NO.6 短編、誘い


流星が紫苑とネズミと友人関係になってから
ごくたまに、流星はネズミの家に泊まることがあった
たいていは、紫苑に誘われて来るのが大半だった

わずかな例外は、冷え込みの強い日
暖房器具のない流星の家はかなり寒くなる
そんなとき、厚かましいとは思いつつも夜だけ、流星はネズミの家を訪れることがあった
人が増えても部屋が冷えるわけではないと、ネズミは流星を邪険にはしなかった

そして、冷え込みの強い日の夜
今日も、流星はネズミの家を訪れていた



「悪いな、今日も世話になる」
「別に、世話してるわけじゃない。あんたはきっちり、毛布を持参して来るしな」
ネズミ達の眠るスペースを侵してはいけないと、流星はいつも家から毛布を持ってきていた
ベッドは紫苑とネズミに譲り、自分が床で眠るのは当たり前のことだった
紫苑はたまに位置をかわろうと提案したことがあったが、断固として断った
こっちから勝手に押しかけているのも同じなのだから、そんな気遣いはいらなかったし
元々、この温かい部屋以上のものを望んではいなかった

いつもどおりに、流星は床に毛布を敷いて眠ろうとした
そのとき、扉がカリカリと何かに引っ掻かれる音がした

「あ、犬が扉の前に居るみたいだ」
その音だけで犬だとわかるのか、紫苑が扉を開いた
そこには紫苑の言うとおり、茶色い大型犬が座っていた
その犬は紫苑を見つけると、袖口を少し噛んでぐいぐいと引っ張った

「何だろう、イヌカシのところで何かあったのかもしれない。
・・・僕、ちょっと言ってくる」
紫苑はコートを羽織り、犬と一緒に暗い道へ出て行った
流星はそれを少し心配に思ったが、あの大型犬が一緒なら大丈夫だろうと思った
部屋の温度が下がるのが嫌なのか、ネズミはすぐに扉を閉めた

「あいつの犬好きも大したもんだな」
「ああ。でも、悪いことじゃないさ」
二人は簡単な会話を交わし、暖まっている部屋へ戻った




「良かったな流星、今日はベッドが空いてる」
部屋へ戻るなり、ネズミがベッドに腰かけて言った

「そうだけど、たまには一人で広々と使うといい。
僕は床で寝る、ベッドなんて、元から望んじゃいない」
ベッドのほうが寝心地がいいのは確かだった
だがそれでも、流星は断固として申し出を拒否していた
最初に決めたことを中々曲げない性格が、強調されているようだった
流星はネズミが何か言う前に床に毛布を敷き、くるまるようにして寝転がった
本当に、この室温だけで十分な施しだった

「相変わらず頑固だね。それでは、ナイトのご配慮を受けることにしましょう」
ネズミがベッドに寝転ぶと、バネの軋む音がした
その音を背に、流星は目を閉じた
丁度よく暖まっているこの室温なら、すぐに眠りにつけそうだった






夜中、流星は喉の渇きで目を覚ました
いつもと違う夜の気温に、まだ慣れていないせいかもしれない
ストーブは止まっていたが、部屋はまだほんのりと温かかった

流星は立ち上がり、ふいにベッドのほうを見た
紫苑は帰ってきていないのか、そこで眠っているのはネズミだけだった
何かあったのだろうかと流星はまた心配に思ったが、遅くなったからイヌカシのところに泊っているのだろうと思い直した
流星はぼんやりしている視界を開かせてから、水をもらうことにした




冷たい水を飲むと少し目が冴え、視界がより鮮明になった
あまり目を覚めさせては眠れなくなると、流星は再び寝転がろうとした


しかし、ベッドの前でぴたりと動きが止まった
目が暗闇に慣れてきたせいか、ネズミの姿がさっきよりはっきりと見える
横向きになっているので、膝立ちになれば丁度顔が見える距離だった

流星は、自分の前で寝息をたてているネズミをじっと見ていた
今思えば、こうしてまじまじとネズミの寝顔を見るのは初めてかもしれない
以前、ベッドで二人並んで寝たことはあったが、自分のほうが早く寝てしまっていた
そのとき、こうして寝顔を見られていたのだろうか

流星は膝立ちのままネズミを見ていた
さっさと眠ろうとしていたはずなのに、寝顔から目が離せないでいた
こんなにも静かなネズミを、珍しく思っているのかもしれない
それとも、黙っていればこんなに美麗な相手を、目に焼き付けておきたいのかもしれない
ネズミは流星に気付く由もなく、静かな寝息を立て続けていた
それを好機だと思ったのか、流星は慎重にネズミの髪を指ですいていた


こんな状況でなければ、易々と触れられない
触れさせてくれないわけではない、まだ他者に触れるということに対して抵抗があるからだ
ネズミが美人なのは、会ったときから感じてきた
だから、そんな美しい存在に素手で触れてもいいものかと、そんな抑制があった
だが、今は相手は眠っていて、触れられていることに気付く気配はない

気付いていないなら、拒まれる心配はない
流星は相手の寝息が途切れないかと気を配りつつ、指先でネズミの髪に触れていた
相手が気付かないとわかっていても、どこか遠慮している手つきだった
ネズミの寝息は、一向に途切れる気配はない
そこで流星は手を移動させ、また慎重にネズミの頬に触れた


指先から、わずかにネズミの体温が伝わる
皮膚に触れられれば流石に起きてしまうかと思ったが、熟睡しているのかネズミは微動だにしなかった
それをいいことに、流星は指先でそっとネズミの頬をなぞった
指先でしか触れていないのに、ずいぶんと温かみを感じる気がする
それだけでも、流星は小さな幸福感を覚えていた
今まで他者に触れることに抵抗を感じていた自分が、こんなことを思うのは不思議なことだった

そこで、ネズミの寝息が途切れた
流星は我に返ったようにぱっと手を離し、いそいそと毛布にくるまった
もしや気付かれてはいないかと、流星は緊張した
だが、すぐにまた規則的な寝息が聞こえてきた
流星は安堵し、瞼を閉じた


そこで流星は、ふと思った
なぜ、自分はネズミの触れたのかと
ベッドの前に膝立ちになり、寝顔を見ていたとたん、ほとんど無意識にその髪に触れていた
紫苑の髪に触れたときと同じように、美しいと思うものに触れてみたかった

それだけだろうか
それだけで、自分はネズミの頬にも触れたのだろうか

今まで、ネズミに触れたいと明確に思うことはなかった
何を考えるわけでもなく、自然な行動だった
そんな行動をした自分を、また不思議に思う
その繰り返しで、いつまでたっても答えが出てきそうになかった
流星は諦め、考え事を止めて眠りについた

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