ハッピーツリーフレンズ(前編)


自分の中に潜む、残酷な面
それは、爆発音を聞いたり、血に見えるものを目の当たりにすると、とたんに出てくる

抑制したいと思っても、どうにもできない
気付いた頃には、服が真っ赤に染まっている
戦場で生まれた、残酷な人格
それを制御できるようになりたいと、フリッピーは精神病院に来ていた


「・・・それで、目の前が真っ暗になって・・・気付いたら、いつも・・・
・・・血まみれに、なってるんです」
フリッピーは、感情を抑えつけるように重々しい口調で話す

「なるほど。つまり、もう一つの人格に、自分が乗っ取られないようにしたいと」
精神科医にとって二重人格は驚くことではないのか、冷静に分析する

「はい。できれば、消してしまいたいんです。あんな、残酷なもの・・・」
昔、まだ戦争が続いていた頃
確かに、非常な面は必要だった
けれど、今あるのは平和だけ
もう、攻撃的で容赦ない一面なんていらないと、フリッピーは望んでいた


「わかった。消すことはできないが・・・いい物がある」
精神科医は立ち上がり、部屋の奥から機械を抱えてやって来た
それは丸い形をしていて、ちょうど頭がすっぽりと入りそうな形をしており
頭頂部からは、コンセントが垂れ下がっていた

「君みたいな人のために、最近、開発してみたんだ」
「何ですか?それ」
フリッピーは、その奇妙な機械を指さして尋ねる

「これは、二重人格分離マシーンさ。
その名の通り、なんと人格を分離させて、二人になることができるんだ」
「分離・・・ということは、僕は、離れられるんですか?あいつから」
あいつとは、冷徹非道な人格のこと
消すことができないとは言え、自分の中からいなくなってくれるのなら同じこと
精神科医が頷いたのを見ると、フリッピーは目を輝かせた

「ぜひ使わせて下さい!いくらかかっても構いませんから、お願いします!」
もう一つの人格と離れられることに興奮し、声を上げて詰め寄る

「そのつもりで持って来たんだ。ただし、使うのは安全な場所のほうがいい。
君の残酷な面が分離したら、そいつは君と同じように自我を持つからね」
フリッピーは機械を受け取り、頷く
もし、ここでこれを使い、あいつが出てきてしまったら
目の前の相手は勿論、院内にいる人全てが殺されかねない

「ありがとうございました、先生」
フリッピーは一礼し、診察室から出て行った




その後、フリッピーは自宅にいた
安全で、なおかつコンセントがついている場所は、自分の家しか思いつかなかった

機械をコンセントに差し、椅子に座ってそれを被る
これで、爆発音や赤い液体に怯えることなく生活を送れる
フリッピーは、そう期待しながらスイッチを入れた

そのとたん、全身に強い電気ショックが走る
目の前がぐるぐると周り、頭の中が真っ白になってゆく
あまりの衝撃に、呻き声すら出ない


突然の負荷に、体が耐えることができず
スイッチを入れてから一分も経たずに、フリッピーは意識を失った



頭が軽くなっているのを感じ、フリッピーは目を開ける
いつの間にか機械が外れ、床に転がっていた
さっきの衝撃はかなりのものだったのか、頭がぼんやりとして気だるい

けれど、床に転がっている、もう一つのものを見た瞬間
ぼんやりとしていた脳は、完全に覚醒した


目の前に横たわっている、一人の相手
自分と同じ服を着て、同じ容姿をしている
それは、まさしく今しがた分離した、自分の人格だった

まだ気絶しているのか、相手はぴくりとも動かない
フリッピーは、恐る恐る近付き、様子を窺おうと屈みこんだ
その瞬間、相手が急に身を起こした

「うわっ!」
飛び退く間も無く、腕を取られる
フリッピーは、瞬く間に押し倒されていた

「お前、面倒なことをしてくれたもんだな?」

上から振って来た、自分の声
いや、声質は同じでも、雰囲気が全く違う
それに、自分を見下ろしている目
顔の作りはまた同じものでも、その瞳にはぞっとするような冷徹な鋭さが含まれていた


「き、君・・・僕の、中にいた、あいつ・・・なのか」
緊張気味に、自分の上にいる相手に問いかける

「これが、他人の空似に見えるか?」
今更何を言っているのかと、相手は嘲笑うように鼻で笑った
分離は、どうやら成功したようだった
それはいいものの、今の状況は危険極まりない
何せ相手は、残酷極まりない自分だったものなのだから

「何の合図もなく起こしやがって、おかげで睡眠不足もいいとこだ」
台詞が終わると、相手はぱっと腕を離し、迷いなく寝室の方へ歩いて行った
血を見ることになるかもしれないと覚悟していたフリッピーは、唖然と後ろ姿を見送る
後を追いかけ、寝室の扉を開けたとき、すでにベッドは占領されていた

