ヘタリア 番外日本編#3

―微妙な思い違い―


今日は、朝からひどい雨が降っていた
空気が湿り、ノイズのような音がつねに耳に届いてくる
それが嫌いなわけではなかったが、外へ出られないのは残念だった
それは菊さんも同じなのか、僕らは同じ部屋で暇を持て余していた


雨は、昼になっても枯渇することを知らず降り続いていた
一時も止むことがなく、むしろ激しさを増してきているようだった
そのことに、僕は小さな不安を覚えた
増水して川が氾濫するだとか、浸水するということを懸念しているわけではない
大量の雨につきものである光が、迫ってきている気がしていたからだ




数分後、僕の予想は的中し、重たい音が聞こえてきた
家のどこにいても聞こえてきそうなその音は、蓄えてきた音を解放させるように、激しく鳴り響いた

「雷がひどくなってきましたね・・・念のため、戸締りを確認してきます」
菊さんはそう言って、部屋を移動していった

僕が懸念していたのは、この雷だった
だからといって、特有の光や音を恐れているわけではない
恐れるべき光と音は、先行手榴弾くらいのものだ
僕が懸念しているのは、もっと他にある
雷が鳴れば、必ず僕が考えている事態になるとは限らないけれど
轟音を響かせている雷の音を聞くと、どうしても僕の顔は曇ってしまう
僕が顔をしかめているとき、菊さんが部屋へ戻ってきた

「雨も雷も、まるで嵐のようです。・・・リンセイ君、どうかしましたか?」
僕の雰囲気が違うことを感じ取ったのか、菊さんが尋ねてきた

「いえ、何でも・・・」
何でもありませんと、そう言おうとした瞬間だった
どこかに雷が落ちたのか、ひときわ大きな轟音が鳴り響いた
僕の声はその音に掻き消され、自分にすら聞こえなかった
そして音が鳴り止んだとき、部屋の明かりが消え、目の前が真っ暗になった

「あ・・・・・・」
僕は、戸惑いを隠しきれない声を発した
懸念していたことが、今実際に起きてしまった
雷によってもたらされる停電
僕は雷が鳴り始めてから、ずっとこのことを懸念していた

暗闇は、僕の警戒心を過剰にしてしまう
いつ、どこから襲われるかわからない
軍事国家として戦い続けてきたせいで、ここは安全な場所だとわかっていても警戒心を忘れることはできなかった
僕は、とたんに自分が緊張していくのを感じていた


「停電・・・ですね」
暗闇の中から、菊さんの声が聞こえた
距離はそんなに遠くない、5メートルも離れていないと思う
まさに一寸先は闇といった感じで、自分の姿もろくに見えない
窓や襖を閉め切っていたせいで雷の光は届かず、ただ音だけが相変わらず鳴り響いていた

「しばらくすれば回復すると思いますが・・・一応、ブレーカーを見てきましょうか」
菊さんがそう言ったとき、僕は瞬時に叫んでいた

「待って下さい!」
ここは菊さんの家なのだから、暗い中でもだいたいは部屋の繋がりを把握しているのだと思う
だけど、もしこの暗闇に乗じて何者かが侵入していたらどうなるか
平和なこの国では、そんなことはよほどのことがないかぎり起こりえないとわかっていても
警戒心や緊張感がとても過敏になっている今の僕は、菊さんの姿を必死に探していた

「リンセイ君?」
僕は、声のしたほうへ手を伸ばした
運良く近くへ接近できていたのか、すぐに菊さんの腕を掴むことができた
それでも、姿は見えない
ただ、掌に伝わる感触を感じているだけだった

「菊さん、行かないで下さい」
僕は目の前にいるであろう人物に向かって、そう言った
この状況でそんなことを言うと、雷や暗闇を怖がっているのかと思われてしまうかもしれない
それでもいいから、菊さんには手の届く範囲に居てほしかった

もし、こんな中で菊さんに危険が迫ったら、家の中をよく知らない僕は助けに行かれない
菊さんが危険な目に陥る可能性なんて、ほんの一握りもないと思う
けれど、暗闇の中は危険かもしれないと少しでも感じてしまったら
そこへみすみすと大事に思っている人を行かせるのは、絶対に許せなかった

大袈裟だと、心配症だと、そう笑われるかもしれない
まさに、その通りだ
僕は数少ないこの大切な人を、決して恐ろしい目にはあわせたくない
だから、自分の保身以上に菊さんに構ってしまう
だから、こうして引き留めてしまう
引き留められた本人は迷惑かと思うかもしれないが
そう思われても、僕は菊さんを暗闇の中へ行かせたくなかった

