ユガンダココロ6


凪は、一人で廃墟に佇んでいた。
やけに暗くて静かだけれど、目の前に横たわる二人の人間ははっきりと見える。
よく見知った人の死体を前に、凪は混乱する。
どうして、誰がこんな事を。

死体に近付こうと一歩を踏み出すと、足が何かを蹴飛ばした。
床に目をやると、刃が真っ赤に染まったナイフが転がっている。
それを拾おうとした時、自分の手が視界に入る。
刃と同じ色に染まった、自分の手が。
ああ、そうか、そうだった。
思い出した、殺したのは。




目を開くと、死体は消えていた。
ここは廃墟ではなく、蓮の家だ。
自分の手をかざして見ても、肌色をしている。
まだ夢の中にいるような気がしたけれど、冷たい水で顔を洗ったら現実に引き戻された。
昨日も血まみれの死体を見たのだから、こんな夢を見ても何ら不思議ではなかった。

いつものように、食堂へ行く。
その途中で、蓮に出くわした。
「起きたか。ちょうどいい、あんたに聞きたい事があるから部屋に戻りな」
蓮の言葉に、嫌な予感を覚える。
凪は伏し目がちになり、部屋に戻った。


部屋に戻り、凪がソファーに腰かけると、蓮は一枚の紙を取り出して言った。
「あんたに捜索願が出てる。届け出たのは、お前の親だ」
嫌な予感が的中し、凪は奥歯を噛みしめる。
一晩だけのつもりで家を出て来て、連絡もしていないのだから。
子を心配する親のそんな行動は、自然なことだった。

「今更のこのこ家に帰るわけにもいかねえよな。揉み消すこともできるけど、どうする」
「そうしてほしい」
間髪入れずに即答する。
家族の事となると判断がとても早くなることに、蓮は違和感を覚えていた。


「いいぜ、あんたは島津のオトモダチだからな。その前に、俺の質問に答えろ。。
あんたは、どうして俺達の共犯者になった?」
データだけではわからなかったのか、今まで聞かれなかった事が不思議なくらい重要なことが問われる。
凪はとたんに緊張し、蓮の顔が見られなくなった。

「虐待されて逃げ出したわけでもない、最初から狂ってたわけでもない。。
だとしたら、お前が頑なに家族を拒む理由は何だ」
その理由を、凪は決して自分から語ろうとはしてこなかった。
言えば、自分の汚い部分が露見する。
自分はこんなに嫌な人間なのだと、自覚してしまう。
できれば言いたくなかった、けれど、蓮の視線からは逃れられない。


「・・・両親が、嫌になったから。・・・人付き合いが、鬱陶しくなって、干渉されるのも嫌気がさしたから・・・」
「人付き合いなら島津としてんだろうが。それとも、あんたはあの廃墟で自殺でもしようとしてたか」
一拍置いてから、凪が頷く。
肯定したそのとき、蓮は凪の首を掴み、ソファーに叩きつけていた。
一瞬の内に相手を見上げる形になり、片手で体を制される。

「う、ぐ・・・」
細身の体からは想像できないほどの強い力で首を絞められ、息ができなくなる。
とっさに蓮の手を掴むが、両手で引き離そうとしても無駄だった。
さらに指が皮膚に食い込み、息苦しくなる。

「適当な嘘つくな、あんたの目は絶望なんてしちゃいなかった。。
捜索願を消してやるって言ってんだ、正直に話せ、いいな」
凪がかすかに頷くと、蓮は手を緩めた。
呼吸ができるようになり、大きく息をつく。
嘘を感じたらすぐに首を締めるつもりなのか、手はまだ添えられていた。
仲間になったとは言え、蓮の目には情けなど一欠片も感じられない。
答えなければ、絞殺される。



「・・・僕は、親にとって、ただの潤滑剤でしかないんだ」
命の危険を感じ、凪は声を振り絞っていた。
「親は毎日のように喧嘩して、言葉は刺だらけ。。
離婚しないのはお互いの利益のためだけで、僕は中立に立って、その場をたしなめてきた」
母は父の収入を得るため、父は母に家事をやらせるため。
お互いの間に愛情などないことは明確で、利用するためだけに一緒にいた。
それは、自分も同じだった。

「三人で出掛けるときや、食事をするときは苦痛でしかなかった。。
いつ罵詈雑言が口から飛び出すか気が気じゃなくて、僕はいつも気疲れしてた・・・」
その場をたしなめるたびに、胃に鉛が流れ込んだように重たくなる。
食事なんて食べた気がしなくて、ひどいときは吐き戻すときさえあった。
家族サービスと言っても儀礼的にしているだけで楽しむ余地などなく、一人になれるのならなりたかった。
けれど、学生の身ではまだ独り暮らしはできなくて、仕方無く潤滑剤として暮らしていた。

