妖怪達との奇妙な暮らし 安芸編3


目が覚めたのは、1度見たことのある和室だった。
また安芸の部屋で世話になってしまったのだと、重たい体を起こす。
「子供はよく寝るな」
玄関に安芸がいて、さっと目を向ける。

「安芸さん・・・僕・・・」
意識を失う前のことを思い出そうとすると、ずきりと頭が痛む。
けれど、脳裏に映像が残っている。
鏡を跳ね除け、家具を吹き飛ばし、安芸に危害を加えようとした場面が。

「そうだ、鏡は・・・」
「あの鏡は無事だ。伊達に長生きしておらんな」
割れていなかったと、ほっとする。


「安芸さん、僕、とんでもないことをして・・・あろうことか、安芸さんに危害を加えて・・・」
「あの程度の力でわらわに傷をつけられると思わんことだ。それよりも、家具に与えた損害が大きいな」
「う・・・バ、バイトして、返します」
「ここの家具は安物ではないぞ。何年かかることやら」
一見、何の変哲もない家具だったけれど、それほど高額なものだったのかと、とても申し訳なくなる。

「今のバイトを辞めれば、もっと良い仕事を教えてやるが、どうだ?」
「えっ・・・ど、どんな仕事ですか」
「詳細は、そなたが決断してからだ」
流石に、危ない仕事はさせないと思うけれど、不安感がよぎる。
それでも、選択肢は一つしかなかった。

「・・・わかりました。バイト、辞めてきます」
入ったばかりですぐ辞めて、正直、心苦しいものはある。
そんな心苦しさも、自分の失態のせいなのだから被らなければならなかった。




繁忙期を過ぎたからか、バイトは案外あっさりと辞められた。
帰ったらすぐに安芸に伝えると、満足そうに頷いた。
「よしよし、賢明な判断だ」
「これで、仕事の詳細を教えてもらえますか?」
「わらわの付き人だ」
意外すぎる仕事内容に、目を丸くする。

「つ、付き人?」
「ただ隣に居るだけでいいと思ったら大間違い、なかなか気苦労が多いぞ」
「付き人って・・・どんなことをすればいいんですか?」
「そうだな、呼んだらすぐに来ること、要望には応えること。まあ、あまり無茶は言わんさ」
それは、願ったり叶ったりな仕事だった。
安芸の傍にいられる仕事なんて、仕事と呼んでいいのだろうか。

「では、早速来てもらおうか。今から撮影だ」
「あ、はい、ついて行きます」
出て行く前に、大きめの鞄を手渡される。
何が入っているのか、それは鉛のように重たかった。
安芸は外に出ると、ぱっと姿を変える。
顔立ちはそのままだけれど、髪は短くなり、背丈が小さくなった。
自分よりも縮み、高校生くらいに見える。

「これなら、誰も感付くまい。堂々と街を歩ける」
「べ、便利な力ですね」
美少年に連れられ、街へ赴く。
珍しくバスを使い、のんびりと移動した。
最近はバイトや霊感を強めることばかりしていて、ゆっくりするのは久々で
姿が違うとはいえ、隣に安芸が居ることが、幸せだった。


街へ着いても、誰も少年が安芸だと気付かない。
重たい鞄を持ったままついて行くと、ビルの裏側へ出た。
人気がないのを確認し、安芸は元の姿に戻る。
そのとき尻尾も一緒に出て、金色に光る毛並みについ目が行った。

「おっと、これはしまっておかねばな」
すぐに尻尾が消えてしまい、残念に思う。
中へ入ると、無機質で長い廊下が続いていた。
いくつも扉がある中で、スタジオBと書かれた部屋へ入る。

「安芸さん、こんにちは!今日もお美しいですね」
部屋へ一歩踏み込むと、さっと女性が駆け寄ってくる。
安芸は、「ああ」と答えただけで眉一つ動かさなかった。

「そちらの方は?」
見たことのない部外者に、女性が不審な目を向ける。
「わらわの付き人だ。何か、文句はあるか?」
「い、いえ、滅相もないです。すぐに、場面を準備しますね!」
安芸に睨まれ、女性はそそくさと駆けて行く。
どこか安芸の雰囲気が違って、不思議だった。

