妖魔の森11


今日も、ユノはカイブツと共に刈りへ出ていた。
今回の獲物は鬼蜘蛛で、牙を一本刈ってくることが目的だ。
森の奥地へ行くと、そこかしこに巣が張られている場所があり、そこが縄張りだとわかる。

「ここが住処だね。ユノ、気を付けて」
「わかった」
カイブツが木の枝を折り、巣を何度も突っついて揺らす。
すると、餌がかかったと勘違いした鬼蜘蛛が姿を現した。
ユノ達を餌だと思い、すぐさま先の尖った足が獲物目がけて振り下ろされる。
ユノとカイブツは、巣に触れないよう身をかわした。

カイブツがその足を引っ掻くと深い傷が付き、鬼蜘蛛がよろける。
もう一撃食らわせると足が飛び、巣から転げ落ちた。
その隙にカイブツが跳躍して接近し、口元でぎらついている牙をもぎ取る。
苦悶の余り、鬼蜘蛛はでたらめに足をばたつかせた。

そのとたん、糸が周囲に散布され、カイブツの動きがわずかに鈍る。
鬼蜘蛛の足を避けきれず、背に叩きつけられそうになったとき、ユノはとっさに駆け出していた。


「カイブツ!」
ユノはカイブツの背を守るようにして、鋭い足と対峙する。
いつもなら、防護壁が発動して、脅威を跳ね飛ばすはずだった。
けれど、腕輪は全く輝かず、沈黙している。
ユノがはっとしたときには、腹部が、鋭い切っ先に裂かれていた。

「うあ・・・っ!」
腹部がかっと熱くなり、とたんに血液が溢れ出す。
「ユノ!」
カイブツは牙を放り投げ、ユノの体を支える。
崩れそうになる体をとっさに横抱きにし、鬼蜘蛛から距離を置いた。
嫌な匂いが鼻に付き、ユノの服が赤く染まっていく。
それを見た瞬間、とたんに、血の気が引いた。

カイブツは駆け出し、脇目も振らず住処へ走る。
意識がもうろうとしているのか、ユノは一言も話さず虚ろな眼差しをしていて。
広がっていく赤色が、さらにカイブツを焦らせていた。




住処へ着くと、カイブツは荒々しく門を開けて中に入る。
その音に異変を感じ取ったのか、アゼルが駆けて来た。
「アゼル様、ユノが・・・」
カイブツの腕に抱かれているユノを見たとたん、アゼルは眉を潜める。
「すぐに研究室へ運ぶんだ。その出血量だと、一刻を争うよ」
カイブツは泣き出しそうな顔をしたが、動揺している暇はない。
アゼルの後に続き、研究室へ入った。

無機質な台にユノを横たえると、アゼルは周りに様々な器具を用意した。
「終わったら呼んであげるから、その間に血を洗い流しておいで」
ユノの元を一時も離れたくはなかったが、カイブツは言われた通り部屋の外へ出た。

自室へ走ると、手早くシャワーを浴び、替えの服に着替える。
血がついていないことを確認すると、すぐに研究室の前に行った。
今すぐ中へ入りたい衝動にかられたが、それは許されない。
扉の前に座り込み、膝を抱える。
待っている間、カイブツは生きた心地がせず、不安感に押し潰されそうになっていた。


やがて、内側から扉が叩かれると、カイブツは跳ねるように立ち上がった。
「カイブツ、もういいよ。今は眠っているから、静かにね」
扉が開かれると、焦る気持ちを抑えつつ部屋に入る。
台の上で横になっているユノからは、もう血は流れていなかった。
顔を覗くと、頬に血の気が戻っていて心底安心する。

「アゼル様、ごめんなさい。俺がへまをしたから・・・」
「君を庇おうとしたけれど、これが発動しなかったんだろう」
絶対に外れなかったはずの腕輪は、アゼルの手におさまっていた。

