妖怪達との奇妙な暮らし ユーティス編6


朝から、とある予感がしていた。
幽霊が見えることで、第六感も発達しているのだろうか。
まるで、子供が発売待ちのゲームを楽しみにしているような感覚がある。
そして、その予感は的中した。

大学生活は、授業にバイトと、結構せわしない日々が続いている。
それでも充実していて、霊媒体質だということもばれてはいない。
たまに、校内でちらりと見えるものはあるけれど、無視していれば危害はなかった。
今日は午前中に中間テスト、午後はバイトがあって、頭も体も疲れ果てる。
そんな日は、夕飯を食べたらすぐ岩風呂に入ってすぐに眠るパターンが多い。

入浴してほっと一息つくと、急激に瞼が重たくなってきた。
いつもなら、風呂上りはそのままベッドへ直行するのだけれど
朝に感じた予感に誘導されるように、ふらふらと玄関に赴いていた。
そして、目を見開く。
ずっと、帰りを待ち望んでいた彼が、そこにいたから。


「ユーティス、さん・・・」
楽しみな予感は、まさしくこのことだった。
玄関口に居るユーティスに呼びかけると、やんわりと微笑みかけてくれた。
以前と変わらないままの姿のユーティスが、傍へ来る。

「ただいま、椎名」
歌を歌っているとき以外の声が、とても懐かしい。
そっと、ユーティスの両腕が背に回る。
ここが玄関口だということも忘れて、自分からも腕を回して抱き付いていた。
目を閉じて、ユーティスの体温を感じる。
呼吸をするたびに温かくなっていくようで、久々に最上の安らぎを覚えていた。


「お帰り、ユーティスさ・・・あ、お邪魔だったかな」
鏡の声がして、はっと目を開いて腕を解く。
けれど、自分の体はまだユーティスに抱き寄せられたままでいた。

「突然帰って来たのに、二人とも出迎えてくれてありがとう」
「長い間お疲れ様。早速、お帰りパーティでもしようか?」
「いや・・・今日は椎名と二人にさせてもらえるかな」
顔を上げると、穏やかな眼差しに見詰められる。
久々だからか、自然と赤面していた。

「それもそうだね、気が利かなくてごめん。じゃあ、後はごゆっくりどうぞ」
鏡が去って行くと、腕が解かれる。
離れたと思ったら、すぐに手が繋がれた。

「椎名、ずっと会いたかった。・・・私の部屋へ、来てくれるかな」
「もちろん、行きますよ。断っても、有無を言わさず引っ張られて行きそうですから」
しっかりと繋がれている手を見て、微笑しつつ答える。
ユーティスも微笑み、そのまま部屋へ向かった。


数か月ぶりに入る部屋は、誰も使っていないはずなのに清潔なままだった。
ベッドに座ると、自然と肩が触れる。
「ユーティスさん、全国ツアーお疲れ様でした」
「最初は嫌々だったけれど、案外楽しめたよ。
こっそり抜け出してオーロラを見に行ったり、珍しいものを購入できたりしたから」
ユーティスが手を離し、ポケットから小箱を取り出す。

「これを、君に」
掌サイズの小箱を受け取り、蓋を開ける。
その中には、銀色に輝く指輪が入っていたものだから驚いた。

「あ、あの、これ」
「ヘマタイト、という鉱石の指輪なんだ。
災いが降りかかったときに変色して、身代わりになってくれるお守りの石だよ」
「あ、お、お守り、そうなんですか」
とんだサプライズプレゼントに驚き、どぎまぎする。
小箱から現れた指輪を見た瞬間、男性が女性にプロポーズをしているような場面が思い浮かんだから。
ユーティスが指輪を取り、小箱をしまう。

「現地で買ってきたから、力は保証されていると思う。
女々しい物かもしれないけれど・・・受け取ってもらえるかな」
「こ、断るはずありませんよ。綺麗ですし、魔除けですし」
「そうかい。お気に召したようで、良かった」
ふいに、ユーティスに左手を取られる。
そして、その薬指に、銀色の指輪がはめられていた。

