妖怪達との奇妙な暮らし ユーティス編1


今日はバイトがなく、朝はだいぶゆったりとしていた。
のんびりと朝自宅をして、時間をかけて朝食をとる。
そうしてくつろいでいると、ふわふわとした光がじゃれつくように周囲を回る。
霊感が強くなったからだろうか、おぼろげに見える何かが接してくることが多くなった。
そっと触れると、ほんのりとした温度を感じる。
まるで、変わったペットを飼っているようで面白かった。

「おはよう、今日は気分が良さそうだね。アルバイトがないからかい」
「おはようございます。そうなんです、のびのびしてますよ」
ユーティスが隣に座ると、光はさっとどこかへ行く。
どこかへ行く光を、ユーティスも見送る。

「・・・君は、幽霊が見えるのか」
突然問われ、一瞬だけ言葉に詰まる。
それは、本来なら、否定しなければならない問い。
「見え、ます。アパートにも、いろいろいるのを感じますし」
忌み嫌ってきた性質を、堂々と言う。
ここでは、常識なんて言葉に囚われる必要はなかった。

「そうか。・・・椎名、今日は私と扉の向こうへ行ってみないかい。ちょうど、オフなんだ」
「いいんですか?僕も、ユーティスさんの世界へ行ってみたいです」
快く返事をすると、ユーティスはやんわりと微笑む。
その優しい笑みを見ると、不思議と嬉しくなった。


朝食を食べ終わると、すぐに扉の前に行く。
今度はどんな世界へ行けるのかと、楽しみでならなかった。
ユーティスが、ゆっくりと扉を開く。
中へ入った瞬間、外は月明かりに照らされた森に変わった。
森はいたって普通だけれど、月の色が赤い。
禍々しくとも神秘的な雰囲気に、一時の間見惚れていた。

「赤い満月の時に帰ってきてしまうとは・・・皮肉なものだ」
「いつもは、違う色なんですか?」
「ああ、普段は金色で美しい。だが、赤い月は・・・」
言いかけたところで、森の奥からけたたましい羽音が聞こえてくる。
はっと目を向けると、ワシのように大きな蝙蝠の群れが向かってきていた。
いきなりの襲撃に目が点になり、硬直する。

「赤い月は、この世界の生き物を狂わせる」
ユーティスはいたって冷静なまま、軽く掌を返す。
すると、蝙蝠の前に竜巻が現れ、一匹残らず吹き飛ばした。
「別世界の者の匂いに引かれて来たのだろう。私から、離れないでいてくれ」
「わかり、ました」
差し出された手を、控え目に取る。
思いの外強く握り返され、ほんの少しだけ胸が温かくなった。


ほどなくして、高くそびえ立つ城に着く。
誰もいないのか、中はしんとしていた。
ユーティスは棚からワイングラスと瓶を取り出し、半分ほど液体を注ぐ。

「あの・・・それ、もしかして」
「主原料は葡萄だよ。甘くて飲みやすいと思う」
血ですか、と問う前に、葡萄と言われて安心した。
グラスを受け取り、鼻を近付けると、アルコールの匂いがしてくる。
明らかにお酒だったけれど、断るのは悪くて、思いきって口をつけた。
アルコール特有の味がするけれど、さほどきつくない。
むしろ葡萄の甘味が広がって、甘美に感じるほどだった。

「私も、飲ませてもらおうかな。きっと、酔ったほうが楽に語れるから」
ユーティスは新しいグラスを出し、別のボトルの液体を注ぐ。
その液体はやけに赤くて、これこそ血ではないかと感じた。
グラスに葡萄酒がなくなると、すぐに注がれる。
だんだんと頬が熱くなってきて、気分が浮わついてきていた。


「良い具合になってきたみたいだね」
ユーティスが近付き、頬に手を添えて体温を計る。
その手はまだ冷たくて、温度差に目を細めた。

「本当は、未成年の飲酒は禁止されているんですけど・・・ここでは、通用しませんよね」
「そうだね。この世界の常識はアパートとは違うから」
ユーティスは二杯目の液体をグラスにあけて、すぐに飲み干した。
アルコールに強いのか、顔に出ないだけなのか、表情は変わらない。

「さて・・・以前に、君は私の歌を死別の曲だと言ったね」
「はい。とても切ない、悲哀の感情が込められているみたいでした」
葡萄酒の効果はてきめんで、饒舌になる。

「・・・君の予測通り、私は大切な相手を失った。私が、殺したから」
軽くなった口が閉じ、沈黙する。
冗談にしては、重たすぎる発言だった。
「今日と同じ、赤い月の日だ。会いたくて仕方がなくなって、外へ飛び出していた。
そうしたら、凶暴化した獣に襲われて、瀕死の重症を負ってしまった・・・私は愚かだった」
一呼吸置いて、ユーティスはまたグラスを空ける。

