妖魔と人間9


ユノがカイブツ達と共に暮らすようになってから、一週間。
二人はほとんど毎日のように刈りに出て、案外せわしなく日々が過ぎていった。
慣れない土地に行くことがあっても、特に辛いことはなく。
森の他にも荒地や海など、様々な世界を見られることが楽しかった。

けれど、ユノは少し気兼ねしている事があった。
それは、剣を没収されてしまったので、刈りはほとんどカイブツ任せだということと。
アゼルに対して、自発的に恩返しができていないことだった。

戦闘時は、腕輪の防護壁を使って相手を怯ませることはできても、攻撃はできない。
住処ではアゼルにいつも料理を振る舞われてばかりで、
命令のままに妖魔を刈るだけでいいのだろうかと懸念していた。


「カイブツ、アゼル様の好きなものって知らないか?」
今日もカイブツと共に刈りに出かけていたとき、ユノが問いかける。
「好きなもの?」
「世話になりっぱなしだから、何か恩返しがしたいんだ」
カイブツは足を止め、眉根をひそめて考えた。

「好きなことなら研究だけど、好きなもの、か・・・」
以前、触手に襲われたとき、アゼルは相手が羞恥を感じている表情を見ることが好きだとユノは知っていた。
けれど、何度もそんな醜態をさらすのは気が引けるので。
何か、他のことを言ってほしいと願いつつ言葉を待った。


「アゼル様は、案外甘いものが好きだよ。食事にはいつもデザートがついているから」
そういえばそうだったと、ユノは食事の内容を思い返す。
果物の盛り合わせのときもあれば、手の込んだケーキのときもあり、どれも絶品だった。
一口食べると、口に広がる甘味しか考えられなくなるような、それほど美味しい。
それほどのものはとても作れないけれど、ある程度のものであれば作れるかもしれない。

「甘いものか・・・カイブツは、何が好きなんだ?」
「ユノ」
自分の名前が出てきて、ユノは口を半開きにする。

「俺は、どんな料理よりもユノのことが好きだよ」
「え、あ、ありがとう」
それはそれで間違っていないのかもしれないけれど、ユノは動揺せずにはいられなかった。
カイブツはユノへと近付き、頬へ手を添える。
ユノは、自然とカイブツと視線を合わせていた。
少しの沈黙が流れた後、お互い、どちらからともなく身を近付けていく。
目を閉じたときには、唇が触れ合っていた。

手を繋ぐ以上の親愛を示す行為に、胸が温かくなる。
恋人ではない相手とするのは、おかしいことかもしれないけれど。
こうして触れ合うことが心地よくて、ユノはカイブツから離れることはできなかった。

あまり深く繋がり合うことはせず、カイブツが身を離す。
「行こうか。料理を作りたいんなら、さっさと狩りを済ませよう」
カイブツが手を差し出すと、ユノはすぐに手を取り、森の奥へ歩いて行った。




カイブツが張り切ってくれたおかげで、狩りは午前中に終わった。
今日の成果は、ベヒーモスという大きな獣の舌で。
太くて柔らかいそれを見たとき、ユノは触手のことを思い出して寒気を感じていた。
「今日は僕が持って行くよ。料理のことを伝えたいから」
「じゃあ、お願いするよ」
カイブツから舌を受け取ったが、独特な感触にユノは嫌そうな顔をする。
さっさと手放してしまいたくて、急いで研究室へ向かった。


ユノが研究室へ行くと、ちょうどアゼルとはちあわせた。
「おや、随分と早かったんだね。ご苦労様」
ユノはアゼルに舌を手渡し、感触を払うように手を振った。

「あの、アゼル様、僕に料理を作らせてもらえませんか」
「料理?いいよ。調理場にあるものを自由に使うといい」
「ありがとうございます。じゃあ、早速使わせてもらいます」
あっさりと了承されて、ユノはほっとする。
アゼルに何か交換条件を出されないうちに、調理場へ向かった。




調理場は思いのほか広く、ユノが寝ている部屋とあまり変わりない規模だった。
大型のオーブン、ス−プが10人分は作れそうな鍋、背伸びをしても上段に届かない冷蔵庫などがあり、どれも大規模だ。
ユノは戸棚を探開き、小さなフライパンやボウルを取り出して、キッチンの上に並べる。
いろいろと必要な調理器具は並べたが、あることに気づいて周りを見回し、落胆した。

