妖怪達との奇妙な暮らし 安芸編4


今日も、付き人として安芸の撮影現場に同行する。
いつも、安芸は一番に輝いている存在だったけれど
調子が悪いのか、ぼんやりと遠くを見ていることが多かった。
休憩に入ると、物憂げな溜め息をつく。
「安芸さん、どうかしたんですか?」
心配そうに尋ねたけれど、やはり遠くを見ている。

「・・・何でもない。化粧直しをしてくる」
明らかに何かあったようで、声に破棄がない。
ついていって理由を聞きたかったけれど、部屋には入らせてもらえなかった。
それだから、ますます素顔が見たくなる。
それでも、後を追うことはできず、大人しく引き下がった。
特にすることもないので、手持ちぶさたになる。

「ねえ、付き人さん」
ふいに、紫の髪の人に声をかけられる。
あまりいい予感はしなくとも、とりあえず顔を向けた。
「さっき、安芸が呼んでたわよ。用事があるって」
「安芸さんが?」
「楽屋まで案内してあげるわ」
有無を言わさず手を取られ、引っ張られる。
疑いもなくついて行った先は、部屋の扉もない、通路の一角だった。

「あの、安芸さんは・・・」
「安芸のことになったら、何の疑いもなくついて来るんだから。おっかしいの」
綺羅は手を離し、嘲笑する。
「僕、スタジオに戻ります」
身を返そうとすると、両肩を掴まれて壁際に追い詰められる。
目の前にある瞳はまるで肉食獣のようで、ぞっとした。

「安芸のこと、教えなさい。大人しくしていたら、痛くはしないから」
紫色をした爪が、首に触れる。
色気が通じず強行手段に出られて、肩が震えた。
「・・・嫌です。首を掻き切られても、言いません」
「案外頑固なボウヤね。たとえ爪が赤くなっても、マニキュアだって言ってごまかせるのよ」
首に掌が押し付けられ、爪が食い込む。
まだ血は出ていなくとも、いつ皮膚が破られるかと思うと寒気が走った。


「綺羅、その汚らわしい手を離せ!」
怒号が響き、目が丸くする。
声を発したのが、安芸だったから余計に驚いた。
「なんて鼻が効く女狐、もう少しだったのに」
悔しさからか、爪に力が込められる。
痛みに顔をしかめると、安芸の雰囲気が変わった。

「さっさと離せと言っておるだろう、このあばずれが!」
罵声と共に、安芸の表情が怒りに満ちる。
そして、高ぶる感情と共に、服の後ろから尻尾が飛び出してしまっていた。
綺羅が呆気にとられ、首にかかる手が緩む。
とっさに押し退けて、安芸の隣に並んだ。

「あ・・・あんた、本当に、女狐・・・あははっ、すごいもの見ちゃった、大スクープだわ!」
綺羅は甲高い声で笑い、さっと携帯を取り出して尻尾を撮影する。
そうして、止める間もなく駆け出して行った。

「・・・とうとう、知られてしまったか。まあ、いつまでも隠し通せるものでもないな」
さっきとは打ってかわって、声が細くなる。
いつも自信に満ち溢れている様子を見ているからか、やけに気弱に感じた。

「もう、ここには居られん。騒ぎになる前に帰るとするか」
「ちょ、ちょっと待って下さい。・・・・・・どうせこのまま立ち去るんなら、はったりを試してみませんか。ダメ元ですけど」
誰かに聞こえないよう、背伸びをして安芸に耳打ちする。
それはだいぶ無謀な企てに思えたけれど、この人のためなら何だってできる気がしていた。

スタジオへ戻ると、ざわめきが耳につく。
安芸が姿を表すと、一斉に視線が向けられた。
「本当に、尻尾が・・・」
「ほら見なさい、言った通りでしょ!?こいつは化け物なのよ!」
間違ってはいないけれど、悪態をつかれて眉をひそめる。
そんな表情は、次の演技のためにすぐ消えた。


