ヘタリア #12前編

―亡び―

僕は、腕の中にいる人物がまだ寝息をたてているほど早い時間に目を覚ました
まだ瞼が重たかったが、僕は相手を起こさぬよう慎重に布団から抜け出た
お礼の言葉も言わずに出て行くのは、無礼かもしれないが
気付かれない内に、帰りたかった
別れの挨拶を言った瞬間、決心が揺らいでしまうかもしれないから
僕は眠っている相手に一礼し、まだ暗い中を歩いた




国に帰ったら、僕は部屋に閉じこもった
そしてそのまま、夜中になるのをじっと待った
その頃には、もう併合の準備は終わっているだろう
そうなれば上司も一息つき、安眠しているはず
僕は夜中に眠気が襲ってこないよう今から眠ろうと、ベッドに横になった
決意の証に、刀を枕元に添えて



時間は淡々と過ぎてゆき、陽は落ち、空は暗くなった
皆が寝静まった中、僕は一人上司の部屋へ向かっていた
手袋をして、刀を持ち、足音を潜めて上司のいる部屋の前まで来た
緊張しているのか、肩が少し上がる
もう、躊躇いはないはずだ
僕は軽く深呼吸をして、ゆっくりと扉を開けた


部屋の中に入ると、空気ががらりと変わった気がした
ぼんやりと薄明かりが点いており、周囲の様子をうかがうことができた
部屋の奥に、ひときわ大きなベッドがある
僕は足音を忍ばせ、そこへ近付いた


僕は、刀の射程距離内まであと一歩のところで立ち止まった
上司は反対側を向いていたので、本当に眠っているのかは確認できなかった
こうして立ち止まっている間に目を覚まされたら、厄介なことになる
早くけりをつけなければと思い、僕は刀に手をかけた

刀身を抜こうと、刀の柄を掴む
その手には、妙に力が入っていた
自分で思っている以上に、緊張しているのだろうか
それは、無理もないことだった
今まで上司に逆らう事はなかった僕が部屋に忍び込み、そしてその相手に危害を加えようとしているなんて

それでも、今更躊躇ってはいられない
僕は刀身を引き抜き、刃を光らせた
そして少しの間横になっている上司を見つめ、小さく別れの言葉を呟いた


「・・・さようなら」


その言葉を発したとたん、目の奥がじんわりと熱くなる
ああ、泣きそうになっているんだと感じる
僕は、目の前にいるこの相手に泣けるほど優しくはないはずなのに
視界がぼやけないうちに、僕は一歩を踏み出した
そして、刀を振りかざした







刃の触れ合う音が、部屋に響いた
振り下ろした刃は、上司の手に握られたもう一本の刃によって止められていた

「!?」
僕は驚きを露わにし、その場から飛び退いた
上司は体を起こしてベッドに座り、リンセイを見据えた
手には、短いナイフが握られていた
向き合った二人の間に、緊迫した空気が流れた

呟いた言葉意外に、物音は一つもたてていない自身があった
だが、流石は軍事国家を取り締まる者だけある
正直、上司の実力のほどは知らないが僕だって弱いわけではない
こうなってしまった以上、刺し違えても構わない
覚悟は、とっくにできている


流星が刀を構えようとしたとき、上司が口を開いた
「お前が、こんな行動を起こすとはな」
その口調は、慌てているわけでも、驚いているわけでもない、いたって平坦なものだった

「私を脅して、何か望むものでもあるのか」
普通なら、上司を脅かそうとしている時点で監獄行きだ
だが、相手が相手なだけに、上司もすぐに兵を呼びつけようとはしなかった
もしかしたら、説得できるかもしれない
リンセイはわずかな希望に賭け、要望を口にした

「・・・日本とイタリアの併合を、取り止めて下さい」
今までに、上司が進行予定を変更したことはない
それだけ周到に調べ、それから行動するからだ
だから、駄目もとで言ってみた
話し合いで解決できれば、それほど喜ばしいことはない

「国を大きくするためのことに、何の不満がある」
上司は、淡々とした口調で問うた

「僕は、二国を何回も視察してきましたが・・・併合しても、とても、自国の利益になるとは思えません」
私事ではない、国のことを考えているということを強調した
本当の理由を言っては、上司の考えはとうてい変わらないと思った

「それだけか」

上司は、まだ続きがあるのだろうという、確定的な口調で言った
リンセイはとっさに言葉を探し、言葉を紡いだ
「そ、それに国同士が離れていて、管理に手間がかかります。最悪、自国の不利益になる可能性も・・・」
「それだけか」
上司は、さらにリンセイに問いかけた
まさかまだ問われるとは思わず、リンセイは焦った

「それだけ・・・では、なくて・・・・・・あと・・・・・・」
リンセイは俯きがちになり、語尾を小さくした
もう、二国を皮下するような言葉なんて見つからなかった




「併合は明日だ」
冷徹に、上司は言い放った
言葉を聞いた瞬間、体が震えた
もう、説得は不可能だという絶望感が、体を襲った
それならば、最初に考えていた方法に戻るまで
僕はすぐにでも行動に移そうと、刀を握る手に力を込めた

