妖怪達との奇妙な暮らし1


普通の小学校に行って、中学校に行って、高校に行って、大学に行く。
まるで一本のレールに沿って歩いているような、何の変哲もない生活。
良く言えば安定している、けれど、つまらない。
一回、足を踏み外しそうになったことはあった。けれど、矯正された。
だから、今度こそレールを少し外れてみたかった。

レールを踏み外す第一歩として、今、小ぢんまりとした不動産屋で、家を探していた。
有名な不動産屋だとありきたりな所が目につくけれど、ここならマイナーな物件がありそうな気がする。
机の上に並べられたリストを見てみると、都心からは離れていて、だいぶ不便そうなものが多い。
老後をゆったり過ごすにはうってつけの、静かそうな環境だと想像できた。

「お客さんも物好きだね、こんな辺鄙な場所ばかり見るなんて」
「変わってる方がいいんです」
今まで、ずっと平平凡凡な暮らしを送っていた反動だろうか。
不便でもいいから、ちょっとおかしな物件を探していた。

何枚もリストを見ていくと、とある物件が目に入る。
築年数は三桁、都心から自転車で20分、いかにも古めかしくて不便そうなアパートだ。
けれど、家賃の安さと、まかない付き、温泉付きという破格の条件に引かれていた。
他のアパートと見比べても、こんな好条件なものはない。


「ここにします、まだ空いてますか?」
「あれっ、こんな物件あったかな・・・まあいいや、家主に連絡してみるから」
店主が携帯で電話をかけると、数秒で繋がる。
声色は一気に営業向けの明るいものに変わり、ぺこぺこと頭を下げていた。
いい方向に向かっているのか、表情は軽やかだ。
やがて、店主が携帯を切る。

「空きがあるから、すぐにでも入居できるそうだ。現地に来てくれれば、入れるようにしておくとさ」
「ありがとうございます!荷物をまとめて、すぐ行きます」
いつでも家を出られるように、前々から準備をしておいてよかった。
必要最低限の荷物を詰め込み、折り畳み自転車をこぐ。
重たい荷物を背負いつつ走るのは、だいぶハードだったけれど
高揚して仕方がなくて、疲れなんてほとんど感じなかった。




人気のない静かな場所に、目的のアパートは佇んでいた。
手入れがされているのだろうか、築年数三桁とは思えないほど綺麗だ。
周りに他の家はなく、コンビニすらない。
都会暮らしから見れば、どうやって生活しているのかと疑問に思うだろう。
興奮しつつ、緊張しつつアパートに入る。
広々とした玄関には塵一つ落ちていなくて、まるで新築に見えた。

「こんにちは、君が今日から入居する人?」
背後から話しかけられて振り返り、目を丸くする。
真正面にいたのは、自分に似すぎている相手だった。
驚いたのは向こうも同じなのか、硬直している。

「おっどろいた。他人のそら似って、こんなにそっくりなんだ。
ボクはこのアパートの管理者、鏡って言うんだ、よろしく」
「よ、よろしく、お願いします」
握手を求められて、軽く握る。

「堅苦しくしないでいいよ。じゃあ、早速部屋に案内するね」
手を引かれたまま、奥へと連れられる。
アパートなのだから賑わっているかと思いきや、中はしんとしていた。
部屋に着くまで誰とも擦れ違わず、不自然なほどに静かだ。

「他の人は、出かけているんですか?」
「・・・うん、今日は平日だし、皆仕事に行ってるよ」
そういえばそうかと、すぐに納得する。
学生はまだ冬休み中でも、社会人はなかなか長期休暇なんて取れないだろう。


「さあ、ここが君の部屋だよ、入って入って」
案内された部屋は、独り暮らしにはちょうどいい広さのワンルームだった。
机やタンス等の家具が備えついていて、生活感がある。

