妖怪達との奇妙な暮らし ユーティス編3


平穏に過ごしていたとき、アパートに電話がかかってきた。
最初は鏡が取り次いでくれて、怖々受話器を取る。
その相手は、両親だったから。
「・・・もしもし」
『椎名、調子はどう?体壊してない?』
母親の声を久々に聞いても、あまり懐かしく思えない。

「うん、入居者とも仲良くしてるし、平和だよ」
『よかった。それで、お父さんとお母さん、一度椎名の様子を見にアパートへ行こうと思うんだけど』
ぞくりと、背筋が寒くなる。
平平凡凡をこよなく愛する両親がこんな環境を見たら、確実に連れ戻される。

「僕が気になるんなら、こっちから行くよ。親が心配して来るなんて、恥ずかしいし」
『うーん、椎名ももう子供じゃあないものね。わかったわ』
やはり、気にかかっていたのはアパートの様子ではなく、息子の様子だ。
それも、異常な性質が再発していないか見極めたいに決まっている。
嫌なことは早めに済ましてしまいたくて、もう明日行くと返事をしておいた。


夜は中々眠れず、朝はやけに早く起きる。
それは高揚ではなく、不安ゆえだった。
自転車をこいでいる間、嫌な予感がしてたまらない。
強まった自分の霊感を悟られるのではないかと、怖かった。

家に着くと、まるで他人の家のチャイムを押すように緊張する。
音が鳴ると、すぐに扉が開いた。
「お帰りなさい。さあ、入って」
「うん、ただいま」
家の扉が閉まると、とたんに気配を感じる。
何か、一緒に入ってきてしまったのだろうか。
余計なことはしないでくれればいいと祈りつつ、今へ向かった。

「おお、帰って来たか」
「ただいま、父さん」
なぜだろうか、ただいまという言葉に違和感を覚える。
「さあさあ座って。久し振りだから、はりきってケーキを焼いたのよ」
テーブルの上には、紅茶とシフォンケーキが並べられている。
一見、おしゃれなティータイムだけれど、両親が目の前に並ぶとまるで取調室のカツ丼の代わりに見えた。


「どうだ、一人暮らしは。結構大変なんじゃないのか」
「そうでもないよ。食事はまかないがあるし、温泉付きだし、短期バイトも始めたんだ」
「あら、何のバイトなの?」
「大型書店で、在庫チェックや本の整理だよ。たまに遅くなるけど、安定してできてる」
早く、この尋問を終えて帰りたい。
親子の会話なのに、落ち着くことができなかった。

「そう、よかった。それで、気になっているんだけど・・・何も、変なことは起きてない?」
変なことと、オブラートに包まれてもわかる。
入居時から普通ではないことばかりだけれど、口が裂けても言うわけにはいかない。

「起きてないよ。普通の、平凡な生活だよ」
会話のたびに、いつ気取られるかと警戒する。
叶うのならば、すぐにでもアパートに戻りたい。
そんなことばかり考えているさなか、ふいに紅茶のカップが揺れた。
両親は異変にいち早く気付き、カップを凝視する。


「地震、かしら」
母が辺りを見回すけれど、揺れているのはカップだけだ。
父に直視され、さっと、血の気が引いていく。
思わず立ち上がって後退りすると、カップが倒れて紅茶が零れた。
両親も、慌てて立ち上がる。

「椎名、お前・・・」
父の言葉を遮るように、棚の上の置物が落ちる。
地震などではないと、全員が察する。
そのとき両親から向けられた視線は、恐怖や軽蔑が入り交じったものだった。

「椎名、あなた、一体・・・」
母が手を伸ばし、一歩近付いてくる。
その手に捕まれたら終わりだ。
恐怖心が湧き上がり、たまらず玄関へ駆け出していた。
扉が勢いよく開き、外へ逃げ出す。
自転車に乗ることも忘れ、必死に走った。

その行く先を、ふわりとした光の球体が照らす。
アパートへ先導するように、せかすように周囲をくるくると回り、じゃれついてくる。
一緒に入ってきたのは、この光だった。
そして、不安や緊張を感じ取って、両親が敵だと見なされ、攻撃したのだと気付く。
それは、自分が意図的にしたことではない。
けれど、もう家には帰れないことは間違いなかった。