「そのまま死んでいればよかった・・・けれど、あの子は来てしまった。
そして、私は本能のままに、自分が生き長らえるために、その子の血を吸ったんだっ」
語気が強くなると同時に、ユーティスが持っているグラスが割れる。
白い手に赤い鮮血が映えて、目を見開いた。

「ユーティスさん、血が・・・」
ユーティスは、破片が刺さるのも構わず手を握り締める。
自虐的な行為に、何と言葉をかけていいかわからなくなっていた。


「・・・すまない、驚かせたね。単刀直入に言おう、私は君の霊感を高め、その子を見つけてほしいと思っている。
あんな死に方をしたのでは、未練が残っているに違いない」
「僕がその子を見つけて、それから・・・どうするんですか」
ユーティスは答えず、遠くを見る。
自虐的な行為を見た後だからか、答えがないことに不安になっていた。

「協力して、くれるかな」
すぐに、返答ができない。
けれど、じっと見詰められると、言葉は出なくとも首を縦に振っていた。
断れば、悲哀の歌に磨きがかかりそうな気がしたから。

「ありがとう、椎名・・・」
ユーティスは、いつものようにやんわりと微笑む。
その表情を見ても、不安感は拭えなかった。




それから、しょっちゅうユーティスの世界へ行った。
少しでも暇があれば、城へ行って別世界の空気に慣れる。
連れて行ってくれることはありがたいけれど、ユーティスがアパートにいる時間が長くなったのが気になった。
「あの、最近ライブや収録はないんですか?」
「・・・君は気にしなくてもいいよ」
あるんだなと、すぐに察する。
「行ってください。ユーティスさんの歌を楽しみにしている人は、沢山いるんですから」

「けれど、私がいなければ扉が・・・」
「霊感が強くなるまで、どれくらいかかるかわかりません。
それに、僕だってユーティスさんの曲を楽しみにしているんですから、行ってください」
もう一度言うと、ふいに、ユーティスの指が頬を撫でる。
そのまま髪も撫でられ、良い子良い子とあやされている気がした。

「子供じゃあるまいし、身勝手なことを言ってはいけないな。行ってくるよ」
ユーティスが乗り気になってくれて、ほっとする。
このままユーティスをアパートに留めてしまったら、ファンの怨みを買うに違いなかった。


霊感が強まるまで、どれくらいかかるかわからないと言ったけれど、変化は案外すぐにやってきた。
アパートに住人が増えたと思ったら、それは半透明だったり、壁をすり抜けたりしている。
霊がはっきりと見えるようになったのだと実感し、すぐユーティスへ報告しに行った。

「ユーティスさん、僕、幽霊が見えるようになりましたよ。何かの、ざわめきも聞こえてくるんです」
そう言った途端、ユーティスに見詰められ、いつかのように沈黙が流れる。
それから、「そうか・・・」と呟きが聞こえ、また静かになった。

「今すぐ、私の世界へ来てくれるかい」
暫く間が空いた後、手を取られる。
有無を言わさない雰囲気があって、頷いていた。
手を繋いだまま、月明かりに照らされた世界へ行く。
連れられたのはいつもの城ではなく、泉だった。
丸い形をした泉は済んでいて、月を映していて幻想的だ。

「綺麗な場所ですね・・・」
手が自然と離れ、引き寄せられるように泉に近付く。
すると、その中心に金色の靄が見えた。
霧は、徐々に形を成して、人の姿に変わる。
この相手が、ユーティスが見てほしがっていた相手なのだろうか。
もはや、人型の幽霊には慣れていたけれど、その相手が自分とさほど変わらない年頃の少年だったから驚いた。

違うところは、背中に蝙蝠の羽が生えているところくらいだ。

「君が、ユーティスの・・・」
『リーン、だよ』
脳裏に響いてくる声質は確かに、男のものだ。
ユーティスは、近付くことなくその場に佇んでいる。

『ユーティスには僕が見えないみたいだね。・・・少しの間だけ、君の体を貸してくれないかな』
「え、うん、いいよ」
軽く返事をすると、少年の体が金の霧に代わる。
それは空高く舞い上がり、一気に落ちてきた。
頭の先からすっぽりと霧に包まれ、全身に入り込んでくる。
ふっと意識が途切れたとき、体が勝手に動き、ユーティスの方へ向かっていた。