「明かりが点くまで・・・いえ、雷が鳴り止むまで、ここに居て下さい」
僕の訴えに何か迫るものを察したのだろうか、菊さんは手を振り払おうとはしなかった

「・・・わかりました。しばらく、リンセイ君のお傍に居させていただきます」
菊さんは、いつも以上に丁寧な口調で言った
僕はどこか違和感を覚えたが、それを解析している場合ではなかった
今は、他に人の気配はしないか、雑音の中に不審な音は混じっていないかと注意することに集中していた
人の雰囲気を察し、空気を読むことに長けている菊さんには、この緊張感を悟られてしまうかもしれない
そのせいで口数が少なくなり、気まずい雰囲気が漂ってしまうかもしれない
けれども、僕は緊張を解くわけにはいかなかった
ただ、菊さんの腕を掴んだまま、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませていた




それから数分が経過したが、明かりは灯らず部屋は暗闇に包まれたままだった
雷は少しずつ音を弱めてきていたが、それでもまだ鳴り続けていた
その数分の間、やはり緊張感を悟られてしまったのか、菊さんは一言も言葉を発しなかった
僕は、こんな緊張感を醸し出してしまって申し訳ないと思った
鳴り続けている雷を、恨めしくも思った

「・・・・・・リンセイ君」
目の前の暗闇から、小さな声が聞こえた
少しおどおどしているような、遠慮しているような、そんな声だった
僕はそれにもまた申し訳なく思いながらも、「何ですか?」と返答した

「・・・・・・私は、あなたの傍に居てもいいのでしょうか」
聞こえてきた声は、尋ねたことを後悔しているような暗さを醸し出していた

「・・・どういうことですか?」
ここに居てほしいと頼んだのは僕なのに、菊さんがそんなことを言う理由がわからなかった

「少し、前から・・・私と居るとき、リンセイ君が緊張していることがわかるようになってきたんです」
「それは・・・」
やはり、悟られてしまっていた
だが、それは危機が迫っているときのような、緊迫した緊張感ではない
その緊張感があることが苦とは感じない、何とも不可思議なものだった

そういえば、僕もその緊張感に対しては少し敏感になってきた気がする
だからなのか、最近菊さんの言動がたまにぎこちなくなることがわかってきた
それをよくよく思い返してみると、それは僕と居るときに起こっていたもののように思える
僕は思い切って、質問を投げ返してみた

「菊さんこそ、僕と居るときに緊張感を覚えていませんか?」
暗闇の中なので、菊さんがどういった反応を示したのかはわからない
ただの推測が外れてしまっている可能性もある

返事は、すぐには聞こえなかった
僕は黙って、菊さんの返答を待った



「・・・わからないんです」
ふいに、ぽつりとした呟きが聞こえた
「リンセイ君の言うとおり・・・いつの間にか、私もあなたと接することに緊張感を覚えるようになっています。
けれど・・・なぜ、そう感じてしまうのか、わからないんです・・・」
恐縮しているような、控え目な口調だった
そんな言葉を聞いて、僕は驚いた
菊さんのその心情は、僕の感じていたものとほとんど同じだったから


なぜ生じるのかわからない緊張感
僕らはその理由がわからず、戸惑っている
だから、お互い遠慮し、思うように行動できない

僕は、前々から菊さんにもっと触れてみたいと思っている
だけど、出所のわからない緊張感が生まれ、それを躊躇わせる
それは、菊さんも同じなのかもしれない
そんなことを思うなんて、僕は自惚れているのかもしれない
だが、菊さんの言葉があまりにも僕の心情と一致していたので、そう思いたかった

もし、菊さんも僕に触れたいと、そう思ってくれているのならば
僕が緊張感を跳ね退け、行動すればいい

そう考えた瞬間、またもやもやとしたものが自分の中に生まれてきた
緊張感とはまた違う、別のものが
菊さんが僕を許してくれる保証があるとは言い切れない
そもそも、この考えは全て僕の推測に過ぎない
でも、僕は示してみたかった
あなたに触れたいという、その想いを


