妖怪達との奇妙な暮らし2
このアパートには、人は自分しかいない。
妖怪、幽霊、どう形容していいかわからないものもいる。
けれど、挨拶をすれば返してくれるし、危害を加えてくることもない。
姿形が違うだけで、生活ぶりは人間とあまり変わりない気がした。
大学が始まるまではまだ期間があるので、今日は街へ出かける。
折り畳み式自転車を担ぎ、平坦な道に出たところで漕ぎ出す。
街とは違い、障害物がほとんどない道を走るのは爽快だった。
街へ着くと、人のざわめきや宣伝文句の騒がしさが耳につく。
不快ではなかったけれど、静かなことにこしたことはなかった。
まず向かったのは、大型のCDショップ。
数百枚あるCDの中から、ユーティスのアルバムを探すのは一苦労しそうだと思いきや
これが目玉商品ですと言わんばかりに、店頭に設置されていてすぐに見つかった。
表紙にユーティスの姿は描かれていないものの、名前はそのままだ。
黒い色調が中心で、花や幾何学模様が描かれたジャケットが多く、どこにも本人が描かれていない。
数種類あったので複数枚買い、CDプレーヤーも購入する。
次に向かったのは、書店だった。
今度は、安芸が掲載されている雑誌を探そうとしたのだけれど
モデルと言ってもファッション系の雑誌は多く、今度こそ苦戦するかと思った。
けれど、女性向け雑誌コーナーに行くと、丁度出たところだったらしく
雑誌の表紙に安芸が掲載されている雑誌が、棚の前面に出ていた。
艶やかな赤の着物を着ていて、とても妖艶だ。
読者を射止めるような眼差しをじっと向けられると、写真なのにどきりとしてしまいそうだ。
女性向け雑誌を買うのは少し恥ずかしくとも、こちらも購入した。
財布の中はだいぶ寂しくなってしまったけれど、アパートに住み続けるのなら住民のことを知っておいて損はない。
それに、ユーティスがどんな歌を歌い、安芸がどう撮られているのか知りたかった。
これ以上お金を使うのは厳しいので、さっさとアパートに戻る。
「椎名、お帰り」
玄関口に着くと、鏡が出迎えてくれる。
鏡は九十九神らしく、その名の通り写し鏡の神らしい。
誰かの姿を借りていないといけないらしく、入居者が来ると同じ姿をして反応を見ていたようだ。
「ただいま。街で、これを買ってきたんだ」
CDと雑誌を取り出すと、鏡はまじまじと見る。
「わざわざ新品で買ってきたんだ。きっと二人とも喜ぶよ」
「うん、よかったら、一緒に見聞きしてみないか?感想を言い合えた方が楽しい」
鏡は一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐに手を取った。
「ありがとう、君が抵抗なく接してくれて嬉しいな」
自分に手を引かれるなんて不思議だったけれど、非現実な出来事にわくわくしていた。
部屋に戻ると、早速CDプレーヤーにディスクをセットする。
イヤホンが短かったので、片耳ずつつけると自然と肩が寄った。
再生ボタンを押し、雑誌を開く。
まず目に飛び込んできたのは、見開きで、夜桜を背景に佇んでいる安芸だった。
今にもこちらに振り返りそうな横顔が見え、眼差しは昔を懐古するように切なげで、一瞬で惹かれていた。
「やっぱり、綺麗だな・・・」
「古風なモデルは珍しいからね。魅了される人が多いみたい」
雑誌には他のモデルも載っているけれど、安芸を見た後では霞んで見える。
むしろ、全員安芸の引き立て役だと、そんな印象を受けるほどだった。
雑誌を読みつつも、イヤホンから歌が流れてくる。
ユーティスの歌声は、まさしく美声だった。
クールな外見とは裏腹に、力強くて抑揚がある。
アップテンポなリズムに合わせて、自然と指が動いていた。
「・・・これって、恋愛の曲なのかな」
「うん、ユーティスの曲は非恋の歌が多いんだ。共感して、夢中になる人が多いみたい」
よくよく聞くと、激しさの中にも切ないものがあるように思える。
あんなに格好いい人でも、過去に失恋したことがあるのだろうか。
そんな心境を少しでも読み取りたくて、じっと聴いていた。
気付けばアルバム一枚聞き終わり、曲が途切れたところでやっとイヤホンを外す。
「鏡、ごめん、長々と付き合わせて」
「ううん、大丈夫。久々にユーティスの歌をゆっくり聞けて安らいだよ」
管理人の仕事もあるはずなのに、鏡は文句一つ言わない。
この人柄のよさが、住人から警戒心を解くのだろうと感じた。
もう小一時間経っており、これ以上留めるのは申し訳なくて部屋を出る。
そうして広間に戻ったところで、ちょうど安芸と出くわした。
「お帰りなさい、安芸さん」
安芸は、瓜二つな二人を見て、どちらがどちらかと見定めるように見比べる。
「右にいるのが椎名か。他の人間の匂いが入り交じっておる」
「あ、はい、さっき街に行って、安芸さんの雑誌とユーティスさんのCDを買って来たんです」
安芸は表情を変えなかったけれど、尻尾がわずかに揺れる。
「殊勝な心掛けではないか。まあ、破産せんようにすることだ」
懐の中を見透かされたように告げられ、苦笑いする。
雑誌の中で見ていた人が目の前にいるなんて、まさしく非現実的だ。
