妖怪達との奇妙な暮らし 安芸編1


翌日のバイトも、案の定夜遅くまでかかった。
二日連続で疲労が溜まるけれど、今日もユーティスが迎えに来てくれるのだと思うと、気力が沸いた。
街外れまでは歩き、人気のない場所まで移動する。
うすぼんやりとした街灯の下に、また何かいるのではないかと思うと、足が止まった。

「やれやれ、やっと終わったのか」
街灯の奥の暗闇から、ユーティスではなく安芸が姿を現す。
「安芸さん。・・・もしかして、わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「ユーティスは緊急の仕事が入ったようだったからな。押し付けられたのだ」
安芸が歩み寄ろうとしたが、さっと自分から駆け寄る。

「すみません、安芸さんだって忙しいのに」
「まあ、ユーティスに貸しを作れたのは大きい。ちょっと、後ろを向いておれ」
言われた通り、体を反転させる。
そのまま数秒待った後「もうよいぞ」と、声がかけられて振り返る。
目の前にいたのは、巨大な狐だった。
ライオンよりも一回り大きく、9本の尻尾を揺らしている。
毛並みは美しく、薄闇の中でも金色がはっきりと見てとれた。

「ぼんやりしていないで、早く乗れ」
「えっ、い、いいんですか」
「そなたの足に合わせているほど、悠長ではないのでな」
早く帰りたいのだと察し、遠慮ぎみに安芸の背にまたがる。
金の毛はとても柔らかくて、手触りがいい。
靴の土をつけてしまわないよう、毛を抜かないよう、だいぶ気を遣った。

合図もなく、安芸が走り出す。
思いきり風の抵抗を受けて、体が後ろにのけぞった。
倒れそうになったところで、背中を尻尾が支える。

「落ちたくなければ、伏せているがよい」
尻尾に押されてうつ伏せになり、反射的に安芸の首へ腕を回す。
落とさないようにしてくれているのか、尻尾はそのまま背に添えられていた。
前も後ろも温かくて、柔らかくて、疲れた体を癒してくれる。
つい瞼を閉じると、急激に眠気がやってきた。
眠りこけたらまた手間をかけるとわかっていても、睡魔に逆らえない。
そのまま、穏やかな寝息をたてるまで、時間はかからなかった。




目を覚ましたとき、まだ柔らかい感覚を覚えていた。
自分のすぐ側にふわふわの尻尾があって、思わず頬擦りする。
尻尾が揺れ、鼻の辺りをくすぐられると、小さな笑い声が漏れた。

「ようやく起きたか。子供はよく寝るな」
安芸の声がして、アパートに着いたのかなと瞼を開く。
すると、目の前に安芸が寝転がっていて、まだ夢を見ているのかと勘違いする。
けれど、外が明るくなっているのを見て、目を見開いた。

「あ、え、安芸さん、もしかして、僕・・・」
「そなたが尻尾を離さないから、仕方なくだ」
今もまだ尻尾を握ったままで、慌てて離す。

「す、すみません、すみません、迷惑かけて、すみません」
「平謝りしなくともよい。それよりも、そんなに心地よかったのか」
「えっ、はい、猫よりも、兎よりも温かくて、しなやかで、柔らかくて・・・とても、気持ち良かったです」
ぽんぽんと感想を言うと、安芸が口端を上げる。

「素直な感想に免じて、無礼は許さんでもない」
「すみません・・・僕、手間をかけさせっぱなしで、申し訳ないです」
「だが、今のアルバイトを続けてゆけばしょっちゅう帰宅が遅くなるな」
ぐ、と言葉に詰まる。
大変なことは大変だけれど、その分時給はいい。
大学が始まるまでの短期バイトとしてはうってつけだけれど、辞めるしかないだろうか。


「そもそもの原因は、そなたが人よりやや霊感が強いからのようだな」
聞かれたくないことを聞かれたときのユーティスと同じように、黙りこくる。
けれど、今更隠すことでもなかった。
「昔から、そうでした。たまに、感じるんです。何かの気配を・・・」
矯正されたと思っていたのに、再発してしまった。
また、厄介事を持ち込む霊感なんて一切消えてほしかった。

「低級霊に付け込まれるのは、精神力が弱いからだ。無理に抑え込まなければ、抵抗力ができていたものを」
「・・・どうすれば、抵抗力がつきますか」
「朝支度の後、あの扉の前に来るといい。わらわは風呂に入ってくる」
安芸が出て行って、部屋に取り残された。
今気づくと、布団からほのかに竹の匂いがする。
いけないことだと思っても、布団を引き寄せて、頬を寄せていた。
自然の香りに包まれていると、また眠ってしまいそうで
瞼を閉じる前に、自室へ向かった。