ここには、レシピがない。
一応、ケーキを作る予定でいたけれど、分量は覚えていないし。
かといって、憶測だけで作れるほど手馴れているわけでもない。
調理場を使うと言った以上、何も作らないわけにはいかなくて、頭を悩ませる。
しばらくした後思いついたのは、一旦自分の家に戻って、本を取ってくることで。
少し帰るだけなら特に咎められもしないだろうと、ユノは外へ出た。




外へ出ると、森の木々が行きたい場所を察してくれていて、道が出来ていた。
方向音痴のユノにとってはとてもありがたく、迷うことなく家へ向かう。
道はほとんど真っ直ぐで、自分の家はこれほど近かったのかと驚いた。

暫く帰っていなかったので、中はよほど荒れているだろうなと思いつつ扉を開く。
けれど、予想に反して家の中は掃除したてのように綺麗だった。
森の風が、埃を吹き飛ばしてくれているのかもしれない。
ユノは何ら不思議に思わず、棚から料理の本を取る。
そうやって家にあるものに触れたとたん、なぜか違和感を覚えていた。
きっと、森での生活に慣れ過ぎただけだろうと、さして気にせずに家を出た。




ユノは調理場に戻り、料理本をめくる。
ケーキ類は最初のページに載っており、すぐに見つかった。
シンプルなパウンドケーキや、豪華なフルーツケーキなどがカラーイラストで描かれていて、見ているだけでも唾が溜まる。
目移りしたが、なかでも特に甘いそうなブラウニーを作ろうと決めた。

ページを開いたまま、調理場に置き、戸棚や冷蔵庫を開けて材料を探す。
いつもデザートを作っているだけあって、食材は豊富に揃っていた。
小麦粉、バター、チョコレートなど材料を一通り並べても。
広々とした調理場には、まだまだスペースがあって動きやすそうだった。

材料はこれで全部かとレシピを確認すると、バニラエッセンスが抜けていた。
もう一度戸棚を探すと、奥のほうに小瓶が数個並んでいるのが見えて、手に取ってみる。
赤、黄、緑と色はついているが、ラベルがないので中身がわからない。
試しに赤色の瓶の蓋を開け、匂いをかいでみると、何とも甘い香りがして。
バニラとは少し違うようだったが、芳醇な香りに惹かれ、ユノはとたんにそれを使いたくて仕方がなくなっていた。


お菓子を作るなんて久々だったけれど、レシピに沿っていけばいいのでスムーズに生地ができていった。
分量を量り、卵をほぐし、泡だて器で混ぜる。
チョコレートを湯煎で溶かすと香りが広がり、思わず一口舐めるとべたつかない甘さに幸せを感じた。
チョコが固まらないうちにボウルへ移し、生地と混ぜ、最後にふるった小麦粉を入れる。
あとは型に流し込んで焼くだけだが、レシピを見て手が止まった。

レシピにはヘラで材料を混ぜている写真があり、下には「さっくり混ぜる」と書かれている。
その、さっくりとはどういうことなのかと思い、ユノは静止していた。
普通に泡立て器と同じように、ぐるぐると混ぜてもいいものだろうか。


「お菓子作りは、迅速にした方がいいよ」
突然声をかけられて、ユノは肩を震わせた。
「アゼル様。あの・・・この、さっくり混ぜるって、どういう風にするんですか?」
「ああ、それはね・・・」
ユノは場所を譲ろうとしたが、その前に後ろへ回り込まれていた。
とたんに背が密着し、ヘラを持つ手が包まれる。

「こうして、切るように少しずつ混ぜるんだよ。その方が、生地がふんわりとするからね」
アゼルが、ユノの手ごとヘラを動かし、粉を混ぜてゆく。
ボウルを掴んでいる手も重なり、アゼルが離れない限り逃げられない状況になると、とたんに緊張していた。
それは、強大な力を持つ相手に捕らわれる恐怖とは違ったけれど、想い人と接している緊張感とも違っていた。


「これくらいでいいかな」
粉っ気がなくなると、アゼルがヘラを軽く振って生地払う。
それがボウルから飛び出て、ユノの手に飛んだ。

「ああ、少し飛んでしまったね」
「いえ、これくらいならすぐに洗えば取れ・・・」
流し台へ行こうとしたけれど、腹部の辺りに腕をまわされ留められる。
そして、生地がかかった方の手を取られ、上へ誘導されていく。
何をする気なのだろうかと、ユノがいぶかしんだときには、指先に温かな物が触れていた。