どきりとして、指輪を直視する。
きらびやかな宝石なんてついていないけれど、これは、まるで、女子が夢見るシチュエーションだ。
これは、霊媒体質の自分に対する魔除けの意味でしかないはず。
それでも、一気に気が高揚してしまって、落ち着かなくなっていた。


「椎名・・・離れている間も、君のことを忘れた時なんてなかった。
どんなに美しい景色を見ても、君が隣に居てくれたらどんなにいいだろうと、そう思っていたよ」
そっと、頬に手が添えられて、ユーティスの方へ目を向ける。
慈しみを含んだ優しい視線を感じて、自分の心音が強まるのが分かった。

「ぼ、僕も・・・貴方の歌声を聴くたびに、思い出していました。この手の温かさや、優しい眼差しを・・・」
左手が、ユーティスの手に重なる。
触れたがっていたのは、お互い様なのだと自覚した。

「長い間離れていたからかな、私には・・・衝動が、湧き上がってきているんだ。
君にこうして触れた今、それは胸の内でどんどん大きくなってきている」
「衝動・・・」
歌を歌うだけでは満たされない、あの欲望だろうか。
数か月前のことが思い起こされ、さらに頬へ熱が上る。
けれど、自分の体はこの相手のことを決して拒まないだろうとわかっていた。

「・・・椎名、君の血が欲しい」
「あ・・・え、あ、血ですか。いいですよ、どうぞ」
自分で勝手に想像していて、恥ずかしくなる。
拍子抜けした勢いですぐ答えると、ユーティスは意外そうに目を丸くしていた。

「そんなに簡単に言ってもいいのかい。皮膚を貫かれるんだ、痛みを伴わないなんてことはないんだよ」
「前に、僕は自分からユーティスさんに血を捧げようとしたじゃないですか。
ちょっとやそっとの痛みくらい、覚悟してます」
迷わずに言うと、長い指に頬が撫でられる。
慈しまれているような、そんな気がして目が細まっていた。
「ありがとう、椎名・・・」


ユーティスに肩を軽く押されると、応じるように体が倒れる。
いきなり噛みつくのではなく、静かに唇が重ねられた。

柔らかな感触が懐かしくて、目を閉じる。
今、ユーティスと重なり、体温を共有しているのだと思うと、胸の内から温まってゆく。
暫くは静かな重なり合いが続いたが、上唇を軽く食まれる。
唇を噛み切られるのだろうかと少し緊張したけれど、ただ甘噛みするだけだった。
くすぐったい反面、感じるものがあって、少し口を開く。
本能が、その感覚を求めているように。
開いた隙間から、ユーティスの柔らかなものが入り込んでくる。

「は、あ・・・」
それが舌に触れた瞬間、吐息が漏れた。
ユーティスはゆったりと表面を撫で、口内に触れてゆく。
艶めかしい感触だけれど、体は受け入れたがっている。
呼吸をするたびに熱が共有されて、頬は紅潮しきっていた。

なだらかな愛撫が終わり、口が離される。
余韻に浸るように呼吸は深くなり、目は虚ろになってしまう。
「ああ、この感触を、何度味わいたいと思っただろう・・・」
陶酔しているような台詞と共に、指の腹が首筋を撫でる。
どこか、血が多く出る動脈を探しているのだろうか。
鎖骨の辺りを撫でられると、肩がぴくりと震えて反応した。

「あまり、出血しない場所にするよ。・・・歯止めがかけられるように」
「あ・・・はい、お手柔らかに」
いよいよ、ユーティスが身を下げて首筋に顔を近づける。
わずかに吐息がかかると、緊張と高揚で大きく息を吐いた。
無意識の内に左手がシーツを握りしめると、その手をユーティスに包まれる。
そうやって、少しでも安心させようとしてくれていることが、嬉しかった。


首筋に柔らかなものが触れ、やんわりと食まれる。
そうして、少しの間が空いた後、感触は固いものに変わった。
「う・・・っ・・・」
少し強く、ユーティスの手を握り返す。
じんわりとした鈍い痛みが、首筋に走る。
同時に、その個所が徐々に熱くなってゆく。

