妖魔の森14
温かな腕の中で、ユノは目を覚ます。
傍にはまだアゼルがいてくれて、にこやかな笑顔を向けていた。
「おはよう、ユノ」
「ん・・・」
ユノがもぞもぞと身じろぎすると、腕が解かれる。
そのとき、何やらおかしな違和感に気付いた。
服の袖が余っていて、ズボンの裾もやたらと長い。
アゼルの頬は、楽しみを抑えきれないように緩んでいる。
まさかと思い、ユノは恐る恐る自分の体を見まわす。
すると、案の定、明らかに自分の大きさが縮んでいた。
「最近、少し無茶をさせすぎてしまったからかな。
それにしても、こんな反応は初めてだよ。早速、分析してみたいな」
アゼルが笑顔のまま注射器を取り出すと、ユノは目を見開いて凝視した。
とたんに、強い恐怖心が芽生える。
「やだ!」
ユノは叫び、とっさに駆け出した。
大きな扉を開け、廊下へ出て必死に走る。
真っ直ぐに出口へと向かい、外へ飛び出した。
追いかけてきていないことにほっとし、ユノは足を止める。
そのとき、別の熱視線に見詰められていることに気付いた。
「・・・似てる。もしかして、もしかしたら、ユノ・・・なのか?」
カイブツは、信じられないものを見るような目でユノを見る。
自分の名前が呼ばれ、ユノはこくりと頷いた。
とたんに、カイブツはさっと歩み寄り、軽い体を抱き上げる。
「本当にユノなんだ!アゼル様の薬でこうなったのか?」
「・・・わかん、ない」
正直に言うのは恥ずかしくて、ユノは視線を逸らしつつはぐらかす。
「まあ、いいや。それにしても、まさしく昔のユノだ、かわいいな」
カイブツは過去を懐かしむように目を細め、ユノの髪を撫でる。
かわいい、なんて男にとってはあまり良い褒め言葉ではないけれど、
髪を撫でられることが無性に心地よくて、ユノは何も言わないでいた。
撫でるだけでは物足りなくなったのか、カイブツはユノを引き寄せて頬をすり寄せる。
少し恥ずかしかったけれど、さらさらとした髪の質感も、頬の温もりも、気を落ち着かせてくれた。
「本当にかわいいなあ・・・食べちゃいたいくらいだ」
食べる、という単語に反応し、ユノはびくりと肩を震わせる。
一瞬で怯えが生まれ、瞬時に羽が鋭く尖っていた。
「っ!」
腕を切られ、カイブツは顔をしかめてユノを離す。
ユノは羽を大きく動かし、その場で浮遊していた。
「食べられるの、やだ!」
今のユノは、その言葉を直接的な意味でしか認識できない。
この相手は敵ではない、と思うのだけれど、どうしても怯えが先行していた。
ユノは強く羽ばたき、森の中へ飛び去って行く。
「ユノ、待って!」
素直に待てば、きっと食べられてしまう。
子供の思考回路はそう信じてやまなくて、一目散に逃げ出していた。
ユノは自分が空を飛んでいることに興奮しつつ、右へ左へふらふらと飛ぶ。
森には目印も何もなくて、どこへ行けばいいのかわからない。
少し心細くなってきて後ろを振り向くけれど、帰り道は木々に塞がれていた。
さっきと配置が換わっていることを奇妙に思い、木々に近づく。
そのとき、どこからか枝が伸びて来て羽に絡みつこうとした。
「や!」
ユノは羽を鋭くして、枝を切り裂いていく。
けれど、切っても切っても新しいものが伸びて来て、羽をがんじがらめにされてしまった。
身動きが取れなくなって、ユノは危機感を覚える。
同時に、もう自分ではどうにもできないと、諦めてもいた。
このまま、ずっと解放されないのだろうかと、ユノは悲しくなる。
目が潤んできたとき、森の草木に交じって白髪が揺れるのが見えた。
「ユノ、やっと見つけた」
まだ腕から血を流したままのカイブツが、安心したような穏やかな目でユノを見上げる。
「待ってて、今枝を切るから」
「う・・・や、やだ」
助けてほしいのはやまやまだけれど、捕まる相手が変わるだけでは意味がない。
ユノがまだ怯えていると、カイブツは優しく笑いかけた。
