妖魔の森6


自室に着くと、カイブツは割れ物を扱うように、ユノをそっとベッドへ置いた。
服を脱がそうとしたが、布と傷が擦れあってユノが顔をしかめる。
痛がっている様子を見て、カイブツは爪を光らせ、上半身の服を切り裂いた。
傷口だけでなく、素肌の前面が露わになる。
ユノは少し緊張したが、治療のためだと羞恥心を抑え込んだ。

「念のため、持ってきておいてよかった」
カイブツは、ポケットから緑色の液体が入った小瓶を取り出し。
適量を指先ですくって、肩の傷に塗ってゆく。
傷に触れられた瞬間はまた顔をしかめたが、薬が馴染むと痛みがたちどころにひいていった。
次に、カイブツはズボンにも爪を立てようとして、ユノは慌てた。

「じ、自分でする」
「黙って、俺に任せて」
真剣な表情で言われ、ユノは押し黙る。
ただ、心配してくれているだけだ。
他意はないと信じて、ズボンが切り裂かれてもユノはじっとしていた。
足の傷口にも薬が塗られ、痛みが引いてゆく。
露出が多くなったからか、沈黙が流れるとやけに緊張した。


「・・・怖くなかったのか、アゼルに歯向かって」
「そりゃあ怖かったし、死ぬかと思った。でも、俺にとってはユノが殺される方が怖かった」
包み隠されていない好意の言葉に、ユノの心音が一瞬だけ強く鳴る。
未だかつて、それほどの好意を向けられた事がなくて、どう答えていいかわからなかった。

「ユノが、生きていて良かった」
カイブツは、ユノの頬を掌で包む。
体温を感じ、ここに存在していることを確かめるように。
そのまま、カイブツが身を下げてゆく。
ユノは戸惑い、思わず顔を背けるけれど。
正面を向くように誘導されたときには、唇が重なっていた。

「ふ・・・」
柔らかな感触に、目を閉じる。
舌先が触れると、無意識の内に薄く唇を開いていた。
その隙間を広げ、カイブツのものが入ってくる。
同じものが触れ合うと、ユノの頬はほんのりと熱くなった。


カイブツは、相手の体温を確かめ合うように、やんわりと絡ませてゆく。
液の感触は、相変わらずユノの気持ちを落ち着かなくさせたけれど。
触れ合う温かさは、心地良かった。

口付けたまま、カイブツがユノの手に触れる。
ユノは、また無意識の内に隙間を開け、指も絡ませ合っていた。
激しさはなくとも、重なっている時間は長くて。
だんだんと、心音が自分でもわかるくらいはっきりしてくる。
密接になっている体から、カイブツの音も伝わってくるようだった。

やがて、満足したのか、唇が離れる。
カイブツは、最後に名残惜しむようにユノの唇を軽く舐めた。
二人は、至近距離で見詰め合う。
無防備な格好をしているからか、ユノは変に緊張していた。


「俺は・・・ユノと交わりたい」
「交わり・・・?」
言葉の意味がわからなくて、ユノは呆ける。
この状況で、カイブツが何をしたがっているのか。
少し考えると、まさか、という考えが浮かんでしまった。

「触れる度に、もっと親しくなりたい、密接になりたくて仕方がなくなる。だから、したい」
そこで、意味を理解してユノの心臓が跳ねた。
同時に、言葉に詰まる。
本当は異性とする行為なのに、カイブツは、それがわかっていないのだろうか。
異性とすらそんな行為をしたことがないユノは、返事ができなかった。

「俺とは、嫌?」
「・・・触れ合うことは、嫌、じゃないけど・・・」
手を繋ぐことも、口付けられることにも嫌悪感は覚えない。
けれど、行為がエスカレートしてしまったら、どうなるのか。
それが自分でもわからなくて、おいそれと了承はできなかった。
ユノが黙り、沈黙が流れると、どこからか甲高い音が聞こえてくる。


「・・・何か、音がする」
高い音が聞こえて、カイブツが辺りを見回す。
妖魔には聞こえないはずの通信機の音が聞こえているのかと、ユノは目を丸くした。
その音は不快なのか、カイブツがこめかみを押さえた隙に、ベッドから抜け出した。
すぐに道具袋を出し、通信機を耳につける。

『そっちの状況はどうなっている、まだ仕留められないのか』。
せかすような声に、ユノは気落ちした。
「・・・申し訳ありません。僕には、とても手に負えない相手です」
ユノが正直に言うと、王は黙った。
諦めてしまえば、王都で自分の居場所はなくなる。
だが、やはり、一人の人間が妖魔の長を殺すなんて無謀だったのだ。

『わかった。残念だが仕方がない、直ちに帰還しろ』
やけにあっさりと許可され、拍子抜けする。
てっきり、罰の一つや二つ言いつけられるかと思っていたのに。
帰還した後の処遇は、覚悟しておかなければならないが。

