妖魔の森2
翌日、窓から陽の光が差し込んできて、ユノは目を覚ました。
温かな日差しは最高の目覚ましで、寝覚めは抜群だ。
それにしても、変わった環境で熟睡できるなんて、自分は案外図太いようだった。
伸びをして立ち上がったところで、ドアが軽くノックされ、カイブツが入って来た。
「お早う。早速だけど朝風呂に行こうか」
「え・・・」
「昨日、着替えもしてないだろう。大丈夫、覗きやしないから」
カイブツはユノの手を取り、ぐいぐいと引っ張って行く。
白くて清潔な服からして、汚れが嫌いなのだろう。
ユノは逆らわず、脱衣所へ移動した。
脱衣所は広々としていて、まるで温泉並の規模だった。
準備のいい事に、棚にはタオルと服が置いてある。
「じゃあ、ごゆっくり」
カイブツが出て行くと、ユノは服を脱いで無防備な状態になる。
ただ、腕輪だけは外さないでいた。
多少邪魔になるけれど、いつ妖魔が入って来るかわからない状況で、神器を外すわけにはいかない。
浴室に入ると、その広さにユノは目を丸くした。
浴槽は泳げそうなくらい大きく、洗い場の空間もゆとりがある。
床は大理石のように見えたが、無機質な冷たさはなく、ほんのりと温かかった。
体を洗い、並々とお湯が張られた浴槽に浸かる。
薬草の様な香りがして精神面も癒されてゆくようで、正直に言うと自分の家よりも落ち着いた。
けれど、決して油断はしまいとユノは自分に言い聞かせる。
これは、人を油断させて確実にしとめる策略かもしれないという、疑いを捨てきれなかった。
その後、ユノは何事もなく浴室から出て、用意された服を着る。
サイズがぴったりあっているのが、不思議だった。
脱衣所を出ると、そこには待ち構えていたようにカイブツが立っていた。
「リラックスできたかい?朝食を食べたら、俺と一緒に一仕事してもらうよ」
「ん、わかった」
用意された朝食は、昨日の夕食と同じく絶品で、舌鼓を打った。
アゼルは早くから出掛けているのか、その姿はない。
「・・・他の妖魔はいないのか?」
「ここにいるのは、俺とアゼル様だけだよ」
信じられない答えに、ユノは開いた口が塞がらなくなる。
ここも一つの陣営なのだから、他に戦力があるはずだと思っていたのに。
国と言えば、多くの民が暮らし、生計を立てる事で成り立つもので。
それが、ここでは全く機能していないというのだ。
「ここは中立だし、アゼル様は顔が効くから何ら不自由はしてないよ」
食事の豪華さから、資源が乏しいということではないとわかる。
集団と共に生活するより気楽でいいなと、ユノは少し羨ましく思った。
カイブツと仕事をするということで、外へ出ると、とても静かだった。
何かが居る気配はするけれど、人の喧騒と違って気に障る事はない。
何より空気が澄んでいて、清々しかった。
「森の奥の岩場に、大サソリがいる。そいつの尻尾を採って来るのが俺達の役目だよ」
ユノが頷くと、カイブツはここでも手を掴んだ。
「あの・・・手、離してもらうわけにはいかないかな」
控えめに言うと、カイブツは不思議そうな顔をした。
「嫌かい」
「そうじゃないけど、気恥ずかしい」
そう答えると、逆に手が強めに握られた。
「嫌じゃないんなら離さない。それに、ユノは方向音痴なんだろう」
その事実に何も言い返せず、ユノは結局手を繋いだままでいた。
岩場までの道は入り組んでいて、一人では帰れそうになかった。
だんだんと木が少なくなり、殺風景な岩場が広がる。
景色も雰囲気もがらりと変わり、まるで別の国へ入ったようだった。
「ここからは別の妖魔の領土だから、容赦なく襲いかかってくるよ」
岩場へ一歩を踏み入れると、周囲の気配が明らかに変わった。
森とは違い、かすかな殺気を感じ、空気が張り詰める。
カイブツは、岩場の上に居る巨大な妖魔を指差す。
「あれが大サソリだ。一人で森へ来たからには腕が立つと思うけど、刺されたら即死だよ」
「そんなヘマ、しない」
ユノが道具袋から、刀の柄を取り出す。
不良品ではなく、ユノがそれを強く握ると光がほとばしり、刀の形となった。
カイブツはそれをまじまじと見て、ふっと笑う。
「じゃあ、行こう」
ここで初めてカイブツが手を離し、駆け出す。
ユノも、すぐにその後を追った。
殺気に気付いたのか、大サソリが二人の方を向く。
間近で見ると思った以上に大きく、ゆうに3mはありそうだった。
接近すると、巨大な尻尾が振り下ろされる。
カイブツはさっとかわし、すれ違いざまに素手で尻尾を引っ掻いた。
金属の擦れ合う音がして、甲に傷が付く。
その音だけでかなりの防御力があるとわかったが、光の前では無意味で。
サソリがカイブツに気をとられた隙に、ユノは刀を払って尻尾を切り落とした。
とたんに、紫色の毒々しい体液が吹き出し、二人は慌てて飛び退く。
