ヘタリア #9前編

―響く声―

リンセイは今朝、日本から「家に来ませんか?」という電話を受けていた
もしかしたら、前の行為で嫌われてしまったかと思ったので、それにはかなり安心した
ただ、なぜか夜に来てほしいとの時間指定があった
リンセイは呼ばれたときすぐにでも行きたかったが、大人しく夜になるのを待っていた

そして夜になった今、リンセイは日本の家に来ていた

「今晩は、リンセイ君。急なお誘いにもかかわらず、来てくださってありがとうございます」
日本は楽そうな服装で、玄関口でリンセイを出迎えた

「いえ。むしろ、僕からお礼を言いたいくらいです」
時間指定をされても、億劫なことなど何もなかった
むしろ、夜に何かあるのだろうかと、楽しみだった

「夜分にお呼びしたのは、見ていただきたいものがあるからなんです。
では、早速ですが行きましょう」
そう言うと、日本は田舎風の町並みを歩き始めた
リンセイは、日本の隣に並んで歩いた




しばらく静かな町並みを歩き、二人は小さな河原に辿り着いた
細い川の先に、草が生い茂っている
街灯の光は少なく、周囲は結構な暗さだった
相手の姿は確認できるが、ぼんやりと歩いていると何かに足をとられてしまいそうだった


暗闇は、あまり好きではない
先に何があるかわからない
ゆえに、いつも警戒していなければならない
あまり長い時間歩いていると、気疲れしてしまいそうだった
リンセイは、周囲に気を払いつつ歩みを進めて行った



さらに歩いていくと、遠くの方でぽつりと小さな光が瞬くのが見えた
リンセイは、人気のなさそうなこの河原に、なぜ光が見えたのだろうかと疑問に思った
日本は、特に不思議そうにしている様子はなかった

川沿いに進んでいくと、光の数は一つ二つと多くなっていった
その光は、一定の間隔でちかちかと瞬いている
これは一体何なのだろうかと、立ち止まって観察してみたいと思ったが、日本が歩みを止めるまで待っていようと思った
光はまるで道を先行するかのように、ゆらゆらと揺れ動いている
そして、緩やかな曲がり角を曲がった先で、日本の歩みが止まった
リンセイも同じく、曲がり角を曲がった先で、足を止めた




リンセイは目の前の光景を見た瞬間、思わず足を止めていた
立ち止まり、まじまじと見られずにはいられない光景が、そこにあった

「これを、リンセイ君にお見せしたかったんです」
視線の先にあったのは、無数の小さな光の粒だった
さっき疑問に思った光が、そこらじゅうに浮かんでいる
人工的な光とは思えないほど、淡くて弱い
その淡い光に、リンセイは目を奪われていた

「綺麗だ・・・」

美辞麗句などではない、素直な感想が口から発された
豪華なシャンデリアの光とも、宝石が輝く光とも違う
他の物質に例えることなどできないような、とても幻想的な光
それは、闇への警戒を取り払ってくれるようだった

「この光は、一体・・・」
「この光は、蛍という虫が発しているものなのです」
リンセイは思わず、「虫が?」と、聞き返した
虫と言われて思いつくのは、名も知らぬ羽虫程度のものだった
そんな、気にも留めない虫の種類の中に、こんなに幻想的な美しさを持つものがいるなんて、知らなかった

「私の家では、蛍は夏の風物詩として人々から愛されているのです」
「夏の風物詩・・・ですか」
自国には、人々から愛されるような、そんな美しいものはない
それどころか、四季を楽しむこともない
夏の風物詩ということは、日本には他の時期にも目を見張るようなものがあるのだろうか
僕は、イタリアだけではなく、こんなに美しい光を見れる日本国をも羨ましいと感じ始めていた



目の前の光景に見惚れていると、足元にある低い草に数個の光がとまった
リンセイはその場にしゃがみ、光へそっと指を差し出してみた
人を警戒していないのか、光は指先に移り、淡い光を放った
すぐ目の前で瞬く光を見ていると、心が静かになってゆくようだった
暗闇の中には変わりないのに、このわずかな光を見ているだけで肩の力が抜けてゆく
緊張感などいつの間にか消え去り、むしろ安心感が溢れていた


「気に入っていただけましたか?」
日本はリンセイの隣にしゃがみ、指先の光を覗き込んだ

「はい。とても、幻想的で・・・何だか、安心しま・・・す・・・・」
リンセイは、最後の方の言葉に詰まった
日本が、予想以上に自分に隣接していたからだった
その姿は、目を少し横に動かせば確認できるほど、近い
相手はただ、光を見にきただけなんだとわかっているが、自分の中にわずかな動揺が生まれていた
そしてそれと共に、またどこからか聞こえてくる声があった


引き寄せたい


前と同じ言葉が、脳裏に響く


顔を少し横に動かせば、触れることができる


そう、顔を日本の方に向け、少し身を乗り出せば触れることができる
白い頬に、自分の唇を触れさせることができる

なぜ、そんな事を思う
なぜ、その個所で相手に触れたいと思うのか
今は、以前のように特別な理由があるわけではないのに
リンセイはいつの間にか、蛍の光をよそに葛藤していた




「・・・リンセイ君、どうかしましたか?」
葛藤の最中に突然話しかけられたものだから、リンセイは驚いて反射的にその場から飛び退いた
驚きだけではなく、動揺も自分を動かしている気がした
すると、体が後ろへ傾くのを感じた

慌てていたせいで、周囲を確認できなかった
片足が川の淵にかかり、バランスを崩していた
リンセイの体は、川の中へ落ちて行こうとしていた

「リンセイ君!」
日本はとっさに手を伸ばし、落ちて行こうとする体を両手で引っ張り上げた
そのおかげで川に落ちることは免れたが、渾身の力で引っ張り上げられたのでリンセイはそのまま日本に思い切りぶつかった
日本はその勢いを支えられず、後ろに倒れた
幸い草が茂っていたおかげで、体を打ちつける鈍い音はしなかった

「す、すいません。大丈夫です・・・か・・・」
リンセイは謝る途中で、再び言葉をとぎらせた
さっきと同じ理由で、言葉が続かなくなっていた

倒れた反動で必然的に、自分は日本を見下ろす形にいる
自分の両手は、日本の首の両脇に着いた状態で静止している
そして、自分の思考もしばしの間、静止していた
その静止している思考の中で、唯一働いている部分があった
さっきの声が、また聞こえてくる


相手に触れたい


このまま近付き、重ね合わせたい


眼下にある、その個所を


そんな言葉が、脳裏に響いてくる
その一方で、そんなことをしてはいけないと、どこかで訴えている声も聞こえる
だが、その声はかすかなもので、すぐにかき消されてしまう
それでも何とか脳裏に響く声に抵抗しようとしているので、リンセイは葛藤し、未だにそこから動けなかった
日本は、この状態のまま動かないリンセイを、不思議そうに見上げていた
リンセイを跳ね飛ばそうとはせず、そのままの状態でじっとしていた

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