「あ、ぁ・・・」
血が、首へ向かって逆流し、吸い上げられる。
体温がかっと熱くなり、息が深く荒くなる。
ユーティスの手を、強く握りしめてしまうのを止められない。
痛みの感覚があるはずなのに、なぜか、それ以外のものも感じ取ってしまっているような。
息が荒いのは、緊張感のせいだけではない。
体の熱も、他の感覚に誘発されている。
口付けのときとも、愛撫のときとも違う感覚に、なぜだかまた目が虚ろになってきていた。

「あ、ぅ・・・ユーティス、さん・・・っ」
息も絶え絶えに呼びかけると、熱の逆流がおさまる。
ほどなくして、すっと、鋭いものが引き抜かれた。
血が噴き出すことなく、一滴、肌を伝う。
その血は舌先で拭われ、小さな声が漏れた。
労わるように、何回か、傷口へ唇が触れる。
気が落ち着いて、手の力が少しずつ抜けていった。


ユーティスが左手を持ち上げ、指輪の箇所に口付けを落とす。
紳士的なことをされて、どうしようもなく胸が弾んでいた。
「指輪が変色していない・・・私のことを、脅威とは思わなかったのかい」
「そんなこと、思うはずありません。確かに、痛みはありましたけど・・・
相手がユーティスさんだから、信用していました」
「私には、前科があるのに」
「はい、知っています。それでも・・・ユーティスさんを拒む理由になりませんでした」
過去のことは、悪条件が重なったゆえの、不運な出来事。
そんな出来事で、彼の印象を決めつけてしまうのは、とても勿体ないこと。
罪を覆い隠してしまうほどの慈愛が、ユーティスからは感じられていたから。

手を伸ばして、ユーティスの頬に触れる。
存在を求めているのは、同じなのだと伝えるように。
「・・・正直なことを言うと、とても甘美だった。どんな液体よりも、私を魅惑する・・・」
「やっぱり、味覚が違うんですね。僕にとっては、鉄の味ですけど」
「吸血鬼は、唾液で味や匂いを特別な味に分解できるんだ。・・・君も、味わってみるかい」
唇を、指の腹がなぞる。
どきりとして口をつぐんだけれど、ユーティスを魅惑する味を知りたかった。


また、薄く口の隙間を開く。
ユーティスの顔が近づいてくると、反射的に目を閉じていた。
先と同じように唇が重なり、柔いものが入ってくる。
感触はそのままでも、鼻に抜ける匂いが違った。

最初は、血の独特な匂いがしていた。
けれど、舌が触れ合い、液が交わると、鉄臭さはなくなる。
そして、口内には甘い液体の味が広がった。
それは、自分の血とは思えないほど香り高くて、甘美なものに変わる。
ユーティスはゆっくりと動き、口内に触れてゆく。

「う、ん・・・」
隅々まで液を行き渡らせるよう、舌の動きが大きい。
たまらず吐息を漏らすと、口端から一滴落ちていく。
喉の奥でお互いの液が交わり合うと、ほとんど反射的に飲み込んでいた。
甘美な味が通り過ぎてゆくと、体の芯から熱くなってゆくようだ。
どんな甘い菓子とも違う味に、そして、ユーティスと触れ合う感触に酔いしれていた。
喉を鳴らした音を聞くと、ユーティスが一旦身を離す。
急に味がなくなり、虚ろ気な目でじっと見上げた。

「血の気は薄まっていたと思うけれど、不味くはなかったんじゃないかな」
「はい・・・・・・ユーティスさん、もっと・・・」
自分からせがむ直前で、はっとして言葉を止める。
思わず視線を逸らすと、視界の隅でユーティスが微笑んでいた。

「君が望んでくれるのなら、何度でも。交わり続けよう、椎名・・・」
呟きと共に、深く、唇が重なり合う。
行為を求め、受け入れるように、両腕は翼の生えた背に回されていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
友人と話していたら唐突に思いついたおまけパート。吸血鬼と言ったら、やっぱり血を吸わせてなんぼでしょう!