「案内図は机の上、そこにいろいろ書いてあるから、読んでみてよ。
ボクはたいてい広間にいるから、困ったことがあったらいつでも来てね」
「ありがとう、助かります」
「敬語じゃなくていいってば。じゃあ、また後で」
鏡が部屋を出ると、荷物を下ろして案内図を見る。
部屋数は結構多くて、三階建ての建物はだいぶ広い。
まず探したのは温泉の場所で、横にはいつでも入浴可と書いてあって嬉しくなる。
まかないは朝、昼、晩あり、夜食や間食も頼めるらしく、とてもありがたい。
とりあえず場所を把握しておこうと、外に出た。


図面を見つつ、ひとまず広間へ出る。
ソファーや椅子がたくさん置いてあり、ここが交流の場所なのだとは思うけれど、今は誰もいない。
食堂と隣接しているようなので、覗いてみてもやはり人気はない。
それぞれのテーブルの上にはメニュー表が置いてあり、手に取って見てみる。
そこには、プリン、抹茶あんみつ、プレーンドーナツなどなど、おやつに適した品ぞろえが書いてあった。

そして、カウンターにはメモ帳と鉛筆が置いてあり、「たべたいものかく」と、メモの上に書いてある。
誰もいないようだけれど、これから料理係が来る予定があるのだろうか。
試しに「プリン」とだけ書いて、メモを残しておいた。

また館内図を見て、どこへ行こうかと迷う。
そこで、行き止まりになっている一本道があったのが気になった。
行ってみると、一本道の廊下が続いていた。

先は暗く、左右に扉もない。
それでも、異様な雰囲気が気にかかって、どんどん先に進んで行く。
周囲が暗くなってゆき、物音一つ聞こえない。
さらに進もうとしたところで、奥に扉が見えて一旦止まった。


暗闇の中なのに、扉だけははっきりと見える。
異様なものを感じ、唾を飲む。
けれど、好奇心が疼いて、近付こうとした。
そのとき、どこからか強風が吹き荒れる。
近付くなと警告されているようで、館内図が後ろに吹き飛ばされた。

図面がないと迷ってしまうと、慌てて後を追う。
紙はひらひらと舞い、廊下の先に後戻りする。
明るみに出たところで床に落ち、誰かが拾った。

「あ、ありがとうございます」
拾ってくれた相手を見て、おや、と思う。
特に変なことはない、銀髪の青年。
顔立ちはだいぶ端正で、背丈もすらっとしていて高い。
こんなに格好いい知り合いはいないはずだけれど、どこかで見たことがあるような気がした。

「君が、新しい入居者だね」
「あ、はい、館内図を見て、行き止まりになっているのが気になって」
「この先の扉には、近付かない方がいい」
青年から館内図を受け取り、ぺこりと頭を下げる。
警告してくれた相手の声も、聞いたことがある気がしてならなかった。

「つかぬことを聞くけれど、君は幽霊や妖怪の類は信じるかい」
「え」
本当につかぬことを聞かれて、返答が遅れる。

「そ、そんなの、信じるわけないじゃないですか、子供じゃあるまいし・・・」
「そうか」
青年は一瞬だけ眉根を下げて、立ち去ろうとする。
気を悪くしてしまったかと、反射的に言葉を続けた。

「で、でも、本当にいたら、楽しいと思います。
幽霊や妖怪なんて、非現実的で恐ろしいものかもしれないけれど・・・
夢のない、平平凡凡すぎる日常よりはいい・・・と、思います」
こんな発言こそ非現実的だけど、本心を訴える。
嘘か真か見定めるよう、青年はじっとこっちを見詰めていた。
やがて、その目が愉快そうに細められる。

「そう言ってくれて光栄だ。どうか、ここでの暮らしが君にとって楽しいものでありますように」
青年はやんわりと微笑み、背を向ける。
オカルト好きなのだろうか、さっきの発言で一気に機嫌がよくなったように見えた。


広間へ戻り、誰かいるだろうかと食堂を覗く。
相変わらず人っ子一人いないけれど、ある変化があった。
カウンターの上にあるメモの隣に、プリンが置いてある。
まかないを作る人が用意してくれたのかもしれないと、スプーンを手に取って一口食べてみる。
舌の上でとろけて、滑らかで、濃厚な味わいは明らかに市販のものとは違った。