それを持って帰ろうとしたが、サソリがハサミを振り回し始めたので近付けない。
ユノが逃げ回っていると、カイブツが岩場の上から落下してきた。
その瞬間、カイブツの爪が赤く輝く。
身の危険を感じ尻尾が振り回されたが、先端がないので相手を突き刺すことができない。
カイブツは落ちる勢いをそのままに、サソリの背を抉るような一撃をくらわせた。
あまりの衝撃にユノにも振動が伝わり、地面にひびが入る。
やがてハサミが力なく落ち、動きが止まった。
「お疲れさま、ユノが尻尾を切ってくれたから楽だったよ」
「僕の力が通じて良かった」
光の粒子は、どんな固い物でも切れると言われているが、実際は使用者の力量に左右される。
適性の無い者が手にしても紙一枚切れないどころか、剣の形にすらならないのだ。
「他の妖魔が集まってこない内に、帰ろうか」
カイブツは片手に尻尾を持ち、片手でユノの手を握った。
「必要なのが尻尾だけなら、それだけ採って逃げればよかったんじゃ・・・」
そうすれば無駄な戦闘はせずに済んだと、ユノは少し不満そうに言う。
「だって、楽しかったからね。それに、相手だってこっちを殺す気で来たんだから、おあいこだよ」
納得するような、しないような理由に、ユノの胸の内がもやつく。
自分は妖魔を殺しに来ているはずなのに、無意味な殺生を批判したくなる心境が、おかしかった。
住処へ戻ると、ちょうど入口の所にアゼルが佇んでいた。
手には、サソリの尻尾異常に大きく、重そうな触手が握られている。
「アゼル様、頼まれていた物を採って来たよ」
カイブツが持っている尻尾を見て、アゼルは微笑んだ。
「早めに持ってきてくれて嬉しいよ。今日はもうゆっくりしておいで」
アゼルは尾を受け取ると、軽々と持ち上げて住処へ入って行く。
細腕で重量物を持つ姿は、やはり妖魔だと感じた。
「時間ができたことだし、中を案内してあげるよ」
やはり手が取られたが、もはやユノは何も言わなかった。
昨日まではあまり辺りを見回す余裕がなかったが、改めて見ると立派な屋敷だと思う。
長い廊下、複数の扉、室内でも迷子になりそうな広さだ。
しばらく歩いてから、カイブツが一つの扉を開ける。
そこには、本棚がずらりと並んでいた。
「ここは図書室。軽い読み物や専門書、中にはアゼル様が書いたものだってあるよ」
「凄い・・・」
まるで図書館がこの部屋に入り込んで来たような、それほどの規模であっけにとられる。
木彫りの本棚はお手製なのか、ところどころに切断した箇所があり。
その中で、真っ赤に塗られた本棚が気になって、蔵書を取り出した。
古ぼけた茶色の表紙に、赤文字で何かが書かれている。
特殊な文字なのだろうか、ユノには読むことが出来なかった。
「この本棚にあるのが、アゼル様が書いたものだよ」
どうやら、他の蔵書に紛れないように分けているらしい。
一応、ぱらぱらとめくってみる。
やはり中の文字は読めなかったが、そこかしこに描かれている挿絵に目がいった。
それは、人型の何かがバラバラにされていたり、臓物が引き出されていたりする、おぞましい挿絵で。
寒気がして、すぐに本を閉じて元の場所に戻していた。
あんな笑顔をしていても、やはり妖魔の本性は恐ろしいものだと実感する。
けれど、たった一冊で相手の印象を全て決めてしまってはいけないと、もう一冊を手に取ってページをめくる。
そこには、おどろおどろしい色の液体の中に目玉が詰められていたり、何かの標本の挿絵で埋め尽くされていた。
恐ろしくなって、すぐに本を戻す。
医学書ではない、少なくとも普通の読みものではない。
文章が理解できなくてよかったと、ユノは心の底から思った。
「怖いよね。アゼル様は、創作意欲が強いから」
耳元で囁かれ、ユノはとっさに振り返ろうとする。
けれど、その前に体がカイブツに挟まれ、本棚に押し付けられていた。
本性を現してきたかと、ユノは神器の腕輪を発動させようとしたが。
カイブツは、まるで甘えるように、首元に擦り寄ってきていた。
「な・・・」
さらさらとした髪が首をかすめて、くすぐったい。
それよりも、いきなり密接になった距離に動揺していた。
殺気が感じられず、神器が発動しない。
「・・・ず、随分と、人に慣れてるんだな。妖魔は神器を警戒して人に近付かないのに」
「アゼル様がたまに人の国へ行くから、俺もたまに同行させてもらってるんだ。それで慣れたよ」
ユノがそのまま硬直していると、カイブツは後ろから手を包み込む。
そして、指の間に自分の指を滑り込ませ、やや強く握った。
やけに触れ合いが多くて、ユノはますます動揺する。
今、赤い爪で抉り取られたらひとたまりもなかったが。
やはり、そこに攻撃の意思がなくて、カイブツの行動をはかりかねていた。