『ただし、何の成果もないことは許さん。長の大切な物を1つ奪って来るのだ、わかったな』
そこで、一方的に通話が切られた。
「誰?」
「僕の居る国の、王様。・・・ただ、様子を聞いて来ただけだよ」
何かを問われる前に、ユノは先に説明する。
今の状況で、帰ることになったなんて言えなかった。


「・・・あ、あの、少し寒いから、服着てもいいかな」
「そうだね、持って来る」
この場をはぐらかすために言うと、カイブツは素直に言う事を聞いた。
あまりしつこく求めたら、拒否されると思ったのかもしれない。
そのときは、ユノが服を着た時点でカイブツが求めることはなくなった。
けれど、ユノは薄らと思っていた。
こうして接することが最後になるのなら、許してしまえばよかったかと。

命じられたからには、今日の夜にでも戻らなければならない。
正直に言ってしまうと、留まれるなら留まりたい。
けれど、自分を殺そうとした相手を置いておくほどアゼルは能天気ではないだろう。
もう、カイブツに会える保障はなくなる。
自分が立ち去った時、カイブツがどんな思いをするだろうかと考えると、胸が軋むようだった。




その日の夜、ユノはアゼルが外へ出かけたのを見計らって研究室に来ていた。
大事なものを持って来いという命令の真意はわからないが、従うしかない。
辺りを見回して、めぼしい物がないかと探す。
生成の途中なのか、フラスコの液体が沸騰するように泡立っていた。
最も、アゼルが大切にしている物などわからない。
触手の妖魔を切ったときは残念にしていたようだが、それを持ち帰る勇気はなかった。

うろついていると、背後で水が一気に蒸発する音がした。
振り返ると、さっき見たフラスコの中の液体はなくなり、代わりに五角形の石が入っていた。
石は水晶のように美しくて、橙色に輝いている。
貴重な宝石の類かもしれないと、申し訳なくもユノはそれを手に取った。

アゼルがいつ帰って来るかわからないので、すぐにでも出た方がいい。
けれど、今まで世話をしてくれた相手に何も言わないで立ち去るのは薄情すぎて。
ユノは急いで自室に戻って、適当な紙とペンを用意し、文字を綴った。


『突然ですが、僕は王都へ帰ります。
元々、僕は二人を殺す目的で来て、それが失敗した今、ここへ留まる意味はなくなりました。
それと、出て行く前に橙色の石を勝手に頂きました。
恩知らずな奴だと憤ると思いますが、人の世界で暮らすには王には逆らえないんです。
今まで、泊めてくれてありがとうございました。正直、楽しかったです』

そこまで書いてペンを置こうとしたが、手が止まる。
最後に、カイブツへあてた文章を付け加えておいた。
多少恥ずかしいものだったけれど、自分の気持ちを書き残しておきたかった。


誰にも見つからないよう、足音をひそめて外へ出る。
こんなときでも森が導いてくれているのか、細い道が作られていた。
住処を見上げ、少しの間物思いにふけった後、きびすを返して立ち去った。

森を抜けると、ほどなくして王都が見えてくる。
懐かしくもあったが、足が重たくもなるようだった。
まだ夜浅いからか、王都には光が目立ち賑やかで。
そんな雰囲気の中に居ると、静かな森の空間が恋しくなる。
夜は静けさがあって当たり前なのに、王都は騒がしい。
久々だからか、すれ違う人々と、話し声がやたらと耳ざわりだった。




王都を進み、城に辿り着く。
解放された大きな門をくぐり、謁見の間へ向かう。
周囲の兵士の視線を感じると、やはり森へ帰りたくなった。
謁見の間に入ると、檀上で、王が豪華な椅子に座っているのが目に入る。
相手を見下すには、絶好の場所だった。

「帰ったか、命じたものは持って来ただろうな」
「はい、こちらです」
ユノが橙色の石を見せると、王は頷いた。

「あの、なぜ最後にこんなご命令をなさったのか、教えていただけませんか」
「大切な物が奪われれば、取り返しに来るだろう。そこを仕留めるのだ」
「えっ・・・」
てっきり、何も成果がないのは癪なので、王は貴重な物を手に入れたがっているのだと思っていたが。
相手をおびき寄せる餌だと知り、ユノはとたんに罪悪感を覚えた。

「ご苦労だったが、本来の命令を遂行できなかった者の処遇は知っておろう。連れて行け」
王が命令すると、ユノの両脇に兵士が並び、腕を取って連行する。
ユノは、そのまま地下牢へと連れて行かれた。




牢屋の中は冷え冷えとしていて、物寂しかった。
人の喧騒が聞こえないことはよかったが、何も聞こえなさすぎるのも虚しい。
ユノは隅に置いてある小さな寝台の上に座って、気落ちしたように床を見詰めた。

橙色の石が本当に貴重なものかはわからないし、確実に取り返しに来るとは限らない。
たとえ、研究に必要なものだったとしても、わざわざ人の根城へ来るだろうか。
聡明な相手ならば、兵士が何百人といる王都になどやって来ないだろう。
そう思ったが、ユノは心のどこかで思っていた。
この地下牢から、騒がしい街から連れ出してほしいと。




