洋菓子店のスイーツ男性陣7



今日は、朝から真面目に授業に出ていた。
経営学部ならではのマーケティングの授業を受けていると、無性にバイトへ行きたくなる。
学生の中にいると、バイトに行きたくないという声がちらほら聞こえてくるけれど。
授業よりは、店長と店に居るほうがよっぽど楽しかった。

幸いにも授業は午前中だけなので、午後は自由になる。
大学に居ても仕方がないので、とりあえず帰宅した。
共働きの両親はおらず、ざわめきしかない大学とはうってかわってとても静かだ。
よく話す店長を見ているからだろうか、最近では、この静寂が少し虚しくなってきていた。

たまにはお客として店に行ってみようかと、外へ出ようとする。
そのとき、引き留めるように電話が鳴った。
玄関から部屋へ引き返し、受話器を取る。


「もしもし」
『スズナ君、こんにちは。居てくれてよかったわ』
これほど相手を特定しやすい口調はなく、すぐにルネさんだとわかる。
なぜ番号を知っているのか疑問だったけれど、どうせ店長から聞き出たのだろう。

「ルネさん、どうかしたんですか?」
『それがね、お願いがあるんだけど・・・スズナ君、絵のモデルになってもらえないかしら?』
突然のことだったけれど、ちょうどバイトも入っていないので都合が良かった。

「構いませんけど・・・僕でいいんですか?」
『もちろんよ。それじゃあ、私の家に来てね』
そこで電話が切れ、僕は身だしなみを整えようと自室へ移った。
鏡の前で、髪が跳ねていないか、服が折れ曲がっていないか確かめる。
おかしなところはなかったけれど、一応、櫛で髪をといてから家を出た。




ルネさんの家に着き、チャイムを押すと、すぐに扉が開く。
「いらっしゃい。突然なのに、来てくれて嬉しいわ」
「ちょうど、授業もバイトもなかったので」
そんな暇な日に、ルネさんと過ごせることは幸運だった。
部屋には、すでに画材の準備がしてあり。
床に絨毯が敷かれ、真っ白なキャンバスがイーゼルにたけかけられていた。

「少し暇になっちゃうかもしれないけれど、終わったらいいものを用意してあるのよ」
ルネさんが、テーブルにホールサイズのケーキが入る箱を置き、中身を見せる。
それは、生地が中心に向かって渦巻いているような、特徴的な形をしていた。

「それ、もしかしてあの店の・・・」
「そう、1日限定50台のガレット・デ・ロワよ」
50台販売されると言っても、連日行列ができる店では一瞬で完売してしまう。
中には、それだけを目的にデパートの営業時間前に並ぶ人もいるらしく。
味は行列に保証されているのも同じで、とても興味のあるケーキだった。


「思わず1ホール買っちゃったけど、2人でも食べきれないと思うわ。。
余った分は店長に持って行ってもいいわよ」
「いいんですか?店長、きっと喜びます」
この貴重なケーキを目にしたら、どんなに歓喜するだろう。
その姿を思い浮かべると、渡すのが今から楽しみになった。

「それでね、モデルのことで相談なんだけど・・・スズナ君、ヌードモデルになってもらえないかしら?」
「は、裸になるんですか・・・」
モデルは快く引き受けたけれど、ヌードとは聞いていない。
それは芸術の一環で、何もいやらしいことはないはずだけれど。
人の家で難なく裸になれるほど厚顔無恥ではなかった。

「無理にとは言わないわ。どちらにせよ、ケーキはあげるから」
そう言われると、むしろ悩む。
ケーキだけもらって、ルネさんの望みを叶えないのは心苦しい。
もしかしたら、そんな風に引け目を感じさせる作戦なのかもしれないけれど。
世話になっている人の頼みを、おいそれとは断れない。
ケーキの箱をちらと見て、店長のことを思い浮かべる。



「・・・わかりました。脱げば、いいんですよね」
ケーキのことで頭を一杯にして、覚悟を決めた。
「それじゃあ、絨毯に座ってくれるかしら。足を引き寄せる感じで」
言われた通りに座り、三角座りをする。

「緊張しすぎないように、テレビでも見ましょうか。じっとしているのは退屈になると思うから」
リモコンを手渡されたので、テレビを点けてチャンネルを回す。
特別に興味のあるものはなかったが、ためにはなるかとマーケティングの番組に合わせておいた。
ルネさんは耳栓をし、キャンバスの前の椅子に座る。
準備が出来たのを見て、いよいよ服を脱ぎ始めた。


