ユガンダココロ9


今日は仕事があるということで、朝から島津の機嫌が良かった。
ナイフを何度も回し、頬の緩みが抑えきれていない。
凪も服を準備しようようとしたけれど、今日は必要ないと蓮に言われ、昨日の本の続きを読んで過ごしていた。
蓮は夜になっても外に出る気配はなく、今回の依頼は特殊なもののようだった。

「今日の相手は家の地下室に運んである。来な」
島津は詳細を聞かされているのか、文句一つ言わずに蓮に着いて行く。
ビデオ撮影はないのか、蓮が持っているのはクーラーボックスだけだった。
島津の持ち物はナイフ一本だけで、今回は凪も同じ様なナイフを持たされていた。


古めかしい扉を開けると、すぐ目の前に下へ下る階段が表れる。
凪は不思議に思いつつも、少し楽しみにしつつ地下室へ行く。
だんだんと周りが薄暗くなってゆき、蓮が壁のスイッチを押すと明りがともった。

それでも、地上の部屋よりはだいぶ暗い。
凪が目を凝らすと、引き戸がいくつもついている大きな鉄製の棚が並んでいるのが見えた。
その棚は病院のドラマで見た事があるもので、中に何が入っているのかは明確だった。

棚を横目に、三人は奥へと進んで行く。
扉を開けるとまた部屋があり、先の方に扉がある。
中にはホルマリン浸けの臓器や、毒々しい色をした薬品が置いてあり、とても地上には出せないものが揃っていた。



そして、何個目かの扉を開いたとき、暗くて何もない部屋に出た。
壁は、音楽室の壁の様に丸い穴が空いており、奥には手足を縛られた男性が横たわっていた。
眠っているのか、身動き一つしない。
蓮が電気を付けると、周囲がかなり明るくなり、男の輪郭がはっきりと見て取れるようになる。
スーツを着込み、痩せ形で、神経質そうな顔を見た瞬間、凪は、言葉を失っていた。

「精神がまいってたらもたないって言った意味が、わかっただろ?」
蓮に問いかけられても、凪には答える余裕がなかった。
ゆっくりと、一歩ずつ、その男性に近付いて行く。
目の前まで来ると、相手を見下げ、呼び掛けた。


「父さん・・・」
息子の声に反応したのか、男が動く。
目を開いたが、まだ覚醒しておらず焦点が合っていなかった。

「依頼がなくて暇だったからな、朝帰りの所を攫わせてもらった」
「はっ、息子が失踪中だってのによ、良い御身分なこった」
島津も男に近付き、髪を引っ張って起き上がらせる。
痛みで目が覚めたのか、男は呆然とした表情で島津と凪を見上げていた。

「こ、ここは・・・な、凪、今までどこへ行っていたんだ!心配したんだぞ」
心配しているふりをされても、凪には空っぽの言葉にしか聞こえなかった。
「おはよう、父さん。僕がいない間、母さんとは仲良くしてた?」
母の事を聞くと、父は眉をひそめた。

「あ、ああ、まあ・・・」
「嘘吐くな!」
凪は、自分でも驚くくらいの声を張り上げていた。
勝手に口が大きく開き、声帯が強く震える。


「お前等が仲睦まじくやってるはずない、今日だって家に帰るのが嫌になって朝帰りしたんだろう!?」
図星を突かれたのか、父は黙っている。
「家の中はどれだけ荒れてる?どんな罵詈荘厳が飛び交った?。
潤滑剤がなくなって、さぞかし痛かったんだろうな。。
耐え切れなくなって吐き出して、お互いを傷付け合うんだ」
まるで、家の中を覗いているような情景が凪の脳裏に浮かぶ。

両親が容赦なくお互いに言葉の刃を投げかけ、心に突き刺さって行く。
そこには、争いを止める者も、傷を癒す者もいない。
その傷を少しでも癒すために、また刃を吐き出す。
経済面と家事の利点を手放すのが惜しくて、どちらかが病むまで終わらない、とても醜い争い。
想像するだけで嫌気がさしたけれど、それももう終わらせてあげる事が出来る。


