NO.6短編 生と死の誘い(ネズミ)




流星の部屋には、血の匂いが漂っていた
だが、刀は全く濡れていない
この鉄のような匂いの出所は、部屋の主からだった


少し前、夜道を歩いていたとき
通り慣れている道に、違和感を覚えていた
刀を振るう機会がなくなったせいで、きっと平和呆けしていたのだと思う

だから、反応が遅れた
物陰から人が飛び出してきたと認識したときには、もう遅かった
とたんに脇腹が熱くなるのを感じたかと思うと、同時に鋭い痛みが体を襲っていた
服が赤く染まり、鉄の匂いが鼻をつく
潜んでいた人物は最初からそれだけが目的だったのか、刀を構えて威嚇するまでもなく逃げて行った


そして、今に至る
流星はベッドに座り、包帯を脇腹に巻いている最中だった
危険を伴う仕事柄、手当の道具は揃えてあったのが幸いだった
だが、傷は結構深いのか、包帯を巻き終えても血は止まらない
滲み出る血液を、流星にはこれ以上どうすることもできなかった
せめて無駄に体力を使わないようにしようと、流星はベッドの柵にもたれかかって座った



そうしていると、なぜかだんだんと眠気を感じてきていた
血液が少なくなったことで、体力を保持しようと体が睡眠を欲求しているのかもしれない
それとも、この睡魔は僕を永遠の眠りへと誘うものなのだろうか
それに抗う気が不思議と、ほとんど起こらないでいた

これは、報いだ
使魔さんに騙されて、悪戯に人を傷つけてきた僕への
これはおそらく、僕に傷つけられた人が報復のつもりでしたことなのだろう
だから、殺してしまっては僕が苦しむ様が見られないとして、脇腹だけを刺した
だけど、折角そうやって加減しても僕が苦しむ様は見せられないかもしれない

僕の傷は、少し深すぎた
恨みに任せて刺しただけなのか、どのくらい肉が裂けるのか知らない初心者だったのか
考えておいて何だが、今更そんなことはどうでもよかった
僕が目を閉じた後、仮眠程度で目が覚めるのか
それとも、ずっと瞼は開かないままになるのか
それは、僕自身にもわからないことだった


流星は、半ばどちらでもいいと思いながら目を閉じた





そうして目を閉じた流星だったが、ものの数分でその瞼は開かれた
突然、扉が勢いよく開く音がし、それに驚いたせいだった
流星は、さっきの人物が脇腹を刺すだけでは物足りず、追いかけてきたのかと思った
しかし、刀を取る気力はすでになかった
家に入ってきた人物は何者なのかと、流星はじっと部屋の入口を見ていた
足音は早く、その人物はすぐに目の前に現れた

「流星・・・」

相手の名を呼ぶその声は、どこか覇気がなかった
「・・・ネズミか。・・・こんな夜更けにどうした?」
流星は傷の痛みを抑え、なるべく平静に尋ねた
ネズミはその問いには答えず、早足で流星に歩み寄った
そこで、流星の服が赤く染まっているのを見て、ネズミは眉間にしわを寄せた

「散歩帰りのクラバットが騒いだから来てみたら・・・あんたにしては、珍しい失態だな」
ネズミの口調には、全く軽さがなかった

「・・・まあな」
話すことが億劫になってきているのか、流星は一言そう言った
するとネズミはおもむろに流星の服をめくり、血が滲んでいる包帯を見た
その出血量から傷は結構深いと察したのか、ネズミの表情が曇った

「おい、針と糸あるか」
「・・・物置の棚でも探せばあると思うけど、そんな物何に・・・」
流星が質問し終わらない内に、ネズミはまた早足で部屋から出て行った
部屋から人の気配がなくなると、流星はとたんに睡魔を感じた
もはや、それに抗うことも億劫だった
派手に目的の物を探しているのか、別の部屋から物音が聞こえてきていた




ネズミが戻ってきたときには、流星は完全に瞼を閉じていた
「おい、目を開けろ」
頬を軽く叩かれ、流星は億劫そうに瞼を開いた
ネズミはそれを確認すると、流星に巻かれている包帯を解いていった

「・・・何を・・・する気だ?」
流星は、億劫ながらも尋ねた

「傷口を縫う」
ネズミが包帯を解くと、血の匂いはひどくなった

「君に・・・そんな芸当ができるのか・・・?」
流星の声は、普段よりだいぶ小さかった
そこには、弱弱しさも兼ね備わっていた

「紫苑に教わった。驚きだろ?あのお坊ちゃん、おれの傷を縫ったことがある」
「紫苑が・・・そうだな・・・意外だ・・・」
流星の言葉に、空白が多くなる
まるで、もう話したくないと体が訴えているかのように

「麻酔なんてないからな。
いや、むしろ痛みで目が覚めていいんじゃないか」
ネズミは、どことなく饒舌だった
それは、話しかけて応答させることで、流星を眠らせないようにする手段だったのかもしれない
ネズミは、このまま流星が眠ってしまったらどうなるか知っていた
だから少し荒々しく、流星の傷口付近に糸を通した針を突き刺した

