妖魔の森1


妖魔と人間が乱立する世界で、それぞれの長がいくつもの小国を作っていた。
妖魔の世界では純粋に力がある者が上に立ち、人の世界では知識や権力がある者が王に選ばれる。

王の意思でその国の情勢は、だいたい決まる。
領土を広げて資金を蓄えようと好戦的な国もあれば、平穏を好みどことも争わない中立を保つ国もあり。
それは妖魔の世界でも同じで、今現在も混戦中の所があれば、ひっそりと存在しているだけの所もあった。

様々な考え方の国があったが、妖魔と人間の国同士が争うことはなかった。
人は妖魔の人外的な力を恐れる一方で、妖魔は人にしか使えない「神器」の力を恐れていた。
妖魔は触れることすらできないその武器があるからこそ、人は脆弱でも敬遠し合えていた。


最初のうちは、妖魔も人間も、お互いに干渉しない暮らしが続いていた。
だが、力を手に入れた人の欲は際限がなく、研究機関に莫大な投資をし、恐ろしい事を実現してしまう。
それは、妖魔の命を使って神器を強化するということだった。
大っぴらにやっては妖魔との均衡が崩れ、攻め込まれかねない。
なので、妖魔を殺し、命を奪うことは秘密裏に行われていた。

そして、一人の少年に重大な任務が託され。
その少年は、妖魔の長の命を奪うべく森へ足を踏み入れていた。


うっそうとした森の中は、昼間でも薄暗い。
辺りの木々がざわつき、いつ妖魔が出て来てもおかしくなかった。
少年は、地図とコンパスを持って左右を見回しながら進んでゆく。
その他の持ち物は、鍵の付いた特殊な道具袋と腕輪だけ。
たまにその場をぐるぐると回ったり、少し戻ったりと挙動不審だ。

何も、妖魔が怖いから奇妙な行動をしているわけではない。
ただ、少年はとんでもない方向音痴だった。
妖魔の長の命を奪えれば、国の兵力は格段に増す。
若くしてそんな重大な任務を受けたのは、少年が優れた神器に適していたからだった。

神器は誰にでも同じように使えるわけではなく、それぞれ適性がある。
中でも、少年は数々の強力な神器を使いこなすことができた。
そんな自分を幸運だと思っていたが、どうせならその才の一かけらでも、道を覚える力に変換できないかとも思っていた。


小一時間ほど歩いても、目指す場所は一向に見えてこない。
任務期間は長く与えられているとはいえ、できるだけ早く済ませてしまいたい。
それなのに、自分がどこへ向かっているかさえわからなくなり、早々に嫌になってきていた。

「こっちが北で、たぶんここにいて・・・あー、もうわからない」
少年は地図を丸め、道具袋にしまった。
とりあえず国から遠ざかっていることは間違いないので、ひとまず歩き続ける。
目的の場所ではなく、他の妖魔の陣営に着いたとしても死なない自信はあった。

先が見通せないいらつきで、少年は神器を取り出して太い木を切る。
巨木は一閃で切り取られ、横に倒れる。
すると、先が見やすくなり、目の先に泉が表れた。
そこは、小さな泉が背丈の低い木々に囲まれており、手入れのされた箱庭のような感じがした。

ここで小休止しようと、少年は木にもたれかかって座る。
ここにはなぜか妖魔の気配が全くなく、休憩所としてはうってつけだった。
心地良い風が吹き、温かな日差しが体を温めてくれる。
長居する気はなかったのに、自然と瞼が重たくなってきて。
目を閉じた次の瞬間には、意識が途絶えていた。




少年が目を覚ましたとき、もう日差しも風も感じなかった。
もしや夜になってしまったのかと、目を開く。
けれど、周りの風景は予想していたものとはまるで違った。

視界の中に泉はなく、代わりに天井が見えていて。
今の姿勢も、木にもたれているのではなく、ベッドに寝転がっている。
慌てて起き上がると、そこは外ではなく室内になっていた。

「目が覚めたんだね」
呼びかけられて驚き、顔を横へ向けると、すぐ近くに同年代くらいの少年がいた。
真っ白な髪と、対照的な真っ赤な瞳。
それだけでこの相手が人間ではないとわかり、思わず身を引いた。


