ユガンダココロ1



物音一つしない廃墟の中。
そこへ、一人の少年が足を踏み入れていた。
少年は、誰にも関与されず、誰にも見つからない場所を探していた。
その表情は明るいものではないが、どこかふっきれた様子も感じられる。
一人で夜道を歩き、家から離れたこの場所に来ることに何の抵抗もなかった。

夜道を歩いていると、周囲に人が住んでいる気配のない、ひっそりとしたビルが目についた。
完全に忘れ去られ、放置されている建物は、まさしくうってつけだ。
念のため各階を見てまわろうと、少年は階段を上る。

そのとき、やけに鼻につく匂いがした。
どんな香水よりも強く、気にかかる匂い。
先を越されてしまったのだろうかと、足が早くなる。
階上へ着くと、扉のない一室から、淀んだ空気が流れてきているのを感じて。
少年は、そこへ導かれるようにふらふらと引き寄せられていった。


一歩近づくたびに、徐々に匂いが強くなってゆく。
それだけで、この先に何か恐ろしいものがあるとわかる。
けれど、恐怖心が麻痺していて、好奇心が先行していた。

とうとう、あと一歩踏み出せば、室内を覗けるところまで着く。
本能が危険を感知しているのか、心音が強くなる。
それでも、少年は一歩を踏み出し、室内を覗いた。




部屋の光景を見た瞬間、言葉を失う。
目は驚愕を示すように見開かれ、心音がいっそう強くなった。
床の半分は、どす黒い赤褐色で染められていて、広範囲に水たまりができている。
単なる床の汚れとは思えない。
そして、そこには人が三人の人間がいた。

一人は、闇に紛れるような黒い髪の男で、壁にもたれかかり、鋭い眼差しでその場を諦観している。
もう一人は、金か茶か、薄暗くてよくはわからないが、黒ではない色の髪をした男で。
手にはナイフを持っていて、それには、錆か、はたまた液体か、何かがこびりついていた。
その二人の姿は、自分とあまり変わりない年齢に見えた。

ナイフを持っている男は、しゃがんで、もう一人の男と対峙している。
中年男性だと思われるその人物は、だるそうに壁にもたれて座っていた。
流れ出る液体と、ナイフを見て、その人物は事切れているのだと、遠目からでもわかった。

ここにいては危険だと、本能が言っている。
まだ、気づかれている様子はない。
その場から離れるなら、今しかなかった。
けれど、目が離せない。
現実離れしている光景に、強い好奇心が足を止めてしまっていた。


「ひんむいてみると、大したカラダしてねーなぁ。こういうのを、着痩せするタイプって言うんだっけか?」
ナイフを持った男が、振り向くことなく問う。
怯えている様子は全くなく、口調はとても軽やかだ。
「・・・逆だろ」
返答は、とても静かで冷たい声だった。

「ま、いいけど、そのほうが処理しやすいし。あ、ビデオテープ替えたよな?」
「ああ」
ビデオとは何のことかと、目だけを動かして部屋を見る。
すると、黒髪の男の傍に小さなビデオカメラが置いてあるのを見つけた。
そのレンズに映ったものを想像して、ぞっとする。

「中身、綺麗だといいな」
ナイフを持った男が、ぽつりと、独り言のように呟く。
そして、ナイフが事切れている男へ突き立てられていた。
薄暗くて詳しい様子は伺えないが、流れるような動作でナイフを動かし、何かをしている。
よく見えないはずなのに、いつの間にか背中に冷や汗が流れ始める。
それでも、まだ、少年はその光景を見続けていた。


血の匂いが、いっそう濃くなる。
今、出てきたばかりの赤々とした鮮血が、地面に広がってゆく。
そして、狂気の笑い声が聞こえて来た。

「はははっ、何だ、平凡極まりない奴だって思ってたけど、中身は結構キレイだなぁ!。
見てみろよ蓮、これこそ、肉の色だろ?」
男は振り返り、左手に持ったものを見せ付ける。
それは、長い長い、人間の腸だった。

声にならない声が、喉元を通り過ぎていく。
男の腹部が裂かれ、そこから臓物が繋がっている。
赤黒い液にまみれてはいるものの、ところどころから確かに見える。
ほんの一瞬だけ、美しいとさえ思える桃色が。


男は興奮している様子で、腸を引っ張る。
それは電気コードのように伸び、だらりと垂れた。

「ははっ、これなら、他の部分も期待できるかもなぁ」
男は腸を落とし、再びナイフを手に取る。
そして、また突き刺す。
作業はとても手早く、すぐに終わった。
次に取り出されたものは、人の命を表す、赤々とした心臓だった。
もう脈打っていない物が取り出されたのを見ると、諦観していた男が動いた。
いつの間にか、手には白くて清潔そうな手袋をつけている。