「ユノこそ、妖魔に慣れてるね。普通、緊張感しっぱなしで疲弊すると思うけど」
「ああ、僕は・・・昔、森の近くに住んでたから。そこでいつも妖魔の気配を感じてて、慣れたんだ」
普通はそんな物騒な場所に人は住まないが、優れた神器を持つ者に妖魔は近付かなかったし。
元々人の喧騒があまり好きではなかったので、多少不便でも快適ではあった。
「そろそろ出ようか。他にも案内したい場所はあるんだ」
カイブツは体を離し、ユノの手を引いて図書室を出た。
次に案内された場所は、一面に水が広がっていた。
扉を開けるといきなり水があり、壁にいくつか穴が開いている。
その上にはシンボルマークのようなものが描かれていたが、ユノには判別が付かなかった。
底には何かあるのかと、前かがみになって覗き込む。
そのとき、ふいに背を押された。
「わっ!」
バランスを崩し、そのまま水へ落ちる。
慌てて上がろうとするが、カイブツが隣に来て、手を引かれた。
溺死させる気かと、ユノは抵抗する。
けれど、手を振り解く前に、水中なのに息苦しくない事に気付いた。
驚いていると、カイブツに穴の中へと誘われる。
すると、突然水流が流れ込み、体が一気に運ばれて行く。
引き離されそうになり、ユノは必死にカイブツの手を握りしめていた。
流れがおさまると、景色も雰囲気も変わっていた。
天井がなく、青空が見える。
一見、元居た森のような景色が広がっているけれど、妖魔の気配が全くない。
水上へ上がると、不思議な事に服が濡れていなかった。
「ここは人間の領域だよ。よく、ここを通って来るんだ。。
自殺願望者じゃなきゃ深い深い泉には入らないからね、良い通路だよ」
冗談のつもりなのか、カイブツはにやりと笑う。
たった二日離れていただけなのに、人の国の空気が懐かしくて力が抜け、手を離した。
「この通路も、アゼル・・・様が作ったのか?」
「その通り。水の妖魔以外が水中から来るとは思わないからね。。
地面を抉って、水流を発生させるセンサーを設置して、服が濡れないのは・・・難しい原理みたい」
カイブツの説明を聞き、ユノは愕然としていた。
地面を抉る、なんてちょっとやそっとの力でできることではない。
ましてや、水流を意図的に発生させることも、並大抵の科学者では不可能だろう。
やはり、アゼルは妖魔の長として相応しい力を持っているようだった。
「探索して行きたいところだけど、この国は監視が多いから駄目だ。来たばかりだけど、戻ろう」
カイブツがユノの手を握り直そうとしたとき、ふと掌に爪痕がついていることに気付く。
水流に呑まれないために、必死に握り締めていたらしい。
「あ、あの、帰りは手を離してほしい。君の手に、傷が付くから」
ユノがそう言うと、カイブツは目を丸くして動きを止めた。
「気遣ってくれてるの」
そう言われると、そうなるのかもしれない。
殺そうとしている相手を気遣うなんておかしなことはなかったが、今は傷付ける時ではない。
否定されないでいると、カイブツはユノに近付いた。
「じゃあ、こうすればいい」
カイブツはユノの手を引き寄せ、自分の胸にその体を抱いた。
ユノの体が強張るのも構わず、一緒に水中へ落ちる。
急に抱き留められ、ユノは目を白黒させていたが。
水流に呑まれ、離れることが出来なくなった。
身が離れないよう、カイブツはユノの背に回す腕に力を込める。
ユノは何もできず、カイブツに抱かれたまま水流に身を任せていた。
やがて、水の勢いがおさまり、緩やかになる。
上を見上げると青空はなく、天井に戻っていた。
カイブツはユノを抱いたまま上昇し、地上についたところで腕を解いた。
体が自由になり、ユノは通路へ出ようとする。
その前に、カイブツは再び後ろからユノを抱き留めていた。
図書室と同じように、髪が首元にあたっていてむずむずする。
「・・・どうか、したのか」
やけに過剰なスキンシップに、何か企んでいるのではと探ってしまう。
「今日は、一緒に寝たい」
カイブツの言葉に、ユノの心音は一瞬だけ強く鳴った。
ときめいているからではなく、緊張からだ。
まさか、これほど早く絶好の機会が来るとは思わなかった。
「・・・うん、いいよ」
ユノは、緊張感を表に出さないよう、平坦な返事を返した。
なぜかは知らないが、カイブツはかなりの好感を持っているようだし。
アゼルの配下を始末しておいたほうが、後々楽になる。
もしかしたら、罠にかけようとしているのではという予感もしたが、そのときは堂々と戦えばいいと、覚悟した。
―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今回の話はいちゃつき速度が早いです。
最初から主人公に好感持ってるんで進めやすいです。
次はアゼルの出番になりまする。