ほどよい甘さをもっと味わいたくなって、手が止まらない。
ものの数分で容器が空になり、口内は満足感に溢れていた。
片付けようかと思ったけれど、台所へ入る道が見当たらない。

「あの、プリンありがとうございました、すごくおいしかったです」
誰かがいるかわからない空間へ呼びかけ、申し訳なくも容器をそのままにしておく。
返事がないのでやはり留守なのかと、食堂を出た。
次はどこへ行こうかと、館内図を見る。
そのとき、カタンと物音がした。

さっと食堂の方を見ると、いつの間にか容器が消えている。
少しの間、呆気にとられてカウンターを見ていたけれど
きっと、照れ屋で口ベタな人がいるんだろうと、相手を確かめに行こうとはしなかった。
玄関に戻ったところで、鏡と出くわす。


「椎名、探検は楽しい?」
「うん、さっきは銀髪の人がいて、食堂にプリンが出てきて驚いたよ」
「ああ、銀髪の人はユーティスさんで、結構有名なボーカリストだよ」
「ユーティスって・・・・・・あ・・・」
どうりで声に聞き覚えがあり、見覚えがあるはずだ。

しょっちゅう新曲が流れ、流行に敏感な女子なら知らない人はいないほどの人気歌手、だったと思う。
あまり音楽関係には詳しくないけれど、店に行けば流れていたり、安芸Mソングにもなっていたりする。
まさか、そんな有名人がこんな辺境のアパートに住んでいるなんて、予想だにしなかった。
それか、有名だからこそ人気のない場所に住んでいるのかもしれない。

「有名な人はもう一人いるよ。そろそろ帰って来るはず」
鏡がそう言ったところで、玄関に人影が現れる。
その相手が明るみに出た瞬間、目を奪われていた。
「お帰りなさい、安芸さん」
安芸と呼ばれた人は、鏡を見て一瞬怪訝な顔をする。

「ああ、そういえば新しい入居者が来ると言っていた気がするな」
安芸に見下ろされて、真正面から見つめ合う。
控えめで上品なメイクに、唇の朱が映える。
長い髪に古風な服装はまるで姫のようで、見惚れていた。

「綺麗な、人だ・・・」
思わず、ぽろりと呟きが漏れる。
だいぶ小声だったつもりだけれど、安芸は口端を上げた。
「ほう、なかなか正直な少年ではないか」
そのとき、安芸の後ろで何かが揺れる。
ちらと覗いてみると、服の後ろから、大きな尻尾がはみ出ていた。

「あ、あああああ、安芸さん、今日も珍しいアクセサリーつけてるんだね!古風な雰囲気によく合ってる!ね?椎名」
鏡がいきなり声を上げて、饒舌になる。
「アクセサリー・・・た、確かに、服装の美しさを引き立てて、ます」
奇妙に思いつつも正直に言うと、また尻尾が揺れた。


「世辞ではないようだな」
淡い紫のマニキュアを塗った手に、ぽんと頭を叩かれる。
盛大に裾を引きずりながら去る後ろ姿は、艶やかだった。
「安芸さんは、モデルをやってるんだ。古風な装いが珍しくて、人気者だよ」
「そうなんだ。何だか、ここには有名人が多いみたいだ」
「まあ・・・ね」
鏡は、言葉を濁す。
知られたらファンが押し寄せてくるから、あまり口外したくないのだろう。

「それより、夕飯前に温泉にでも入ってきなよ。今は人がいないから、のんびりできるはず」
「そうだ、温泉があったんだ、そうする」
魅力に思っていたのは、まかないともう一つ、温泉だ。
空いている内に入りたくて、すぐに着替えを取りに戻った。

館内図を見て、温泉の場所を探す。
湯のマークが書いてある扉を開けると、なんと地下へ続く階段があった。
進んで行くと、かすかに硫黄の匂いがしてくる。
そして、着いた場所にあったのは大きな岩風呂だった。