「ふーん、まあまあだな。一応使えるか」
先程、蓮と呼ばれた男は平坦な口調でそう言い、塊を受け取った。
眉一つ動かさず、とても平静な表情で。
「目は・・・濁ってんな、こいつはダメだ」
蓮は中年男性の顔を覗き込み、きびすを返した。

「んー、今日はこんくらいだな。ちょっと物足りねーけど」
ナイフを持つ男は立ち上がり、一仕事終えたように背伸びをし、入口の方へ振り返る。
そのとき、少年はすぐに身を引くことができなかった。
振り向いたその相手を見た瞬間、目を奪われていた。


男の肌は日焼けをしたことがないというほど白く、頬についた赤い鮮血がひときわ映えている。
そして、薄暗い廃墟で、恍惚の表情を浮かべ、ナイフを携えているその姿が似合いすぎていて。
とても、美しい光景だと、そう思ってしまった。

そうして凝視していたせいで、ほんの一瞬、目が合った。
驚きと、好奇心を含んだ相手の瞳が向けられる。
そこで、はっとして、やっと身を引いた。
今、確実に気付かれてしまった。
あんなものを見てしまったからには、ただでは帰されない。
少年は足音を潜ませるのも忘れ、階段を駆け下りた。





やがて、街灯の光もない外へ出る。
たいした距離を走っていないのに、心音が早い。
追ってきているだろうかと思ったが、後ろには誰もいなかった。
少年は一息つき、今日のところは帰ろうとする。


「なあ、あんた」
前方から聞こえてきていた声に、少年は足を止めた。
人影が見える。
闇に溶ける、黒い髪が。
足音が、ゆっくりと近付いて来る。
少年はその場から動けず、立ち尽くしていた。
相手が目の前まで来ると、また冷や汗が流れる。
自分も、さっきの中年男性と同じことをされてしまうのだろうかと。

目と鼻の先まで来た蓮は、少年の顔をしげしげと覗き込む。
「へぇ・・・」
鋭い眼光が間近に迫り、少年は身動き一つできないでいる。
まるで、品定めをされているようで緊張していた。

「結構、イイ目してんな」
目を取られてしまうのだろうかと、一歩後ずさる。
相手を見据える蓮の瞳は、一挙一動を見逃すまいとしているように鋭い。
まるで、逃げようとしても無駄だと、諭すような眼差しだった。

「見られたからには生かしちゃおけない・・・なーんて、野暮な台詞は言わないから安心しな」
蓮は軽く言ったが、少年は訝しむ。
さっきの場面を見て、安心も何もできたものではない。
心音は、まだ早く脈打っている。
少年の中には、恐怖と期待が入り混じっていた。


「でも、誰かに見られるなんて想定外だ。アンタ、同業者か?それとも・・・」
「はー、ったく、蓮、オレに後処理させんなよなー。回収は、お前の役だろ」
だるそうな声が、少年の背後から近付く。
振り向くと、さっき狂気の笑みを浮かべていた男が歩いて来ていた。
もうナイフは持っていなかったが、肩に大きなクーラーボックスをかけている。
その中身を想像するのは、とても安易なことだった。

「あ、お前、さっき覗いてた奴だよな」
男の口調は、咎めるようなものではなく、どこか面白がっているようだった。
頬についていた血は拭われ、どうやって処理したのか、血の匂いは少しもしていない。
「あーあ、どうすっかなー。このまま帰したら、警察に言うよな?。
だったら、説明するしかねーよなー」
男は、問いかけているようにも、断定するようにも言った。

「そうだな。・・・おい、あんた、さっきの奴みたいになりたくなけりゃあついて来な」
少年に拒否権はなく、大人しく二人に付いて行くしかなかった。




しばらく歩いて着いた場所はかなり大きな家で、まさに豪邸と呼ぶに相応しいところだった。
通された部屋は、三人で使うには勿体ないほど広い。
その割には家具が少なく、ただ生活できればいいといった内装だった。
明るい部屋に出ると、男の白い肌につい目が行く。
茶か金かわからなかった髪の色が分かり、その金髪の男は机の上にクーラーボックスを置いた。

「ま、適当なとこに座りな」
蓮に言われて視線を戻し、少年はなるべくクーラーボックスから離れている椅子に腰を下ろした。
その正面には蓮、隣には金髪の男が座った。
「あんた、オレらのこと、殺人狂だと思っただろ?」
隣から問いかけられ、少年は素直に頷く。
その素直さが面白かったのか、相手はにやりと笑った。