「本当によくできてますよね、この尻尾。綺羅さんが驚いて、取り乱すのも無理ないです」
いたって冷静に言うと、綺羅に睨まれる。
「作り物だって言うの?冗談じゃないわ、今だってその尻尾は動いているじゃない」
「そりゃあ、動きますよ」
勝ち誇ったように言う綺羅に、小型のリモコンを見せる。
リモコンについている十字キーを押すと、尻尾が上下に動いた。
操作を見て、場が再びざわつき始める。

「う、嘘よ、そんなの・・・!」
「安芸さんの鞄がやたらと重たいことを知っていますか?
化粧品だけでなく、この尻尾とリモコンが入っていたからなんです」
苦しい弁論に近くても、皆が言葉を無くす。
嘘か真か図りかねている沈黙が辺りを包んだ。

「・・・そうか、そりゃそうだよな、作り物に決まってるさ」
沈黙のさなか、一人が声を上げる。
「そうですよね、すごいリアルで、一瞬本物かと思っちゃいましたよ」
「な、何言ってるのよ、尻尾が、本当に・・・」
「化粧直しのときに誰も立ち入らせないのは、そんな理由があったからか」
「安芸さん、自分を美しくするためなら、何でも取り入れちゃうのね」
次々と声が広がり、雰囲気が和らぐ。
ただ一人、綺羅は安芸を睨み付けていた。


これは、ぐるになった二人の、都合のいい言い訳だと気付いている人もいるかもしれない。
きっと、恐いのだと思う。
尻尾があるモデルがスキャンダルになれば、事務所も取り上げられる。
そうすれば、トップモデルがいなくなり、雑誌の売り上げが低迷するのは確実だ。
だから、皆、気付かないふりをすればいい。
ぐるになっているのは、お互い樣なのかもしれなかった。

「さあ、撮影再開だ!早く場面作って!」
合図がかかると、皆さっと動く。
綺羅は安芸に恨みがましい視線を向けていたけれど、もはや一人の主張ではどうにもできない。
ほっと胸を撫で下ろしたかったけれど、ぐっと堪えて平静にしていた。

リモコン操作が疑われることなく、撮影は無事に終わる。
アパートへ帰ると、やっと肩の力が抜けた。
「まさか、あんなに上手くいくとはな」
「本当に、たまにはダメ元にかけてみるのもいいですね」
お互いに顔を見合わせ、頬を緩ませる。

「そなたには、礼をせねばな。何か、望むものはあるか?」
「僕が、望むもの・・・」
願ってもいない機会に、本気で考える。
位の一番に思いついたのは、物ではなかった。

「じゃあ、僕、安芸さんの素顔が見たいです」
思いがけない願いだったのか、安芸の口が半開きになる。
「・・・わらわの素顔など、何も面白くないぞ」
「面白さは期待していません。そのままの姿の安芸さんを、見てみたいんです」
迷っているのか、安芸が視線を逸らす。
じっと見つめていると、やがて安芸が溜息をついた。

「・・・1時間後に、わらわの部屋へ来ることだ」
安芸は身を翻し、自室へ去って行く。
すぐにでも後を追いたい衝動を押さえつけ、自分の部屋で1時間を過ごした。


時計の針がきっかり一周したのを見て、安芸の部屋へ赴く。
「安芸さん、入ってもいいですか?」
声をかけても、返答はない。
約束の時間がきたのだからと、扉を開けた。
窓は閉め切られ、室内に明かりはついていなくて、薄暗い。
その部屋の中心に、安芸が座っていた。

「安芸さん・・・失礼します」
和室に上がり、安芸に近付く。
珍しく十二単を着ていなくて、質素な白装束になっている。
それだからか、尻尾がより美しく見えた。
前に回って、顔を覗こうとする。
俯きがちで、いつも堂々としている姿とは真逆だ。