自然と、窓の外が目に入る
外はもう暗い
どうやら、結構な時間気絶していたようだ

緊張が緩んだからか、フリッピーは小さなあくびをした
ベッドで寝たいのはやまやまだったけれど、起こすと今度こそ流血沙汰になりかねない
フリッピーは物音をたてないよう部屋から出て、ソファーで眠った






翌日、フリッピーが目を覚ましたとき、自分がなぜソファーで寝ているのかわからなかった
けれど、すぐに昨日の出来事を思い出し、飛び起きた

家の中は、静まりかえっている
もし、あいつが外に出て殺戮の限りを行っていたら大事になる
フリッピーは、急いで寝室を確かめに行った



焦っていたが、大きな音はたてないように扉を開く
ベッドには、まだ眠っている相手の姿があった
フリッピーはほっと息をつき、扉を閉める

分離したはいいものの、これからどうしようかと考えを巡らせる
昨日は、自分の中からあいつを追い出すことしか考えていなかったけれど
あいつを野放しにしてしまえば、それこそ街が一つ壊滅しかねない

何とか、殺戮衝動を抑えることができないだろうか
平和を望んでいる自分にとっては、できればそれが一番いい
それなら、とりあえず友好を深めようと、フリッピーは朝食を作ることにした

どんなに残酷な相手でも、腹は減る
満腹になって満足して、殺戮のことを忘れてくれればいいと、フリッピーは願っていた



ちょうど、朝食の支度が整った頃
寝室の扉が開き、あいつが出てきた

「お・・・おはよう。朝ごはん、できてるよ」
フリッピーは、緊張を隠しきれないまま声をかける
相手は、朝食が並べられたテーブルをいぶかしむように眺めた
けれど、寝起きで空腹なのか、やがて椅子に腰かけた

フリッピーも、相手の正面に座る
毒など入れてないと証明するように、自分から先に食べ始めた
相手はまたいぶかしむようにその様子を見ていたが、ほどなくして朝食に手を伸ばした

自分と食事をするなんて、奇妙以外の何物でもない
フリッピーはどうしても緊張してしまい、ほとんど味がわからなかった
気まずい沈黙を破れないかと、必死に言葉を探す


「あ、あのさ・・・」
呟くように声をかけると、鋭い視線が突き刺さった
フリッピーは思わず視線を逸らしそうになったが、何とか留めた

「君のこと、覚醒って・・・そう呼んでもいいかな。同じ名前がいたら、ややこしいし」
おどおどと、控えめに尋ねる
相手は黙り、じっとフリッピーを見た
その沈黙は、まるで言葉の意図を予想しているようだった

「好きに呼べばいい。呼び名なんて、俺には関係ないことだ」
ぶっきらぼうな口調でも許可されたことに安心し、フリッピーは胸を撫で下ろした
今はこんなにぎこちなくとも、もしかしたらうまくやっていけるかもしれない
フリッピーが、そんな淡い希望を抱いた瞬間
それは、すぐに打ち壊された




食事を終えると、覚醒は玄関の方へ歩いて行った
嫌な予感がしたフリッピーは、肩を掴んでその歩みを引き留めた

「か、覚醒。どこに行くんだ?できれば、一声かけていってほしいんだけど・・・」
覚醒は振り返り、冷徹な眼差しを向ける
フリッピーは冷たい視線に気圧されたが、手を離そうとはしなかった

「一人か二人、殺ってくるだけだ。いつものことだろ」
覚醒は、平然とそう言い放った
聞き捨てならない言葉に、フリッピーの顔色が変わる

外へ出してはいけない
絶対に、一人か二人程度では収まらない
それは、自分が一番良く知っていることだった

「駄目だ!君を外に出すわけにはいかない」
フリッピーは覚醒の前に回り込み、立ち塞がった

「へえ・・・。臆病者が、俺を止めるつもりか?」
覚醒は、瞳の奥に残忍さをちらつかせる
それをまともに受け止めてしまい、背筋に悪寒が走った
けれど、やすやすと引き下がるわけにはいかない

「き、君が外に出たら、きっと何十人も殺す。だ、だから、僕が、ここで、引き止めるんだ」
勇気を振り絞った言葉だったが、どうしても怯えが出てしまう
そんな様子を汲み取り、覚醒はにやりと笑った

「なら、やってみせろよ。ナイフを貸してやるからさ」
覚醒は、小振りのナイフを弧を描くように投げる
フリッピーはうまく柄の方を掴み、手が震えて落とさぬよう強く握った

それと同時に、覚醒はもう一本ナイフを取り出す
そして、見せつけるように刃をぎらつかせた
フリッピーは、思わず一歩後ずさってしまう
覚醒はまたにやりと笑い、一歩分の距離を詰めた