「っ・・・」
勢いよく刺さった針の痛みに、流星は顔をしかめた
だが、その痛みの中でも睡魔は流星を誘っていた
未だに痛む傷口に比べればたいしたことはない痛みだったせいか、瞼はまた閉じかけていた

「糸は後で取るから安心しろ。どうしても、傷痕は残るけどな」
傷を縫い終わったネズミは、新しい包帯を流星に巻きつつ話しかけた
流星は、もう反応を示さないでいた
瞼を閉じてしまうと、指一本動かすことさえ億劫に感じられた

「流星、目を開け」
ネズミにそう言われても、流星の目は閉じられたままだった
そのことに焦燥を感じたネズミは、再び部屋を移動し、すぐに戻ってきた

「流星。ほら、飲め、水だ」
ネズミは流星の口元に、水の入った器を当てた
流星は顔を背けてそれを拒否したが、ネズミはしつこく口元に器を添えていた
それでも流星が拒否すると、ネズミは一旦器を手元に戻した
だが、諦めたわけではなかった
ネズミは器の水を自らの口に含み、流星の両頬を包んで上を向かせた

そして、すぐに口付けた
以前、自分が流星に同じことをされたときのように
ネズミはそっと流星の唇を割り、舌を伝わせて水を口内へ運んでいった

「・・・んん・・・っ」
流星がくぐもった声を出すと、口端から液が漏れた
流れ込んでくる冷たい水の感触は、わずかに流星の睡魔を押し止めた
口内の水がなくなったところで、ネズミは流星を解放した

流星は、一切抵抗しなかった
ネズミの行為にも、襲ってくる睡魔にも
ただ、流れに身を任せているだけだった


虚ろな瞳で天井を見上げている流星に、ネズミは再び口付けた
同じように舌を伝わせ、口内へ水を運んでゆく
流星は、流れ込んできた水を大人しく飲み干していった

いつものように羞恥心を感じる余裕もなかった
ネズミが離れると、流星はすぐに項垂れて目を閉じた
もう、眠たくて仕方がなかった


「流星、目を開けろ」
少し強めに語りかけられたが、流星はただ一言反応を示しただけだった


「・・・もう・・・いい・・・」
そんな呟きが、自然と口から発された

「何言ってる、頑固で意地っ張りなあんたが、そんなに簡単に受け入れるんじゃない!」
ネズミは、流星が受け入れようとしているものを嫌悪するように、その言葉を省略して叫んだ


頑固で意地っ張りな僕が、素直にそれを受け入れようとしている
だが、僕を救おうとするネズミの行為にも抵抗しないでいる


僕は、どちらでもいいと思っているのかもしれない
回復して、再び日常を過ごせるようになっても
このまま、二度と目を開かなくなっても
僕は、そのどちらも大差のないことのように感じているのかもしれない

僕は、きっと疲れているんだ
生きているだけで感じてしまう、未完成な自分に
ネズミが口にしたがらない「死」というものを近くに感じ、僕の考えは投げ槍になってきている
自分の身を嫌悪していたからって、自殺なんて考えたことはなかった
それは、何もかもから逃げてしまう気がして、プライドの高い自分は絶対に許さない行為だった
けれど、今の僕は他者の手で、仕方なく葬られようとしている
それに、これは自分の罪への報いなのだという、無理矢理自分を納得づけるような理由もついている

僕は、死をそんなに拒むべきものだとは思っていない
死にたいと思っているわけではない、死んでしまっても構わないと思っているだけだ
それは、自分の罪と未完成なこの体から逃れたいと、深層心理が訴えているようだった


「もう・・・いいんだ・・・帰ってくれ・・・」
あまり遅くなると、ネズミといえども危険が及ぶ可能性がある
長く言葉を紡ぐことが面倒で、流星は端的にそう言った

「ふざけるな、抗え、易々と受け入れていいと思ってるのか、目を開け、流星!」
続けざまに、ネズミは叫んだ
それは、聞いたことのないような、鬼気迫る声だった


ネズミは、僕が死んだら悲しむのだろうか
でも、ネズミは独りじゃない、紫苑が傍に居る
僕がこのまま目を開かなくても、ネズミは以前の暮らしに戻るだけ
僕は、誰からも重んじられる存在ではない
もう、存分に思い知らされてきた
大丈夫だ、別に、僕が動かなくなったってそんなに困る人はいない
だからネズミ、そんなに僕を生かそうとしてくれなくてもいいんだ


そろそろ、考え事は止めよう
落ちてゆきたい、とても深く、静かな眠りに―――




流星は、完全に反応を示さなくなった
ネズミは口をつぐみ、流星を横に寝かせた
そして手首を掴み、ベッドの脇に腰を下ろした
部屋は、だんだんと漆黒に染まっていった

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