妖怪達の奇妙な暮らし3


今日は、朝から街へ向かって走っていた。
和風のまかないを食べて気力を回復させ、バイト誌を握りしめる。
午前は、バイトの面接だった。
場所は、安芸の雑誌を買った大型の書店。
人手が足りないのか、店にもバイト募集の張り紙が何枚もあったのを覚えている。
そして、結果は、あまり長々と話をすることもなく、すぐに採用された。

一気に退職者でも出たのか、よければ午後からでも入ってほしいと言われ、その通りにする。
最初は膨大な量の本の配置を覚えることから始まり、配置図を穴が空くほど見て
その後は、配置図を見つつ本を補充したり、整列させたりする。
人に本の場所を聞かれたときは焦り、配置図を瞬きする間も惜しいほど凝視して案内した。

最初は、初めてのバイトを楽しみにしていたけれど、甘かった。
本の整理が主な仕事とは言え、その量が尋常ではない。
見栄えをよくするために、本棚が空いていてはいけないし、隙間ができたらすぐ補充する。
大型書店ゆえに、棚に適した本を倉庫から探すのも一苦労だった。
午後はずっと動きっぱなしで、終わった頃にはだいぶ肩が凝っていて
加えて自転車で帰るので、アパートに着いた頃にはへとへとだった。

「椎名、お帰り。疲れてるみたいだね」
「バイト初日だから、まだ慣れてないだけだよ」
写し鏡は相手の疲労感までわかるのか、心配そうに様子を伺う。
疲れているときに、誰かが気遣ってくれるのは、正直ありがたかった。
その日は、温泉に入った後すぐに布団に寝転がる。
よほど疲れたのか、朝まで夢も見ないほど深く眠った。


疲れていても、翌日は早く起きた。
今日は、この前ユーティスから誘われたライブの日。
楽しみが勝って、目が冴えていた。
ユーティスはライブの準備、安芸は朝から撮影で、食堂にはいない。
洋風のまかないに、食後にコーヒーを飲むと完全に目が覚めた。

ライブには30分前に着けば十分だろうと、しばらくのんびりとする。
けれど、その考えはだいぶ浅はかで、会場に着いたときは長蛇の列ができていた。
人気アトラクションも真っ青なほどの列に、ユーティスの人気ぶりを垣間見る。
事前にチケットを貰っていなかったら、まず入れなかっただろう。
前売り券の購入者は別の入口から入ることができ、入場者へ配布されているCDも入手できてほっとした。

チケットの席はだいぶいい場所で、ステージのすぐ近くだった。
周りにいるのは女性ばかりで、自分は浮いていたけれど
アパートでの浮き具合に比べれば、どうということはなかった。
ぼんやりと待っていると、証明が落とされて暗くなる。
そして、ステージの中心にユーティスが現れ、スポットライトが当てられた瞬間、黄色い悲鳴が上がった。

まだ歌い始めてもいないのに、ファンの興奮ぶりはすさまじい。
後ろにはギターやドラム担当のメンバーもいたけれど、視線はユーティスに釘付けだった。
バックミュージックが流れると、声援はぴたりと止む。
ユーティスは愛敬を振りまくこともなく、歌い出した。


CDで聞くのとは、まるで音が違う。
反響して、体全体で音楽を感じ、リズムを取らずにはいられなくなる。
間奏の間にはまた黄色い声援が飛び交い、凄まじい熱狂ぶりだ。
その熱視線は、ユーティスしか見ていない。
一曲が終わると、次の曲が立て続けに始まる。
まるで、声援を挟む合間を与えないように。

激しくとも切ない歌を、一言一句聞き逃したくない。
音だけに集中するよう、自然と目を閉じていた。
歌詞はオブラートに包まれているけれど、これは死別の曲のように感じる。
愛しい人を失った悲哀を紛らわすように、はたまた戒めるように。
目が開いていれば、きっと潤んでいた。
冷静な声の中にある感情が、届いてくるようだったから。




じっと目を閉じたままでいると、やがて音楽が止まる。
音の余韻を感じつつ目を開くと、もうステージに誰もいなかった。
観客も、ぱらぱらと帰り始める。
出口はだいぶ混雑していたので、しばらく経ってから外に出る。
それから、無駄金を使わないように、早々とアパートに帰った。

帰って来て、夕飯を食べて、入浴しても、まだ音の余韻が残っている。
切ない感情に共鳴して、まるで胸に穴が空いたようだ。
夕涼みでもしようと外に出ようとしたとき、一陣の風が吹いた。

「椎名、こんばんは」
突然隣に現れたユーティスに、もはや驚くこともない。
「ユーティスさん、ライブお疲れ様でした。CDで聞くのと全然違うんですね」
「ああ、全身で音を感じられるからね。チケットが膨大な価格なのもわかるかな」
S席1万円を思い出し、苦笑する。


「眠る前に会えてよかった。これを渡したかったんだ」
ユーティスが手を返すと、どこからか一輪の赤いバラが現れた。
見事な大輪は薄闇の中でも輝いていて、普通の花ではないように思える。
「いいんですか?僕、もらってばっかりで」
「貰ってほしい。今日、私の歌を一番真剣に聞いてくれたのは君だから」
他のファンにはとても敵わないと思いつつも、刺に触れないよう受け取る。
その瞬間、花弁の赤が明るくなり、さらにきらめいた。

「喜んでくれているようで嬉しいよ」
「あ・・・そ、そうですね、嬉しいです」
女性からも、もちろん男性からも花を贈られたことなんてなくて、動揺する。
けれど、気付けば頬が緩んでいた。
ユーティスが、自分のことを見ていてくれたのだと思うと、胸が温かくなる。
バラは、そんな感情に反応しているようだった。