「ほら、遠慮なく切りつけてこいよ。身体能力はそれほど変わりないはずだ」
覚醒の言うとおり、争いごとを嫌っても軍人は軍人
昔鍛えた腕は、未だになまってはいない

けれど、力が互角と言われても、飛び込めない
一歩を踏み出したとたん、全身を切り刻まれる
軍人としての第六感が、そう警告していた

「どうした、俺を止めるんじゃなかったのか?」
さっきから、覚醒は楽しむような嘲笑を浮かべている
フリッピーの足は、相手が一歩踏み出してきたときだけ、逃げるように後退していった

「やっぱり、お前は俺がいないとただの臆病者だな。
切り刻まれたくなかったら、さっさとそこをどけ」
「うう・・・」
どうしても切りかかることができない自分が悔しくて、フリッピーは小さく呻く
このままでは、みすみすと殺戮を許してしまう
それじゃあ、分離する前と何も変わらない

「俺は早く血が見たいんだ。あの戦場を思わせるような鮮血が」
「血・・・」
そのとき、フリッピーはあることを思いついた
血が見たいのなら、ここで見せてやればいい
何も、止める方法は、相手を切りつけることだけではない


フリッピーは、ナイフの刃を自分の方へ向ける
一瞬、腕が震えた
何をする気かと、覚醒の目が細まる
そして、フリッピーは袖をまくり、自らの腕を切りつけた

「ううっ・・・!」
とたんに、鮮血が飛び散る
腕を伝って流れ落ちる血は、瞬く間に手を赤く染める

「お前、何を・・・」
流石の覚醒も驚いたのか、目を丸くしていた


「・・・ほら、君はこれを欲しがってたんだろ」
フリッピーは、血が滴り落ちる腕を差し出す
その瞬間、覚醒の目の色が変わった
覚醒はその腕を強く掴み、傷口を舌で弄った

「っ・・・!」
とたんに、痺れるような痛みを感じ、フリッピーは顔をしかめる
そんなことはお構いなしに、覚醒は舌を這わせてゆく
掌についた血も一滴残らず啜るよう、指の間まで丹念に

「う・・・」
血と唾液の二つが混じり、何とも言えない感触が掌を、腕を這う
恐怖のさなか、痛みとはまた違う感覚にフリッピーは戸惑っていた


傷口からあまり血が出てこなくなると、覚醒は身を離した
その目は獲物を見つけたときのように血走っていて、相手に多大な恐怖を与えるものだった

「足りない・・・もっとだ、もっと・・・
・・・お前の肉を食いちぎれば、味わえる」
「に、肉って・・・うっ・・・!」
フリッピーは、抑えきれない呻きを漏らす
抵抗する間なんてなかった
覚醒は目にもとまらぬ動きで、瞬く間にフリッピーの首に噛み付いていた

「う、あ・・・!」
強い圧迫感を覚え、覚醒の歯がじわじわと皮膚に食い込んでくる
恐怖で、膝が震えた
どんなに恐怖を募らせても、覚醒の力は弱まらない
そして、とうとう鋭い犬歯に、首の皮が貫かれた

「あぁっ・・・!」
あまりの痛みに、フリッピーの悲鳴が上がる
それは覚醒をさらに興奮させることになってしまったのか、犬歯はさらに深く、皮膚へ突き刺さった


殺される
首の肉を食いちぎられ、最後にはバラバラにされてしまう

とてつもない恐怖に、フリッピーは泣きそうになる
じわじわと痛みを味わいながら死ぬのなら、いっそのこと狂ってしまいたい

けれど、それは叶わないこと
狂気は、もう自分の中にいないのだから


覚醒は、フリッピーの首に空いた穴をもてあそぶように弄る
ぬらっとした感触に、身震いする

「う、うぅ・・・っ」
もう、限界だった
次に、鋭い痛みが身を襲ったとき
フリッピーは、意識を手放した






目を開けたとき、フリッピーはベッドの上で横になっていた
体を起こし、自分の四肢がついていることにほっとする

そこで、腕に包帯が巻かれていることに気付いた
首元に手をやると、そこにも巻かれているのがわかる
一体、何のつもりなのだろうか

「起きたか」

自分の声に、フリッピーは肩を強張らせる
部屋の入口に目を向けると、そこに覚醒が立っていた
その姿を見るだけで、フリッピーは怯えた
だが、自分に巻かれた包帯を見ると、少しだけ恐怖が和らぐ気がした

覚醒は、つかつかとベッドに歩み寄る
フリッピーは、緊張した表情で覚醒を見ていた

傍まで来た覚醒が、ベッドに腰かける
そして、ふいにフリッピーの首の包帯へ手をやった
思わず身を固くしたけれど、その手は力を込めるわけでもなく、ただ首に添えられただけだった