アパートにこんな立派な温泉があるとは思わず、呆気にとられる。
脱衣場はないようだったので、岩陰で服を脱いで、桶で湯をすくって体を軽く流す。
温泉に浸かると、思わず、自然とため息をついていた。
熱すぎずぬるすぎない適温は、引っ越しの疲れを癒してくれる。
破格の家賃でまかないまでついている、ここは天国かと、今はそう思っていた。


のぼせる前に温泉から上がり、部屋に戻る。
今、布団が敷いてあったらすぐに眠れるだろう。
けれど、もう一つの楽しみでもあるまかないを食べない限りは眠れない。
また探索しに行こうかと思ったところで、ふいにもよおしてトイレに向かった。

まだまだ人は帰って来ていないようで、誰とも擦れ違わない。
トイレの作りは古いタイル張りだったものの、ぴかぴかと輝いている。
周りを汚さないように済ませて、トイレから出る。
そのとき、目の前に人が立っていて、ぎょっとした。

先に見た安芸のように髪が長く、顔の全面まで覆われている。
服は上から下まで真っ白のシーツを被っているようで、まるで亡霊だ。
少しの間硬直したけれど、外見だけで相手を判断してはいけない。

「ご、ごめんなさい、道塞いでましたね。
あ、でもこっちは男性用で、女性用は・・・あ、いや、髪の長い男性だっていますよね、すみません」
驚きを吹き飛ばすよう一気に言い、そそくさと退散する。
その後は、一旦部屋に戻って気を落ち着けていた。


そうこうしているうちに、いよいよ夕飯の時間がやってくる。
食堂に行くと、鏡と、ユーティスと、安芸が座っていた。
鏡が手招きしてくれたので、隣に座る。
「椎名、さっきトイレに行って怖くなかった?」
「・・・あ、髪の長い人がいて驚いたけど、住民なんだから毛嫌いしちゃけないし」
「あれは、わらわが化けた姿だ」
突拍子もないことを言われて、口が半開きになる。

「安芸さん、な、何て冗談言って・・・」
「前の入居者のように逃げ出さなかったのだからいいだろう。皆の衆、出てきてもよいぞ!」
安芸が誰もいない空間に呼びかけると、そこが蜃気楼のように揺らぐ。
次の瞬間には、テーブルはほぼ満席になっていた。
大勢がぱっと姿を現したことも驚愕の出来事だったけれど、それ以上に驚く光景がある。
テーブルに座っている人は、人の形をしていなかった。

「ここ、ね、家賃が妙に安いのはこういう訳なんだ。住民は、皆、人じゃない」
そう、テーブルに座っているのは、皆異形だった。
角が生えているのは鬼だし、飛んでいるのは一反木綿だし、とても夢のある光景。
そして、安芸は尻尾をゆらゆらと動かし、ユーティスの背には蝙蝠の翼が生えていた。

あまりの光景に、言葉を失う。
「出て行きたくなったか」
安芸に問われて、反射的に首を横に振る。
こんな光景を見てしまったら、信じないわけにはいかない。
妖怪のたぐいは本当に実在していたのだと思うと、気が高揚した。

「こんな・・・こんな楽しそうなところ、出て行くはずないです。
平凡な人間が住んでいていいのなら、お世話になりたい」
即答すると、鏡は胸を撫で下ろして、安芸は口端を上げて、ユーティスはやんわりと微笑んだ。

「私達の存在を受け入れてくれて嬉しいよ。椎名、これから宜しく」
ユーティスにさりげなく手を差し出されて、軽く握手する。
その爪は赤くて、マニキュアとは思えないくらい濃い色だった。
いきなり、異質な環境へ飛び込んでしまったことは、幸か不幸かわからない。
けれど、周囲を見回したとき、感じたのは恐怖ではなく、やはり高揚だった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
急にやりたくなった妖怪アパートパロ。脳内がファンタジーになっておりまする。
ちなみに、ユーティスはお察しの方もいるかもしれませんが・・・ポップンミュージックのユーリを想像しています。