「幻滅、しないでくれるか・・・」
「約束します」
即答すると、徐々に顔が上を向く。
顔が正面を向いたとき、安芸は目を閉じていた。
この距離なら、薄闇の中でもはっきりと見える。
始めてみる安芸の素顔は、男と言われればそう思えるし、女と言われても信じられる。
白粉も、紅もつけていない中性的な顔立ちは、いつもよりあどけなく見えた。


作り上げた美しさも、確かに見惚れるものだったけれど
何も手を加えていない、そんな姿も一種の美しさだ。
やがて、安芸が目を開く。
「こんな、着飾っていない姿を見てもつまらないだろうに・・・」
「安芸さんのそのままの姿だって、綺麗です。
僕が一番に見惚れていたのは、安芸さんが生まれ持った尻尾なんですから」
正直な気持ちを告げると、安芸は視線を逸らす。

「・・・そなたは案外、人たらしになるかもしれんな」
「化粧をした安芸さんには、もちろん惹き付けられます。でも、今の安芸さんにだって、惹かれているんです」
縁取りをされていない目に、見詰められる。
細い目の色っぽさはそのままで、至近距離で見詰め返していた。

「そなたは、本当にそう想ってくれるのか・・・?」
「当たり前です。だって・・・現に今、僕は安芸さんから目を離せないでいますから」
安芸の手に、そっと掌を重ねる。
しなやかな肌の手触りや、長い指に、自分で触れておきながらどきりとした。
空いている方の手に、安芸の掌が重なる。
同時に、目と鼻の距離まで顔が近付いた。

「椎名、そなたに触れたい・・・。他の誰にも誘惑されぬよう、身も心もわらわのものにしてしまいたい」
熱烈な告白をされ、息が詰まる。
歓喜にうち震えていると、両の掌に頬が包まれた。
「そなたの身を、預けてはくれまいか・・・?」
どくん、と心音が強く反応する。
相手の性別を、知らないわけではない。
それでも、それは、断る理由にはならなかった。


「安芸さんの・・・好きに、してください」
言葉を言い終えた瞬間、唇が塞がれる。
性急に求めるような深い重なりでも、目を閉じて受け入れていた。
長く塞がれ、口の隙間を開く。
そこへ柔らかなものが進んできて、また息を飲んだ。
舌先が触れ、表面をなぞる。

「は・・・あ、う」
自然に、息と共に声が漏れてしまう。
安芸が奥まで入り込み、柔らかなものが絡みつく。

「あ、あぅ・・・」
艶めかしくていやらしい感触に抵抗力なんてなくて、力が抜けてゆく。
体がわずかに後ろへ傾くと、徐々に体重がかかってきて、ゆっくりと倒れていった。
畳に背がつくと、絡まりが解かれる。
きらめく液が唇に落ちてきて、目を細めて安芸を見上げた。
薄布を隔てて、安芸の呼吸が伝わってくる。

「ああ、愛おしい・・・そなたは、わらわのものだ・・・」
安芸の手が、腰元から下方へ下がってゆく。
その手が中心に触れそうになった瞬間、反射的に腕を掴んでいた。
「ま、待って、ください。あの、僕、帰って来たばかりで、温泉にも入っていませんし・・・」
「・・・気になるのなら、汚れを落とすとするか。先に入ってくるといい」
安芸が退いたので、身を起こす。
残念なような、ほっとしたような、微妙な気持ちだった。

「あの・・・よければ、一緒に入りませんか」
自分でも、大胆すぎる発言が飛び出す。
「他に誰が入ってくるかわからん。邪魔をされたくはないだろう?それとも、見せつけてやりたいか」
「さ、先に入ってきますっ」
いそいそと部屋を出ると、背後から軽やかな笑い声が聞こえてくる。
先の発言は冗談だろうか、それとも。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
次はいよいよ安芸編最終話。まったりといかがわしくなります。