「否定はしねーけど、俺らはただ殺したいからやってるわけじゃない。。
あれは、ちゃーんとした仕事、ビジネスなんだよ」
「・・・ビジネス?」
人を切り裂き、臓器を取り出すことが仕事だなんてありえるだろうか。
少年が疑問に思うと、蓮が答える。

「俺の父親は医者で、表向きには外科医をやってる。。
けど、それだけじゃあこんな豪邸は手に入らない」
少年の脳裏に、金髪の男が心臓を受け渡していた光景が思い浮かぶ。
クーラーボックスを横目で見ると、蓮が蓋を叩いた。


「もう想像ついてるみたいだな。この中に入ってるのは新鮮な臓器だ。。
俺の親父は、裏でそれを流して稼いでる」
「そんで、オレはそのさばき役ってわけだ。。
これで、むやみやたらに殺ってるんじゃねえってわかっただろ?」
物騒な会話でも、二人は日常会話と同じように話す。
けれど、少年はまだ疑問に思っていることがあった。

「・・・臓器を取る相手は、どうやって選んでいるんですか」
少年は、臆することなく問うた。
もし、そこらに歩いている人を連れて来ていたのなら、それは無差別殺人と変わりない。
もしかしたら、こうして話を聞きに来た者を選んでいるのかもしれないと勝手に想像してしまう。

「それは俺の仕事だ。あれはな、死んでもいいって思われてる奴を選んでんだ」
蓮が、また平然と答える。
あの平凡な顔立ちをしていた中年男性は、凶悪犯か何かなのだろうか。
質問の答えを聞くたびに、新たな疑問が浮かんでくる。
少年が訝しんでいると、隣から溜息が聞こえてきた。

「はー、めんどくせ。お前も、オレと目が合ったときすぐ逃げてりゃあ、お互いこんな面倒なんてなかったんだよ。。
血だまりに見惚れてたのか?」
金髪の男が、少年の顔を覗き込む。
その肌は、やはり白い。
脳裏に、先の光景が浮かぶ。
肌に散った、赤い鮮血が。



「・・・見惚れていました」
「へぇ?お前も、あーいうの好きなんだ?」
同類を見つけたと思ったのか、金髪の男はどこか嬉しそうに言う。

「そうじゃなくて・・・綺麗だと思ったんです。。
・・・君の頬に血が付いていた姿が綺麗で、だから・・・」
人肌についた赤を、あれほど美しいと思ったのは初めてだった。
あの液体を見たことは幾度とあっても、見惚れたのは初めてだった。
それが、この男にとても似合っていたからかもしれない。

少年がそう告げた瞬間、部屋に静寂が流れる。
金髪の男にいたっては、呆けたように口を開けていて。
数秒間の沈黙が流れた後、ふいに笑い声がした。

「はははっ、キレイ?オレが?あんな狂ったことしてる姿が?。
どーかしてるぜ、お前。美的感覚おかしいんじゃねーの?」
ここぞとばかりにけなされたが、男の笑い声は無邪気なものだった。
笑い方はまるで子供の様で、その表情は、さっき血だまりの中にいた人物とは思えないほど無垢だった。


「なぁ、蓮。これ以上説明すんのも面倒だしよ、次の仕事にコイツ連れて行こうぜ。。
血が嫌いじゃなさそうだし、平気だろ?」
褒められて機嫌が良くなったのか、口調が一層軽やかになる。
そんな提案に、今度は少年の方が目を丸くした。

「ま、いーけど。案外、いいオトモダチになれるかもな」
あまりにあっさりと許可され、少年はまた驚いていたが、首を横には振らなかった。
何も感じなくなる物質になる前に、見てみたいと思った。
世にも珍しそうな人を捌く仕事と、金髪の男の肌に映えた、あの赤を。


「・・・よろしく、お願いします」
少年は、丁寧に頭を下げた。
「ははっ、決まりだな。明日もこんくらいの時間に行くから寝ておいた方がいいぜ」
金髪の男は立ち上がり、意気揚々と部屋を出て行った。
「あんたはこの部屋を使いな。朝、起こしに来る」
そう言って、蓮はクーラーボックスを担いで出て行った。



広い部屋に一人残された少年は、言われた通り眠ろうとベッドへ向かう。
大きなベッドは何もかもが肌触りが良く、いかにも寝心地がよさそうだった。
毛布に包まれ、目を閉じる。
今の状況に、まるで現実味を感じない。
けれど、全てが夢であったとしてもどうでもよく、ほとんど自暴自棄になっていた。
少年の意識は、ほどなくして闇に落ちて行った。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
のっけからグロテスクです、多重人格探偵サイコに触発されて書きました。。
出て来る人物は、金髪は島津、黒髪は弖虎をイメージしています。。