「っ、何を・・・」
柔らかくて、液を帯びているものが指を這い、生地を弄っていく。
それがアゼルの舌だとわかったとたん、ユノはとたんに緊張していた。
柔いものは指先だけでなく、付け根の方まで伸ばされる。
生地がついていないはずの箇所も構わず弄られ、わざとらしい音を立てていた。

人差し指が終わると、次は中指が口内に含まれる。
ユノは指先まで強張っていたが、アゼルはそれを解すように、入念に舌を這わせていく。
すると、口の隙間から嫌でも音が聞こえてきてしまい。
淫猥な音と感触は、まるで蛇に絡みつかれているようで、背筋が寒くなった。


「こんなに強張って、カイブツともっと大胆なことをしたんだろう?」
「そ、そうですけど・・・」
そうは言っても、今は相手が違う。
カイブツにされても緊張すると思うけれど、アゼルが相手だと余計に肩に力が入っていた。
ようやく手が解放され、ユノはさっと身を引く。
そこで、アゼルが調理台に置かれている瓶を注視した。

「おや、あの瓶の液体も入れたのかい?」
「あ・・・は、はい。良い香りがしたので、相性がいいかと思って」
ユノが答えると、アゼルは軽く口端を上げ、身を離した。
もう変なことをされないよう、ユノはさっと振り返ってアゼルに向き直る。
その表情に笑みが浮かんでいるのを見ると、なぜか不吉なものを感じて、また寒気を覚えていた。

「じゃあ、私は他国と交易に行ってくるから、火傷しないように気を付けるんだよ」
「は、はい」
やけに優しい口調に、ユノは違和感を覚えつつも、お菓子作りに専念した。



ほどなくして、調理場にチョコレートの香りが漂い、ケーキが無事に焼き上がった。
粗熱が取れてから型から出し、三角に切り分ける。
余った端の部分を味見してみると、上質なチョコの甘さが下の上に広がり、ユノは目を細めた。
スポンジもふわふわとしていて触感が良く、バニラのような後味がいっそう甘さを引き立てている。
不安なところはあったが、バニラエッセンスのようものを入れて正解で。
これなら二人の前に出せそうだと、ユノの気分は良くなっていた。




その後、夕食を食べているとき、ユノはデザートを出すのが楽しみでもあったが、緊張してもいた。
自分からしてみれば良い出来でも、二人の口に合わなかったらどうしようかと。
そんな懸念があったが、食事が終わったとき、ユノは立ち上がって告げていた。

「あの、今日、僕がブラウニーを作ったんです。食べてみてもらえませんか」
「そうだったね。いいよ、持っておいで」
調理場を見て気づいていたのか、アゼルが微笑んで了承する。
ユノはすぐに調理上へ行き、三人分のブラウニーを皿に乗せ、部屋に戻って来た。
アゼルと、カイブツと、自分の前に皿を置き、緊張したまま席に着く。

「俺の分も作ってくれたの」
「うん、結構、量ができたし、カイブツにも食べてもらいたかったから」
そう言うと、カイブツは嬉しそうに微笑んだ。
そんな嬉しそうな表情を見ると、ユノの胸はとたんに温かくなるようだった。


「いい香りがするね、頂こうか」
三人は、ほぼ同時にケーキを一口食べる。
味見のときより多く食べたので、ユノは口に広がる甘い味と香りに酔いしれていた。

「うん、美味しい。何か隠し味が入ってるような感じがする」
「そうだね、あの液体がこんな形で使えるとは意外だったよ」
二人とも気に入ってくれたようで、ユノはほっと胸を撫で下ろした。
結局、小瓶の液が何かはわからなかったけれど、お菓子の味を引き立てる特殊なエッセンスなのだろう。

「アゼル様とカイブツには、世話になりっぱなしだから・・・少しでも満足してもらえてよかった」
「いじらしいね。気分が良いから、今日は一緒に寝ようか」
アゼルからの突然の提案に、ユノは一瞬返事に詰まった。
本人は眠る必要がないのに、一晩共に居てくれることは嬉しいし、抱き締められていると安心する。
けれど、理由はわからないが、第六感が返事を躊躇わせていた。

「遠慮しなくていいよ、今日はちょうど一仕事終えたところだから」
「は、はい」
アゼルの物言いは相手の意思を尊重するようだったが、有無を言わせぬ雰囲気があり、ユノは思わず返答していた。
カイブツは心配そうにユノを見ていたが、アゼルに意見はできなかった。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今回は、次のアゼルとのいかがわしい会へのフラグを起てる話でした。
お菓子作りたい願望があるからか、やたらと主人公に料理をさせたがります。