「まさか、臆病者があんなことするなんてな。自分の血を啜るのも、悪くなかった」
その言葉で、フリッピーはさっきのことを思い出し、ぞっとする

「き、君は・・・どうして、そんなに血が好きなんだ・・・?」
おどおどと、尋ねかける
覚醒は、その問いを鼻で笑った

「それが俺の本能だからだ。俺にとって、それがごく自然なことなんだよ」
平然と、恐ろしいことを聞かされる
殺戮を快感とするなんて、考えられなかった
それに、そんな奴が自分の中にいたなんて、フリッピーは信じたくなかった

「かつて、お前も同じだったはずだ。
俺はお前から生まれた。いや、呼び起こされただけだ。あの戦場で・・・」
「違う!」
フリッピーは、思わず声を荒げていた


「君と僕は同じなんかじゃない!
僕は血を見るのなんて嫌いだし、叫び声を聞くのも嫌だ!」
残酷な気質が自分の中にいたなんて、考えたくない
この狂気と自分は別物
そう、信じたかった

「僕は君じゃないし、君は僕じゃない!僕は・・・」
言葉を言い終えない内に、覚醒の目の色が変わった
とたんに、首に添えられていた手に力が込められる
フリッピーは瞬く間に体を押さえつけられ、後ろに倒れた

「ぐっ・・・」
両手で、首を掴まれる
もがこうと、覚醒の手首を掴んだときには、もう息ができなくなっていた


「君は僕じゃない、だと?よくもそんな口がきけたもんだな」
覚醒は馬乗りになり、冷やかに笑う

「敵に囲まれたあの状況で、誰が奴らを切り刻んだと思ってる?
俺がいなけりゃ、お前は死んでたんだ」
フリッピーの首を締めたまま、冷徹な口調で言い放つ

「ぐ・・・う、う・・・」
フリッピーは何かを言おうとするが、苦しさのあまり言葉にならない

「お前は身を守るために俺を起こした。
俺は新しく生み出されたんじゃない。お前は、自分の本能に気付いてなかっただけなんだよ!」
首にかかる手に、さらなる力が込められる

「う・・・ぐ・・・」
いよいよ息が詰まり、フリッピーの意識が朦朧とする


今度こそ、殺される
包帯を巻いたことなんて、ただの気まぐれにすぎなかったんだ
覚醒の手首を掴んでいる手に、力が入らなくなる

今度こそ、死ぬんだ
フリッピーはそう覚悟して、力を抜いた
そのとき、覚醒がそれを見計らったかのように手を離した


「酸素が欲しいか?なら、思う存分吸わせてやる」
喉が解放され、大きく息を吸い込もうとする
けれど、フリッピーが思う存分、酸素を吸い込む前に
覚醒は、自分の口でその箇所を塞いでいた

「っ!?」
開いたままの口を塞がれ、驚きのあまり体が硬直する
それでも、体は空気を欲していて
口内に流れ込んできた温かな呼気を、吸い込まずにはいられなかった

「はっ・・・」
吹き込む息が尽きたのか、覚醒が一瞬だけ身を離す
フリッピーはその隙に呼吸をしようとするが、それを阻むよう、同じようにすぐ塞がれた

「んんっ・・・!」
再び、呼気が吹き込まれてゆく
まだ満たされていない肺は、それが恐れるべき相手のものでも構わず受け入れてしまっていた

覚醒は執拗にその行為を繰り返し、息を送り続ける
まるで、自分の一部を取り込ませるかのように、何度も
フリッピーは抵抗する気力を失っていて、されるがままに、覚醒を受け入れるしかなかった




だんだんと、フリッピーの荒い息がおさまってきたとき
覚醒はようやく、完全に身を離した
吸い込み続けた熱い呼気のせいか、フリッピーは紅潮しきっていた

一方、覚醒の興奮は収まったのか、いつもの鋭い眼差しでフリッピーを見下ろしていた
そして、ふいに手を伸ばし、まるで相手の熱を確かめるよう、額に掌を当てた
フリッピーはびくりと肩を震わせ、今すぐここから逃げだしたくなったが、まだそんな体力はなかった


額の手は、緩やかな動きで前髪に触れる
不思議と、その手つきに恐ろしいものは感じず、フリッピーはほんの少しだけ肩が軽くなるのを感じていた
覚醒は、手を離すと無言で立ち上がり、何事もなかったかのように部屋から出て行った
残されたフリッピーは、緊張感を吐き出すように、大きく息をついた



食いちぎられると思えば、手当てをされる
窒息させられると思えば、息を吹き込まれる
そして、最後の、敵意のない手つき
殺そうとしているのか、救おうとしているのか、はたまた、もて遊んでいるだけなのか
フリッピーは、覚醒の意図がわからなくなっていた

そうして、悩んだ後だった
ここから逃げてしまおうと、そう決心したのは

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