洋菓子店のスイーツ男性達8


今日は、店長の家に行くはずだった。
まだ陽が昇らないうちに起きてしまい、約束の時間まで手持無沙汰になる。
まるで遠足前の子供だと、一人苦笑していた。

時間の流れが遅いように感じられたが、そろそろ約束した時間になる。
そうして、家を出ようとしたとき、ふいに携帯に着信が入った。
店長の番号が表示されていたので、すぐに取る。


「店長、どうかしたんですか」
『うん・・・申し訳ないんだけど、今日、家に来てもらえなくなっちゃったんだ・・・』
意気消沈する事を言われ、思わず大きな溜息をつきそうになる。
けれど、その前に店長の声から覇気が感じられない事が気にかかった。

「もしかして、体の具合でも悪いんですか?」
『そうなんだ・・・本当に、ごめん』
体調が悪いなんて、聞き間違いかと耳を疑う。
今までずっと朝早く来て、夜遅く帰る店長は疲れ知らずだと思っていた。
けれど、いつも気力に溢れていても限界はあったらしい。

「店長、住所を教えて下さい。今から行きます」
『え?でも・・・』
「どうせ今日は一日空けておいたんです、教えて下さい」
店長はやや躊躇っているようだったけれど、二回続けて言うと番地を教えてくれた。
すぐにメモを取り、携帯を切る。
それをマップアプリに登録し、ナビを起動させて家を出た。




ナビの指示通りに歩いていくと、小ぢんまりとした一軒家に着いた。
目的地に到着しました、というアナウンスと共に、案内が終わる。
メモの番地を確認してから、チャイムを押した。
しばらく待ってみたけれど、応答がない。
試しに扉を押してみると、不用心なことに簡単に開いた。

「店長、おじゃまします」
呼び掛けても返事がないので、大事になっているのかと危機感を抱く。
いてもたってもいられなくなって、玄関から一番近い扉を開いた。
その部屋には女性向けの雑誌が散らばっていて、どれもお菓子特集のページが開かれている。
最初は、ここは本当に成人男性の部屋だろうかと疑ったが、ページを見て店長の部屋だと察する。
いろいろ見てみたかったけれど、本人がいないので他の部屋を探した。

次に、廊下の突き当たりにある扉を開くと、がさがさと何かを探しているような音が聞こえてきた。
その部屋は広く、清潔なキッチンが大半のスペースを占めていた。


「店長、いるんですか?」
呼び掛けると、店長がキッチンから顔を覗かせた。
「あ・・・スズナ君、ごめん、気付かなくて」
声にも、表情にも、明らかに気力がない。
生き生きとしている店長しか見てこなかっただけに、とたんに不安になった。

「体調が悪いんなら横になっていて下さい。まさか、その状態でお菓子を作る気じゃないですよね」
「い、いや、お腹減ったから、何か食べようかと思って・・・」
店長の手には、スーパーでよく見かけるクッキーの袋が握られている。

「体力がないときに、食事をお菓子だけで済ませないで下さい。僕が何か作りますから」
「え、でも・・・」
「お菓子じゃ回復しません、もう少し我慢して、寝ていて下さい」
通話のときと似たようなやり取りをした後、店長は袋を戸棚に戻した。

「ありがとう・・・お願いするよ」
店長は重たい足取りで、部屋を出た。
お菓子を諦めさせたからには、その分疲労を回復させるものを作りたい。
まずは材料を確認しようと、冷蔵庫を開ける。
大型の冷蔵庫の、一番大きい扉を開けたとき、自分の家との違いに愕然とした。


すぐ目の前に、30個はくだらない、大量の卵が一列に並べられている。
チルド室はバターで埋め尽くされていて、上段には製菓用チョコレートの山ができていた。
ドアポケットにはミネラルウォーターや牛乳があったが、製菓以外の食材が見つからない。
ここは製菓専用なのかと、下段にある冷蔵庫の扉を開く。
そこには、唐揚げやコロッケなど、冷凍用の食品が見つかってほっとする。
けれど、冷凍食品を温めるだけではあまりに味気ない。
一番下の野菜室には、申し訳程度に人参やホウレン草などがあった。

まだ食材が寂しいので、戸棚も探そうと端から扉を開いていく。
最初の棚には調理器具がずらりと揃っていて、隣を開くとまたあっけにとられた。
そこには、砂糖、三温糖、黒糖、オリゴ糖、蜂蜜、黒蜜、白蜜、メイプルシロップなどなど、数々の甘味料が勢揃いしている。
最後の棚を開くと、幸いにもパックのご飯が見つかったので、これで何とか作れそうだった。