「・・・確かに、そうだ。だから、凪、お前が必要なんだ」
その台詞に、凪は座り込んでいる父の腹部を蹴り飛ばしていた。
父は低く呻き、信じられないものを見る目で凪を見上げる。
「僕が必要?よくそんなご都合主義なことが言えたもんだ。。
息子を愛してるから言ってるんじゃない、自分達が傷付かないようにするための壁が欲しくて仕方がないんだろ!」

「そ、そんなことは・・・」
「そんなことはない、なんて言ったらすぐに舌を切ってやる!。
食事の量が少しでも少ないと嫌見たらしく文句を言う、間違いを指摘されると逆ギレして鬱憤を吐き出す。。
その場を取り成す僕の気持ちを一瞬でも考えた事があるか!?。
あるわけないよな、あったら僕は家出なんてしなかった」

今まで、これほど相手に強く言葉を投げかけたことはなんてあっただろうか。
声は、島津と蓮も聞いたこともないほど強かった。
相手を痛めつける為に発する言葉が、次々と父親に突き刺さる。
今までに自分が受けた苦痛を、少しでも味あわせるように。


「潤滑剤がいなくなって辛かった?でも、もう大丈夫。。
もう、父さんが母さんと口論することなんてなくなるから」
「か、帰って来てくれるのか」
「そんなわけないだろ!」
凪は、父の目の前にナイフを突き付けた。
もう少し腕を前に出せば、眼球に突き刺さる。
父は小さく悲鳴を上げて、横に倒れた。
その場から距離を置こうと、まるで尺取り虫のように体を動かしている。
凪は、プライドばかり高い父のそんな姿を見たことがなくて、とても愚かしく思っていた。

「不様だね、耐えられないだろ?毎日母さんと口論して、息子に足蹴にされる現状なんて。。
だから、もう父さんがそんな苦痛を感じないようにしてあげるんだ」
凪は、父の体を踏み付け、動かないように止める。

「う、嘘だよな?凪、わ、わかった、反省する、反省するから・・・」
「もう遅いよ。精神的に受けた苦痛は簡単には消えないって、よくわかってるはずだ。。
だから、暴力を奮うんじゃなくて、ずっと言葉で僕等を攻め続けて来たんだろ!」
凪は身を屈め、父の頬をナイフで勢いよく切った。
父は大袈裟な悲鳴を上げ、身悶えする。


「精神的な痛みを肉体的な痛みに変換すると、どれくらいになるかな。。
少なくともこれくらいじゃないから、もっと切ってもいいよね」
凪は自分自身に同意を求めるように言い、今度は肩を切った。
高級なスーツに赤い染みが広がってゆき、父はまた悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべる。
そんな表情を尻目に、腕や脇腹にも切り込みを入れて行く。
悲鳴は決して外に届くことはなく、部屋に虚しく響き渡った。

島津はナイフを回し、凪が躊躇ったら自分がいつでも切りかかれるよう準備をしていて。
蓮は、豹変した様子を興味深そうに観察していた。

相手に合わせることしか知らなかった凪は、もういない。
今表れているのは、苦痛が生み出した残忍性だけ。
だが、それは相手を切りつけるごとに少しずつ消化されていっているようで。
男が動きを止めたとき、視線から鋭さが消えていた。




父のスーツはべっとりと血で染まり、鉄の匂いが強くなる。
その匂いは今目の前に居る相手から発されていると思うと、凪の気は落ち着いて来ていた。
もう言葉を発する気力もないのか、ただぜいぜいと息をしている。
ここまでしたのだから、解放するわけにはいかない。
ここで殺さなければならない。
そもそも、殺害が目的で狂った二人と共犯者になったのだから。

凪がナイフを握る手に力を込め、振り上げる。
けれど、それを振り下ろすだけの苦痛は、もうなかった。
父の無残な姿を見て、容赦なく切りつけて、鬱積が解消されてしまった。


「まさか、これで終わりなんてわけじゃないよな」
蓮が、凪の背を押すように言葉を投げかける。

「わかってる。殺さないと君達に迷惑がかかる、大丈夫だ・・・」
凪は、自分に言い聞かせるように呟いた。
解放すれば、この場所が突き止められてしまう。
そして、プライドが高くて狡猾な父は、きっと報復をしに来る。
こんな人間は、今殺しておくのが一番安全だ。
首の動脈を切ってしまえば、もう終わる。
けれど、どうしても切れなかった。