「怖がらせてごめん、食べたりなんかしないよ。俺はユノのことが大好きなんだから」
包み隠さない好意の言葉に、警戒心がわずかに解ける。
その言葉も、笑顔も、とても嘘偽りのものとは思えなかった。
カイブツは爪を赤く光らせ、高く跳躍する。
そして、ユノを捕らえている枝を切り裂き、小さな体を腕の中に収めた。
まだ、ユノの肩には力が入っていたけれど、羽はもう鋭くはない。
おずおずと視線を合わせると、そこにはとても優しい瞳があって、警戒心なんてなくなっていた。
カイブツは、安心させるようにユノの髪をそっと撫でる。
「俺は、ユノのことが本当に好きだよ。ユノは、どう思ってる?」
言葉にも、動作にも慈しみが込められているようで、ユノは胸の内に温かなものを覚える。
「・・・ぼくも、カイブツと、おんなじ気持ち・・・だよ」
「同じって、どんな気持ち?言ってほしいな」
直接的に言うのは恥ずかしい。
けれど、今はこの優しい相手の気持ちに応えたかった。
「・・・ぼくも、カイブツのこと・・・す、き・・・だよ」
「ああ、ユノ・・・!」
照れながら言う様子がかわいらしくて、その言葉が嬉しくて、感情が湧き上がる。
もう抑えきれなくなって、カイブツはユノに口付けていた。
「んっ・・・」
突然、唇に柔らかい感触が伝わって、一瞬目を見開く。
それは、決して拒むべき感覚ではなくて、自然と目が閉じられていた。
その隙間から、さらに柔いものが中へと差し入れられる。
「ふ、ぁ・・・ん」
舌へ触れられると胸の内に温かなものを感じて、声が漏れる。
ゆっくりと表面を愛撫されると、じんわりと頬が染まってきていた。
理性が完全に崩壊する前に、カイブツが身を離す。
「とりあえず、帰ろう。アゼル様に解決策を聞かないと」
「・・・うん」
恥ずかしくて仕方がなくなって、ユノは顔を見られないようカイブツに抱き付く。
照れ屋なところは元のままだと、カイブツはくすりと笑って帰路を辿った。
城へ戻っても、まだカイブツはユノを抱いたままだった。
二人が入ってきた気配に気付いたのか、どこからともなくアゼルが姿を現す。
「連れ戻してくれたんだね、無事で良かった。早速だけど、今度こそ採血させてもらえないかな」
にこやかな表情で、アゼルはまた注射器を取り出す。
「・・・やだ」
それを見て、ユノは露骨に怯えてカイブツにすがりつく。
気を落ち着かせるよう、カイブツはユノの髪を撫でるけれど、いやいやと首を振るばかりだった。
「注射の腕は上がっているから、そんなに痛くないと思うんだけどなあ。
そうだ、少し我慢してくれれば、これをあげるよ」
アゼルは一旦注射器をしまい、小さな袋を取り出す。
そこには、大小さまざまな大きさの、カラフルなクッキーが入っていた。
おいしそうな色合いに、ユノはとたんに目を奪われる。
食べてみたいという気持ちはあったけれど、注射のことを思うと、どうしても手を伸ばせないでいた。
「アゼル様、どうしても血じゃないと駄目なの?」
「それが一番作りやすいんだけど、この際唾液でもいいよ」
カイブツが提案すると、アゼルが脱脂綿を取り出したので、ユノはほっとする。
「じゃあ、口を開けて」
もう注射器もないので、ユノは素直に口を開く。
てっきり、そこに脱脂綿が入れられると思っていたけれど、入ってきたのは細い指だった。
「ん・・・!」
驚いて、ユノは反射的にその指を噛む。
けれど、指の腹に舌を撫でられると、自然と力が緩んでいた。
予想外のことをされて驚きつつも、なぜかその感覚に逆らえない。
もう一本の指が差し入れられ、唾液を絡め取って行く。
アゼルが楽しむように柔い舌を弄ると、ユノの頬はさっきのようにやんわりと紅潮していった。
指が引き抜かれると、間に細い糸が伝う。
アゼルは液を脱脂綿で拭うと、楽しむように笑った。
「ありがとう、これでまた有益なものができる。はい、約束のお菓子だよ」