「俺が通りかかってよかった、あそこはアゼル様のプライベートゾーンなんだ。
勝手に入ったことがばれたら、危ない所だった」
「アゼル・・・?」
目的としていた相手の名が出て、少年は耳を疑った。
やはり、自分には天性の運の良さがあるのかもしれない。


「それで、君は何であんなところにいたの。普通は来られないはずなんだけど、道にでも迷った?」
「あ・・・そう、なんです。僕、すごい方向音痴で、気付いたら泉が見えて、疲れてうとうとしてしまって・・・」
言い訳が、饒舌に口から出てくる。
間違っても、妖魔を殺しに来たと言ってはいけない。
白髪の少年は話を聞くと、口端を上げて笑った。
そのにやついた笑みが不気味に見えて、警戒心が生まれる。

「方向音痴のくせに森に入るなんて間抜けだなあ。今日はもう暗いから、泊まって行ってもいいよ」
やけに親切な妖魔に、少年はますます警戒する。
妖魔は人と敵対しているわけではなかったが、友好的なわけでもないと教えられていた。
窓の外に目を向けると、一寸先も見えない闇で覆われている。
最も、外が明るくても出て行く気はない。
思いもよらぬ形で相手の住処に忍び込めたのだ、この申し出を受けない理由はなかった。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて・・・」
「その前に名前を教えてよ。あと、敬語は止めること」
白髪の少年がずいと身を乗り出し、興味津津で尋ねる。
この相手は好奇心旺盛で、滅多に接することのない人間と出会って興奮しているのかもしれない。
とにかく相手の機嫌を損ねてはいけないと、少年は素直に答えた。

「僕は、ユノ。君の名前は?」
「俺はカイブツ」
「カイブツ?」
それは固有名詞に付ける名前ではなく、ユノは聞き返す。
相手がそれ以上何も言わなかったので、本名なんだと察した。
もっと詳しく聞かれるかと思ったが、カイブツは何も問わずにじっとユノを見詰める。
赤い瞳を見慣れていなくて、つい視線を逸らしてしまう。
そのとき、カイブツがふいに窓の外を見た。

「アゼル様が帰って来た。ちょうど君が起きたところだし、挨拶の一つくらいしに行こう」
カイブツはユノの手を引き、答える暇を与えず部屋から連れ去る手を繋がれていることは気になったが、今は従順にしていたほうがいいと、大人しくついて行った。


通された部屋で一番に目に入ったのは、何十人も座れそうな長いテーブルだった。
何箇所か暖炉が設置されており、上にはシャンデリアがある洋風の作りだ。
そして、一番奥の席に、誰かが座っていた。

「さあ、座って」
カイブツに促され、ユノはすぐ近くの椅子に座る。
相手が遠すぎると思ったとき、椅子が滑る様に動き出し、奥へと動いて行った。
ぎょっとして、落とされないように椅子を掴む。
相手の輪郭がはっきりしてくると、手に力が入った。

椅子の動きはだんだんゆっくりになり、静かに制止する。
カイブツが立ち上がったので、ユノも一緒に腰を上げた。

「アゼル様、この子がユノだよ」
ユノは、一つの陣営の長はどのような強面なのだろうかと想像していたが。
その相手は、痩せ形の青年にしか見えなかった。


「ようこそ、私の住処へ。歓迎するよ」
思いもよらぬ友好的な言葉に、ユノは虚をつかれる。
相手は不信感を抱くどころか、顔に笑みを浮かべていた。
それは本当に友好を示しているのか、それとも余裕の笑みかはわからない。
けれど、不審に思われていないのなら動き易くてよさそうだった。

「迷っていたんなら食事をしてないだろう、すぐに作って来てあげよう」
「そ、そんな、お構いなく」
まさか、一陣営の長が直々に料理をするとは思わず、呆けてしまう。
人の世界では、決して王が料理をすることなんてなかった。
カイブツといい、この相手といい、物好きが集まっている陣営なのだろうか。

「アゼル様の料理は絶品だよ」
カイブツが席に着くと、ユノは隣に座る。
意識的にそうしたわけではなく、アゼルを観察できる位置がたまたま隣だっただけだが。
カイブツは、隣に来たユノを見て、またにやついていた。


料理は、ものの5分もしない内に運ばれてきた。
コーンスープのように見える液体、色とりどりの前菜、大ぶりの肉が乗ったメイン、デザートにケーキらしきものまでついていた。
一見、まともそうに見える料理だが、その香りは今までに嗅いだことのないもので。
妖魔が使う独特な食材が使われている事に、不安感を覚える。
アゼルが席に着くと、ユノは一番に尋ねたいことがあった。