「何で、今になって腕輪が・・・」
「元々、神器は人の為に作られたものだから、妖魔の気に触れて力が弱くなったんだろうね。
それか、ユノが妖魔に近付いているのかもしれないな」
カイブツは、目を見開いてアゼルを凝視する。
人を妖魔にする方法を、知らないわけではなかった。

「もう動かしても大丈夫だよ。ベッドに運んであげるといい」
「・・・はい」
カイブツはユノの軽い体を抱き上げ、じっと顔を見詰める。
そして、そっと額を触れ合わせ、命の温かさを確かに感じていた。




ユノが目を覚ましたときには、もう夜が更けていた。
さっきまで明るかったはずの外の景色が、暗くなっていることに驚く。
体を起こすと、なぜか上半身に何も身につけていないことに気付き、混乱した。
「ユノ!」
体を起こしたとたんにカイブツがベッドに乗り上げ、すぐ傍まで近付く。
その安堵している表情を見て、ユノは刈りの最中のことを思い出した。

「そうだ・・・僕、腕輪が光らなくて、鬼蜘蛛に切られて・・・」
「アゼル様が治療してくれたんだ。ほら、もう傷跡もない」
カイブツの手が、ユノの腹部に触れる。
大きな切り傷があった肌は、完璧に元の状態に戻っていた。

「そうか、カイブツが運んでくれたんだ・・・ありが」
言葉の途中で、頬がカイブツの掌で包まれる。
次の瞬間には、唇が重なっていた。
強い情動に動かされたような強い口付けに、わずかに怯む。
けれど、本当に心配していたんだと、そう言われている気がして、ユノは静かに目を閉じた。


一旦唇が離れても、何度も重ねられる。
繰り返し触れられると心音が強くなり、息を吐こうとわずかに口を開く。
その吐息を感じたとたん、カイブツはその隙間へ自身の物を差し入れていた。
「は・・・っ」
柔らかな物が口内に入って来て、吐息が漏れ出す。
相手の温度がやけに心地良くて、ユノは自分からもカイブツに触れていた。
とたんに舌が取られ、口元で絡まり合う。

「っ・・・は、ん・・・」
お互いが繋がり、鼓動がさらに強まった。
どちらかの口内にも留まっていないので、液の音を妨げる物はなく、直に耳に届く。
その音が行動をエスカレートさせ、カイブツはユノをさらに求め、自分の元へ引き入れようとする。
そうして、少しずつ誘導し、中へ誘った。

「んん・・・っ」
ユノの舌が驚いたように引っ込もうとするが、カイブツはそれを許さない。
口内で捕らえたまま離さず、柔い感触をしきりに絡ませ、全体を弄った。
自分のものがカイブツの中にあることが信じられなくて、動揺する。
けれど、艶めかしい感触に頬が熱を持ち、いつの間にか陶酔するように目を細めていた。


カイブツが絡まりを解くと、ユノは慎重に舌を引く。
そのとき、二人の間に余韻を残すような糸が伝い、カイブツが軽く口付けて拭った。
余韻を感じている瞳で見詰められると、理性が吹き飛びそうになる。
けれど、治療をしたばかりのユノに負担をかけるわけにはいかないと、ぐっとこらえていた。

「ユノは、妖魔になるのか?」
「あ・・・たぶん」
「そうしたら、もう人間の世界に戻ることはなくなるんだよね?」
「・・・たぶん」
ユノの返事は曖昧だったが、カイブツは嬉しそうに笑った。
体に変化はないし、本当に妖魔になれるかどうかもわからない。
けれど、自分が側に居ることでカイブツが喜んでくれるのなら。
もし人のままであっても、ここに居続けたいとユノは思っていた。




翌日は安静にしておいた方がいいと言われ、狩りはカイブツだけで行っていた。
自由に歩き回れるけれど、一人だと暇を持て余してしまう。
折角だから、人が妖魔になることについての本でも読もうかと、ユノは図書室へ向かった。