「ここで見学しておれ。鞄はもういい」
安芸は、重々しい鞄を軽々と持つ。
見た目はきゃしゃでも、やはり男性なのだと改めて思う。
けれど、そんな認識はすぐに吹き飛んでしまうことになった。


撮影スタッフの邪魔にならないよう、端の方で見学する。
スタジオの背景には桜が映し出され、和風な椅子が設置される。
辺りの明かりが落とされ、スポットライトがたかれると幻想的な雰囲気になった。

「安芸さん、お願いします」
スタッフに呼ばれ、安芸が椅子に腰かける。
そして、流し目でカメラを見詰めた。
その視線がこっちへ向いているわけではないのに、どきりとする。

「相変わらず色っぽいねー、次は桜の下だ!」
数回のシャッター音がした後、カメラマンが呼びかける。
安芸が無言で桜の下へ行くと、はらはらと花弁が舞う。
しばらくの間は、目を閉じて、神妙な表情で俯く。
それも場面の一環なのか、またシャッター音がする。
安芸が桜を見上げると、見ている方まで切ない気持ちになるようだった。

瞬きするのも惜しいほど、安芸を見詰める。
これほど人を注目させられるのは、この人しかいない。
ほどなくして出番が終わり、他のモデルに交代した。
途中で、撮影スタッフが「最高でした」「美麗でした」と褒めちぎるけれど、安芸は顔色一つ変えない。


「安芸さん・・・すごく、綺麗でした。見惚れていました」
言われ慣れすぎていると思うけれど、告げずにはいられない。
「正直なのは良いことだ。だが、綺麗だけなら、あの者達もそうだろう」
安芸は、まだ撮影中のモデルをちらと見る。
紫色の髪、ピンク色の髪の人も出てきたけれど、安芸の後では見劣りしてしまう。
そんな撮影のさなか、紫色の髪の人が、安こっちをじっと見ていることに気付く。
安芸は気付いていないのか、気付かないふりをしているのか、素知らぬ顔をしていた。

「安芸さんは・・・違います。撮影の雰囲気と、すごく調和しているんです。
他の人にはない、安芸さんにしか出せない・・・オーラって言うんでしょうか。そんなものが、ある気がします」
珍しい感想だったのか、安芸はふっと笑う。
そして、頭をよしよしと撫でられた。
子ども扱いされても、どこか嬉しくなる。

「そろそろ休憩に入る頃だな。わらわは化粧直しをしてくるが、決してついて来るでないぞ」
「えっ」
付き人というのだから、どこへでも行かなければならないと思っていたのに。
安芸と離れることになり、気が萎んでいた。


安芸の背を見送った後、どうしようかと周囲を見渡す。
スタッフが次の撮影準備をしている中、間を縫って紫の髪の人が近付いてきた。

「ねえ、ボウヤ、安芸の隠し子?」
「ち、違いますよ」
「ふーん、高飛車女王様と一緒に居るくらいだから、そうだと思ったのに」
女性は、にやにやとした笑みを浮かべている。
何かを企んでいるようで、警戒した。

「ね、暇ならこっちへ来て」
ふいに腕を取られ、有無を言わさず引っ張られる。
ずんずん歩いて行き、人気のない非常階段口へ連れられ、不信感が強まった。

「あなた、安芸の傍にいるってことはあの人のこと、いろいろ知っているんでしょう?
私、安芸にすごく興味があるの」
「安芸さんのこと、ですか」
至近距離で見詰められ、思わず後ずさる。
紫色に縁取られている目は、だいぶ眼力が強かった。

「そう、私、安芸のことがいろいろと知りたいのよ。私生活とか、人間関係とか・・・」
また、距離を詰められて一歩退く。
壁に背がつくと、ひやりとしたコンクリートの感触に寒気がした。
すぐに詰め寄られ、逃げ道がなくなる。

「お願い、教えて?」
下から見上げられて、声が柔らかくなる。
「ぼ、僕、付き人になったのは今日からで、だから、安芸さんの私生活なんてよくわからないですよ」
「本当にそうかしら。・・・教えてくれたら、お姉さんの好きなところ触らせてあげるから、ね?」
誘惑するような流し目を、とても直視できなかった。
緊張して、困惑しているからではない。
西洋人形に無理矢理和服を着せているような、そんな違和感を見ていられなかった。


