった。
荷物持ちの出番かと思いきや、配達してもらうように店員に言っていて。
次の画材屋では大型キャンバスを買っていたけれど、それも配達だった。
「あの、ルネさん、僕荷物持ちじゃなかったんですか?」
「スズナ君は華奢なんだから、そんなことさせられないわ。ただ、傍に居てほしかっただけよ」
真顔でそんなことを言われ、また戸惑ってしまう。
何も、特別な意味はないし、からかわれているだけだろう。
けれど、傍に居てもいいと言われると、頼れる兄ができたようで嬉しかった。
その他にも、香水やアクセサリーも見に行き、明らかに女性向けで、あまり興味がないものもあったけれど。
ルネさんが楽しんでいたようなので、僕はその様子を見ているだけでもよかった。
二人で居ると時間が早く過ぎて行き、気付けば数時間が経っていた。
結構歩きまわったからか、どことなく疲労を感じる。
「あら、もうこんな時間ね。スズナ君は、どこか見たいところある?」
「じゃあ、お菓子売り場を見に行きたいです」
こんな高級店で手が出そうなところは、食品売り場しかない。
一番下のフロアまで下り、お菓子売り場へ移動する。
そこには、ガラスケースに入れられたケーキやクッキー、チョコレートなどがずらりと並んでいた。
なぜだか商品の全てが輝いているように見え、目移りする。
かろうじて買えると言っても、やはり価格は高めに設定されているので、真剣に選ばなければならなかった。
「付き合ってくれたお礼に、買ってあげるわ」
「え、でも・・・」
「そうだ、この後私の家でお茶しましょう。ケーキは閉店時間にならないと受け取れないから」
気が引けて断ろうとしても、間髪入れず提案される。
押しが強いと断れず、僕は言葉に甘えて柚子シフォンを選んだ。
ルネさんはきらびやかなフルーツタルトを買い、デパートを出た。
ルネさんの家は、以前と同じく廊下は綺麗だった。
けれど、リビングにはところどころに本が落ちていて、フローリングの床に絵の具が飛び散っている。
「ごめんなさいね、まさか今日スズナ君に会えるとは思わなかったから。すぐ退かすわ」
ルネさんは、テーブルの上で崩れそうな本の山を、床にある山へ移す。
美術関連の本は一冊一冊が大きく重たそうだったけれど、何冊も一気に持ち上げている。
そんな姿を見て、やっぱり、この人は男性なんだと再確認させられた。
「いろいろ連れまわされたから疲れたでしょ、座って待っていてね」
「ありがとうございます」
確かに疲れていたので、椅子に腰かけて足を休ませる。
始めて来た時は緊張していたけれど、意外と順応性があるのか、今日はくつろいでいた。
「今日のケーキは店長のより甘いと思うから、コーヒーにする?」
「はい、コーヒー好きなので嬉しいです」
デパートのケーキに加えてコーヒーが飲めると思うと、内心テンションが上がった。
苦味があれば、それだけお菓子の甘さが引き立てられる。
甘すぎる物を食べたとしても胸やけを抑えられるので、特にブラックコーヒーが好きだった。
ほどなくして、キッチンからふわりと香ばしい匂いが漂って来る。
「今日は、隣に座ってもいいかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
さっと隣の椅子を引いて、座りやすいようにする。
「あら、ありがとう。紳士ね」
大袈裟なことを言い、ルネさんがカップと皿をテーブルに並べる。
貴族が使いそうなカップに入ったコーヒーは、とても上質な物のように見えた。
ルネさんが座ってから、隣の椅子に座り直す。
「スズナ君は、やっぱりシンプルなケーキが好きなのね」
「はい。店長の影響かもしれません」
シンプルなシフォンケーキと、鮮やかなフルーツケーキを見比べると、それだけで性格の違いがわかるようだった。
まずはカップに口を付け、コーヒーの苦味を楽しむ。
あまり濃いものだと顔をしかめてしまうのだけれど、濃度が丁度良くて飲みやすい。
えぐくない苦味が口内を満たしたところで、シフォンケーキを一口差し入れた。
舌の上に乗せると、まだ噛んでもいないのに、柚子の香りが鼻腔をくすぐった。
ゆっくりと咀嚼すると、ケーキの中でも最上級のふわふわとした食感が心地良い。
シフォンケーキの生地は、卵白メインなので淡白なものが多いけれど。
柚子の香りと爽やかな甘さが、味気なさを打ち消している。
喉元を通り過ぎたときに残る味の余韻も、砂糖だらけのお菓子とはほど遠い。
流石デパートの品質だと、上品な味に舌鼓を打っていた。
コーヒーを一口飲んでからケーキを食べると、より柚子の味が引き立てられる。
何だかとても優雅な時間を過ごしている気になり、他人の家で思い切り安らいでいた。
「コーヒーがあると一味違うわね。でも、店長は裸足で逃げ出したくなるかもしれないわ」
「そうですね、店長はコーヒーの代わりにチョコレートソースを飲み干しそうです」
冗談めかして言葉を返すと、ふと、昨日の出来事を思い出してしまった。
「あの人は本当に甘党だものね、家に行ったら凄いわよ」
「そうなんですか・・・」
店長の家の様子も気になるけれど、今は他に聞きたい事が出来た。
ルネさんなら人生経験が豊富そうだから、答えてくれるかもしれない。
「あの、ルネさんにお尋ねしたいことがあるんですけれど・・・」
「何かしら?」
「・・・仮にですよ、もし、ある人から・・・て、手を舐められて・・・。
嫌だと思わなかったら、それは恋愛感情を抱いている・・・と、いうことなのでしょうか」
かなり恥ずかしい問いかけをしていると自覚して、声がすぼまる。
ルネさんは少しだけ驚いたようだったけれど、すぐに微笑んでくれた。