「趣味じゃなかったら、焼却炉にでも入れるといい。では、お休み」
「そ、そんなことしません。・・・お休みなさい」
CDプレーヤーに今日貰ったアルバムを入れて、横になる。
それはまだ発売されていないものなのか、聞いたことがない新曲だった。
今回は珍しくバラード調で、良い子守唄になる。
その曲は、ますます悲哀に磨きがかかっているようで、聞けば聞くほど、知りたくなった。
悲しい曲を生み出す心境と、その過去を。




翌日は、朝からバイトに駆り出される。
そして、なぜ面接が簡単に通ったのかがわかった。
今週は棚卸があり、怒涛の本の検品作業がある。
何万冊ある本を一冊ずつチェックするのは大変な重労働で、人手が必要だったのだ。

慣れない端末を使い、割り当てられた本棚の本をチェックしていく。
あっという間に昼になり、昼食を食べる暇もほとんどない。
午後もずっと本のチェックが続き、日が暮れてくる。
終了の合図がかかった頃には、外は真っ暗になっていた。
疲れ切っているときに自転車で帰ると思うと、げんなりする。
それでも、街に泊まるお金なんてないのだから、アパートに帰るしかなかった。

街から離れると、すぐに人気のない道にさしかかる。
街路灯がほとんどなく、不気味な雰囲気だ。
嫌な予感がしたとき、ざわりと、空気が揺れた。
薄ぼんやりと光る電灯の下に、何かがいる気がする。
直視してはいけないものが、見えそうになってしまう。
力を振り絞って自転車をこぎ、気付かないふりをしたけれど
それは、次の電灯の下にもいた。

異質な者達の中にいるから、感受性が研ぎ澄まされすぎてしまったのだろうか。
焦るあまり、自転車が石に乗り上げて弾む。
バランスを崩したとたん、踏ん張れずに倒れてしまった。


尻餅をついて顔をしかめていると、電灯の下にある気配が近づいてくる。
見てはいけない、無視しなければいけない。
けれど、一度認識してしまったが最後、もう気を逸らせなかった。
悪寒が走り、本能的に危険を察知する。
尻餅をついたときに腰が抜けてしまったのか、立ち上がることができない。

気配が、目の前まで迫る。
見たくないと、きつく目を閉じた瞬間、背後から強風が吹いた。
瞬時に、気配が風に吹かれて飛ばされる。
恐る恐る目を開いたとき、眼前に居たのはユーティスだった。


「椎名、大丈夫かい。帰りが遅いから気になって、迎えに来てよかった」
「ユーティス、さん・・・」
ほっとして、全身の力が抜ける。
手を差し出されたけれど、まだ足に力が入らなくて首を横に振った。
「この道は滅多に人が来ないから、異質なものが出てくることがある。今日は私が送ろう」
そう言うと、ユーティスが隣に来て、体を軽々と抱き上げた。

「え、ちょ、ユーティスさん」
「暗がりを自転車で帰るのは危険だからね。空を渡れば、すぐに着く」
ユーティスは翼を広げ、地面を強く蹴る。
風に乗り、一気に地面が遠くなった。
吸血鬼の腕に抱かれて、空を飛んでいる。
非現実的すぎて、自分の頬をつねっていた。

「夢じゃ、ないんですよね、これ・・・」
「私が君を抱いていることを、夢で終わらせてほしくはないな」
きざな台詞を言われ、恥ずかしくて言葉を返せない。
それ以前に、まるで女子のように抱かれていることに赤面していた。
黙っていると羞恥心だけが目立ってしまって、話題を探す。

「あの、失礼なこと聞くかもしれませんけど・・・ユーティスさんの歌って、死別の歌・・・ですか?」
折角一対一なのだから、思い切って尋ねる。
それは禁句だったのか、ユーティスから表情が消えた。

「す、すみません、こんなこと軽々しく聞いて」
「いや、数曲でそこまで読み取るなんて、君は感受性が強いのだね」
「できれば、さっきみたいなのが見えないくらいに、弱くなってほしいんですけど・・・」
それから、ユーティスは口をつぐむ。
やはり聞いてはいけなかったのだと、心苦しさを覚えた。


「あの、本当にすみません、嫌なことでしたよね・・・」
「興味を抱いてくれることは喜ばしい。けれど、私が詳細を話せば、君はアパートから出て行くかもしれない」
「そんな、出て行くなんて考えられません」
「・・・できれば、伏せたままにしておきたい。けれど、真実を隠したまま君を留めようとするのも、狡いことだ」
問うてみたい好奇心と、あつかましいと遠慮する気持ちが切迫する。
そうこうして迷っている間に、アパートに着いてしまった。
ふわりと着地し、体が下ろされる。

「明日も遅くなるのなら、迎えに行くよ」
「そんな、申し訳な・・・」
断る途中で、言葉を止める。
帰り道の途中で何者かに襲われ、介抱されるのはもっと手間をかけてしまう気がした。

「今日は、もう休むといい」
軽く頭を一撫でされ、一瞬だけ目を細める。
子供扱いされているようだったけれど、嫌ではなかった。

「ありがとうございます。昨日貰った曲を聞いていれば、すぐ眠れると思います」
「安らいでいるのなら良かった。どうか、悪夢を見ないように・・・」
頭を撫でた手が、そのまま頬に添えられる。
場所が変わっただけなのに、なぜだか緊張して、ユーティスをじっと見ていた。
それから何をされるわけでもなく、手が離れる。

「引き留めてはいけないね。お休み」
「あ・・・お休み、なさい」
どこか、後ろ髪を引かれるような名残惜しい感覚が生まれる。
あんな風に触れられたことなんて幼少期以来だから、そうに違いなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
バイトの中味は完全に想像の、フィクションです。
少しずつ話が構成されていっています。