地下牢での食事は味があってないような、粗末なものばかりで。
冷え冷えとした室内では、夜は中々寝付けなかった。
命令を遂行できなかったからと言って、永久に閉じ込められるわけではない失敗すれば、また惨めな地下牢生活が待っている。
そう思えば、嫌でも任務に全力を注ぐようになると、そんな考えがあってのことだった。

たまに兵士が食事を持って来るだけで、他に来訪者は一切いない。
誰とも話せず、何もすることがない生活は、人を無気力にさせるのに十分だった。
無気力になりそうなとき、ユノは橙色の石を握る。
その石はまだ熱を帯びていて、触れていると掌が温まってくる。
まるで、誰かが手を繋いでくれているような感覚がして、ユノはそのたびにカイブツを思い出していた。

最初は、馴れ馴れしい奴だと思ったけれど、今はその馴れ馴れしさが懐かしい。
いつからだっただろうか、手を繋がれることに抵抗がなくなったのは。
気付けば、一緒に居ることが当たり前になっていて、殺さずに済んだときはほっとしていた。
相手が妖魔でも関係ない、自分はきっと、カイブツと親しくなりたがっていたのだ。

ユノは石を握りしめ、寝台に横になる。
そのとき、地震だろうか、強い地響きが鳴り響いた。
何事かと、反射的に起き上がる。
続いて爆発音がし、天井が揺れて埃が舞った。
一体、上の様子はどうなっているのだろうか。
まさかという予感がよぎった瞬間、地下牢の扉が勢いよく吹き飛んだ。
とたんに、感じたことのある気配を覚え、鉄格子の隙間から様子を伺う。


「やっと見付けた。もういくつ扉を吹き飛ばしたかわからないよ」
懐かしい声に、ユノの気が緩む。
相手が鉄格子に触れると、通り道を作るように一瞬でひんまがった。
「アゼル様・・・この石を取り返しに来たのですか」
ユノが石を取り出したが、アゼルは首を振った。

「それもあるけど、目的は君かな。君がいなくなってから、カイブツが荒れて荒れて仕方がないんだ」
「カイブツが・・・」
ユノは心苦しくなりつつも、自分がいなくなったことで動揺してくれたことが少し嬉しかった 。

「置手紙の最後に、君が気を効かせて書き加えてくれていて良かった。
そうでなければ、ここに乗り込んで来ているところだ」
アゼルは、ユノの手紙を目の前に差し出した

『黙って出て行ってごめん、今までありがとう。寂しがってくれていたら、正直嬉しい。
でも、間違っても王都に来ちゃいけない。僕は、絶対に、君に死んでほしくない』
もう一度見返しても最後の一言が恥ずかしくて、ユノは視線を逸らす。
もしかしたら、追いかけてくるかもと思って書き加えておいて良かった。
どのみち、アゼルは来てしまったけれど。

「戻って来る気、あるかな?」
手紙を燃やし、アゼルが微笑みかける。
「でも、僕はアゼル様を殺そうとしたんです。そんな相手を傍に置くなんてどうかしている」
「それは王様の命令だろう?それなら、もう聞く必要はないよ」
殺したのか、説き伏せたのか、それは語られなかった。


「おいで・・・ユノ」
アゼルが、手を差し伸べる。
以前は、恐れ、怯えていた手。
けれど、今はまるで救いのように感じる。
ユノが手を重ねると、アゼルはその身を強く引き寄せた。
体が捕らえられると、すぐに顎を掴まれて顔が上を向く。
瞳がアゼルを映した瞬間には、唇が塞がれていた。

「っ、ん・・・」
突然の事に、ユノは思わずアゼルの肩に手を置く。
けれど、押し返すことができない。
恐怖心からではなく、口付けられていることが嫌じゃなかった。

アゼルが、ユノの後頭部に手をやり、髪を撫でる。
まるでペットのように愛でられている気がしたが、ユノはその愛撫に安心していた。
不慣れな出来事に、心音が反応し始める。
ユノの頬が温まって来ているのを察すると、アゼルは唇を離した。


「ふふ、やっぱり良い感触だ。さあ、帰ろうか」
アゼルが上空に手を掲げると、掌から赤い閃光がほとばしる。
閃光は一直線に天井に伸び、床を破壊し、空まで筒抜けになった。
唖然としているユノを、アゼルが横抱きにする。

「・・・でも、いいんでしょうか。僕は、とても無礼な事をしたのに」
「そうだね、じゃあ、何か償いをしてもらおうかな。内容は、帰ってから考えるよ」
アゼルは跳躍し、筒抜けになった階層を通り抜け、外へ出る。

「そうそう、下は見ない方が身の為だよ」
あちらこちらから煙が上がっているのが見え、ユノは王都がどんな惨状になっているのだろうかと想像する。
戦闘に関しては自信がある強固な国でも、一人の妖魔によって簡単に崩されてしまう。
それを実感したとき、ユノは人の世界に虚しさを覚えていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
一気に内容進めて展開早くてすみません、もう、次のいかがわしいシーンを手掛けてしまわないと萎えてしまいそうで・・・。