僕は掴んでいる腕を頼りに、菊さんが座っている場所へにじり寄った
人が近づいてきた気配を感じたのか、掴んでいる腕がわずかに動いた
僕はだいたいの位置を予測し、菊さんの背にもう片方の手をまわした
すると、菊さんの体が強張るのを感じた
それでも構わず、僕は行動した
さらに菊さんのほうへ寄り、そして抱きしめた

「リンセイ、君」
菊さんが動揺している様子が、見えない中でも伝わってくる
僕は腕を掴んでいた手も、菊さんの背にまわした
振り払われてしまわないように、力を込めて

「確かに、僕も緊張しています。
けれど・・・うまく説明できませんが、嫌な緊張感じゃないんです」
菊さんに触れると、緊張する
けれど同時に、幸福感も生まれてくる
それは、確かなことだった

「その証拠に、僕は・・・菊さんに触れたいと思っていますし、触れてほしいとも思っています」
前々から、そう思っていた
床を共にしたときから、触れてみたいという思いはだんだんと増していった
そして今となっては、菊さんと口付けることも躊躇わなくなっている
相手が許してくれさえすれば、僕はきっと行き着くとこまで行ってしまうのだろうと、そう思う

「リンセイ君・・・私は・・・・・・」
僕は、その言葉の続きが聞きたかった
受け入れてくれるのか、拒否されてしまうのか
でも僕は卑怯にも、答えを誘導するような言葉を発した

「菊さんが僕と居ることを、誰も咎めなんてしません。
僕は・・・菊さん、あなたと共に居続けたいんです」
こんな甘い言葉を言うのは不慣れなせいか、少し照れくさかった
だけど、これが僕の本心だった
拒否されたくない、傍に居たい、どうかそれを許してほしい
僕は腕の力を緩めぬまま、菊さんの返答を待った



そうしてじっとしていると、ふいに背中に体温を感じた
菊さんが僕の背に両腕をまわし、抱きしめてくれているようだった
僕は、菊さんが触れてくれていることをより感じ取るために、目を閉じた
目を開けていても何も見えないのであれば、どっちにしろ同じことだったから

「・・・・・・ありがとうございます。これで、私も・・・」
菊さんがそう言いかけた時、瞼を通して部屋が明るくなったのが感じられた
いつの間にか、雷の音は聞こえなくなっていた
僕は目を開こうとしたが、光は再び遮られた
また停電したのかと思ったが、それは違った
目元には菊さんの掌と思われる感触があり、それが光を遮っているようだった

「私が離れるまで・・・目を、閉じていて下さい」
何だか、その台詞は聞いたことがある気がする
僕は短く返事をして、手が離された後も目を閉じ続けていた


すぐ近くで、菊さんの息遣いが感じられる
どれくらい接近しているのかはわからないが、かなり近くに居ることは間違いなさそうだった
今、どんな状態でいるのか見てみたかったが、僕はじっと目を閉じ続けていた

「・・・失礼します」
菊さんの呟きと共に、背にまわされていた手が僕の首元と後頭部にまわされた
そして、少し首を下に傾けるよう誘導された
もうそのときから、僕の心音は高鳴り始めていた

その後すぐに、心音はさらに高鳴った
僕が重ね合わせたいと思っていた箇所に、柔らかな温もりを感じたから
その感触を知っている僕は、それがすぐに菊さんの唇なのだとわかった


相手から、触れてくれている
あんなに遠慮深く、慎み深かった菊さんが
自ら、重ね合わせてくれている
僕はそのことに、最上の喜びを感じていた

こうしていると、たがが外れてしまいそうになる
触れ合いたいという欲求のままに、菊さんを求めたくなる
けれど、まだそこまで行きつこうということは考えていない
それはいくら何でも性急すぎると、自分でわかっていた
だから僕は、菊さんが離れるまで必死に自分を保ち続けていた


重なっていた箇所が離れても、まわされている手はそのままだった
あわよくば、今度は僕のほうから重ねたいと思ったが、目を閉じていてはままならないことだったので諦めた

「・・・リンセイ君。夕食の後に・・・
露天風呂とはいかないのですが、お風呂に入りませんか」
そんなことは口で言わずとも、当たり前のようにしていたことを誘われ、僕は不思議に思った

「はい。勿論です」
風呂に入る、なんて珍しいことでもないので、僕はすぐに返事をした
けれど、僕は後々僕は露天風呂が使えないという意味に気付き、顔を赤らめることになる
室内の浴室は、そんなに広くはないのが一般的
それは、お互いが布一枚しか身につけていない状態で接近することを、誇示しているようなものだったから

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