「綺羅、何をしている」
人気がなかったはずの空間に、突然声がかかる。
綺羅と呼ばれた女性が、目を見開いて振り返る。
「このボウヤに女性の色気を感じさせてあげてただけよ、女王様」
猫撫で声が瞬時に切り替わり、刺を含む。
綺羅は安芸をじっと見据えた後、大股で歩いていった。
安心して、軽く溜め息をつく。

「災難だったな、雌豹に目をつけられるとは」
「子供がスタジオにいるなんて、珍しいからですかね」
自嘲するように、苦笑いをする。
「安芸さんが来てくれてよかったです。どうしていいか、わからな・・・」
言葉の途中で、安芸に肩を捕まれる。
そして、首元に顔が近付いた。
吐息が微かにかかり、とたんに緊張する。

「あやつの香水の臭いがする。まるでマーキングだ」
「そう、なん、ですか」
安芸が話すと吐息がかかり、落ち着かない。
硬直していると、安芸の腕が背に回され、距離がさらに密接になった。

「あ、安芸さん・・・」
「臭いを払ってやるだけだ。上書きのようなものだがな」
お互いの間に隙間がなくなると、明らかに心音が強まった。
首元にかかる吐息はそのままで、大した温度ではないのに体が熱くなっていく。
さっき綺羅に迫られたときとは、自分の反応がまるで違うのが不思議だった。
自分から腕を回す度量はなく、安芸の体温をじっと感じる。
緊張感がある反面、その温もりに安らいでいた。

「そろそろ、次の撮影が始まるな」
独り言のように呟き、安芸が身を離す。
引き留めたくなったけれど、迷惑をかけてはいけないと堪えた。




その後の撮影でも、安芸しか目に入らなかった。
やはり、他の人にはない上品な色気があって注視せずにはいられない。
写真でしか見られなかった場面が、直接見られるなんて夢のようだった。

「皆さんお疲れ様でした!またよろしくお願いしますねー」
スタッフの声がかかり、モデルはぱらぱらと散って行く。
特に談笑する様子もなく、全員が全員をライバル視しているような気がした。
撮影が終わると、安芸へさっと駆け寄る。

「安芸さん、お疲れ様でした。本当に・・・綺麗だなんて言葉で終わらせるのが勿体ないくらいでした」
「目の保養になったか。では、帰るぞ」
重々しい鞄を手渡され、両手で持つ。

「気になっていたんですけれど、これ、何が入っているんですか?」
「化粧道具だ。わらわは、自分を飾ることに手を抜かんからな」
じっと安芸の顔を見る。
白い肌も、長いまつげも、赤い唇も、作り物だろうか。
素顔を見てみたい。
作られた美しさではなく、そのままの安芸を見てみたかった。


アパートへ着くと、安芸がさりげなく鞄を取る。
自分の手は、持つ部分に圧迫されて赤くなっていた。
「痛かったのなら、言えばいいものを」
「いえ、安芸さんの手がこうなってしまうのは勿体ないですから」
反射的に答えると、安芸が口をつぐむ。

「あの程度、わらわにとっては真綿を持つようなものだ。・・・一旦、わらわの部屋へ来るといい」
嬉しい提案に、喜んで安芸の後ろをついて行く。
畳張りの部屋に入ると、いぐさの香りがして落ち着いた。
安芸が座ったので、隣の座布団に正座する。

「今日はご苦労だった。何か、褒美をやろうか」
「鞄持って、撮影を見学しただけですけど、いいんですか?」
「手が真っ赤になっただろう」
労わってくれるのだと思うと、頬が緩む。
頼みたいことは二つあって迷ったけれど、気が変わらない内に申し出た。

「じゃあ・・・安芸さんに、触りたいです。・・・忘れられないんです、柔らかい、感触が・・・」
遠慮がちに言うと、安芸はにやりと口端を上げた。
「なかなか大胆なことを言うではないか。いいだろう、今日は気分が良いからな」
安芸が体を伸ばしてにじり寄り、間近に迫る。
下から見上げられて、瞬間的に心臓が跳ねた。
そのまま、顔が徐々に近づいてくる。
安芸を見下ろしたままでいると、頬にそっと掌が添えられた。

「ちょ、ちょっと、待って下さい」
「何だ、触れたいのではなかったのか?」
「さ、触りたいです、けど・・・違うんです。・・・・・・尻尾、なんです」
呆気にとられたのか、安芸は一瞬だけ目を丸くした。