図書室には相変わらず多くの本が並んでいて、どこを見ていいか迷う。
まずはアゼルが書いた本を読んでみようと、本棚を見ると案外すぐにそれらしき本が見つかった。
『人と妖魔の遺伝子反応』という、難しそうな本を手に取り、目次を開く。
中には「妖魔への変化」という項目があり、早速ページを開いた。

そこには細かな文字がびっしりと書かれていて、思わずページを閉じたくなる。
それでも何とか読み進めると、人が妖魔になる方法や変化の状態について書かれていることがわかってきた。
妖魔になるには、妖魔の血を取り込む、肉を食べる、障気に触れ続ける、そして精を取り込む方法があり。
変化については、取り込んだものによって様々だが。
中には目が増殖したり、爪が裂けたりするものもあると書かれていて、ぞっとした。

もしかしたら、自分にもそんなおぞましい変化が表れてくるのだろうか。
アゼルもカイブツも人に近い形をしているので、悲惨なことにはならないと思うけれど。
本を読んでいくと、不安感がどんどん増してきていた。


目が疲れてきたところで、ユノは本を戻す。
気落ちしつつ図書室を出たところで、ふいに背中がむずがゆくなった。
肩甲骨の辺りが痒くて手を伸ばすが、指先がわずかしか届かない。
諦めて我慢していると、痒みはやがて痛みに変化した。
針で軽く刺されているような、細かな痛みにつつかれる。
まさかと思い、ユノは部屋に駆け込み鏡の前に立つ。
そして、服を脱いで鏡に背中を映し、目を丸くした。

肩甲骨の辺りに細い切り込みが入っていて、そこから、うっすらと血管が見えている。
本には書かれていなかったけれど、これが妖魔への変化なのだろうか。
唖然としていると、突然鋭い痛みが走った。
針が太くなり、皮膚をしきりに刺しているような感覚がして。
鏡の中の皮膚には、さらに血管がはっきりと見えるようになってきていた。
このままだと、腹部を裂かれたときのように血が吹き出してしまう。
身の危険を感じたときには、部屋を飛び出し、真っ先に研究室へ向かっていた。


ノックもせずに研究室へ入り、アゼルを探す。
また幸運なことに、アゼルは入口のすぐ近くでフラスコを火にかけようとしていた。
「おや、ユノ、どうしたんだい」
「アゼル様・・・僕、背中がおかしいんです。肩甲骨の辺りが痛くて・・・」
ユノが背中を見せると、アゼルはフラスコを置いて肩甲骨をしげしげと眺めた。

「ああ、もう変化が表れたんだね。
本当に君とカイブツは相性が良い、血液のストックがあって良かった」
「やっぱり、僕、妖魔になるんでしょうか・・・」
そのときユノが感じたのは、期待ではなく恐れだった。
本で見たような、恐ろしい変化が起こってしまうかもしれない。
自分がおぞましい化物になってしまったら、二人がどんな反応をするか怖い。
妖魔を見慣れている二人が、軽蔑の目で見ることはないとは思う。
それでも、どんな状態になるかわからないでいるのが不安で仕方がなかった。


アゼルが、ユノ肩甲骨に指先で触れる。
そのとき、さらなる痛みが背中に走った。
針が皮膚を突き刺し、亀裂を空けようとしているようで、立っていられなくなる。
「抑える必要なんてないよ。力を抜いて」
「っ・・・でも・・・僕の体が、恐ろしいものになったら・・・」
不安そうな声に、アゼルはユノの前にしゃがんで頬を撫でた。

「私とカイブツの遺伝子から、醜いものが生まれると思うかい?。
大丈夫、たとえ君がどんな姿になったとしても、私達は変わらないよ」
「アゼル様・・・」
信頼している相手からの優しい言葉に、肩の力が抜ける。
そうして気が緩んだとたん、心臓が強く脈打った。
何かを吐き出そうとするように鼓動が早くなり、息が荒くなっていく。
冷や汗が流れ、うずくまりそうになる寸前で、背中が熱くなった。