「私が一声呼べば、兵士がなだれ込んでくるぞ」
上司は、僕の行動を先読みしたかのように言った

「私でも、お前相手では長くはもたないだろう。
しかし、その間にお前は兵士に取り押さえられ、それで終わりだ」

最後の言葉が、とても残酷な響きに聞こえた
併合した、不満を持つ国に命を狙われてもおかしくない上司が、何の防衛策も持っていないはずはなかった
冷静に考えれば、上司が目覚めた時点でもう失敗だとわかることだった

だけど、僕は足掻きたかった
これが成功すれば、絶対に二国に危害を与えることはなくなる
そのために、全てを投げ捨てる覚悟はとうにできている

「それなら・・・兵士が来る前に、終わらせればいい」
僕は呟き、顔を上げて上司を見た

「僕は・・・僕は、あなたを殺す覚悟でここへ来た」
上司は、片眉をわずかに動かした

「上司であるあなたを殺したら、国がどうなるか・・・わかってないわけじゃない」
指導者を失った国は混乱し、荒廃し、そして滅ぶ
国が滅ぶことは、自身の死を意味する
だから二人に会ってきた
併合を言い渡されたときから、僕はこの道を歩むだろうと勘付いていたから

「それでも・・・僕は、二人に危害を加えたくはなかった」
こんな私情に、上司が耳を貸すとは思えない
だけど、これで終わりなのならば全て打ち明けてしまいたかった

「だって、僕は・・・・・・」
その先の言葉を言うことに、少し戸惑った


僕は、二人の為なら、自国をないがしろにしてもいいと思っている
突然目の前から姿を消したにもかかわらず、ずっと友だと思い続けてくれたイタリアが
度重なる非礼にもかかわらず、僕のことを突き離さないでくれた日本さんが
僕の中で、とても大きな存在となっている

危害を加えることなんて、絶対にしたくない
そうするくらいなら、自分が亡んだほうがましだ
併合を言い渡されたあの日、そう思えるくらい僕は、二人の事を―――


「僕は・・・・・・・・・・・・・・二人のことが、好きだから・・・」


僕は目を閉じ、ゆっくりと言った
その想いを言葉にしたとたん、何か別の感情が、溢れ出てきた

僕は、二人のことが好きだ
だから、こうして亡びの道を歩もうとしている
だけど
だけど、どこかでその意思に反発している自分がいる


「そうか」
上司はリンセイの言葉に驚くこともなく、同じ調子で言った

「お前は、亡びたいのか」
上司の言葉に、リンセイは口を閉ざした
自ら進んで、亡びたい、なんて言う国がどこにあるものか
僕は、二人の為だからその道を選んだ

「亡んでしまったら、もう二人には会えなくなるな」
上司は、同情するわけでもなく、説得するわけでもなく、ただ事実を告げるような平坦な口調で言った
抑揚のないその言葉は、リンセイに強い動揺を与えた


亡んでしまったら、もう二人に会えなくなる
上司の言葉が嫌というほど強く、脳裏に刻みつけられる
それを覚悟して、二人に会ってきたはずだった
でも、本当はそれを最後になんてしたくなかった

「え・・・」
僕は、脳裏に浮かんだ考えに思わず声を発していた
上司の言葉を切欠にしたかのように、次々と新しい考えが脳裏に浮かぶ


最後になんて、したくなかった
僕は今、そんな我儘を無理矢理押し殺して、亡ぼうとしている
何で、今になってそんな事を思ってしまうんだ
今更そんな我儘を言ったって、この状況を覆すことなんてできない
僕が亡ぶしかないんだ、消滅するしかないんだ
僕は新しく浮かんだ考えを押し返すかのように、自分の行動を正当化しようとした
それが、二人の為だと、自身に言い聞かせて


「だから・・・だから僕は、あなたを・・・・・・」
なぜか、あなたを殺します、という言葉が最後まで出てこない

亡んだら、もう二人に会えなくなる

上司の言葉が、脳裏で反復される
僕は、躊躇ってしまっている?
二人のことが好きだと再認識してしまった自分に、躊躇が生まれている?
僕は、そんなに自分がかわいいのか
躊躇ってはいけないはずなのに
全てを切り捨てる覚悟をして、この場に立っているはずなのに

亡んだら、もう二人に会えなくなる

また、言葉が反復される
揺らいでゆく
その言葉を反復する度に


何で、刀を持つ手に力が入らなくなる
何で、自身を支える力も抜けて行ってしまう
全身が、拒絶しているというのか
上司を殺すことを
そして、自身が消滅することを
そんな、情けない精神を持っているはずなんて、ないのに
ここまで成長した自国も、生活している国民も、あの草原も、全て
全てを、捨てる覚悟をしていたのに―――

NEXT