「・・・父を殺した瞬間、僕も保身の為に相手を傷付ける、汚い人間と一緒になる・・・。。
・・・怖いんだ。この先、どれほど重い報いを受ける事になるのか・・・想像すると、怖くてたまらなくなる・・・」
先の強い口調はどこへ行ったのか、凪の声は弱弱しかった。
島津に殺されかけたときに感じた、絶望感に打ちひしがれ、諦めの念に包まれたときの恐怖を思い出す。
父を殺せば、きっと、それ以上の、相応の報いを受ける事になるだろう。
今まで島津が殺して来た犯罪者の様に、今、目の前に横たわっている父の様に。

凪が、力なく腕を下ろす。
そのとき、今まで傍観していただけの島津が歩み寄り、ナイフを掴んでいるその手を取った。

「それなら、オレが半分肩替りしてやるよ。一緒に殺せば、その報いってやつも半々で済むだろ?」
凪は目を丸くして、島津を見上げる。
罪の意識など一かけらも感じていないのか、その口調は軽やかだった。

「じゃあ、俺は喉元を切りやすいようにしておくか」
蓮は男に近付き、力なく倒れている体を起こす。
そして、髪を引いて顔を上げ、首を露わにした。


「こんなの・・・僕の勝手な、保身の為なのに・・・」
「仕事のついでだ。クーラーバッグは持って来てるからな」
いつもと変わらぬ二人を見ていると、恐怖心が消えていった。
殺人に協力してくれる仲間なんて、歪み切った間柄でしかない。
けれど、凪は心から感謝していた。
二人が歪んでいてくれて、良かったと。

「たす、けて・・・くれ・・・」
父から、か細い声が発される。
けれど、もう凪の耳には届かなかった。

「今、助けてあげるよ、父さん」
やっと、切り刻まれる恐怖から解き放つことができる。
島津が促さなくとも、凪の手は父の首元へ移動して行った。

「寂しくなんかないよ。すぐに、母さんにも後を追わせるから・・・ね」
凪は父に微笑みかけ、首を切った。
体が弓なりにしなった後、動脈から血が噴水のように噴き出す。
ナイフも、服も、手も赤に染まる。
凪は、返り血を避けることもなく、ただ父が絶命していく様子を見詰めていた。


蓮が手を離すと、男の体が崩れ落ちる。
完全に事切れた様子を見届けると、凪は手に付いた返り血を舐めた。
ラム酒などではない、独特な味と匂いが口内に広がり、嫌悪する。

とうとう、大罪を犯した。
罪の意識がないわけではない。
けれど、島津と蓮が、自分のすぐ傍に居てくれる。
この二人の狂気に覆われてしまえば、このまま、生きて行けそうな気がしていた。





数日後には、同じようにして女性が地下室へ運び込まれた。
泣き叫ぶ母に、凪は今まで募りに募った鬱積を吐き出した後。
安心させるよう微笑みかけ、島津と共に首を切った。
手に付いた血を舐めると、父のときと変わらず、嫌悪感が沸いた。

これで、もう自分を縛りつける物は何もない。
相手の機嫌を伺って、自分を押し殺す必要もない。
そう思うと、自然と涙が出て来ていた。
今までの自分が消えることを、悲しんでいるのだろうか。
それとも、歓喜に震えているのだろうか。

汚れの無い滴が流れ、血溜まりの中に落ちたとき。
凪から、リョウシンは消えていた。


「これで、お前の目的は果たされたわけだけど、これからも俺達と一緒に居るか」
蓮の問いに、凪は考える間もなく答えた。

「僕等はもう、共犯者なんだよ。蓮と、島津と、ずっと、一緒に居たい。。
・・・いつか、報いを受ける日までね」
作りものではない、心からの笑顔で、そう告げた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
今回はいちゃつきはなしで、凪を完全に二人の仲間にするための話でした。
グロシーンは・・・少し、疲れてきたので、申し訳なくも割愛しています。