脱いだ上着をたたみ、肌着を重ねる。
ズボンも下ろすところまでは順調だったが、下着に手をかけたところで躊躇う。
それでも、ケーキと店長の喜ぶ顔を想像し、身に付けているものの全てを取り払った。

とたんに、ルネさんの視線を感じる。
全身をくまなく見られているようで、緊張してしまう。
ルネさんと視線が合えば赤面してしまうに違いないので、じっとテレビを見た。

音声に混じって、キャンバスに鉛筆が走る音がひっきりなしに聞こえてくる。
最初は強張っていたものの、案外番組が面白くて集中していた。
お菓子メーカーが、どうやってお客様の心を掴み、リピーターを増やすのかをテーマにしていて。
季節感を取り入れ、消費者意識をリサーチし、成功に繋げるサクセスストーリーだった。
それは、どこか洋菓子店に通ずるところがあり、鉛筆の音が気にならなくなるほど真剣に見ていた。




「今日は、ここまでにしましょうか」
ちょうど番組が終わったところで、声をかけられる。
ルネさんは背伸びをし、疲労感を吐き出すように息を吐いた。

「スズナ君、お疲れ様。退屈じゃなかった?」
「いえ、番組が面白かったので、あっという間でした」
終わったのなら早く服を着ようと、傍に置いてある肌着に手を伸ばす。
けれど、その前にルネさんが背後にまわり、手首を掴んでいた。


「・・・ルネさん?」
「ふふ、描いてたときから、ずっと魅力的だと思ってたの。この、日焼けしてない白い肌」
手首に指先が触れ、腕をなぞっていく。
指の腹で撫でられると、ぞくぞくとしたものが背筋に走った。
その手が肩に添えられると、背中がルネさんの体と密着する。

「足だって、女の子に負けないくらい細い」
「た、ただ痩せてるだけですよ・・・」
お構いなしに腕が伸ばされ、今度は脛の辺りをなぞられる。
動揺して、硬直してしまっていたけれど、指が太腿に辿り着いたとたん、思わず手を掴んでいた。

「大丈夫、大事なところには触らないわよ」
何が大丈夫なのかわからないが、つい手を離してしまう。
すると、指先は腹部と胸部を通り過ぎ、また肩へ添えられた。
無防備な状態でいるからか、手つきが艶めかしく感じられて、軽く触れられるだけでも心音が落ち着きを無くす。
大それたことをされているのに、相手をなぜ振り払うことができないのか、疑問だった。

「ねえ、店長とはどうだったの?何か進展はあった?」
「え、ええと・・・アドバイス通り、好きなことをしていいって言ったら・・・。
手を繋いで、身を寄せて、抱き締められたくらいです」
「全く、あの店長は。中学生じゃないんだから」
同じ感想を抱いていたので、苦笑いする。

「でも、休みの日に、家に誘われました。明日、ケーキを持って行くのが楽しみです」
「あら、少しは大胆な事言ったじゃない」
裸のままこんな世間話をするなんて、変な状況に違いない。
けれど、ルネさんの口調がとても自然で軽やかなので、普通に受け答えができていた。


「じゃあ、私も少し大胆になっちゃおうかしら」
頭上から下りて来ていた声が、耳元へ移動する。
その吐息はさらに下がってゆき、首筋へ柔らかいものが押し付けられた。

「ル、ルネさん・・・!」
流石に身をよじったけれど、肩がしっかりと掴まれていて解けない。
唇がさらに強く押しつけられ、さらに軽い刺激を感じた。
一旦離れても、また別の箇所へ柔らかさが触れる。
呼気がどことなく熱い気がして、僕はやはり硬直していた。

身を固くしていると、やがて肩から手が退けられた。
「さあ、ティータイムにしましょうか。コーヒーの方がよかったわよね?」
「あ・・・はい、お願いします」
急接近したと思ったら、あっさりと離れて行く。
その差に不可解なものを覚えつつも、さっさと服を着る。
着衣し終わったときには、もう頭がケーキのことで一杯になっていた。


そうして、いつものように椅子に座る。
隣の椅子がやけに近かったけれど、距離を置くこともせずそのままでいた。
ほどなくして、コーヒーと待ちに待ったガレット・デ・ロワが運ばれて来る。
目の前に置かれただけで、コーヒーの香りに混じってバターのかぐわしい匂いが漂ってきた。

「じゃあ・・・ありがたく、いただきます」
豊潤な香りがたまらなくなって、先にフォークを取る。
切っ先を使って切ると、さっくりとした音が楽しみを助長した。
口元へ近付けると、ますます香りが強くなる。
口内に入れた瞬間、それはとても濃密になった。