それにしても、冷蔵庫を見るだけで店長の食生活が想像できる。
大方、お菓子作り以外には興味がなく、パックの米と冷凍食品で賄っているのだろう。
製菓には真剣になるのに、その他の調理にはずぼらだと思うと、何だかおかしかった。




その後、限りある材料で雑炊を作り、小皿と一緒にトレイに乗せて店長の部屋へ持って行く。
具財は卵と野菜だけで、塩で味付けした簡単な雑炊だけれど、病人にはいいかもしれない。
もう一品あるけれど、それはまだ焼いている途中だ。
溢さないように慎重に運び、玄関の近くにある部屋へ入った。

「店長、お待たせしました」
呼び掛けると、横になっていた店長が気だるそうに体を起こす。
僕はベッドの傍に膝立ちになり、トレイを見せた。
「キッチンの様子にはいろいろと驚きましたけど、何とか作ってみました」
まだ熱いので、レンゲで小皿に取り分けてから店長に渡す。

「あ、雑炊を作ってくれたんだ・・・ありがとう、いただくよ」
店長は小皿を受け取り、ちびちびと食べる。
カステラを作ってきたときのように少し緊張したけれど、店長がやんわりと微笑んだので安心した。

「あっさりしてて食べやすい・・・俺の好みの味付けをわかってくれてるんだね」
「いつも、店長のお菓子を食べていましたから」
店長のお菓子は、シンプルだからこそ飽きがこなくて、何度でも食べたくなる。
人それぞれ好みは違うけれど、そんな素朴さが何より好ましかった。
ただ、今回は味付けが塩しか思い付かなかった、ということは伏せておいた。


「それにしても、過労なんて店長らしくないですね」
「ああ、それは・・・あの店の洋菓子を食べたらインスピレーションがわいてきて、つい夜通し新作を作っていたんだ」
店長らしい理由に、小さくため息をつく。

「新作は楽しみですけど、ほどほどにして下さい。今日が日曜だったら、ルネさんががっかりしたと思います」
「そうだね・・・。あと、スズナ君にいろいろとさせてもらえたから、気持ちが昂っていたんだ」
いきなり自分の話が出てきて、言葉に詰まる。

「スズナ君を抱いているとき、時間が止まればいいって、ずっと思っていた。。
・・・幸せだったんだ。あの店の洋菓子を食べているときよりも」
鼓動が、とたんに強くなった。
店長が愛してやまない洋菓子よりも、優先順位が上だと告げられて。
僕はいつものように、閉口していた。


「スズナ君は・・・どう、思ったかな」
「え、あ・・・僕・・・」
真っ向から向かい合うと、どうしても言葉が出てこなくなってしまう。
伝えたいのに、どこかでブレーキがかかる。
それでも何かを言おうと口を開いたとき、キッチンの方でアラームが鳴った。

「そ、そうだ、もう一品作ったんです、すぐ持って来ます」
慌てて部屋から出て、キッチンへ向かう。
オーブンを開いて鉄板を取り出すと、バターの香りにうっとりとした。
料理が入っている耐熱皿をトレイに乗せ、プラスチックのスプーンをつけて持って行く。
部屋に入ると、バターの香りに反応したのか、店長の目には期待が込められているようだった。
空になっている雑炊の器と交換して置くと、店長は不思議そうな顔をした。

「これは・・・グラタン?」
「いえ、キッシュです。タルト生地を作る時間はなかったんで、固いグラタンみたいなものですけど」
店長はスプーンを手に取り、キッシュをすくう。
卵がふんだんに使われた生地を口に含むと、目を見開いた。

「こ、これは、まるで濃厚なケーキ・・・いや、やっぱりグラタンのような・・・」
ホウレン草やすりおろした人参が入っているので、おかずのように見えるけれど。
生地には卵、バター、生クリーム、小麦粉を使っているので洋菓子のようでもある。
不思議な味わいに、店長はどんどんキッシュを食べ進めていき、耐熱皿はあっという間に空になった。


「美味しかった・・・お菓子類以外でこんなに満足したのは久し振りだよ」
店長は、味の余韻を感じるように目を閉じている。
その表情には満足感が表れていて、見ているだけでも嬉しくなった。