「あの、この肉は・・・」
「ああ、人肉だよ」
さらりと答えられて、ユノの表情が強張る。
機嫌を損ねないために、食べるべきだろうか。
それとも、人として断固として断るべきだろうか。
穴が空くほど肉を見ていると、アゼルもカイブツも口端を上げた。

「冗談だよ、それは今日刈ってきたばかりの新鮮な竜の肉さ」
「そ・・・そう、なんですか」
それが本当に竜の肉なのか、人肉なのか判別は付かないけれど。
今は、竜の肉だと信じるしかなかった。

「じゃあ、食べようか」
二人が前菜を食べ始めたのを見て、ユノもフォークを手に取る。
真っ赤な野菜は見たことがなく、きつい色合いに多少躊躇う。
恐る恐る口に入れたが、次の瞬間に懸念は吹き飛んでしまっていた。


清涼感のある味わいが、舌の上に広がる。
まるで体の中に風が吹き込んだようなすがすがしさを感じ、良い意味で驚いていた。
続いて黄色くて丸い野菜を口に運ぶと、今度は甘味が広がる。
その食材独自の甘味は、食欲を増進させるようだった。

さっき懸念していた肉も舌の上でとろけて、かなり上等なもののような気がする。
スープは濃厚、デザートは果物の甘さを堪能し、食事中は会話もできないくらい夢中になってしまう。
ユノが次々と食べ進める様子を見て、アゼルは満足そうに目を細めていた。


皿の上が完全に空になったところで、アゼルはユノに微笑みかけた。
「満足してくれて嬉しいよ」
「あ、あの、すごく、おいしかったです」
食べ終わると、やっと会話ができるようになる。
おいしかったの一言で済ますのは勿体ない料理だったが、残念ながらユノの語彙力は乏しかった。

「よかったら暫く滞在していくといい。私も作りがいがある」
「・・・いいんですか?」
好都合すぎる提案に、ユノは驚きつつも自分の運の良さを感じた。
何か企んでいる事は間違いないと思うけれど、神器があれば制することができる自信があった。

「その代わり、君にも何か役割を与えることになるけど、いいかな?」
「もちろんです。タダ飯食らいでは僕も気兼ねしてしまうので」
何か命ぜられれば妖魔の情勢を見ることができるし、それで信用を得られれば油断させることもできる。
暗殺まで時間がかかっても、慎重に機会を伺った方が確実だった。

「ふふ、良かった。カイブツ、部屋に案内してあげて」
「わかった。行こう、ユノ」
カイブツは自然とユノの手を取り、誘導する。
どこへ行くにも手を繋ぐ事に気恥しさが否めなかったが、相手は相手で逃がさないように警戒しているのかもしれない。
ユノは手を握り返さないものの、振り解くこともしなかった。




通された部屋は、さっき居た所と同じ場所。
今まで確認する余裕がなかったが、道具袋が部屋の片隅にあってほっとした。

「今日からここがユノの部屋だよ。他にも、鍵のかかっていない部屋は隙に出入りしていいからね」
「あ、ありがとう」
お礼が、どこかぎこちなくなる。
親切にされることに、違和感を覚えるのは初めてだった。

「突然の事で不安があると思うから、添い寝してあげようか?」
「い、いや・・・遠慮しておくよ」
「そう?寂しくなったらいつでも来なよ。俺の部屋は向かい側だから」
カイブツはひらひらと手を振り、部屋を出て行った。

緊張が解け、ユノはベッドへ倒れ込む。
初対面の相手と寝るなんて、何を考えているのだろうか。
寝首をかくには絶好の機会だったが、逆も考えられる。
その前に、信頼を高めて成功率を少しでも高くしたかった。
変わり者でも強大な力を持つ妖魔に違いなく、苦戦は必至だろう。

その日は精神的に疲れ果てて、そのまま寝てしまった。
その疲れのせいか、妖魔の住処だと言うのに、眠りに就くのはだいぶ早かった。



―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
ファンタジーは自由度が高すぎて、1から世界を構築するので難しいです・・・。
カイブツは「.flow」のカイブツ兄か弟で、アゼルは「デビルチルドレン」のアゼルの髪形を丸くしたイメージです。