「腰に回してくれたときの柔らかさが、忘れられないんです。
直に触れたらどれだけ心地いいんだろうかって、ずっと思ってました」
安芸は、暫くの間黙り込む。
そして、堰を切ったようにあっけらかんに笑った。

「これだけ迫っておるのに、尻尾を優先したいと言うか。いいだろう、望み通りにしよう」
安芸が身を離し、ぱっと尻尾を生やす。
9本の尻尾は相変わらず美しい黄金色をしていて、目が釘づけになった。
尻尾が前に回ってきて、ゆらゆらと動く。

「どうした、触りたいのだろう」
「は、はい。・・・失礼、します」
揺れ動く尻尾に、軽く手を乗せる。
猫よりも、犬よりも柔らかな毛並みに、うっとりと目を細めていた。
そっと毛を撫で、やんわりと握ってみる。
すると、他の尻尾が手の甲へ重ねられた。

「あ・・・」
手がすっぽりと包まれて、心地よくて頬が緩む。
「それほど、わらわの尻尾が好きか」
「はい。触っていると、幸せになりますから」
正直に言うと、安芸がまた笑う。

「そなたは珍しい人種だな」
安芸が距離を詰めて、さっきと同じように見上げてくる。
同時に、尻尾が背に回り、さらに陶酔した。

「ほら、そなたが少し身を下げれば触れることができるのだぞ?尻尾とはまた違う、柔らかな個所に」
「で、でも、尻尾だけで、十分です」
安芸の顔が間近にあっても、尻尾の心地よさの方が優っていて、もう満足している。
それに、自分から身を下ろすなんて、できるはずなかった。


安芸の身がさらに近付き、吐息が口にかかる。
まるで誘惑されているようで、困惑していた。
尻尾は体を離さず、身を引くことができない。
何も行動に移さないでいると、尻尾が伸びてきて、頬をくすぐる。

「触れたくはないか?尻尾以外の箇所に・・・」
「あ、安芸、さん」
尻尾が、首元のあたりでふわりと揺れる。
くすぐったい中に、他の感覚も感じてしまうようでどきりとした。

撮影の時に見たような流し目、口元にかかる吐息、首を撫でる尻尾。
その全てに誘惑されている気がして、気が落ち着かない。
けれど、案外我慢強いのか、自分から身を近づけることはできなかった。

「椎名・・・触れてもよいか・・・?」
「あ・・・」
求めるのは、自分の方ばかりだったはずなのに。
立場が逆になり、動揺する。
けれど、断れるはずがなかった。

「いい、ですよ、安芸さんは、本当にからかうのが好きで・・・」
言葉の途中で、待ちきれないように唇が塞がれる。
性急な行為に驚きつつも、ぎゅっと目を閉じた。
重なっている個所は、柔らかくとも尻尾とは感触がまるで違う。
そこから感じる体温が、自分の頬を熱くさせるようで
動揺は、いつの間にか高揚に変わっていた。


じっと目を閉じているだけでも、触れ合っていることを感じると体に熱が循環していく。
ほどなくして安芸が離れると、ゆっくりと目を開いた。
まだ、美麗な顔立ちが目の前にあって、無言のまま見つめ合う。

近付いてみたい。
自分の本能が、そんな愚かしいことを考えてしまう。
今のは、たぶん、からかいがいのある子供に対しての戯言の一つに違いないのに。
尻尾だけでは飽き足らず、今感じた唇へも、また重ねたいなんて思ってしまっていた。

「・・・そろそろ、そなたは部屋へ戻った方が良いな」
安芸がふいに目を逸らし、距離を置いて立ち上がる。
「あ、は、はい。わかりました」
つられて起立し、出口へ向かう。
名残惜しいものはあったけれど、我儘を言って留まる訳にはいかない。
部屋を出る前に、ちら、と安芸の様子を覗う。

「早く出ておれ。それとも、もっと大胆なことをされたいか?」
爆弾発言に、ぎょっと目を見開く。
どう反応していいかわからなくて、そそくさと部屋を出た。
焦って、勢いよく扉を閉めてしまう。
言われた通りに自分の部屋へ向かう間、ずっと心音は早いままだった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
安芸ともいい雰囲気に。まったり系甘々話で進めてゆきます。