「一様には言えないわね。でも、それなら簡単に確かめられるわ」
期待したとたん、下側からうやうやしく掌を重ねられ、上へ持ち上げられる。
そして、垂れ下がった中指が、ルネさんの口内へ誘われた。
弾力のある唇に挟まれ、すぐに、柔らかなものが指先に触れる。
そのまま側面をなぞられると、中指がしっとりとした液に覆われていった。
「ル、ルネ、さん」
液体と皮膚の感触に戸惑い、指が強張る。
指が抜かれてもまだ解放されず、今度は手の甲に唇が触れる。
まるで高貴な貴族にされているように感じ、心音が強まった。
唇が離れるときにかすかに音がし、二回三回と繰り返される。
さらに、そこへも柔いものを感じ、滑らかな動きで這わされていく。
「だ、駄目です、ルネさん・・・っ」
裏返りそうになる声を抑え、平常を保ちつつ言うと、やっと手が離された。
ルネさんはすぐにハンカチを取り出し、跡を拭いた。
「どう?どんな感じがした?」
「・・・や、柔らかくて、湿ってて、恥ずかしくて・・・温かかった、です」
正直な感想を言ったのだけれど、ルネさんは唖然としているように表情を無くしていた。
「本当はね、こんなオカマに触られるのは嫌だ、やっぱり店長がいいって答えを期待していたんだけど・・・予想外だったわ」
「な、何で店長にされたって知ってるんですか!」
「あら、カマかけてみたんだけど、本当に店長だったの?」
自分で墓穴を掘ってしまい、観念して頷いた。
「まさか、あの草食系のヘタレがねぇ・・・」
ルネさんも驚いていると思うけれど、一番度肝を抜かれたのは自分自身に他ならない。
仕事をしているときは饒舌に話す店長が、時間外になると、とたんにしどろもどろになる。
そんな姿を見せるのは僕と居るときだけだと思うと、面白くもあり複雑でもあった。
「スズナ君、店長のことは好き?」
「はい。でも、恋愛感情となると・・・よく、わかりません」
好きなら、速答できる。
けれど、それ以上の感情を抱いているのかは疑問だった。
たとえ、手を舐められ、拒絶しなかったとしても。
「わからない、か。若いわね〜」
からかうように言われ、伏し目がちになってしまう。
「恋愛感情ほど、言葉で説明するのが難しいものはないわ。。
いっそのこと、店長の好きにさせてあげたらどうかしら?嫌になったら、そこまでの関係だったってことよ」
「もし、嫌にならなかったら・・・」
「あら、それはそれでいいんじゃない?」
その方法は、一種の賭けのようなものだった。
確かに、相手の行為を拒まなかったら、恋愛感情に近しいものがあると判明するかもしれない。
一方で、店長を落胆させる結果になってしまう可能性もある。
けれど、他に手段が思いつくわけでもなかった。
「・・・ルネさんは、さっき僕が嫌だって言ったら、どうするつもりだったんですか」
答えを聞くのをやや怖がりつつ、好奇心に押されて尋ねていた。
自分は案外図太い性格なのか、嫌悪感はなかったけれど。
もし拒んだら、疎遠になっていたのだろうか。
ルネさんにとって、未成年の相手なんて、からかいがいのあるお子様程度にしか見られていないとは思う。
それでも、少しだけ、期待したかった。
「もちろん、ずるい手を使ってでも引き留めたわよ。例えば、取り置きのケーキを渡さないようにするとかね。。
店長ならきれいさっぱり諦めると思うけど、お生憎様、私は肉食系なの」
そんな言葉を聞いたとき、瞬間的に心音が強まっていた。
引き留めたくなる相手なのだと、そう認められている。
しかも、端正で、人脈が広く、他人よりも確実に優れている人から。
内心喜んではいるけれど、どんな反応をしていいかわからず硬直してしまっていた。
「こんなオカマに熱烈なことを言われて、迷惑かしら?」
「・・・いいえ。ルネさんは、少し変わったところはありますけど・・・好かれることは、嬉しいです」
常連さんのご機嫌を取りたい、なんていう浅ましい考えは全くなかった。
性別がどうであろうが、好ましく思っている相手から好かれるなんて、これ以上の喜びはないと思う。
一目見たときから、整っている人だという印象はあった。
けれど、姿恰好は男性のようでも、心の中には不安定さを兼ね備えている。
自分自身が不安定な状況にあるからか、そんな相手と接していたかった。
「そんなこと言と、奪っちゃうわよ?」
テーブルの上に置かれたままの手に、ルネさんの掌が重ねられる。
細くて長い指に甲をなぞられると、ますますどうすればいいかわからなくなってしまう。
静止したままでいると、指が掌の方へ潜り、ゆっくりと手を持ち上げられる。
さっきと同じことをされるのだろうと思ったけれど、振り解くことができない。
いけないことだとわかっていても、望んでしまっているのだろうか。
唇が、指先に触れるか触れないか、そこまで近づいたとき、どこからか着信音が聞こえてきた。
ルネさんは手を離し、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「あら、閉店時間にはまだ早いけど、お店の商品が完売したから引き取りに行ってもいいみたいね。。
あまり遅くなると店長が帰っちゃうかもしれないから、もう行きましょうか」
「そ、そう、ですね」
突然、雰囲気が切り替わり、動揺している店長のように言葉が変な所で区切れる。
ルネさんがいつもの調子に戻っているのを見ると、やはりからかわれたのだろうと思ってしまう。
大人の余裕というものかもしれないけれど、この動揺を、少しでも分けてみたかった。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ルネさんと急接近、肉食系男性?なので大胆に動かしやすいです。