急いで顔を洗って、身なりを整えて、朝食を食べて、閉ざされた扉の前に行く。
そこにはすでに安芸がいたので、慌てて駆け寄った。
「すみません、待たせて」
「1分も待っておらん。さて、行くか」
扉の前に立つと、相変わらず不穏な空気を感じる。
安芸が取っ手に手をかけると、何が出てくるのかと身構えた。

ゆっくりと、扉が開かれる。
その先に合った景色は、笹の葉が舞う竹林だった。
ありえない光景が広がっていて、何も言えなくなる。

「ここ・・・アパートの中、ですか・・・?」
「そんなわけはなかろう。この扉は、それぞれの者が居た場所に繋がっておるのだ」
安芸に続いて、竹林の中へ入る。
笹の葉を掴むと、固い感触と安芸の布団の香りがして、幻想ではないと実感した。

「ここが、わらわの生まれた世界だ。着いて来るがよい」
安芸に先導され、後を追う。
竹林の中にできている道を進んで行くと、小ぢんまりとした家が見えてきた。
室内は畳に床の間、現代にもありそうな古風な家だ。

「実家ではないが、わらわの家だ。入ってもよいぞ」
「あ、はい、おじゃまします」
靴を脱いで、和室に上がる。
い草と笹の香りが混じり、居るだけで気が安らぐようだった。
正座をしてぼんやりしていると、いつの間にか安芸が部屋を出る。
そのまま静かに待機していると、すぐに戻ってきた。

「賞味期限はわからんが、まあ大丈夫だろう」
安芸は不穏なことを言い、茶菓子と抹茶を置く。
漆塗りの皿には笹の葉を模した和菓子が乗っていて、見事な造形に目をとられた。

「精神を高めるには、異質な物を感じて慣れていくのが一番だ」
「そう、なんですか。いただきます」
木製の小さな菓子切りを取り、笹を一口大に切って、口に運ぶ。
食べた瞬間、爽やかな自然の香りが広がった。
清々しくて、嫌な甘さが全くない。
青臭いわけでもなく、ほどよい甘味となめらかな餡の舌触りに、うっとりとしていた。
続けて抹茶を飲むと、ほのかな苦味が口内を浄化する。
食べ終えた頃には、味覚はもちろん、嗅覚も、触覚も満足していた。


「ありがとうございました。すごく、美味しかったです」
「後々、腹を壊さんといいがな」
一言多い言葉に、軽く笑う。
賛辞を素直に受け止められない、照れ隠しのように聞こえた。
外に竹林が広がる家は、現実世界ではなかなかお目にかかれない。
笹の葉がさわさわと揺れ、擦れる音は聞き心地がいい。
そうしてくつろいでいるとき、ざわりと竹林が揺れた。
安芸がすっと立ち上がり、縁側に出る。
何事かと隣に並んで外を見ると、林の中から初老の男性が現れた。

「懐かしい気配がしたと思ったら、やはりお前か」
「老害が、客人の前に醜い姿を晒すでないわ」
いきなり安芸の口が悪くなり、目を丸くする。

「醜い姿はどちらだ、己の性別に不相応な格好をしおって」
「わらわは、美しいと感じたものを取り入れているだけだ。個性を受け入れられぬ頑固者めが」
言葉の一つ一つが刺々しくて、聞いているのが怖くなる。
こんなに悪態をつけるのは、近しい間柄だからだろう。

「それぞれの世界には、それぞれの潮流があるのだ。だからお前は除け者だったのだろうに」
痛いとこをつかれたのか、安芸が唇を噛む。
そう、個個人には受け入れられないものがある。
大多数の人が受け入れられなければ、それは異端なものとして迫害される。
安芸の痛みに、少し共感していた。
「ここでの評判など関係ない、わらわはもはや別の場所で生きているのだ。

現に、この者の世界の住人はわらわに見とれておるわ」
男性は、目を鋭くして別世界の相手に目を向ける。
「・・・信じられんな、こんな異端を好む者がいるとは」
「信じられんのなら、証明してやろう」
安芸が向き直り、間近に迫る。