「あ・・・っ・・・!」
脳を貫くような衝撃が全身に走り、背中へ集中する。
その熱の全ては、一瞬で解放された。


痛みがなくなり、体が楽になる。
その代わりに背中が重たくなり、後ろへ引っ張られて。
首を後ろにやって確認すると、視界の隅に黒いものがちらちらと映った。
「あの、アゼル様、僕、どうなってしまったんでしょうか」
「ああ、ユノ・・・」
アゼルはユノの背へ手を伸ばし、触れる。
背中の何かに触れられると、髪を撫でられているような感覚がした。

「ほら、見てごらん」
髪が一本抜かれるような感じがし、アゼルが引き抜いたものを目の前に差し出す。
それは、漆黒の羽だった。
先が少し細くて、まるで烏の様な羽を見て、ユノは目を丸くする。
手を背中にまわすと、さらさらとしたものが指先をくすぐった。

「僕・・・」
アゼルが立ち上がり、手鏡を持って来る。
そこに映っているのは、紛れもない二枚の翼だった。
「白い羽は知っているけれど、黒を見たのは久し振りだよ」
アゼルは正面からユノを抱くようにして、翼に触れる。
なだらかな手つきに愛撫され、ユノは安心して目を細めた。
その手触りを堪能した後、そっと体を抱き締める。
まるで、父親に抱きとめられているような心地良さがあり、ユノはアゼルに身を預けていた。
仲間だと、認めてくれたと感じる。
胸の内にあったのは、人の道を外れた罪悪感ではなく、幸福感だった。


「アゼル様、牙を取ってきたよ」
ふいに扉が開き、カイブツが入って来る。
アゼルはユノを離し、その身がよく見えるよう、腕を引いて立ち上がらせた。
カイブツは唖然として、牙を取り落とす。

「ユノ・・・その、羽・・・」
「あ・・・うん、さっき、生えてきた」
お互い戸惑っていて、口調がぎこちないものになる。
カイブツはユノにゆっくりと歩み寄り、アゼルと同じように羽に触れた。
緩やかなてつきで触られるとくすぐったくて、肩甲骨の辺りを動かすと翼も一緒に揺れる。
カイブツが手を離し、見とれるような眼差しで翼を見た後、ユノを見詰めた。

「ユノ、すごく綺麗だ。見てると、引き込まれそうになる」
「あ・・・ありがとう」
綺麗だと、女性に向けて使う様な褒め言葉でも、ユノは安堵していた。
とんでもない姿になり、畏怖の目を向けられたらどうしようかと怯えていたけれど。
アゼルの言ったとおり、二人の遺伝子から酷いものは生まれなかった。

「ああ、素晴らしいことだ。この羽は早速調べさせてもらうよ。
そうそう、服も新調しないとね。ユノ、君は自分なりに翼を調べておいで」
「わ、わかりました」
新しい研究材料ができて一気に機嫌が良くなったのか、アゼルの口調はとても流暢だった。
ユノはカイブツと共に、翼を扉に引っ掛けないようにして部屋を出る。
扉を閉めた途端、カイブツが横からユノに抱きついた。

「カ、カイブツ」
「ユノ・・・俺、すごく嬉しい。これで、ずっと一緒に居られるんだ・・・」
カイブツは、愛おしそうにユノの髪に頬をすり寄せた。
こんなにも自分の存在を求めてくれているのだと思うと、胸が温かくなっていく。
こうして抱かれていると、勝手に怯えていたことが馬鹿らしくなって、人であったことに対する未練なんて生まれない。
二人が喜んでいることが、ユノにとっては何よりの幸せだった。

「うん。・・・僕、カイブツとずっと一緒にいるよ。ずっと・・・」
ユノは誓うように呟き、カイブツに寄り添った。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
8話で終わる予定だった話が、どんどん膨らんできました。
触手といい、妖魔といい、ファンタジーものということで、ここぞとばかりに妄想しています。
この連載には終わりを設けず、思いついたら続きを書く、という形になるかもしれません。