忙しいのか、安芸は早々に服を引きずって背を向けてしまった。
早々に会話が終わってしまって、残念そうに眉根が下がる。
その気持ちは、不可思議なものに近付きたい、芸術品のように美しいものを見ていたいという
一人の人間の、そんなおこがましさだった。
その後、夜になる前にまた街へ行った。
買い忘れたものがあるわけではなく、目当てはフリーペーパーだ。
大学生になり、バイトが解禁されたからには、一度経験しておきたい。
それに、軽い財布の中を覗くと、家賃滞納の危機感があった。
様々なバイト雑誌をあさり、街を駆け巡る。
三冊入手したところで、またアパートへ戻った。
「お帰り。また街へ行ったの?」
「今度は、これを取りに行ってきたんだ」
お決まりのように出迎えてくれた鏡に、バイト雑誌を見せる。
「アルバイト探してるんだ。CDやカラー擦りの雑誌って、結構高いもんね」
「そうなんだよ、金額以上の価値はあると思うんだけど・・・」
「私の曲でよければ、言ってくれればいくらでも提供するよ」
どこからかそよ風が吹いたと思ったら、隣に音もなくユーティスが現れる。
「事務所に行けばいくらでもあるからね、好きに持ち出せる」
「そんな、申し訳ないです、心苦しいです」
しきりに遠慮すると、ユーティスはくすりと笑う。
「興味を抱いてくれているのなら、一度私のライブに来てみてほしい」
一枚のチケットが手渡され、そこにはS席1万円と書いてあってぎょっとした。
「あ、あの、これ」
「入場者プレゼントもあるから、損はしないと思うよ」
また、申し訳ないですと言おうとしたときには一陣の風が吹き、ユーティスの姿は消えていた。
だいぶ恐縮だったけれど、ライブに行くなんて始めてで、楽しみが増えていた。
街を二往復してだいぶ汗をかいていたので、今日も夕飯前に温泉へ行く。
込み合うのは遅い時間のようで、誰もいない。
洗い場や石鹸がなくても、入るだけで垢が取れているから不思議だった。
岩風呂に入ると、溜め息と共に疲れが抜けていく。
一人でまったりとしていると、誰かが入ってきて波紋が広がった。
湯煙でよく見えないけれど、何者かが近付いてきている。
「何だ、椎名、もう入っていたのか」
「え・・・」
聞き覚えのある声に、まさかと思う。
髪の毛を結い上げていても、メイクはそのままで、すぐに安芸だとわかった。
「あ、安芸さん!こ、ここ、混浴でしたっけ!?」
「混浴ではないな。時に椎名、そなたはわらわの性別をどちらだと思っておるのだ」
「・・・髪が長くて、メイクをしていて、姫の服を着ているから・・・女性、です、か?」
なぜか自信がなくなって、疑問系になる。
そんな答えを、安芸は鼻で笑った。
「髪が長くて、メイクをしていて、姫の服を着ていても、女とは限らんぞ」
「え、ふ、普通は、女性だと思いますよ!」
露骨に焦ってしまい、安芸はあっけらかんに笑う。
「ここで、普通や常識などという言葉は通用せん。
長く暮らしてゆきたいのなら、そんな先入観は捨てることだ」
まさしく、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
一目見たときから、この雅な相手が男性だなんて思いもしなかった。
そんな思いもよらないことが、このアパートでは起こりうるのだ。
「何だ、妖怪を見たときよりも驚いているではないか。信じられないのなら、証拠に触ってみるか?」
安芸がにじり寄り、手首を取る。
細い指に掴まれた瞬間、心臓が強く鳴った。
「い、いい、いえ、結構です!」
本気で遠慮すると、安芸は笑って手を離す。
そんな笑顔は、男性だとわかっていても愛らしかった。
「触るのが嫌なら、触られてみるか」
「はい?」
変な声で聞き返したところで、ふいに安芸の指が肩に触れる。
そして、指の腹で腕をなぞっていった。
「わ、あ、な、何ですか」
「若々しい者の肌の質感は良い。ここにいるのはほとんどが奇形だからな」
指はゆっくりと移動し、手首まで伝い、爪の先まで撫でる。
くすぐったいような、むずむずした感覚がして、思わず手を引っ込めていた。
「かっ、からかわないで下さい」
「ふふ・・・」
安芸は怪しく笑い、今度は肩口から下へ、脇腹の辺りまで愛撫する。
その手つきが何とも艶めかしくて、一瞬身震いしてしまう。
どうにもできないでいると、指が太股までたどり着く。
それが内側に移動しようとした瞬間、流石に危機感を覚え、さっと身を引いていた。
「何だ、中心には触らせてはくれないのか」
「駄目ですよ、駄目!・・・もう、のぼせない内に、上がります」
これ以上撫でられると変な感覚を覚えてしまいそうで、慌てて風呂から上がる。
一瞬、視界がぐらりと揺れたけれど何とか持ちこたえた。
「可愛らしい男(おのこ)、からかいがいがありそうだ」
椎名が出て行った後、安芸はにやりと笑っていた。
―後書き―
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やっぱり入れたくなる風呂ネタ。大人びた相手×ぎりぎり少年をさせてみたいがための連載です。