霧中で走り続けて、アパートに辿り着く。
いつ両親が追ってくるかと怯えていて、全身に嫌な汗をかいていた。
もしかして先回りしているのではないかと、怖々と扉を開く。

「お帰り。ずいぶんと早かったんだね」
出迎えてくれたのは両親ではなくユーティスで、どっと安堵感がわく。
油断したとたん、一気に疲れがきて膝が折れていた。
ユーティスが、さっと駆け寄り体を支える。

「・・・顔色が悪い。心身共に、だいぶ疲れているようだね」
「ちょっと、走ってきたから・・・自転車、パンクしちゃって」
大丈夫だと、笑顔を見せようとするけれど、頬が緩んでくれない。
「私の部屋に行こうか」
いつかのように体が抱き上げられ、運ばれる。
今は、恥ずかしい気持ちよりも安心感が勝り、身を委ねていた。

部屋に運ばれ、ユーティスはそのままベッドに腰を下ろす。
体が抱き寄せられると、だんだんと息が落ち着いてきていた。
「鏡から聞いたよ。両親に会ってきて、何かあったのかな」
両親、という単語に反応して、体がびくりと震える。
「・・・家に、不思議な光がついてきて、カップを倒したり、物を落としたりして、しまって、それで、それから・・・」
一気に言おうとすると、拒否反応を起こして声帯が閉じる。
手が小刻みに震えると、そっと掌が重ねられた。


「大丈夫、ここには私しかいないよ」
安心させるように、手が握られる。
「僕・・・僕、もう家に帰れない。帰ったら、きっと矯正される・・・今度こそ、精神病棟に入れられる・・・!」
過去のトラウマが、声をかすれさせる。
催眠療法の毎日、お前は普通に生きなければいけないと、教育された。
自分を否定して生きなければならないと知ったときの悲哀なんて、もう感じたくなかった。

「そんなことはさせない。病院になんて行かせないよ、君は異常者でも何でもないのだから」
離れないよう、両腕でしっかりと体が抱き締められる。
すがりつきたくなって、小動物のように身をすり寄せていた。
ユーティスは、目を細めて頭を撫でる。
弟扱いされていると感じると、嬉しいような、その逆のような、微妙な気持ちになった。

「不安なら、閉鎖空間へ行こうか。私と君の、二人だけの場所へ」
「え・・・」
返事をする前に、そのまま運ばれる。
「あ、も、もう大丈夫ですから、下ろしてください」
慌てると、ユーティスは軽く笑って下ろしてくれた。


その後、そうして連れられたのは、街中にあるカラオケボックスだった。
結構高級感のあるカラオケボックスで、レストランと同じく裏口からこっそりと入る。
顔なじみなのか、店員が快く部屋へ通してくれる。
もしかして有名人専用のVipルームでもあるのか、すんなりと入ることができた。

「まさか、歌手とカラオケに行けるなんて思っていませんでした」
「一人で歌いたいときには最適だよ。何か好きなものを頼むといい」
「・・・何から何まで、ありがとうございます」
お言葉に甘えてメニュー表を見ている間に、ユーティスは曲を入れる。
慣れているようで、端末を設定するのは早かった。
すぐに、聞き覚えのあるイントロが流れ出す。
画面には適当な背景が流れ、曲が始まった。

いつもは、CDで聞いている曲が、そのままの音で聴ける。
機器は最新のものなのか、音質が良い。
何より、こんなにも間近で、ユーティスの歌を聞けるなんて信じられなかった。
激しく切ない歌が、全身に響く。
死別の過去をはっきりと知った今、その歌が涙腺を震わせる。
目を閉じ、曲だけに集中すると、瞼の裏でじんわりと涙がにじんだ。

数分で、音がフェードアウトする。
瞼を開けると、目の前に曲を選ぶ機器があった。

「折角だから、君も何か歌ってほしい」
「ぼ、僕ですか。実は、歌は音楽の授業で歌ったことがあるくらいで・・・」
「美味い下手はいいんだ。ただ、君の声が聴きたい」
この人に望まれると断れなくて、機器を受け取る。
自分が知っている曲なんて、数少ない。
迷った挙句、選んだ曲はユーティスの歌だった。