いざ咀嚼すると、何層にも重なった生地がさくと小気味いい音をたてる。
バターの味もとても豊潤で、舌を動かして味を口内の全体に行きわたらせたくなるほど香り高い。
飲み込んだ後もその余韻がはっきりと残り、目を閉じてじっくりと味わっていた。

「あらあら、よっぽどお気に召したみたいね」
よほどわかりやすい表情をしていたのか、以前の様に指摘される。
けれど、今はケーキを堪能することにしか集中できなくて。
一口一口をしっかりと噛み締め、味わい、その後には店長がどんな反応をするだろうかと考えていた。


あっという間に皿の上が空になり、満足感に溢れる。
バターがやや重たくて大量には食べられないけれど、少量なら大きな充実感を与えてくれる味だった。
「よかったら、一口あげるわ」
ルネさんがいつかのように指でケーキを掴み、口元へ差し出す。
僕はほとんど迷いなく口を開き、それを食べていた。
最後の味わいを楽しみ、濃密な香りを飲み込む。
もう渡すものはないはずだけれど、ルネさんの指はまだとても近いところにあった。

その指先が、唇をくすぐる。
まるで、招き入れてほしがっているように。
とたんに、脈拍が反応したけれど、指先からケーキと同じ香りがして。
つい、薄く、隙間を開いてしまった。

指が、口内へ入り込む。
爪先が舌に触れると、いけないことをしている気がして慌てて引っ込める。
けれど、指は奥へと進み、腹の部分で表面をなぞっていた。

「は・・・」
舌をいじられ、思わず吐息が漏れる。
羞恥心が湧き上がって来て、俯きがちになっていた。

液がまとわりついてしまい申し訳なく思っても、指はゆったりと動き続ける。
味を楽しむだけのはずの箇所を撫でられると、変な気分になってしまう。
人肌は無味無臭でも皮膚の滑らかさが伝わると、心音が速度を増して来る。
噛むことなんてとてもできなくて、僕はされるがままになっていた。


やがて、ゆっくりと指が引き抜かれ、軽く息を吐く。
顔を上げると、ルネさんが濡れた指を口元へ持って行っていた。
「だ、駄目です!」
とっさに手首を掴み、袖口で液を拭く。
意図的ではないとは言え汚してしまって、今すぐにでも洗いに行ってほしかった。

拭き終ると、突然背に腕を回され、引き寄せられる。
とっさのことでバランスがとれず、体がぶつかり、そのまま抱き締められていた。
耳を胸元に押し付ける形になり、体が強張る。

「ルネ、さん・・・駄目です」
「どうして?」
「・・・こんな無個性な奴、ルネさんに相応しくないです」
流石に、これだけ密接になるとからかわれているわけではないと察する。
好かれていることは、もちろん嬉しい。
けれど、こんなに普通でつまらない人間に、ルネさんが過剰な好意を注ぐのは勿体ないと思えて仕方がなかった。


「ルネさんなら、いくらでも、もっと個性的で楽しい相手は見つかります」
「あら、まっさらなスズナ君なら私の好きに染められるじゃない。芸術家だけにね」
熱烈な言葉と共に、さらに体が引き寄せられる。
胸部の固さに性別を改めて実感したけれど、少しも動けない。
そっと髪を撫でられると、なだらかな手つきが心地良くて身を預けていた。

「どう、私の色に染まってみない?」
比喩表現の告白じみた言葉に、心臓の高鳴りを隠せなくなる。
頷いてしまい衝動にかられる。
個性に溢れ、男性とは言えども美しいこの人に、惹かれているのはわかっていた。
けれど、脳裏に、店長の姿が浮かんだ。


「僕・・・ルネさんに抱かれていると、幸せです。。
けど・・・店長に、同じようにされたときも・・・幸せだったんです」
きっと、今以上のことをされても受け入れてしまうと思う。
相手がルネさんでも、店長でも、どちらでも。
どちらの好意も拒むことはできない。
両方の相手と、仲睦まじいままでいたい。
どっちつかずの心が、そんなずるいことを訴えていた。

「そう。それなら、良い方法があるわ。ガレット・デ・ロワは食べるだけじゃなくて、他の楽しみ方があるの」
ルネさんに、ケーキの意味を耳打ちされる。
その提案は、必ずしもルネさんにとって有利なものではない。
けれど、自分の心を決めるには良い方法に違いなくて。
翌日、僕は店長の家で、それを実行すると決めた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
告白から始まったのに展開が遅い、なぜだ・・・。
一話に一つお菓子を入れられているのは嬉しい楽しいです。