「一時の間、何を感じても目を開けてはならぬ」
小声で囁かれ、わけもわからぬまま目を閉じる。
すると、すぐに背中に腕がまわされ、頬に掌が添えられて
上を向くように誘導されたとき、唇が柔いもので塞がれていた。
声にならない驚きが、喉元で渦巻く。
目を閉じていても、今、唇が重なり合っていることが感じられて、頬が熱くなった。

動揺したままじっとしていると、腰のあたりに尻尾がやんわりと回される。
服の上からでも柔らかさが伝わり、うっとりとしてしまう。
緊張して、動揺して、動悸が強くて、頬に熱が上る。
けれど、柔い感触は温かくて、心地よくて、決して嫌な感覚ではなかった。

やがて、ゆっくりと唇が離される。
ちらと外を見ると、男性はもういなくなっていた。
「すまないな、急にこんなことをして。嫌だっただろう」
「そんなこと、ありません。・・・柔らかくて、うっとり、してました」
唇に、まだ感触の余韻が残っているようで、鼓動がおさまらない。
それは慰めの言葉だと受け取ったのか、安芸は微妙な表情をしていた。

「ほ、本当ですよ。嫌じゃありませんでしたし、尻尾も気持ち良かったですし」
「そなたは、本当に尻尾が気に入っているのだな」
安芸が微かに頬を緩ませたので、ほっとする。

「安芸さんは、自分の価値観を貫いたんですね。・・・僕には、できなかった」
「ああ、そなたにも異質な部分があったのだったな」
反射的に、口をつぐむ。
本当なら、易々と言うことではないけれど
ここは、現実世界ではない、自分と同じ異質な世界なのだ。

「僕、昔から目が良すぎたんです。幽霊が見えるほどに」
薄ぼんやりと、ではなく、はっきりと見えていた。
人、動物、それ以外の形をしたもの。
接することもできたし、たまに会話もできた。
普通だと思っていた、けれど、誰かに話したとたんに気味悪がられた。
それは、親も例外ではなかった。


「テレビや本を見続けても、少しも視力は悪くならなりませんでした。
その後は精神科医に通ったり、催眠療法をしたり・・・そうしていると、薄れてきたんです」
もう少しで、精神病棟に入れられそうになったところで、ぱたりと見えなくなった。
普通に、平凡になってほしいという両親の希望を叶えたいと思ったからかもしれない。
それ以上に、自分は異質なもので、矯正されるべき存在なのだと自覚し、諦めたからだろう。

「もう、完全に見えなくなったものだと思っていました。
けれど・・・アパートに住んで、異質な相手と接している内に、再発していました。
・・・ここは、何もかもを受け入れてくれる、そんな気がしたから」
妖狐、吸血鬼、その他もろもろ。
そんなファンタジックなものが存在している場では、幽霊が見えるなんて特性が、些細なもののように思える。
だから、本来の自分を曝け出してみたくなった。
抑制されて作りだされた、仮初の自分を投げ出したかった。

「だから、そなたは導かれたのだ。我等の居場所に」
「アパートが、僕の、居場所・・・」
異端なものは、矯正されなければならない。
アパートは、それを拒んだ者が行き着く受け皿なのだろう。
自分が本当に安らげる場所は、世間でも自宅でもなく、異質な世界。
だから、何を見ても怯えが生まれず、高揚していたのかもしれない。

「周りに合わせる必要などない。自分が望む姿でいるのが、一番自然なことだろう」
「・・・安芸さんは、自信たっぷりなんですね。羨ましいです」
「それは、自分自身を認めているからだ。そなたも、特性を高めれば認められるのではないか」
相手から認められるより、自分自身を認めることは、とても難しい。
昔から、否定され続けてきた性質だからこそ。

「さて、厄介者が来ない内に帰るとするか」
安芸が外へ出たので、急いで横に並ぶ。
「あの、ありがとうございました。わざわざ、連れて来てくれて」
「礼を言うのはわらわも同じだ。口付けの時、言う通りに抵抗しなかったのだからな」
先のことを思い出して、また頬が染まる。
照れている様子を見て、頭を撫でられた。

「こ、子ども扱いしないでください」
「わらわから見れば、そなたは幼子に等しいわ」
「・・・いつか、安芸さんに認められるよう、頑張りますから」
自分よりも先に、まずはこの人に認めてもらいたい。
珍しくむきになっていて、そんなことを一番に考えていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
なかなかいいペースでキスシーンまでいけました。だいぶ軽いものですが。
じわりじわりと、進展させてゆきます。