本人の前で持ち曲を歌うなんて、おこがましいにもほどがある。
けれど、一番音程を把握していて、曲調も掴んでいるのがそれだった。
緊張気味にマイクを取り、声が通るよう立ち上がって、歌い始める。
出だしは小声になってしまったけれど、徐々に声が出てきた。
もはや、半ば、やけくそになっていて
評価よりも、自分が楽しめるように歌えたらいいと、後半はだいぶ声が出ていた。

歌い終わり、一息ついて腰を下ろす。
「私の曲を歌ってくれるなんて、光栄だよ」
「一番知っているのが、ユーティスさんの曲なんで。・・・聞き苦しかったと思いますけど」
「そんなことはない。音程もリズムも独特なのに、良く歌えていたよ」
褒められると、思わず頬が緩む。
お世辞かもしれないけれど自信がつき、それからは交代で歌った。


歌っている時間は楽しく、あっという間に時間が過ぎる。
気付けば、外はもう暗くなる時間帯になっていた。
「もう、こんな時間なんですね。カラオケ初めてでしたけど、楽しかったです」
「楽しんでもらえたようで良かったよ」
だいぶストレス解消になり、気分が晴れやかになる。
体が温まり、運動した後のようだ。

「それにしてもよく歌ったね、疲れたかい」
「はい。でも、清々しいです」
すぐ隣で休んでいると、自然な動作で肩に腕が回される。
こうされることはもはや普通のことに思えて、違和感を覚えない。
引き寄せられると、そのまま身を預けてしまう。

「こうして、素直に甘えてくれる相手がいるのはいいことだね。弟は結構気が強かったから」
「あはは、そんな感じがします」
軽く笑ってユーティスの方を向くと、視線が合致する。
そこには、やけに真剣な眼差しがあった。

「私の歌だけを聞き、共感しようとしてくれたのは私の世界にはいなかった。
だからかな、君と触れ合っていると・・・親愛を示したくなる。」
「しん、あい、って」
以前に、ユーティスが弟と別れるときにしたことを思い出す。
「無理強いはしないよ。ただ、君が許してくれるのなら・・・」
返事に迷って、開ききったはずの声帯が瞬時に閉じる。
嫌悪感を抱いているわけではない。
自分は、相手として相応しくはないと引け目を感じる。


「・・・僕のことを、弟代わりに思っているだけ・・・です、よね?」
「そう思っていた方が楽なら、それでいい」
何とも微妙な返答に、また迷う。
自分はユーティスの弟と年齢も背丈も似ているし、間違いはないはず。
だから、いつも世話になっている相手に恩返しする気持ちで、肯定してもいいかもしれないと思った。

ユーティスのことを、じっと見詰め返す。
口に出して求めるのは羞恥心が許さなくて、逃げない意思だけを示していた。
頬に、手が軽く添えられる。
顔を背けようとすればいつでも逃れられるよう、やんわりと。
少しずつ隻眼が近付いてきて、目を閉じる。
そして、すぐに口に柔らかい感触が重なった。

とても静かな重なり合い、なのに心音が強くなっていく。
ただの、弟の代わり、それ以外の意味はないはず。
いくらそうやって言い聞かせても、高鳴る鼓動はごまかせない。
やんわりとした触れ合いは長く、歌を歌った後とは別の要因で体温が高まっていった。

やがて、ゆっくりと唇が離される。
もう、ユーティスを直視することができなくて、俯きがちになった。
頬から手が離され、胸の辺りへ移動する。

「鼓動が早いね。緊張したかい」
「・・・そりゃあ、しますよ。弟の代わりでも、慣れないことには動揺します・・・」
おそらく、この動悸は不慣れだからということだけではない。
けれど、それをはっきりとさせるのは躊躇われた。

「そろそろ、出ようか。私の抑制が利いている内に」
「え、あ、そう、ですね」
冗談を言われたけれど、なぜか笑うことができない。
カラオケボックスから出ても、体の熱さは中々抜けなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ユーティスは紳士っぽい優しいキャラなので、進行はじわりじわりです。