アゼルに袋を手渡されると、ユノはぱっと顔を明るくする。
そんな素直な様子を、二人は微笑ましく見詰めていた。
「ユノ、俺も一緒に食べてもいい?」
「うん!」
カイブツにはもう警戒心がなくなっているのか、ユノは笑顔で答える。
「じゃあ、私はこれを分析してくるよ」
アゼルは脱脂綿をケースにしまい、研究室へ向かった。
ユノとカイブツは食堂へ行き、クッキーを皿に開ける。
葉っぱや花など、やけにかわいらしい造形にユノは目を輝かせた。
早速手に取って、口元へ持って行ったけれど、そこで手を止める。
「カイブツ、あーん」
助けてくれたお礼のつもりか、ユノは自分が食べる前にクッキーを差し出す。
カイブツが嬉しそうに口を開くと、そこへぽいと放り込んだ。
「ありがとう。はい、ユノも」
葉っぱの形のクッキーが差し出され、ユノも口を開ける。
一口では入りきらないので途中で噛むと、さくりとした音が鳴った。
優しい甘さが広がって、思わず頬が緩む。
軽い触感がやみつきになって、ユノはどんどん食べ進めて行った。
「おいしかった」
小さなかけらも無駄にしないよう、ユノは指を舐めている。
「アゼル様に頼めば、すぐに作ってくれると思うよ。行って来る?」
そう聞くと、ユノは椅子から下りて部屋の外へ駆け出す。
真っ直ぐに目指した場所は、アゼルの研究室だった。
研究室の中には、何やら甘い香りが漂っていた。
普通の甘味料とは違う匂いにひかれて、ユノは奥へと進む。
「おや、もう食べ終わったのかい?お腹が空いていたんだね」
「それ、なに?」
ユノは、デスクの上にあるフラスコを指差す。
その中には、済んだ水色をした液体が入っていて、興味津々だった。
「これは、洞窟の滴をベースに作ったジュースだよ。飲んでみる?」
「ほしい」
少し控えめに答えると、アゼルがフラスコを取って、自分の指に液を垂らす。
それが近づけられると、清涼感のある爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「ごめんね、コップがないんだ。だから、舐めてみてもいいよ」
粘り気があるのか、ジェル状になったものがアゼルの指についている。
どこか奇妙に思ったけれど、細かいことは気にならなくなっていて、
ユノは好奇心に背を押され、アゼルの指へ舌で触れていた。
クッキーのように甘くはないけれど、すっきりとした爽やかさが鼻に抜ける。
まるで体が内側から浄化されるような気がして、ユノは何度も指を舐めていた。
あらかた拭われると、アゼルは掌へ液を追加して垂らす。
ユノはあまり抵抗感もなく、その掌へも舌を触れさせていた。
幼くなって、これが恥ずかしいことだと認識していないのだろう。
一方で、アゼルは自分の掌を這う感触に、一種の昂揚感を覚えていた。
液がなくなると、ユノは口を閉じて身を引く。
さっきの液はいくらでも飲めてしまいそうで、夢中になっていた。
「よく舐められたね。私の爪、怖くなかった?」
「うん。注射は怖いけど、アゼル様は怖くないから」
注射針は自分を傷つけるものだけど、その爪が光ることはないと、何となくわかる。
正直に言うと、アゼルはよしよしとユノの頭を撫でた。
嬉しくなって、ユノははにかんで笑う。
「何だか、元に戻すのが勿体なくなってしまうな。けど、流石に幼子とは行為ができないからね」
よくわからないことを言われ、ユノは呆けている。
「後で、もう少し飲みやすくして届けてあげるから、カイブツと遊んでおいで」
「ん、ありがとう」
ユノは軽く頭を下げて、小走りで研究室を出て行く。
その後姿を見て、アゼルは何かを思いついたように怪しい笑みを浮かべていた。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
少年好きすぎてやってみた、後悔はない←
ユノは、元の記憶と少年時代の感覚が混在している感じになっておりまする。