「僕は学校でもそうだった。相手の機嫌をとって、潤滑剤になって・・・もう、限界だった。。
だから、僕は・・・」
言葉が止まる。
これから、恐ろしい大罪を言ってしまう。
けれど、口をつぐむことは許されない。


「僕は、あのとき・・・二人と廃墟で会ったとき、探していたんだ。。
誰にも見つからずに、人を殺せる場所を・・・」
自分はきっと、最初から狂っている要素はあったんだと思う。
相手を傷付けずに生活してきた性質が染み付いて、押さえつけられていた。
二人と出会って、抑制する必要がなくなったとき、本性が出てきた。
気遣いとは真逆の、残酷な面が。

本音を言ってしまい、涙が滲む。
残忍な一面を忌み嫌う拒否反応を感じる。
親を殺そうという恐ろしいことを考え、実行に移そうとしている自分が悲しかった。


「よしよし、よく言ったな。お陰で疑問が解けた」
蓮が首から手を退け、そっと髪を撫でた。
脅されたと思えば優しくされ、涙腺がさらに緩む。

「悲しまなくてもいい、それがあんただよ。むしろ、俺達にとっては好都合だ、わかるだろ」
「好都合・・・」
「そうだ。慈悲深いお心なんて捨てな。その方が楽に生きられる」
蓮は横になり、未だに目を潤ませている凪を抱いた。

「僕・・・もしかしたら、島津より残忍なのかもしれない。親を殺したいなんて・・・」
「島津?あのキチガイに比べたらあんたはまだまともだ」
「でも、島津は・・・」
凪がまだ何かを言おうとする前に、蓮はその口を塞いでいた。
ネガティブな発言など耳障りだと言うように、唇で言葉を覆う。

「ん、う・・・」
昨日も感じた柔らかな感触に戸惑う。
けれど、力で敵わないとわかっているからか、抵抗を諦め自然と目を閉じた。
抵抗しないままでいると、腰に腕がまわされ、身が引き寄せられる。
お互いが深く重なり合い、柔い感触を鮮明に感じるようになると、心音が反応していて。
そのとき、凪は、自分でもよくわからない動悸を感じていた。
恋愛感情などではない。
馴れ馴れしく触れ合っても良い相手だと、そう認められた気がしていた。

蓮が身を離し、凪の腕を引いて体を起こす。
「よく言えたご褒美に、良い物食わせてやるよ。来な」
緊張が解けたとたんに、空腹感を思い出す。
部屋を出る蓮の後を、凪は子供が親の後を追うように小走りでついて行った。




食堂に行くのかと思いきや、着いたのは蓮の部屋だった。
だいたいの作りは自分の部屋と同じで、唯一違う所は冷蔵庫や台所が備え付けられているところだった。
蓮は鍋に少量の水を入れてコンロにかけ、冷蔵庫から市販のお菓子を取り出す。
棒状の細いクッキーがチョコレートでコーティングされている、有名なあれだ。

「これはそのままでもうまいけどな、一工夫すると違う味が出るんだよ」
鍋の水が煮立ってきたところで、蓮は冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
その中の液体は赤黒くて、まるで。
凪はそこまで思ったところで、あれはココアやコーヒーや何かが混ざり合ったものなのだろうと思い直した。

蓮がペットボトルの中身を鍋に入れ、箸で掻き混ぜる。
その間、凪は鼻呼吸をしないようにしていた。
ある程度混ざり、滑らかになると火を止め、市販のお菓子を液体に潜らせる。
チョコレートの部分に液体がまとわりつき、滴り落ちた。


「こうすると、島津の奴が喜ぶんだよ。凪、片方咥えてな。全部食うなよ」
何もついていないクッキー生地の方を向けられ、わずかに口を開いて咥える。
噛まないように唇だけで食み、じっとしていた。
すると、何の悪ふざけのつもりなのか、蓮が反対側を咥えた。
どこかのパーティゲームでやりそうなことを真顔でしていて、笑いそうになる。
けれど、蓮がお菓子を噛み砕き、徐々に迫って来るとそれどころではなくなった。

射止められるような視線に怯んで身を引こうとすると、腰に腕を回されて阻まれる。
力を込めて引き寄せられ、凪は思わずクッキー生地を噛み、チョコレートの部分を咥えていた。
口に甘さが広がる前に、香りが主張してくる。
いろんなものが入り混じっているような、強い香りが。
寒気を感じて、それ以上噛むことができなくなる。