「良かった。店長、製菓以外の料理はあまりしないんですか?」
「ああ、料理をする暇があったら洋菓子を作ってるから・・・食事は、冷凍食品とパックの米かな」
「・・・もしかして、そんな食生活が祟ったんじゃないですか」
店長は苦笑いをした後、空になった耐熱皿を見た。

「そうかもしれない。・・・スズナ君がこんな風に、毎日食事を作ってくれたら、きっと幸せだろうな」 。
ふいをつかれて、今度はこっちが目を見開いた。
毎日作ると言うのだから、いちいち通うわけじゃない。
まるでプロポーズのような台詞に、心音がひときわ強く鳴っていた。

硬直していると、ふいに腕を取られる。
そして、手をやんわりと両手で包み込まれた。

「て、店長、そんなに、キッシュが気に入ったんですか」
「それもあるけど・・・俺は、本気でスズナ君が店だけじゃなく、この家にも居てくれたらいいと思っているんだ」
真っ直ぐに目を見て告げられ、鼓動が全く落ち着かなくなる。
いつものヘタレな店長とは違う。
本心からそう思っているんだと伝わってきて、視線が逸らせない。
返事をしたい、けれど、口はだらしなく半開きになるだけで声が出てこなかった。


「・・・ごめん、困らせて。ただの、願望でしかないけれど」
黙っていると、店長は寂しそうに目を伏せた。
「店長・・・もし、僕がルネさんのことが好きだって言ったらどうします」
「え!え・・・で、でも、諦めたくはない」
ルネさんの予想に反して、店長は執着心を見せてくれている。
僕は、そんな言葉にどうしようもなく喜んでいる自分に気付いていた。

「・・・店長、ガレット・デ・ロワをご存知ですか」
「もちろん。フランスの公現祭に食べるおめでたいケーキで、中にある空豆に当たった人は一年を幸福に過ごせるんだ」
急に話題を変えても、店長はお菓子のこととあらば饒舌に説明した。

「実は、今日、それを持って来ているんです。デザート、食べられますか?」
「ほ、ほんとに!?甘いものは別腹だよ!」
いつの間に気力が戻ったのか、声の調子がよくなっている。
キッシュも雑炊も平らげていたけれど、たぶん、店長は別腹の割合が大きいのだろう。

「なら、今持って来ます。少し待っていて下さい」
僕は微かに笑み、準備をしにキッチンへ戻った。
テーブルの上に放置されたままの箱からケーキを出し、半分に切る。
ルネさんからもらった分の大半は両親にあげたので、これで8分の1ずつだ。
皿に乗せ、フォークを添え、部屋へ持って行く。
部屋に入ると、とたんに店長の目が輝いた。


「それが、あの店のガレット・デ・ロワ・・・」
「1日経っているので、少し風味は落ちているかもしれません」
ベッドの傍に膝立ちになり、二つのケーキを見せる。
店長は早速受け取ろうとしたけれど、その前に伝えることがあり手を引いた。

「実は、このケーキ、どちらかにアーモンドが入っているんです」
「片方だけに?」
「はい。本当は使われていないんですけど、ルネさんが入れてくれました」
ガレット・デ・ロワの意味を知っている店長は、何かを察したように押し黙る。

「店長の方に入っていたら、試用期間は終わりにします。。
もし、僕の方に入っていたら・・・ルネさんの家でヌードモデルの続きをします」
さっきの目の輝きはどこへ行ったのか、店長の顔色が変わる。
これが、優柔不断な僕に対して、ルネさんが提案してくれたことだった。
最後まで他人任せ運任せで、情けないとは思う。
けれど、どちらかに偏り、自分を諦めさせるにはこんな方法しか思い付かなかった。

「ヌ、ヌードモデルって・・・モデルになるだけなのか?」
少し躊躇ってから、首を横に振る。
確かに、以前はそれだけだった。
けれど、はっきりとは言われずともほのめかされていた。
絵が完成した後、すぐに服は着られないことになると。



店長は、眉を潜めて二つのケーキを見比べる。
外見だけでは、どちらに入っているかわからない。
何かを入れた跡はあるのだけれど、判明しないよう両方に穴が残されている。
見分けられないと諦めたのか、店長はやがて右の皿を手に取った。
かなり緊張しているのか、好物を目の前にしているのに表情が強張っている。
申し訳なさと後ろめたさを感じつつ、お互いにフォークを刺した。

まだ先の方だからか、異物感はない。
食べてみても、昨日とほぼ同じ食感と風味が広がる。
けれど、舌が違う味がないか探すのに真剣になっていて、あまり堪能できる状況ではなかった。
それは店長も同じなのか、慎重に咀嚼しているようで、また申し訳なさを感じた。