「リーン、なのか・・・?」
「ユーティス、わざわざ霊媒師を連れて、会いに来てくれたんだ」
頬が勝手に緩んで、言葉を紡ぐ。
「ああ、リーン・・・!私は、ずっと謝りたかった、私は・・・」
「いいんだ。僕は貴方に生きてほしかった。だから、自らの首を切って、血を与えたんだよ」
意識が入り交じり、記憶が伝わる。
瀕死のユーティスを見た瞬間、リーンは迷わず自らの爪で首を切っていた。
動脈がちぎれ、鮮血が吹き出す。
そのとき、未練や悲しみは微塵もなかった。

「どちらにせよ、私は君の死ぬ要因となった・・・だから、今、私も側へ逝くよ」
ユーティスが爪を光らせ、首へ持っていく。
何をする気なのか察した瞬間、とっさにその手首を取って、必死に押し留めた。

「何してるんですか、同じように首を切ったら、罪滅ぼしになると思っているんですか!
そんなの、命を分け与えてくれたリーンに対して一番の侮辱です!」
感情に乗せて、強い言葉が飛び出す。
リーンの感情も伴っているのか、止まらなかった。

「貴方が死んだら何にもならない。僕の目が黒い内は、死なせませんから!」
こんなに声を荒げたのは、いつ以来だろうか。
憑依されているからか、少しも抑制がきかない。
死んでほしくない、まごうことなき本心を訴えずにはいられなかった。
すっかり言い終えると、ふっと意識が遠くなる。
次の瞬間には、もう何も言えなくなっていた。


「驚いた。憑依してるのに、前に出てくるんだから。
・・・ユーティス、間違っても自ら僕の元に来ちゃいけない。さっきの言葉は、僕の本音と同じだよ」
「リーン、私は・・・」
ユーティスの手首を掴んでいた手を離し、頬に添える。
いとおしい相手の体温を、確かに感じ取るように。

「貴方は、意図的でないとはいえ、同族殺しで皆から恐れられた。
けれど、他の世界では貴方のファンがたくさんいるじゃないか」
「・・・皆、私のうわべしか見ていない。歌など二の次だろう」
「そうかな?少なくとも、この子は違うみたいだよ」
ユーティスは、言葉を止める。

「あんまり強く想われてるとね、その人が気にかかって仕方なくて、留まってしまうんだ。
だから、きれいさっぱり忘れろとは言わないけれど・・・・悲哀の歌ばかり歌うのは控えてよね」
頬が緩み、自然な笑顔で笑いかける。
ユーティスの虚しさを解消できるのなら、自分が消えても構わない。
その覚悟に、口を挟む余地はなかった。
「さようなら、ユーティス。どうか、貴方の慈愛が他の人に捧げられますように・・・」
瞼が閉じ、体が金色の霧をまとう。

「リーン・・・!」
引き留めるように、ユーティスの腕が背に回る。
すぐに顔が近付いてきて、背ける間もなく唇が重ねられていた。
驚きはしたけれど、抵抗する気が起こらない。
まだ、リーンの意識が微かに残っているからだろうか。
触れ合うことに安らぎを感じ、身を委ねるように目を閉じていた。


金色の霧が、体から抜けていく。
ユーティスが離れ、目を開いたとき、もうリーンの意識は消えていた。
口は離されても、背に回る腕はそのままで、抱き寄せられる。

「ユーティスさん・・・もう、リーンはいませんよ」
「わかっている。・・・少しの間だけ、寄り添っていてほしい」
両腕がしっかりと回されて、もう何も言えなくなる。
誰かに、こんなにもしっかりと抱きとめられるなんて、幼少期以来だろうか。
密接になっている前面が温かくて、身を預けたくなる。
おずおずとユーティスの背に腕を回すと、耳元に唇が寄せられた。

「あ・・・」
温かな吐息がかかり、どきりとする。
触れられはしなかったものの、その息遣いを感じるだけでも、どぎまぎした。

やがて、腕が解かれて解放される。
同じく腕を外すと、急に温かみがなくなって少し空しくなった。
「リーンに会わせてくれてありがとう。君には、いくらお礼を言っても足りないな」
「いいえ、ユーティスさんが喜んでくれたんなら、僕も嬉しいです」
偽善ではない、思った通りの言葉を恥ずかしげもなく告げる。
悲しい曲とはいえ、ユーティスの歌はいつも安らぎを与えてくれた。
感謝しても足りないのは、こちらの方だった。


その後、ユーティスの曲は風変りする。
憂いだけでなく、過去にとらわれずに新たな道を歩む歌。
それは、死別を乗り越えた後のストーリーソングとして評判になるのだった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ユーティスの過去を語ってみました。次からユーティスイベント進んでゆきます。