凪が進めなくなると、蓮が迫ってゆく。
残り少なくなっても構わず噛み砕いてゆき、そのまま凪と重なった。
至近距離で注がれる視線に耐えられなくなって目を閉じると、また心音が目立つようになる。
口を塞がれて、口内のものを吐き出せなくなってしまう。
凪が観念して飲み込むと、すぐに解放された。

「っ、げほ・・・」
ほとんど噛まずに飲み込んだので、凪はむせかえる。
「まだかなり残ってるけど、もう一回するか?」
凪が首を横に振ろうとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。

「蓮、まだ寝てんのか!朝メシとっくに冷めてんぞ・・・って、凪?」
予想外の相手が部屋にいて、島津は足を止める。
やけに蓮と距離が近いことはあまり気にしていないのか、鼻をひくつかせて台所へ向かった。

「お、いいもんあんじゃん。これ、凪に食わせてたのか」
島津が鍋を指差すと、蓮は「まあな」と短く返事をした。
「ちょうどいい、オレももらうぜ」
島津は許可も取らずにお菓子を鍋の液体に浸し、次々と口に入れる。
滴る液体が指につき、それは白い肌に映える赤だった。

自分が食べてしまったものを自覚して、凪は眉をひそめる。
闇鍋のときに食べた肉も、普通に口にするものではなかった可能性が大きくなる。
まだ確実に判明したわけではなくとも、背筋が寒くなる。
何の抵抗もなくお菓子を食べる島津を凝視していると、ふいに視線が向けられた。


「ん、お前も食べたいのか」
「えっ・・・」
液に潜らせたものを持ち、島津が歩み寄る。
後ずさろうとしたけれど、いつの間にか背後に蓮がいて、逃れられないように抱きすくめられていた。
今度は、チョコレートの部分が口元へ触れる。

「ほら、さっさと食わねーと床が汚れちまう」
唇を割る様に押し付けられ、おずおずと隙間を開く。
それはすぐに奥へと入り込んできて、咀嚼するしかなくなった。

一口噛み、飲み込むごとに匂いが鼻から抜ける。
わずかに体を震わせながら、差し出されたものを食べ切った。
禁忌を犯し、自分の何かがまた一つ崩れてしまった気がする。
冴えない顔をしていると、島津が不思議そうに言った。



「何か、嫌そうな顔してんな。ラム系嫌いか?」
「ラム・・・?」
そこで、蓮が堪え切れないように噴き出した。

「あんたって、ほんと先入観が強いのな。これはラム酒だ、ラムレーズンとかあんだろ」
「ラムレーズン・・・」
「一口目で気付くかと思ったけど、ラム酒の味も血の味も知らなきゃ区別がつかなかったみたいだな。傑作だったぜ」
耳元で、蓮がおかしそうに笑う。
その笑い声に、凪は脱力した。

「オレ、そういうやつ好きなんだよな。鼻に抜ける匂いが良いからよ」
「はは、何だ・・・ラム酒、か・・・」
全部、自分の勝手な想像だった。
何も、世の中の赤い液体が全て血液というわけじゃない。
先入観の強さと想像力の豊かさに、凪自身も笑っていた。
凪の気が緩んだところで、蓮が腕を解く。

「そろそろ朝飯食いに行くぞ。島津、その菓子は全部やるよ」
「マジ!?じゃー平らげちまうからな」
島津は、何とも嬉しそうに新しい袋を空けた。
お菓子一つでそこまで喜べるなんて、やはり頭の中は子供のままなのかもしれない。
島津を部屋に残し、二人は廊下へ出た。




凪が扉を閉めると、蓮が向き直る。
「あんた、人肉を食べるのはどうしても嫌か」
「えっ・・・」
突然とんでもないことを問われて、返事に詰まる。

「嫌ならはっきり言え、ここは仲良し小良しを強制する学校じゃない」
「・・・人の肉は、嫌だ」
それ以外の動物なら良いのに、人だけは嫌悪する。
きっと、それだけ人の狡猾さや汚れた面を目の当たりにしてきているから。
たとえどんなに美味だとしても、そんな動物の肉を食べるのは気が進まなかった。

「じゃあ、血はどうだ」
「・・・・・・見ず知らずの人の血は、嫌だ」
「わかった」
蓮はそれだけ聞くと、何事もなかったかのように食堂へ向かう。
さっきは緩んだ頬が、また強張るのを凪は感じていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
カニバリズムすれすれ、この連載でしかできないので、つい。
実は、元々こういう猟奇的な話が好きなのです。愛読書は『異常快楽殺人』なので・・・。