感想を言う余裕もなく、黙々と食べ進めていく。
そして、とうとう穴が空いている場所へたどり着いた。
おそらく、次の一口でどちらに傾くか決まる。
店長とほぼ同じタイミングでケーキを切り、口へ運んだ。

ゆっくりと噛み締め、目を閉じる。
そのとき、さくさくとした食感の中に、固い、別のものがあった。
紛れもないアーモンドの風味を感じ、飲み込んだ後目を開く。
店長の顔を見た瞬間、涙腺が緩みそうになった。


「スズナ君・・・もしかして、アーモンドあった?」
僕は、静かに頷く。
これで、店長とは、もう。

「・・・俺にも、あったんだけど」
「え?」
嘘をついているようには見えなくて、目を見合わせる。
わけがわからないと、お互い考えていたけれど、やがて、店長がふっと笑った。

「どうやら、彼に一本取られたみたいだね」
「そう、みたいですね」
どちらにも傾けない僕は、ずるい人間だった。
けれど、ルネさんは、僕より一枚も二枚も上手で、ずるかった。
選べないのなら、両方を受け入れてもいい。
このケーキは、そんな選択肢を示してくれていた。


「・・・スズナ君、どうする?」
僕は、返事の代わりに店長の手を取る。
「試用期間は終わりにします。でも・・・ルネさんの所にも行きたい・・・です」
ふいに、強い力で腕を引かれる。
ベッドに乗り上げると、すぐに体が抱きすくめられた。

「て、店長」
両腕に包み込まれ、もう動けなくなる。
「スズナ君・・・」
優しい声と共に、髪をそっと撫でられる。
そこには、最上級の菓子を口にしたときのような感銘が含まれている気がして。
抱き留められている体だけでなく、胸の内から温まるようだった。


「あ、あの、スズナ君・・・目閉じてもらえる、かな」
言いにくそうに告げられ、素直に目を閉じる。
すると、頬に手が添えられ、顔が上を向いた。
口元に吐息を感じるまで少し時間がかかったけれど、今回はもう引き下がる事はなくて。
とても慎重に、唇が重なった。

とたんに、胸の内に感じている温かみが温度を増す。
かすかな呼吸が伝わり、共感しているんだと感じる。
頬の手は今にも離れてしまいそうになっていたので、店長の腕を掴んだ。
未成年と接する躊躇いなんて、消してしまいたい。
お互い、それ以上動くこともなく、ただ重なり続けていた。


触れていたものが離れ、目を開く。
店長はよほど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯きがちになっていた。
「俺・・・もう、さっきから、勇気振り絞りっぱなしだ」
「店長のペースでいいですよ。・・・照れてるのは、僕も同じですから」
きっと、自分の顔も店長と同じことになっている。
唇に触れていた余韻が残り、頬を熱くさせていた。

「スズナ君がそう言ってくれると安心するよ。。
・・・前、俺に度胸がなさすぎて別れたことがあるから・・・」
「店長、女性と付き合ったことはないって言っていたじゃないですか」
「ああ、女性とはないよ」
あまりにも当たり前のことのように告げられ、一瞬言葉を失う。


「つまり、男性と・・・」
そう尋ねると、店長は難しい顔をした。

「うーん・・・どうなんだろうね、最後までよくわからなかったな」
よくわからないのはこっちの方だと言いたくなる。
相手の性別が不明なのに付き合うなんて、ありえるんだろうか。
そんな疑問が浮かんだけれど、一人、心当たりはいた。
けれど、今は他の人のことを考えては失礼だと、それ以上は聞かない。
話が一旦終わると、店長が視線を合わせた。

「スズナ君・・・じゃあ、あの・・・これから、よろしく、お願いします」
「何で敬語なんですか。・・・こちらこそ、お願いします」
やけに儀礼的な告白がおかしくて、頬が緩んだ。

最初は、面白半分で受け入れたことだった。
店長は話上手で、パティシエとして尊敬できるけれど、純情すぎて、ヘタレなとこもある。
そんな相手を意識し始めてからは、もう放っておけなくて、構いたくなって、構われたくもなっていた。
その好意はだんだんと大きくなって、今に至る。
抱き締められているこのとき、柄にもなく、どんな洋菓子よりも甘い気持ちになっていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
9話目でやっとキスシーンが書けました・・・じれったいことこの上なし。
大人×未成年なんでやたらと慎重になっています。